和泉と鬼女紅葉
式神とはいえ別に万能な者ではない。
土御門の最高神は賢の十二神で、彼らは何百年も生きているし、それなりな知恵と力を持つ。主人の危機には自らの判断で動く。赤狼が命をかけて和泉を護ったような行動力がある。彼らは妖で良い知恵も悪い知恵もある。人間を護ったりするが、時として人間を嫌悪して害を加える存在になる場合もある。
陸の式神四神は犬神だが、彼らは陸が幼いころより飼っていた犬で、捨て犬だったのを拾われた。彼らは陸に心から感謝して、忠誠を誓っていた。やがて天寿を全うした四匹の犬は望んで式神となり、陸を守護する者となった。
だから闘いに長けているわけでもなく、人間の悪意に敏感でもない。
過去の時代ならともかく、現代で式神がその力を発揮する場などはそうそうない。
もちろん悪霊や妖はたくさん存在し、それと闘うのが土御門の使命であるが、土御門には戦闘能力の抜群に高い式神がたくさん控えている。
昨日今日、式神になった犬にそうそう出番があるはずもなく、そして闘いとは経験である。陸の話相手しかした事のない平和主義で人間が大好きな犬がいきなり敵と遭遇したとしてもおろおろするのは仕方がない。ジュウガとしても式神なのだからそれなり妖力を持ってはいるが、とっさの判断が下せない。階段から落ちる美優を助けるくらいには動ける。今回もジュウガは男を倒して美優を護らなければならなかった。犬のままだったら、ご主人を護る為に闘うという本能のまま敵にかみついたかもしれない。だが式神になったばかりにほんの少しの発達した知恵がジュウガを止まらせた。人間相手にはどうしていいか余計に分からなくなってしまったのだ。
美優が眠らされて攫われたその瞬間、ジュウガはそっとその後をついていくしか出来なかった。
もちろん陸にはすぐに連絡はした。
「陸様、美優さんがさらわれました!!」
「ジュウガ! 今、どこだ? どうなってるんだ!」
陸は美優の部屋へ車を飛ばしている途中だった。
ジュウガは空高くから美優の乗せられた車の後を追っていたが、ここがどこかは分からないので首をひねった。
「分かりませんー、美優さんのお部屋から運ばれて、今、車を追っていますー」
「美優は? 無事なのか?」
「はいー、どうやら眠らされたようでー」
「敵は?」
「多分、美優さんのお母さんの手の者だと-」
「いいか、ジュウガ、美優が危険だと判断したらかまわず敵を攻撃しろ、いいな!」
「はいー」
少し不安そうな声でジュウガが返事をした。
陸は道路の端に車を寄せて止めた。
「紅葉! 紅葉!」
と陸は鬼女紅葉を呼んだ。
「紅葉!」
返事がない。
「くそ! どこ行ったんだ! オニマル! ヒュウガ! パッキー!」
「はっ」
「へい」
「お呼びで」
すぐに三つの影が姿を現した。
バックミラーに四つのぴんとたった大きな耳と二つの垂れた小さな耳が映っている。
「ジュウガに護らせている美優が危機だ。すぐに応援に行け! 場所を特定して知らせろ!」
「「「承知しました」」」と三神の声が重なって答え、すぐに陸の背後から姿を消した。
「あらぁ」
と紅葉が顔を上げた。
「どうしたの? 紅葉さん」
和泉が紅葉のカップに紅茶を注ぎながら声をかけた。
紅葉はしばら耳すますような素振りをしていたが、くすくすっと笑った。
「陸ちゃんが呼んでる」
と言いながら紅葉は湯気のたつ紅茶を飲んだ。立ち上がる風でもなければ急いで姿を消すでもない。
「呼ばれてるのに行かなくていいの?」
「いーんじゃない。犬神ちゃん達が動いたみたいだしぃ」
「何かあったの?」
和泉は自分も紅茶のカップを取り上げた。
本日の女子会は紅葉と和泉だけである。
「加奈子の妹がさらわれたみたい」
と紅葉が言った。
「え? 美優ちゃんが?!」
「ええ」
「それ、大変じゃない! 陸君、助けがいるから紅葉さんを呼んでるんでしょ? お茶なんか飲んでる場合じゃ……」
「嫌だし」
つんと紅葉は横を向く。
「紅葉さん!」
「どうしてあたしがぁ、加奈子の妹なんか助けなきゃならないのよ。美優なんか嫌いよ」
「ジュウガ君は? 美優ちゃんの護衛についてるんでしょ?」
「ジュウガは年寄りだし、馬鹿だからあんま役に立たないんじゃない~」
「……赤狼君!」
と和泉が呼んだ。和泉のすぐ側の空間がゆらっと揺れて、赤い狼が顔を出した。
「ねえ、ジュウガ君の居場所分かるんでしょ? 助けに行ってあげて! 美優ちゃんがさらわれたんですって!」
「……」
赤狼は紅葉をじろっと睨むと、くわ~~と大きなあくびをしてから消えた。
「紅葉さんも行ったほうがいいわ」
和泉は紅葉を見たが、彼女はふんと横を向いた。
「嫌よ! 式神つっても奴隷じゃないんだから、嫌な事はやりたくないわ」
「紅葉さん、行かなかったら陸君ががっかりするわよ? 陸君はすごく紅葉さんを頼りにしてるんでしょ」
「いーもん。クビにしたけりゃ、すればいい。野良になったっていーもん」
「陸君、いつも言ってるわよ。紅葉さんは強くて綺麗で自慢の式だって」
「……」
「陸君が幼い頃から側にいるんでしょ? お義父様は父親っていうより師匠だったし、お義母様も加寿子大伯母様に厳しくされて、御当主の奥様業が大変だったんでしょ? 賢ちゃんや仁君も子供の頃から厳しい修行をしなくちゃならなくて、まだ幼い陸君の側にいてくれたのは紅葉さんだったって聞いたわよ。優しくていい匂いがして、いつも綺麗な紅葉さんの事が大好きだって」
「……」
紅葉は唇を突き出して、すねたような顔をしている。
鬼女紅葉はいつも遊女のようないでたちである。
だらしなく着崩れた裾の長い赤い色の着物に、すばらしく豊かな黒髪。
真っ白いきめ細やかな白い肌に真っ黒い双眸、つややかな唇。
どこから見ても人間であるが、怒ると頭の上に真っ赤な角が二本生える。
「行かなかったら後で後悔するって分かってるんでしょ? ね、助けてあげて。それで……もしこの先、陸君の側にいるのがつらいなら、うちに来てもいいから」
と和泉が優しく言った。
「赤い乱暴者のとこなんかごめんだわ。しかも四六時中、御当主と一緒なんて!」
紅葉はそう言いながら立ち上がった。
「随分と余裕じゃん、和泉ちゃん。自分だって美登里に本妻の地位をとられそうなのに。陸ちゃんの世話を焼いてる場合じゃないじゃん? 四老院じゃ今でも美登里押しのじーさん達が大勢いるの、知らないの?」
と紅葉は和泉に嫌がらせを言った。
和泉はあははと笑って、
「そーね。でも、今、美登里さんが困ってたら私は助けに行くわ。例えその後、正妻の地位を奪われても助けた事を後悔はしない。それが女の意地ってもんよ」
と言った。
「ふん、いい子ちゃんぶっちゃってさ!」
と言って紅葉は姿を消した。