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土御門ラヴァーズ2  作者: 猫又
第二章
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和泉、京の都で婚活される

「犬じゃねえし」

 と赤狼がつぶやいたのだが、和泉はそれにつっこむ余裕もない。

 こわばった顔で自分を取り囲む武人の集団を見つめている。

「この娘、どうされまする。検非違使庁へ連れて行きますか」

 と武人の中の一人が言い、和泉の腕を掴んだ。その勢いに身体のバランスが崩れ、和泉の身体はよろけて赤狼の大きな背中に手をついた。

「阿呆が!」

 馬上の男は検非違使の集団を統率する者らしく、和泉への振る舞いを厳しく叱った。

「この娘は罪科の娘ではない! 上へのお役目ではなく陰陽頭、安倍泰親殿より頼まれた者じゃ。この娘への無礼は許されぬぞ! 肝に銘じておけ!」

「ははっ」

 と叱咤された男が言い、掴んでいた和泉の腕を慌てて外した。

 和泉は目をぱちくりと大きく開いて馬上の男を見ていた。

(泰親様があたしを探してくれてたって事? どうして?)

 馬上の男は和泉の顔を見下ろしてから快活げに笑った。

「何も心配する事はないぞ。娘よ。お前が今日、この時刻にここに現れる事は泰親に聞いていた」

「泰親様は私がここに来るのをご存知だったんですか?」

 無骨な武人は面白そうな顔で和泉を見下ろし、

「そうよ。安倍の泰親と言えば、殿上人の信任も厚い当代一の陰陽師。その泰親の四男の泰成が「いつかは分からぬが赤い犬と奇妙な格好の娘が安倍の屋敷を訪ねてくる」と予言したのが三年前、その後、泰親が時に折り先読みの卜いをしておったが、今日、まさしくその方がこの時刻、ここへ現れるとの予言が出た所だったのじゃ」

 と言った。

「先読みの卜い……」

「さよう。まあ、こんな場所での話でもあるまい。さあ、行くぞ。安倍の屋敷へ案内する」

「はあ……」 


 和泉はもう一歩も歩けないほど疲れ切っていた。

 赤狼が背に乗れと示したのでお言葉に甘えてその背に乗る。

 赤狼がゆっくりと歩き出すのを、「よう慣れた賢い犬じゃな」と武人が言った。

「はい」「犬じゃねえし」

 ぽくぽくと馬が歩く横を赤狼が歩いていく。

 その背後から検非違使の役人達が後を追ってくる。 

 それを町人達が遠巻きに眺めている。

 すぐに目指す屋敷が見つかって嬉しいような気もするが、和泉の存在を予言で知り、まさにこの場所へ現れる時刻まで言い当てた安倍のご先祖が恐ろしいような気もする。

 全身に巻きつく不安感に和泉はぎゅっと赤狼の毛皮を掴んだ。


 大きな門構えから屋敷に入った瞬間に赤狼が空を見上げて、首をかしげたような素振りをした。

「どうかしたの? 赤狼君」

 赤狼は返事をせずに首を振って、何でもないと示した。

 待ち構えていた召使いの女達が寄ってきて、和泉に湯浴みをさせた。

 この時代は浴槽につかる習慣はなく、蒸気の風呂で汗をかき汚れを浮かせて、それを洗い流すという風呂だった。何事も吉凶の日を選んで行動する時代であるので、風呂へ入る日、髪を洗う日、なども選んでいたという。ちなみに天皇に限っては毎日腰湯につかっていたらしい。湯殿で湯を沸かす、湯を運ぶ、だけでも重労働だったと思われる。

 身体と髪の毛を洗ってもらいさっぱりした和泉は、着物を着せられた。

 何枚もの着物を着るのでとても重いのだが、色を重ねる襟元がとても美しい。

「お、重い」

 と和泉はつぶやいた。

「こちらでお待ちください」

 と連れて行かれた部屋で座る。

 板間なので足が痛い、というか寒い。

 建物自体に壁が少なく、ついたてや御簾で部屋を仕切っているだけなので、もろに外気に晒されている部屋もある。そこから冷たい夜の空気が入り込んできて、部屋の中も温度が低い。

