それぞれの前夜
土御門といえどずば抜けた霊能力を保持する後継者が次々と生まれてくるわけではない。格別の能力を持った者は希であるし、同時代に能力の差で競い合うような修羅場は現代ではそうない。過去千年、特に安倍の時代には兄弟で妬みあい、殺し合うような時代もあったと文献には記されているし、伝統を重んずる一族内でそれを大事に思う古い人間もまだまだいる。
正三郎は自分の事を不遇だと思っていた。わずかな霊能力を保持していたがそれが不服だった。もっと素晴らしい能力を親が授けてくれていたら、と思っていた。
雄一のように。
本家に生まれそして素晴らしい霊能力を持っている。人柄もよく、皆に好かれている。
あんな風になりたい。なりたかった。
自分も本家に生まれていたら、もう少し霊能力が高かったら。
授かった能力を伸ばす努力もせずに、正三郎は雄一を羨ましがっているだけだった。
能力者としても人間としても土御門では誰よりも劣る正三郎は、親の勧めるままに結婚をした。美優の母親である。心の優しい女だったが病弱で床についている方が長かった。
そんな女でなければ自分の嫁になどこないだろう、と正三郎はまた捻れた心で考えた。
正三郎が燿子に陥落されるのはすぐだった。
魅惑的な女で、自分を旦那、旦那、と上げてくれる。
一切の事を燿子が仕切るので、楽だった。
病弱な妻は自分が子を望めないと思っていたので、加奈子を連れて帰っても反対しなかった。心優しい女なので、加奈子を我が子のように育てた。
美優を身ごもった時に周囲は反対したが、彼女は命をかけて美優を生んだ。
その後、燿子と再婚。燿子は加奈子だけを可愛がった。
美優に霊能力がないから、と周囲は思っていた。実際、土御門では霊能力のある子供は優遇される。美優もそれは理解しているようだった。
燿子は加奈子と加奈子の能力を大事にして、金儲けに乗り出した。
正三郎の意見など無視に近い。
土御門への反逆だと意見する者もいたが、燿子には何の戒めにもならなかった。
そして、加奈子は莫大な利益を生んだ。
燿子はますます加奈子を溺愛した。
金を生む我が子を。
「ママ」
と加奈子が言った。
「加奈子!」
燿子と加奈子は再会に喜んだ。燿子は加奈子の身体をぎゅっと抱きしめた。
顔と身体は美優の物で、美優という娘を燿子が抱きしめた場面を見たのが初めてだ、という事に正三郎は気がついた。燿子が美優に優しく微笑みかけているなどと、今まで一度もなかったのだ。
「いい部屋じゃない」
と燿子が言い、ソファにどさっと座った。
バッグから煙草のケースを出して、一本くわえる。
「燿子、客室は禁煙なんだ」
と正三郎が言った。
「は? 禁煙?」
ふんと鼻から煙草の煙を吐いて、燿子は唇を歪めて見せた。
「遊んで暮らすにはいいけど、遠慮して小さくなってるなんて嫌だわねぇ、加奈子」
「賢兄さん、和泉ちゃんと離婚する気はないみたいよ」
加奈子は燿子の隣に座って、肩をすくめた。
「美優を犠牲にしても駄目だって。賢兄さんは冷酷だから、無理みたい」
「じゃあ、どうするのさ?」
「陸君でいいんじゃない? 陸君も美優の事が好きみたいだし、陸君は美優を見殺しにしないわよ、きっと」
「三男ってどれくらい資産があるのかしらねえ。財産分与もどれほどなのか、知りたいわね。既成事実を作って結婚に持ち込めばいいわ。お前が霊能力の高い子を産んで、その子が次代になればお前はご母堂様だもの!」
燿子はにやっと笑った。真っ赤な唇を歪めて笑うその顔は醜悪だった。
正三郎はぽかんとして母娘を眺めていた。
「でも、和泉ちゃんにはちょっと仕返ししてやりたいわ」
と加奈子が言った。
「和泉ちゃんに本家の奥様面されるのは我慢ならないわ」
「足が不自由なんだろう? ほっとけばいいじゃない」
