あたしって愛人みたい、と和泉がつぶやく
和泉はしばらく美優を眺めていたが、
「美優ちゃんて家出してるの?」
と聞いた。
「え? ど、どうしてですか」
「加奈子さんの後釜にされようとしたって、聞いたわ。それに三日もお風呂に入ってないって、行くところがないの?」
美優はぎょっとしたような顔で和泉を見た。
「陸先輩から?」
和泉は首を振った。
「ううん、違う。陸君は人の内情を他人に話したりしないわ。でも、式神達はなかなかおしゃべりだから。気に障ったらごめんなさい」
と和泉は優しく言った。
「いえ……母に姉が戻るまで姉の代わりをしろと言われて、霊視や卜いなんか出来ないって言ったら嘘でいいからって言うんです。高い見料とって、嘘を言うなんて。姉は性格は悪かったけど、能力は本物だった。だから姉がいない間にそんな嘘を言って姉の評判を落とす事なんか出来ないと、思って。そしたら陸先輩が……」
「助けてくれたの?」
美優はこくんとうなずいた。
「陸先輩が大学近くにアパートを借りてくれたんです。でも……先輩に迷惑かけるわけにもいかないし。アパートを出たんですけど……帰っても姉の代わりは出来ないし。姉が早く戻ってくれればいいんだけど」
加奈子がもう戻らないだろう、という事を知っているのは先代と朝子、そして三兄弟に和泉だけだ。加奈子の死体を見たわけではないが、加寿子の手によってすでにこの世の者ではないだろう。戻らぬ加奈子を待つ美優に和泉はかける言葉がみつからない。
そのまましばらく和泉も美優も黙ったままだった。
「でも美優ちゃん、加奈子さんの代わりは出来ないってちゃんと家の人に言えるの? お母さんを説得できる自信があるの? 私、実はあなたの家の事はよく知らないんだけど」
美優は湯飲み両手でぎゅっと握って、
「母は継母なんですよ。本当のお母さんはあたしを生んですぐ死にました。女の子二人じゃ男親だけじゃ難しいだろうって、親戚筋から言われて父が再婚したんです」と言った。
「そうなの」
「母親になった人は姉の霊能力に目をつけて、金もうけしか頭になかった。父は母のいいなりでした。姉は……結構楽しんでやってたんじゃないかな。お金になるし、皆にちやほやされるし。姉がいなくなってからもう母が怒って大変なんです。キャンセルが相次いでお金が入らないから」
「お金に困ってるってわけじゃないんでしょ?」
「ええ、でもお金にがめつい人間はあればあるだけいいんですよ」
「そう……でも、そんなお母さんなら説得するの大変なんじゃないの? お家へ帰っても大丈夫なの? こんな事言いたくないけど、今、家に戻ったら、二度と出られなくなったりしない? 間に人を立ててきちんと話をした方がいいんじゃないの?」
「ええ、陸先輩もそう言ってくれるんですけど……」
「あたしも今はお家へ帰らない方がいいと思うわ。陸君が借りてくれたアパートがあるなら、そこでいた方がいいわ。せめて大学を卒業して、就職なり進路がきちんと決まるまでは。ね?」
「はい」
ピンポンとドアファンが鳴って、続いて玄関のほうで音がした。
和泉が椅子から立ち上がりキッチンからリビングの方へひょこひょこと出て行くと、リビングにスーツ姿の賢が入ってきた。
「賢ちゃん、どうしたの? こんな時間に。今日は早く終わったの?」
と和泉が嬉しそうに言った。
賢の顔を見たのは実に三日ぶりだったからだ。
昨日も一昨日も賢は家に戻って来なかった。超多忙なのは理解しているが、それらの連絡を美登里からもらう和泉は「……」という気持ちである。
壁の時計はまだ午後四時だった。
「ちょっと顔を見に……」
と言いかけて、和泉の背後から顔を覗かせている美優に気がついて、
「誰だ?」と言った。
「あ、彼女、美優さん。知ってる?」
と言いかけた和泉に賢は、
「加奈子の妹か」
と険しい顔で言った。
「あ、あの、お邪魔しています」
と美優がキッチンから出て来て賢に頭を下げた。
何と言っても相手は一族の当主だ。巨体だというだけでなく、視線や物の言い方だけで半端ない威圧感がある。
しかも賢には歓迎されていない様子なのも美優には伝わってきた。
「何の用だ」
と冷たく言われたからだ。
「遊びに来てくれたのよ」
と和泉が言ったが賢は表情を和らげる事もなく、
「誰でも構わずに家に入れるな」
と和泉に言った。
「す、すみませんでした!」
と美優が大慌てで自分の荷物を持ちあげてから、急いで部屋を飛び出して行った。
「あ、美優ちゃん! ちゃんとアパートに帰るのよ?!」
残された和泉は何となく不服そうに賢を見た。
「加奈子の妹が何しに来たんだ? 恨み言でも言いに来たのか?」
「そんなんじゃないわ。美優ちゃんは恨み言なんて……それに、加奈子さんと加寿子おば様の事は知らないでしょう?」
「どうかな」
と言って、賢はソファにどさっと座った。
「向こうから近づいて来たのか?」
「横断歩道で焦ってたあたしの車椅子を押してくれたから、お礼にお茶でもってこっちが誘ったのよ」
「また一人でふらふら出かけたのか。出かける時は赤狼を連れて行けと言ってるだろう」
「すぐそこのコンビニまで行っただけよ」
和泉は賢の隣に座った。
「今日はもう仕事終わったの?」
「……」
「終わってないんだ……お茶でも入れようか」
賢は立ち上がりかけた和泉の肩を抱き寄せて、キスをした。
ちゅっちゅっちゅと顔中にキスをして、そのままソファに押し倒そうとしたのだが。
「……賢ちゃん、電話鳴ってるわよ」
「知ってる」
賢はしばらくぎゅっと和泉を抱きしめていたが、やがてポケットの中で鳴り続ける携帯電話を取り出した。
「もしもし……分かった。すぐ出る」
和泉の耳にも美登里のはきはきした声が聞こえてきた。
電話を切って賢が立ち上がる。
「えーと、ごめん、今日も遅くなるかも」
「遅くなるどころか、賢ちゃん、ちっとも帰ってこないじゃない」
「いや、今日は絶対に帰る」
「ふーん」
「絶対帰るから」
「はいはい、あんまり無理しないでね」
慌ただしく出て行く賢を笑顔で送り出してから、和泉はベランダへ出て下を覗く。
遙か下のマンションの入り口前には見覚えのある車が止まっている。
マンションのエントランスから賢が出てくると、助手席のドアが開いて美登里が下りてきた。言葉を交わすような動きをしてから、賢の為に後方のドアを開ける。
「美登里さんの元に帰る賢ちゃんをベランダから見送るあたしって……愛人みたい。美登里さん、本妻の貫禄あるもんね」
和泉はそうつぶやいてからため息をついた。
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