「さ、寒い」

 和泉の座っている板の間の前は少し段になっていて、御簾がかかっている。

 人の気配がして、御簾の向こうでかさかさと衣擦れの音がした。

 和泉は緊張した面持ちで御簾の方を見ていた。

(向こうからは丸見えなのかしら。っていうか、身分の高い人は下々の者に姿を見せないって本当の話だったのね) 

 御簾の向こうにいるのは一人ではなかった。何人かが部屋に入ってきて座るような動きがあった。

「お前が土御門を名乗る娘か」

 と声がした。

 透き通るような声だった。ぴしっと襟を正してしまうような高貴な声だった。

「は、はい。土御門和泉と申します。この度は……」

「構わぬ。千年近くもの旅、ご苦労であったな」

「そ、そんなことまでご存じなんですか」

 そこでくすくすと笑う声がして、

「安倍泰親を誰ぞと思うておるのじゃ? 父上は指御子さすのみこと呼ばれておる方じゃぞ。全てお見通しじゃ。父上が雨が降るといえば雨が降り、遠き場所より千年の旅をした娘が本日来ると言えばお前が来たのじゃ」

 と別の少し若い声がした。

「はい……では、あの、私がここへ来た目的もご存じですか?」

 少しの間があり、

「時を巡る術の事じゃな」

 と泰親の声がした。

「はい、ぜひお助けください」

 と言って和泉は床に手をついて頭を下げた。

「三年前、息子の泰成が妙な予言を読んだ。赤い犬を連れた娘が千年の時を超えて我らに助けを乞う為にやってくる、とな」

「はい」

「未熟な者ゆえ、いつかは分からぬと言う。半信半疑で時折卜っておったのじゃが、まさしく本日、これがかなった。泰成の先読みが真実であったのは喜ばしい事じゃ」

「はい」

「摩訶不思議な事ではあるが、お前が望む時巡も確かに安倍家に存在する術じゃ。今、まさにそれを生みだそうとしているのが、泰成であるというのも不思議な巡り合わせ」

「はあ」

「時巡はいずれ泰成が完成させるであろう。しばし待つがよい」

「は……い」

 またかさかさと音がして御簾の向こうの人達が立ち上がり、退席していく気配がした。

 和泉も一応の下調べはしてきた。

 平安時代末期、安倍家の当主は安倍泰親、そして泰親には五人の息子がいる。

 長男季弘、次男業俊、三男泰茂、四男泰成、五男親長、いずれも父の泰親を師匠とし、陰陽師として大成している、と歴史書には記されていた。

(泰成様……か。しばし待てっていつまでだろう)

 そんな事を不安に考えていると、廊下の方から足音がした。

 供の女を何人も連れている女性がいた。

 廊下の向こうまで続く長い髪。何十にも着込んだ着物。真っ白い顔、そして。

(麻呂だ……眉毛が麻呂だぁ)

 眉毛は麻呂だが、華奢で美しい女性だった。

「あなたが和泉?」

「へ、は、はい」

「可愛らしい方ね」

「あ、りがとうございます……あの、北の方様でしょうか」

 女性はにこりと微笑んだ。

「そうです。子細は聞いております。長の旅、ご苦労様でしたわね。部屋に案内させますからゆっくりお休みなさい」

 神々しいほどの圧倒的な威圧感。

 これが貴族の威厳だろうか。

「は、はい。ありがとうございます」

 肌身離さない杖を手に和泉は慌てて立ち上がろうとした。

 杖がなければどうにもならない。車椅子などなく、この重量の着物では立ち上がるのも一苦労なのだ。頼みの綱の赤狼は何故だか姿が見えないし、貴族のお屋敷の中に狼を呼びこんでいいのかどうか。

「足が悪いのですね」

「は、はい」

「まあ、お気の毒に……でも泰成はそのような事は気にしないでしょう」

「へ? や、泰成様が? 何を?」

 こんなに重い着物を着て、どうしてすすすすーっとそんなに早足なんだろう。

 安倍泰親の奥方の後をこつんこつんと追いながら和泉は引き摺る着物の重さに後ろへひっくり返りそうだった。

「いつまでも独り身で泰成の事を心配しておりました。三年前、遠い旅をしてくる娘の事を予言した時に、その娘こそが結ばれるべき自分の半身、と続けた時は、まさかと思っておりましたが、あなたのように可愛らしい方でよかったわ」

「ちょ!」


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