賢と仁
陸が出て行った後、仁は出て行くでもなく腕組みをしたままだったので賢は、
「何か話でも?」
と言った。
仁は肩をすくめてから、
「この間さ、美登里ちゃんにもその話をふられたんだけど」
と言った。
「美登里に?」
「そう、美登里ちゃんも真実が知りたいらしいよ」
「確かに俺にも何度か聞いてきた」
「まあ、そうだよね。いくら双子でもね、同時期に亡くなるなんてね。普通は何かあったって思うさ。美登里ちゃんには教えないの? 教える義務と知る権利は美登里ちゃんには?」
賢はしばらく考えていたが、
「土御門美優に教えなければならないのは、もう加奈子を待つなという事実だ。待ち続けるというのは心が疲労する。あてのないものを待つというのはそれだけで精神を酷く消耗するもんだ。あの娘が前に向いて歩いて行く為に真実を話すのは必要な事だ。美登里とは事情が違う」
と言った。
「美登里ちゃんは土御門に一生を捧げるつもりだから、全てを知りたいんだってさ」
「土御門に一生を?」
と言ってから賢は首をかしげた。
「それを早く言ってくれたら、代替わりを俺が辞退して美登里に譲ったのに。さぞかし有能な当主になるだろう」
「賢兄! 冗談を言ってる場合じゃないよ」
「俺は美登里には言うつもりはない。が、仁が必要だと思うなら教えてやればいいさ。お前の判断に任せる。俺を恨むのはしょうがないが、和泉のせいではないとだけ言ってくれないか」
「美登里ちゃんは賢兄を恨んだりしないだろ。和泉ちゃんの事も。あの場合は仕方がなかった。俺や陸が同じ立場でもそうしたさ。それに加寿子ばあさんが靜香ばあさんを生け贄にしたのまでこちらのせいにされちゃかなわない」
「そうだな」
とだけ言って賢はまた手元の書類に目を落とした。
「そんなに自分を責める事はないよ、賢兄。誰も賢兄のせいだなんて思ってない」
「分かってる。ただ、もっとうまい方法があったんじゃないかと思うだけだ。高齢のばーさんをあそこまで追い詰めなくてもよかった。俺が何年か待てばよかったんだ」
「それは違うと思うよ。賢兄」
賢は顔を上げて弟を見た。
「賢兄が追い詰めた結果じゃないよ。加寿子ばあさんが自分で選んだ道なんだ。賢兄がどうやっても結果は同じだったと思う。加寿子ばーさんは若い時からずっと『時逆』に固執していた。いつか時逆を自分の物にしようとしていた。でも時逆は禁忌の術だ。現在の土御門では許されていない。文献による過去の事例からしか読み解けない術で、実体はどんな物かも分からないような危険な術だ。ばあさんの努力は認めるさ。時逆を開封するのに成功したのは事実だ。長い間、一人で研究してきたんだろう。能力者としても術者としても優秀だった。探求心も。でも加奈子の能力を奪えば時逆を手に入れられると分かった時に諦めなければならなかった。生け贄を必要とする時点で諦めるべきだったんだ。人として。それを超えてしまったばあさんは罰せられなければならない。土御門の次代として賢兄が下した決断は間違っていない。むしろ加寿子ばあさんは一族の前で罪人だと晒されてもしょうがない事をしたんだ。賢兄と和泉ちゃんの事を言い訳にして、土御門に反逆したのさ」
と仁が言った。
「……」
「だからそんなに気に病む事はないよ。賢兄は優しすぎる。何でもかんでも一人で背負い込む必要はないんだ。俺も陸もいるんだし」
「ああ、そうだな。そう言ってもらえると助かるよ」
と賢は笑顔をもってそう返したが、その言葉はただの礼儀のように仁には聞こえた。
そんな賢の態度を水くさいと仁は思う。
賢は自分の考えをあまり言わない。
考えを発言する時には決定事項になっている。
それまでの経緯を誰かに相談する事はあまりない。
秘書でも弟でも立場は同じで、全ての者が賢の意見を待つだけだ。
賢の意見に逆らう者はまずいないし、仁や陸もいつでも兄の意見を指示する。