「まあね。でも人形の代わりにもならない奥様なんていらなくない? 和泉ちゃん、死ねばいいのに。そしたら、賢兄さんも諦めて加奈子が本家の奥様なのに。霊能力の高い子を生むなら陸君より賢兄さんが有利だわ」
一つも筋が通っていない話をする加奈子を見て、正三郎の背中がざっと寒くなった。
和泉が死ねば、自分が賢と結婚出来て本家の奥様だと本気で思っているのだろうか。
そんな事をすれば賢が今度こそ、自分達を二度と戻れない地獄へでも送りつけるだろう。
本気で賢を怒らせたら、先々代の加寿子ですら死を迎える羽目になったというのに。
「なんて……事を……加奈子、陸君と結婚するのは……陸君が承知してくれればいいだろうけど和泉さんに……何かしたら……」
しどろもどろの正三郎を燿子が睨みつけた。
「全く、すぐ人に影響されるんだから。少し先代に意見されたら、すぐ弱気になって!」
「大丈夫よ、お父さん。和泉ちゃんも霊能力が開花したらしいけど、あたし負けないわ」
「加奈子……美優は? 美優はどうしてるんだ?」
加奈子は笑顔を引っ込めて、酷く意地悪そうな顔になった。
「眠ってる……今は起きてるみたい。身体の中でもぞもぞしてるわ。大人しくしてればいいのに、時々暴れようとするわ。いい加減にしないと自分が死ぬ羽目になるわよって殴ってやったら、大人しくなるけどね。あははははは! 和泉ちゃんだって! 泣いて謝ってももう遅いって事を分からせてやるわ。あたしには切り札があるんだから!」
「加奈子……」
「和泉、何を熱心に読んでいるんだ?」
賢の声がしたので和泉は顔を上げた。
ネクタイを緩めながら賢がリビングに入ってきたところだった。
「お帰りなさい」
和泉はパタンと分厚い本を閉じた。
このところ、和泉はますますマンションへ引きこもっている。
ケーキを焼いてのお茶会もしないので、式神達から不服の声が上がっている。
赤狼経由の情報によると、分厚い本をずっと読んでいるらしかった。
本から顔を上げた和泉は以前ならば、慌ててそして何気なくそれを賢に隠そうとしたり、急いで賢の身の周りの世話をしようとしたりだったのだが、このところ様子が変わった。
ひとつ息をついてから杖を手にして立ち上がった。
「美優ちゃん、どう? 全然お見舞いにも行けてないけど」
「加奈子の事ならすこぶる健康そうだ。両親を呼び寄せて、毎日毎日贅沢三昧、あれが食いたい、これが欲しいと忙しそうだ。陸を側につけてあるが加奈子相手にはどうにもならない。このまま一年も過ぎれば加奈子の物欲だけで土御門は破産するかもな」
と言ってどさっとソファに座りこんだ。
「どうしても、加奈子さんの霊魂を美優ちゃんの身体から剥がす事は出来ないの?」
「出来るさ」
と賢が言った。
「検討はした。だがリスクが高すぎる。美優の無事を保証できない。加奈子はやっかいで抜け目がない。霊能力と同時に戦闘能力の高さをもっと考慮すべきだった。同門で争って無事ではすまない。俺と闘えば美優の身体は確実に死ぬだろう。元々修行もしていない、一般人だ。加奈子の能力を身体に蓄えている今もかなり負担はかかっているだろう」
「そんな事になったら加奈子さんも死ぬでしょ?」
「美優が死ねば加奈子はすぐにその身体から出るだろうな。他の寄生先を探すだけだ。要領も分かっているだろうしな。土御門には修行中の若い者がたくさんいる。それを探るの為にも堂々と乗り込んできたに違いない。生きてた頃の加奈子は金さえあればいいという頭の空っぽの人間だと思っていたが、邪悪な霊魂に成り下がって、より貪欲に悪賢く進化していってるようだ」
はあっと賢は頭を抱えた。
和泉はそんな賢の前に立って、賢の頭をきゅっと抱きしめた。
「え?」
と賢が顔を上げる。
「大丈夫よ。賢ちゃん。今度もきっとあたし達が勝つわ」
と和泉が言った。




