平成女子にはいろいろと無理3
文が来た。
二度見してしまうほどの早足で瑠璃が廊下を歩いてきて、和泉へ文を差し出した。
和泉はその時、衝立を明けて外を見ていた。
安倍家の庭はとても美しく、庭山や池などがある。春になればその広い庭で歌の会やお茶会が催されるらしい。
「泰成様から使いの者が来て、文をいただいてまいりましたわ」
文をいただいた……もろもろの突っ込みたい気持ちで和泉は返事が少し遅れた。
そりゃ、そうだ。時巡を開発してもらわないとなんないのだ。
ありがたく文をいただかねば……。
「そう」
と言って、文を開いてみる。かすかに香が匂う。
和泉の部屋も朝から晩まで瑠璃が香を焚くので、よい匂いがする。
泰成の香は和泉の部屋とは違う香りだった。
「達筆ね」
「泰成様はとても勉強熱心な方ですの。ご兄弟の中で一番、筆と紙を使いますのよ。いつも机に向かって書き物をしておられますわ」
「へー」
「いつかお屋敷内で予備の筆がなくなってしまった時にはたいそうな慌てようで」
瑠璃がくすくすと笑った。
(それ、何かの不安症じゃないの……)
「ごめんなさい。読めない事もないんだけど、古語は難しいから正確な意味が理解できないわ。読んでもらえる?」
と和泉が文を瑠璃に渡した。
「では、失礼して……君がため………………思いけるかな」
と瑠璃が泰成からの恋文を読み始めた。
「まあ、なんて素晴らしい」
と加江がぽうっと頬を赤らめて感嘆の息をついた。
和泉は肩をすくめた。
「ごめんなさい、読んでもらえる? じゃなくて、訳してもらえる? だった」
「和泉様、あなたの為ならば私の命も惜しくないけれど、あなたと過ごす時間の為に少しでも長く生きていたいと、泰成様は詠んでおられるのですわ」
「へ、へえ」
(さ、さすが平安人ね! 見た事もない人なのに、そんな事を言われたらちょっとぐらっとくるわね)
和泉は赤面している。
「好きだ」もしくは「愛している」なら囁かれた事くらいあるが、恋文で命も惜しくないなんて言われた日には……でも、全然知らない女に対してよくそんな事言えるわねえ、って気もするけど。賢ちゃんなんて、それ言うのに二十年もかかったのに。
「さあ、和泉様、ご返事を」
「ええ! そ、そんな平成ッ子に歌を詠めなんて無謀な……」
「お返事は書かなくてはなりませんわ」
「そんなものなの?」
「ええ、代筆も可能ですけれど…やはりご自分で……」
と瑠璃が困り顔で言った。
「代筆? それでいいの? じゃお願い! 『一刻も早い時巡の完成を一日千秋の思いでお待ちしております~』って書いてくれたらありがたいわ」
「時巡?」
「うん、泰成様に時巡という陰陽道の術を開発してもらってるの。それが私がここへ来た目的なのよ。それを待っているの」
と和泉は言ったが、瑠璃と加江はかすかに首をかしげただけだった。
首尾良く瑠璃が文を返してくれたのだろう、翌日また泰成から文が来た。
「和泉様にお会いするために私は夜も寝ずに時巡りに思いをはせましょう、と書いておられますわ」
と瑠璃が訳すると、
「そう! それは嬉しいわ!」
と和泉は喜んだのだが、
「明晩、こちらへいらっしゃるそうですわ。いよいよ婚礼の晩ですわね! 精一杯用意をさせていただきますわ!」
と瑠璃が言った。
「え……婚礼って」
「ご夫婦になられるのですわ」
「そ、それは……知ってるけど、あのね、あたしね、もう結婚してるの。人妻なの」
瑠璃は首をかしげて、
「さようですか。それが何か問題でも?」
と言った。
「ええええ~~。も、問題じゃないの? 重婚だよ?」
「じゅうこん、の意味が分かりかねますが、このお屋敷にいらしたからにはあなたが泰成様の御正妻様になられるんですわ。以前のご主人様には正妻の立場をいただけなかったのでしょう? 正妻の立場以外の方がまた他の方に嫁ぐのはよくある事ですわ。何人もの方の元へ通い面倒をみるのはよほどに裕福でないと無理ですから、女性の方もより裕福な方へと嫁ぎ先を変えていきますわ。貴族の女性にしましたら死活問題ですもの」
「こ、ここでも正妻の立場を死守しなければならないのね……そっか、瑠璃さん達みたいに働く女性でなければ貴族の女の人は父親かご主人に養われるしかないものね……いやいや、そういう平安事情はともかく、あ~~どうしよう!」
「どうする事もありませんわ。泰成様をお待ちしているだけでいいのです」
「あー」
和泉は頭を抱えるが、非情にも時は刻々と過ぎていく。
「お風呂に入りましょう」
「髪の毛を洗いましょう」
「新しいお着物にお召し替えを」
「さあさあ、和泉様、さあさあ」
と急かされて、和泉は杖を片手にことんことんと歩く。
湯殿へ連れて行かれ、髪を洗われ、着替えをさせられ、そして自室へ戻るその途中、
「泰成様がご婚礼されるらしいわよ」
どこから聞こえるのかは分からない。屋敷中、衝立や御簾で仕切られているからだ。
「へえ」
「何でも、お相手は遠い所からきたんですって。文も書けない、読めないらしいわ」
「ええ? それはまた随分と田舎者ね」
「そうね、でも泰成様とならお似合いじゃないの」
「信じられないのが河童みたいな髪よ。あんな容姿で貴族の娘だなんて!」
「足がお悪いようね」
「それはまだいいわよ。こともあろうに歌が詠めないんですってよ!」
あの~すごく聞こえてるんですけど……河童って……ゆわれた。
し、しかも足が悪いのより、歌が詠めない方が重罪なんだ……
屋敷の中で働く女官達だろう。
安倍家の内を切り盛りする北の方の配下の娘達だと思われる。
この時代、髪の毛は長く黒くが美しさの基準だった。
身体は牛車の中でも髪の毛のすそはまだ座敷に残っている、というほどの話が残っているほどだ。そして歌を詠むのは教養の現れであるので、歌の一つも詠めないようでは田舎者と馬鹿にされるのだ。
「和泉様、気になさらない方がよろしいわ」
と先を歩く加江が言った。
「え、ええ」
「後で叱っておかなくちゃ、みんな、和泉様に興味津々なんですわ。ずっと独り身を通しておりました泰成様が正妻様をお迎えになる事に驚いておりますのよ」
と瑠璃も笑った。
「泰成様って……変な人?」
恐る恐る和泉は聞いてみた。
瑠璃は素敵な方と言ったが、それは誇大広告だろうなと思った。
屋敷に仕える身としては主人の事を「変な人よ!」とは言えないだろう。
仕事の合間の女子の集まりの方がよほど本音が出るものだ。
そいつは平成も平安も同じようだ。
OLの給湯室はいつだって真実が暴かれる場所だったのだから。
「 いいえ、とても素敵な方ですわ」
「その微妙な隙間は何よ!」




