一夜目
その夜、新しい香が焚かれ、新しい着物に着替え、長くもない髪の毛を櫛でとかれた和泉の……屍が畳の上で横座りになっている。
夜も更けてきている。
先ほどまでは衝立を開けて新鮮な夜の空気を取り込んでいたが、灯りと新たに香がくべられた。部屋の中は良い匂いが広がっている。
赤狼はどこかへ出かけてしまって姿がない。
居て欲しいとも思うが、居てもどうしてもらえるわけでもない。
泰成様と……となる姿を見られるのも嫌だし、あ~~~~やっぱりそうなるのかしら。
と頭をかきむしる。
「賢ちゃん、ごめんね」
とつぶやいてみる。
「いや、諦めるのは早いわ! 泰成様に頼んでみよう! どうぞ、お嫁さんは他で調達してください……ほら、あたしなんて河童みたいな頭だし、歌も詠めないし、古語なんて難しくて読めないし、書けないし、足も悪いし。それに出来たら平成に戻してください!」
とぶつぶと言っていると、
「大きな独り言だな」
と低い声がした。
「ひっ」
和泉は身構えて掛け布団代わりの大きな綿入れの着物を引き寄せる。
衝立の向こうから低い姿勢で大きな男が入ってきた。
うつむき加減で薄暗い室内ではすぐに顔が見えない。
和泉はしばらく固まっていたが、男がすすすとこちらへ近づいて来ようとしたので、
「や、泰成様! ちょっと待って下さい! ごめんなさい! 結婚は無理っていうか、あの~、あたしはもう人妻なんですぅ!」
と和泉が大慌ててで叫んだ。
「でも時巡はどうしても開発してもらわないとなんないって言うか。千年後の子孫の為にお願いします! で、できたら、私も平成に戻してくださいぃぃ!」
「やかましい娘だ」
泰成が近寄って来て、正面から和泉の方へ顔を向ける。
室内は着物の色の判別さえしにくいほどのかすかな灯りだった。
和泉は正面から泰成を見てから思い切り息を吸い込んだ。
「賢ちゃん!!!」
直衣を脱がせてスーツを着せて烏帽子を取り、結った髪の毛を短く切れば賢だった。
少しふてぶてしいような表情も大きな身体も賢だった。
「どうして? どうしているの? どうして泰成様が賢ちゃんなの?」
和泉が泰成の方へ自らにじり寄って手を伸ばした瞬間に、
「慣れ慣れしいな」
とぱしっと手を扇子の様な物ではたかれた。
「へ……」
和泉の身体はびくっと後退し、また着物を自分の方へ引き寄せた。
「賢ちゃん……じゃないの?」
確かに銀縁メガネをかけていないし、和泉を見ても何の感動もない。
にこりともしないばかりか、超真面目な顔は不機嫌そうにも見受けられる。
「そうよね、賢ちゃんがいるはずないもの……すみません、知り合いに似てたもんで」
と和泉は小声で謝った。
泰成はふんっと鼻で和泉を笑って、
「お前が千年の時を超えてきた娘か。やはり俺は天才だな。時巡で千年後の子孫を呼び寄せるとは」
と言った。
え~~なんか偉そうなんだけど。
「はあ、あの、話せば長くなりますが……」
和泉はこちらへ来てから誰にも何の話もしていない。
先読みが得意とは言っても、何故和泉がここへ助けを求めに来たのかまでは泰成が知るはずがない。
「黙れ」
と泰成が言った。
「え」
「委細承知している。能なしの子孫どもが手に余った件を優秀な先祖に助けて欲しいというのだろう。やはり千年も立てば能力が低下するのだな。嘆かわしい事だ。素晴らしい安倍の霊脳の力がな」
「……能なしなんかじゃありません」
ぼそっと口答えした和泉に泰成は、
「ほう、では千年後に戻って自力で解決するか? 俺は一向に構わぬぞ。俺が編み出した時巡を能なしどもがうまく扱えるのならな」と言った。
冷たく言い放たれて、和泉は内心で唇をとがらせた。
ご先祖様、意地悪じゃん。
賢ちゃんと同じ顔でさ。
そう言えば賢ちゃんもあたしを言い負かす時だけこんな感じだったな。
理屈っぽくてさ。
よく馬鹿だ馬鹿だって言われたっけ。
賢ちゃん、どうしてるんだろう。
美登里さんと再婚すればいいなー。
あーあ、随分遠くへ来たもんだ-。
つい現実逃避してしまう頭をふるふると振ってから、和泉は泰成を見た。
いがいがした気持ちを飲み込んでから無理矢理に笑顔を見せた。
「……全てご存じなんですか? 自らの妹の身体を乗っ取った悪霊をその身体から引き出すのは、時巡の術で過去の時間に魂だけ吹き飛ばすしかなかったんです。それで……」
「馬鹿め、俺が知っていると言えば全て知っているに決まっている」
座っていても巨体の泰成は上から和泉を見下ろす。
「……そ、そうですか。では、すでに生まれている時巡をさらに開発していただいて、それで千年後の私達を助けていただけるんですね? 私はそれを闘鬼という名の鬼に託さねばなりません。千年後の私に伝えてもらう為に」
「そう簡単なものではないわ。馬鹿め」
んだよ、出来ないのかよー。泰成さんよー。
千年もの旅をさせといてそれはないんじゃないのー。
だいたい、時逆だとか時巡だとか、迷惑なのよねー。
怪しげな術を開発するのやめてよー。
もー。天才だかなんだか知らないけどさー。
これは和泉の心の中の声だ。
顔は笑顔をたたえて泰成を見ているが、心の中は超正直である。
「何だと、出来ないとは言っておらぬ!」
と泰成が語気を荒く言い返したので和泉はびくぅっと後ろへのけぞった。
やだ、あたし、今、声に出してないよね?
「な、何も言ってません……けど」
「ああ?」
泰成は和泉をじろっと見て、
「生意気だな、お前」
と言った。