加奈子の日記
加奈子の日記はおぞましい物だった。
大学時代の不倫話を面白おかしく書いてあり、それ以外にも加奈子の男性遍歴が赤裸々に綴られていた。どこの男性からどれだけ金品を貰ったか、どれほどの男に貢がせたか、そして気に入らない人間は霊能力を使って徹底的に排除した過去があからさまに書かれていた。
だが不倫相手の奥方から慰謝料請求や、事故を起こしての賠償金で次第に金に困るようになる。母親は神の会の運営を上手くこなしていたが、入る端から金を使う性質だった。
贅沢三昧、豪華な住居、衣装、宝石、それらは購入する時には素晴らしく高価な値札がついているが、売り払う時には二束三文である。見栄とプライドの為、おおっぴらに換金する事も出来ない。
そして母親の入れ知恵で加奈子は本家へ出向くようになる。
次代の花嫁候補として子供の頃から名前だけはあがっていた。
本家の長男を落とせば生涯安楽な生活が出来る。
その為にならしおらしく真面目になったふりをして、修行にも精を出すくらい簡単だ。だが賢は一向に加奈子を視界に入れる事もなかった。真面目で面白みも全くない、ルックスも最低、誇れるのは長男という地位と霊能力のみの賢を落とすのは簡単だ。そう加奈子は思っていたようだが、意中の女がいるらしい。
困っているところへ、加寿子大伯母から声がかかった。
賢の嫁に選んでやろうと言う。どうしても和泉を本家に入れるわけにはいかない。二人の邪魔をして、仲を引き裂いたら加奈子を賢の嫁にしてやろう、と言われてその話に飛びついた。
だがそれが間違いだった。
『加寿子大伯母はあたしを時逆の実験台にするつもりだ。あたしの身体を狙ってる。どうしよう。あたしの能力も身体も全部取り上げるつもりなんだ。恐ろしい。どうしよう。賢兄さんに相談したら、助けてくれる? お母さんに言っても本気にしてくれない。どうしよう。あたし、殺されるんだ。どうしよう。誰か助けて』
日記の最後は助けて、と酷く乱れた字で書かれていた。
「そんな……」
美優はパタンと加奈子の日記を閉じた。
これが加奈子の日記だと言うのは確かだ。加奈子は昔から戦利品を事細かく書き記しておく癖があった。美優から取り上げたおやつ、友達の彼を奪った、何を誰に買って貰った、嫌いな奴をこんな目に合わせてやった等、書くことはいくらでもある。
「加寿子大伯母様が姉さんを殺したの? じゃあ大伯母様が亡くなったのは何故? 靜香大伯母様も同時に亡くなってるのは偶然じゃないの? 陸先輩はこの事を知っているの? 和泉さんは? みんな、姉さんが殺されたのを知っててあたしに黙っていたの? どうして誰も教えてくれなかったの?」
頭の中が熱くなってたくさんの言葉が流れていったが、美優はどの言葉を捕まえる事も出来なかった。
「美優さん、美優さん、お電話が-」
と言うジュウガの言葉にはっと我に返ると、携帯電話が鳴っていた。
画面には「陸先輩」と名前が出ている。
そう言えば、待ち合わせをしていたんだっけとぼんやりと考えた。
日記を抱えて自分の部屋まで戻ってきてしまったのだった。
美優はぐるりと部屋を見渡して、ここは陸が借りた部屋で自分は居候だという事を思い出した。それからすぐ側で耳を伏せているジュウガを見た。
「ジュウガ君」
とかすれた声で美優がジュウガを呼んだ。
「はいー」
ぱっと身体を起こしてジュウガが美優を見上げた。
「あなた、陸先輩の側にいつもいるんでしょ?」
「はいー」
「じゃあ、知ってる? 加奈子姉さんの事。姉さんは加寿子大伯母様に……殺されたの?」
ジュウガがきゅうんと鳴いて、頭を垂れた。
「それは我々には分かりませんー」
「分からないの? どうして? いつも陸先輩の側にいるんでしょう?」
「はいー」
「じゃあ、加寿子大伯母様が亡くなったのは? 何故? 靜香大伯母様の死も偶然じゃないんでしょ?」
「それはー」
ジュウガは鼻のところに皺を寄せて困ったような顔をした。
「教えて」
美優はいつになく厳しい顔でジュウガにそう言った。人間には嫌われたくない性質の上、今は美優が主人も同然なので、ジュウガはそれを断る術を知らなかった。
「加寿子様が時逆の秘術により若返り、御当主様と和泉様を亡き者にしようと、そして御当主に返り討ちにあいました-。靜香様は加寿子様に霊能力を吸収されてしまい、高齢な為に身体が耐えきれず……そのー」
「御当主様が……賢さんが加寿子大伯母様を?!」
「は……いーでもーそうしなければ、御当主様も和泉様も……時逆で若さと霊能力を取り戻した加寿子様は、とても強かったですー。我々など一撃でー、御当主様も随分と苦戦されてー」
「それは加奈子姉さんの身体と能力でしょ?!」
「……御当主様は命をかけて闘われましたー」
「賢さんが加奈子姉さんを殺したって事でしょ?!」
「いえ、あれは加寿子様でしたー。中身も顔も若かりし頃の加寿子様のままでしたー。加奈子さんではなかったですー」
「で、でも、加奈子姉さんは、加寿子大伯母様に身体も能力も乗っ取られると書き残してるわ」
「それはー……加奈子さんの身体はただの器だったという事でしょう。加寿子様の意識が強すぎて、加奈子さんの魂はとてもかなわなかったんじゃないでしょうか。そして外見も……加寿子様になってしまったのでしょう。私には分かりませんー。陸様のお考えをお聞きになればよろしいのでは?」
美優はぷいっと横を向いた。
「陸先輩は……どうして姉さんの事を教えてくれなかったの。あたしが姉さんをずっと待ってるの知ってるのに!」
ジュウガはまたきゅうんと鳴いて床に伏せた。
「御当主様も……苦渋の決断だったと思います。あの方にとっては実のおばあさまですからー。ですがー和泉様を死なせるわけには……」
「そ、それは……そうだ……よね。でも、どうして加寿子大伯母様はそんなに和泉さんを? 姉さんを犠牲にしてまで殺そうとするなんて!」
ジュウガは首をひねった。
「それは我々には分かりませんー」
「そう……」
美優は鳴り続ける携帯電話を見た。
切れてはまたかかるが続いている。
「美優様-、陸様が探しておられますー」
直接ジュウガへ呼びかけているのだろう。ジュウガが耳をぴくぴくっと動かしている。
ピンポーンとドアベルが鳴った。
きっとしびれを切らした陸がやってきたのだと美優は思った。
出ないわけにはいかない。
美優はどんな顔をして陸に会うべきかと思いながら玄関の方へ歩いて行った。
最初に加奈子から肉体と霊能力を奪ったのは加寿子なのは理解している。
だが加奈子の肉体を持った加寿子を殺したということは加奈子を殺したも同じだ。
「どうして、こんな事に……」
ドアを開けたら陸がいる、と信じて疑わなかった。
「美優様!」
とジュウガが叫んだ。
「え?」
とジュウガの方へ振り返るが、手はドアの鍵を開けていた。
ドアが開き手が伸びてきて、美優の顔に白い布を押しつけた。
美優の意識が遠くなり、ふらっと倒れた。
ドアが大きく開いて燿子の秘書達が入ってきたが、倒れた美優の身体を抱えてからすぐに外へ出て行った。
「美優様!」
ジュウガはグルルと唸った。
男達には自分の姿が見えない、と知ったジュウガがそっとその後を追いかけて行った。