だがもう少し頼りにしてくれてもいいのに、と仁は思う。
「そうだ時逆と言えば、ばあさんが所持していたと思われる書物の中で、時逆に関する文献だけが全然ないんだけど、賢兄、動かした?」
ふと思い出して仁が言った。
「文献?」
「そうなんだ。それも相談しようと思っててさ。先代に聞いても時逆に関する事は先々代が管理していて、誰にも触らせなかったらしい。そりゃそうだよね。あの年でまだあの術を自分の物にしようという野望があったんだから、加寿子ばあさんは」
「……」
「先日、加寿子ばあさんの部屋を母さんや沢が片付けた。それらに風を通して、虫干しして蔵に納めたのは俺と属子達でやったんだけど。ざっと目を通したんだけどさ、時逆に関する物がいっさいないんだよね。ばあさんの事だからどこか他の場所に隠してるのかもしれないけど」
「あれは……」
と賢が言ったので、仁は賢の顔を見た。
「俺が持ち出した」
「そうなの?」
「ああ、目を通してみようと思ってな。すぐに入り用なのか?」
「いや、いいんだ、所在がはっきりしてたらいい話さ」
「なかなか暇がなくて見られないんだが」
「分かった。でも、まあ、凄いといえば凄いね。時逆の術を現代で蘇らせたっていう事実はさ。あの年で」
と仁が言った。
「時逆は長い間、伝説だったのにね。賢兄の闘鬼と同じくらいの信憑性だったんじゃない?俺だって目の前で見なければとても信じなかったよ」
「そうだな」
「一体、誰が何の目的で作ったのか、俺も研究してみようかな」
冗談めいた様子で仁がそう言ったが、
「時逆は再び封印するつもりだ」
と賢が答えた。
「封印?」
「そうだ。文献も残さない。全て破棄しようと思う」
「それは……!」
「私欲の為に時逆を弄ぶような者とその犠牲者を出さない為だ」
「でも、それは会議にかけて評議会の賛同を得ないと。時逆は……千年も言い伝えられている土御門の秘宝だ。安倍の時代から……」
「いや、もう決めた」
「賢兄、それは無茶だ。当主としての意見は尊重されるけど、時逆を破棄するなんて絶対に認められない。保管を厳重にして不出にすれば、おばあさんのような事件は防げる。これから先の世代は時逆を耳にする機会はあるだろうけど、ただの伝説で終わるだろうし」
「駄目だ。時逆は俺の代で抹消する」
「賢兄!」
「じゃあ、聞くが!」
賢はばんっと机を叩いて立ち上がった。
「時逆がこの世に存在する意味があるのか? 何の為だ? 時をさかのぼって……何をしたいんだ? 何十億という人間が生きている現在で、たった一人の人間が時をさかのぼって何の意味がある? あれが存在した現実はどうだ? 何かいい事があったのか? 時逆という秘術さえなかったら、ばあさんもあそこまで狂わなかった。俺も実の祖母を手にかける事もなく、和泉も歩けなくなるなんて事態にはならなかった。犠牲者を……一族から死者を何人も出さなくてもすんだ。美登里のばあさんも、加奈子もだ。……この先、門外不出にしてもう使わない物なら、秘宝として蔵にしまっておくのも抹消するのも同じだ。そうだろ?」
「それは……だけど、賢兄」
賢の勢いに仁は少したじろいだが、
「加寿子ばあさんと時逆を一緒に考えるのはどうかと思うよ。所詮、陰陽道の術は単なる術だ。道具に過ぎない。問題はそれを使う人間の方にある。俺は加寿子ばあさんに問題があったとしか思えない。時逆は後世に残す価値のある凄い秘術だ。それを抹消するというのは……」
と言った。
「……」
「賢兄、早急に決断するのは駄目だ。先代にも相談して、もっと落ち着いて考えないと。賢兄の独断で時逆を破棄しただなんて、この先、賢兄の進退問題にも関わる」
賢は正面からじっと仁の顔を見て、
「そうだ」と言った。
「え?」
「皆で俺か時逆かを選べばいい」
「賢兄!」
「時逆を残すのなら、俺が去るだけだ」