金色のお茶会
がちゃがちゃと乱暴な音が遠くに聞こえたので、和泉はそっと部屋を出た。
はぁと息をついて、テーブルの上のお茶会の残骸をワゴンに乗せる。キッチンまで運んで軽く水で流し、食器洗浄機に食器を放り込む。
キッチンの椅子に座り、机に頬杖をついて考える。
「賢ちゃん、怒っちゃったわよね。あーもー何やってんだろ、あたし」
あんな事を言わなければよかった、とすでに後悔していた。
賢が忙しいのは承知の上だったはずだ。土御門の全てを一人で背負っている賢に寂しいなどと言うのはわがままだと分かっていたはずだ。
義理の母になった朝子にも言われている。
「賢さんに何が一番大切かとは聞かないであげて。もちろん和泉ちゃんが一番大切だけれど、当主となった身ではそう簡単には言えないの。そこは理解してあげてね。私なんか、あのお義母様に「嫁の代わりはいくらでもいる」って言われたのよ。本当、あのクソばばあ……あら、ごめんなさい」
朝子の言葉を思い出して和泉くすっと笑った。
加寿子を義理の母として仕えるなんて……絶対無理。
想像を絶する時代だったのでは、と思う。それに耐え抜いた朝子にすれば和泉など本当にのんきな奥さんとしか見えないだろう。
「あ~、あたしもがんばらなくちゃ! あたしに出来る事ってなんだろう???? 賢ちゃんの役に立てる事が何かあるかな? 例えば……美優ちゃんの身体から加奈子さんを追い出す方法? そんなのは賢ちゃんの方がプロだし……でも、そうね。意見を聞くべき人はいるんじゃないかしら? あたしでも出来るような事があるんじゃないかしら?」
そう言って和泉は冷蔵庫を開けた。
「ふむ、そうね。まずは……ケーキでも焼くか!!」
濃厚なチョコレートの匂いが漂う。グラサージュされたつやつやとしたチョコレートの上に金箔の粉が振りかけられた、素晴らしく美味そうな一品だ。
「さあて、お目当てのあの人が来てくれればいいんだけど……」
和泉はリビングのテーブルにワンホールのチョコレートケーキと紅茶の用意をしてソファに座ってその人が来るのを待った。
時計はもう夕方の四時だった。
どうせ賢は今日も帰ってこないに違いない。
「今日は時間があっても戻らないかな……」
もし賢と自分が結婚してなかったら、加奈子が美優を乗っ取るという事態は起こらなかったのか? と自問して、そうではないと考える。
加奈子の復讐は名目上のもので、本当は土御門の実権を握る事が目的だろう。
加奈子が身体をなくしたという事実に沿って計画されたのならば発案者は誰だろう。
母親か、賀茂の末裔か、加奈子自身か。だが、そううまくいくものだろうか。
そんな事をぼんやり考えていて、和泉は目の前のソファに大きな男が座ったのにすぐ気がつかなかった。
「おい」
「……」
「おい!」
「え! わ、びっくりした!」
「自分で呼び出しといて、何故驚く」
と金色の闘鬼が言った。
「闘鬼さん、来てくれてよかったわ。聞きたい事があるの」
そう言いながら、和泉は紅茶をカップに注いで闘鬼に差し出した。
ワンホールのチョコレートケーキはすでに八つにカットしてある。
「身体を乗っ取られた娘の事か」
闘鬼はチョコレートのケーキを一欠片取り、口に放り込んだ。
「ええ、土御門の危機なんだもの。闘鬼さんも協力してくれるでしょ?」
「土御門が崩壊しても俺は痛くも痒くもないがな。むしろ長い長い契約が終わってありがたい」
と言いながら闘鬼は二つ目のケーキを食べた。
「闘鬼さんは土御門から離れて自由になりたいの?」
闘鬼は肩をすくめて
「安倍の時代から何百人も当主を見て来た。皆が皆、家が大事と大騒ぎをするが死んでしまえばそれまでだ。偉大な当主と崇められていても次の代になれば忘れられる。地位に執着して墜ちてしまう者もお前を殺そうとした先々代だけの事じゃないぞ。人間とは愚かな生き物だ」
と言った。
「そう……闘鬼さんがそう思うのは無理ないかも。随分と長生きみたいだし。闘鬼さんにしたらあたし達の生はすごく短いんでしょうね」
「人間は壊れやすい。すぐに死ぬ」
「そうね。赤狼君が生き返ったもんね。あれ、びっくりしちゃった」
あははと和泉が笑った。
「短いから一生懸命生きるのだと思うわ。なんて、あたしが言っても説得力ないか……仕事が忙しい旦那さんに寂しいなんて文句言って、自分は何もしてないのに。闘鬼さんにしたら、こんな出来の悪い当主の奥様も歴代にいなかったんじゃない」
「そうでもない。当主の出来がいい場合、奥方はぼんやりしてるのが多い」
(出来が悪いを否定はしないんだ……)
「……そうですか」
「この度の当主が出来がいいかどうかは分からないが」
「え。賢ちゃん、出来がいいでしょ? 安倍晴明の生まれ変わりなのよ」
闘鬼はがははは、と笑った。
「違うの?」
「さあな」
「だって賢ちゃんがまだ小さい頃に闘鬼さんが現れて次代と認めたって聞いたわ。気に入らない当主の前には姿も現さないんでしょ?」
「気に入ったからではない」
「じゃあ何故?」
「教えてやらん」
ぷいっと闘鬼は横を向いた。
「え……」
闘鬼は三つ目のケーキを手にした。
「闘鬼さん。本当に賢ちゃんに手はないの? 加奈子さんを美優ちゃんから追い出す方法が知りたいの。お願いします、賢ちゃんを助けて。あたしにはチョコレートケーキを焼くくらいしか出来ないけど」
「……鍵はお前が握っている」
「え? あたし?」
闘鬼は四つ目のケーキを口に入れてから、和泉の方へ手を差し出した。
「?」
次の瞬間、闘鬼の手には二冊の古い本があった。
「これを読め。お前が今、研究している事例に関わる文献だ」
「文献……」
和泉はそれを受け取った。
ぱらぱらと開いてみるが古い文字ではなく、和泉にも読めるような現代文字だった。
「これで俺もようやく肩の荷が下りた。約束は果たされたぞ」
と言って闘鬼が笑った。
「約束?」
「そうだ、古の約束だ」
「誰と誰の約束? どうしてあたしに?」
闘鬼はそれには答えず、ふっと笑った。
その笑顔は今まで見た事のないほど優しかった。