出会い
和泉はのろのろと車椅子で横断歩道を渡っていた。
少し勾配があり、舗装も悪いがたがたした道路だったので悪戦苦闘していた。
信号が点滅し出すと余計に慌てる。
一生懸命渡ったが、たどり着く前に赤に変わってしまった。
クラクションを鳴らされる事はないが、待ってくれてると思うと焦って手が滑る。
「お姉さん、押すよ」
と言われた瞬間に車椅子がすっと走り出して、「え」と思う間に反対側にたどり着いていた。
振り返ると若い娘が車椅子を押してくれていた。そのまま歩道の端まで移動して和泉の車椅子が止まった。
「ありがとう、助かりました」
と和泉が言うと若い娘はにこっと笑って、
「いーえ、でも、護衛とかついてないの? 若奥様なのに」
と言った。
「え?」
「和泉さんだよね? 土御門の代替わりした御当主様の奥様でしょ?」
「え、ええ。あなたは?」
「あたし? あたしは土御門美優」
「土御門美優さん?」
近い親族は皆が土御門なので、和泉には美優と名乗る娘がどこの土御門か分からなかった。今まで親族関係から遠ざかっていた為、関係が全然分からない。
「ごめんなさい、どちらの土御門さんかしら? 私、あんまり知らなくて……」
「あー、あたしも実は親戚関係とか分からないんだ。姉がちょっとあれで、母も継母で、父は空気だから」
と美優が言った。
「もしかして……加奈子さんの妹さん?」
「姉を知ってるの? まあ、問題児だったもんね。今は行方不明だし」
と美優が笑った。
美優は可愛らしい顔をしていた。
くりっとした大きな目にすっと通った鼻筋。とても上品な顔立ちをしている。
だが、ジーンズに長袖のTシャツ一枚、汚れたズック靴、ぱんぱんに膨らんだリュックサックを背負っていて、髪も短く刈り上げ、キャップを被っていたので男の子のようだった。
「ぐ~~~」と美優のお腹が鳴ったのが、車椅子の和泉の耳にはばっちりと聞こえた。
「うち、すぐそこなの。よかったら寄っていかない? 朝、焼いたケーキがあるわ。お茶でもどうかしら?」
と和泉が言うと、美優は「う~ん」と考えてから、
「もう少しお腹にたまるもんをお願いします」
と言った。
「御当主様って御本家に住んでると思ってた」
と美優がマンションの部屋の中を見渡しながら言った。
「うん、まあいずれはね。どうぞ、座って」
ワゴンに乗せたお茶セットを押して台所から和泉が出てきたが、美優はまだ部屋の入り口でうろうろしていた。
「あーうん、でも、高そうなソファが汚れたら……」
と美優はもごもごと口ごもった。
「え?」
「いや~その~、実はもう三日もお風呂に入ってなくて~」
「お風呂に? どうして?」
美優はぽりぽりと頭をかいた。それは照れくささゆえの仕草なのか、ただ単に頭が痒かったのかは和泉には分からなかった。
「それが……」
理由は言いたくないのかもしれない、と和泉は考え、
「ねえ、それじゃあ、お風呂に入ったら? その間に食事の用意をするわ」
と提案した。
「や、それは……そこまで……厚かましい人間じゃあ」
「だってお腹にたまる物を食べたいんでしょ? 座らないと食べられないし、お風呂に入ってなくて座れないんだったら、まず、そこから解決しましょうよ。ね? お風呂はそっちドアの方だから、着替え持ってる?」
「あ、はい」
「じゃあ、どうぞごゆっくりね。その間にご飯作るから」
美優は素直にバスルームの方へ行きかけたが、
「あの、土御門って名乗ったけど、本物かどうかなんて分からないのに他人を部屋に入れてご飯やお風呂まで貸してくれるなんて、和泉さん、いい人だけど、危機感なさすぎません?」と振り返って言った。
「え? そう? そうね、でもあなた悪い人には見えないし、もし悪い人でも大丈夫よ。私には強い守護がついてるから、ねえ、赤狼君」
ゆらっと空間が揺れて赤い毛の狼が顔を出した。
「わ! 凄い! 式神までついてるんすか?!!!」
と言った美優に対して、赤狼は「くわ~~~~~~」と大あくびをして見せた。
鋭い牙が見える。その後の赤狼の視線で美優に対して、悪い人間なら食い殺す、という風に意思表示をした。
「凄いなぁ、さすがに本家の若奥様だぁ。いいなぁ」
と言いながら美優はバスルームへ消えた。
「美優ちゃんていくつ?」
和泉はダイニングテーブルの椅子に座って、反対側でがつがつと飲み食いする美優に尋ねた。
「は? ひじゅう…いちっす」
「二十一才?」
頬に食べ物をいっぱい詰め込んだ美優がうんうんとうなずいた。
「若い…いいなぁ」
ここだけの話だが和泉は三十路を越えた。
かろうじて結婚式では二十代の花嫁だったが、すでに三十の誕生日が過ぎている。
「美優ちゃんて、陸君とつきあってるんでしょ?」
と和泉が言うと、美優は真っ赤になってから食べ物をぶほっとテーブルに吹き出した。
「あら」
「ご、ごめんなさい」
ティッシュでテーブルの上を綺麗に片付けてから美優は、
「あの誰が……そんな事」と言った。
「誰って」
「り、陸先輩は大学の先輩で……」
「へえ、いいなぁ、ラブラブなキャンパスライフね」
「ラ、ラブラブって……陸先輩とはそんなんじゃ……姉の事で相談に乗ってもらったりしてただけで、つきあってるとかそんなんじゃ……ないっすから! 陸先輩、すごくもてるし、あたしなんか……」
「そうなの? 紅葉さんがそんな風に言ってたから」
「紅葉さん?」
「陸君の式神さん、鬼女の紅葉姐さん、会ったことない?」
美優はまた頭をぽりぽりとかいた。
「あたし、視えないんですよね。姉と違って霊能力なくて。さっきの和泉さんの式神もどうして視えたのか分かんないくらいだし。姉は凄かったんですけど」
「聞いてるわ。土御門とは別に宗派みたいなのを立てて卜いとか霊視とかやってたんでしょ? すごい顧客もいたらしいわね」
「ええ、あたしの分も全部、姉が持って生まれたらしくて……ははは」
「そうね、加奈子さんの霊能力はなかなかの物だったって、賢ちゃんが言ってたわ」
だから加寿子に狙われてしまったのだ。
加寿子との戦いの一片が和泉の脳によぎった。
「和泉さんて御当主様の事、ちゃんづけっすか?」
美優が茶を飲みながら言って笑った。
「え? あー、そう、あたし達、幼なじみでね。五歳くらいから賢ちゃんて呼んでるから、ついね。賢さんて呼ばなきゃね」
「え~可愛いじゃないっすか。あの巨体で賢ちゃんて」
ぷ、と美優が笑った。
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