仁VS美登里
仁は仕事や土御門に関係ないような話をしている。ここ最近の天気やら、この冬はどこそこへ旅行しようと思っているなどだ。
美登里は向かい合った席で、仁の話を聞いていた。
彼らがよく利用するレストランではいつでも上客の扱いを受ける。
何も言わなくても個室に案内されて、例え軽いランチだとしてもゆっくりと過ごせる。
やがて食事が終わり、デザートとコーヒーが運ばれてきた後で美登里は思い切ったような顔で仁に話を切り出した。
「お伺いしたいことがありますの」
仁は「ん?」というような顔をしたが、優しく微笑んでコーヒーカップを口に運んだ。
「私にも教えてください」
「何? 賢兄が仕事人間の理由? それは美登里ちゃんの方がよく知ってるんじゃない? 仕事仕事でマンションにもあまり戻ってないようだよね? 俺達の方が知りたい案件さ。賢兄は何を考えてるのか。あれだけ熱望して結婚した相手をマンションの一室に閉じ込めて寂しい思いをさせる? 自分は仕事に没頭してさ」
「それは……私からは何とも申し上げられませんわ」
美登里は困ったような顔をした。
「賢兄は美登里ちゃんを信頼して何でも相談してるんだね。俺達には何も教えてくれないのに。俺達よりも美登里ちゃんの方が信頼に値するってわけだ」
仁の言葉にはとげがある。美登里の顔色が変わった。
「そんな……そんなんじゃありませんわ。賢様は和泉さんの為に……決してお部屋に閉じ込めているおつもりは……ただ……」
「何?」
「賢様はとてもおつらいのですわ。和泉さんが足を引きずって歩くのを見るのが」
「そんな事は……!」
「ええ、ええ、頭では分かっていましたでしょう。足がどうでも一生を添い遂げるという意志は変わりませんわ。和泉さんへの愛情も少しも衰えていません。ただ、見るのが……つらいだけです。そして御自分を責めてしまうのです。幼い頃からずっと一緒に育ち、軽やかに走る和泉さんの姿を知っているだけに余計に」
「事故は賢兄のせいじゃないだろ」
「ええ」
「でも自分は仕事で気を紛らわせていいかもしれないけど、和泉ちゃんは可哀相だろ」
「賢様がお戻りになると和泉さんは一生懸命に賢様のお世話をしようとするらしいですわ。食事の支度をしたり、お茶を出したりするだけでも立ったり座ったり。動くのは和泉さんの身体には必要な事です。ですがそれを眺めているのもつらいんでしょう」
「……」
「お仕事を詰め込んでいるのは今のうちだけですわ。賢様には計画がありますから」
「計画?」
「ええ、でもその計画の話は私からは申し上げられません。いずれ賢様から仁さんへお話があるでしょう」
と美登里は言った。
仁は納得しかねていたが、それ以上は聞かなかった。
美登里の忠義心が本物だという事はすでに理解している。現当主である賢に反する事は絶対にしないだろう。これ以上の話は聞けなさそうだ、と判断した。
「賢兄が仕事熱心なのは美登里ちゃんが側にいるからだね」
と仁が少しばかり呆れたように言った。
「どういう意味ですの?」
「打てば響くように側に控えられちゃ、仕事が進むしかないだろう」
「それはよくない事ですの? 仕事が進むのはいいことではありませんか?」
「そうだけどさ、皆が美登里ちゃんの事を何て言ってるか知ってる?」
「いいえ」
美登里は不思議そうな顔で仁を見た。
「皆が私の事を何と仰っているんですの?」
「元祖本妻」
「は?」
仁はくすくすと笑った。
「元祖と本家ってあるだろ? よく、観光地でまんじゅうとかに書いてある。元祖○○まんじゅう、本家○○まんじゅう、とかって。で、本家の本妻は和泉ちゃんだから、元祖本妻は美登里ちゃんってわけ。和泉ちゃんはあまりこっちに来なくて、賢兄の世話は美登里ちゃんに任せてるし」
美登里はぽかんとした顔で仁を見ていたが、みるみるうちに真っ赤なになり、
「そんなくだらない事を言い出したのは誰です?」
と少し大きな声で言った。
「誰っていっても、いつの間にか広がったし」
「許せませんわ! 賢様と和泉さんと私に対する侮辱ではありませんか! 土御門でそんな低俗な言葉が出回っているなんて! 賢様と和泉さんは神道会館で厳粛なお式を挙げられ、神に生涯を誓いご夫婦になられたのですよ!」
思わぬ美登里の怒りに触れてしまい、仁もしまった、と思った。
真面目な美登里には冗談が通じないようだ。
まして、言いだしたのが陸だとはとても言えない。
「ま、まあ、それはみんな承知で言ってるんだよ。ただの冗談だよ」
美登里は仁をじろっと睨んだ。
「早速、調査にかかりますわ」
「え……」
「そのようなくだらない言葉を吐くような人間は土御門にはふさわしくありません。調査して犯人を特定します。そして賢様には処罰を検討していただきます」
「ま、まじで?」
「はい、何か不都合でも?」
「い、いや」
やべえ。何とか話をそらさないと、と仁は必死で考えた。
「美登里ちゃんに彼氏でもいたら、そんなくだらない噂も消えるのに」
「は?」
「好きな男とかいないの?」
「私にとって土御門以外に重要な事柄はありませんわ」
「あ、そう。でも結婚とかは? どうするの」
「私でよいと言ってくださる方がいらしたら考えますけれど、結婚はしなくてもよいと思ってますわ。土御門に一生を捧げる覚悟でございますから」
「……」
仁は少し焦って、冷めたコーヒーをがぶっと飲んだ。
「そうだわ。話が戻りますけれど、私、お伺いしたい事がありますの」
「何?」
「本当の事を教えてください」
美登里は真剣な顔で仁を見た。
「加寿子大伯母様の死とうちのおばあさまの死が同時期だった事、これは何か関連がありますわよね? いくら双子とはいえ、偶然ではすまされませんでしょう?」
「世の中、不思議な事はいくらでもあるさ。土御門自体が世間からしたら、不思議な存在なんだから」
「いいえ、偶然ではないと私は思います。そして賢様もあなた方もそれをご存じのはずですわ。どうぞ教えてください。賢様にお伺いしても何も教えていただけないばかりか、酷くお怒りになりますわ。一体、何があったのです?」
「賢兄が沈黙するなら俺もそうする」
美登里は唇を噛みしめて悔しそうな顔をした。
「何故、私には教えていただけないのです」
「もう、終わった事だよ」
と仁は優しく言ったが、美登里は首を振った。
「では、和泉さんにお伺いします」
「それは駄目だ。賢兄が怒ってるんだから、火に油を注ぐだけだよ」
「賢様は何を怒ってらっしゃるんですか? 誰の事を? 仁さん、お願いします。どうぞお教えください!」
美登里は必死の形相だった。
美登里の祖母、靜香は加寿子の犠牲者だ。
孫である美登里は祖母の死の原因を知る権利がある、と仁は思う。
だがあの事件は土御門には醜聞でしかなく、身内でも耳に入ってよい物ではない。
「好奇心ではありません。土御門の為に知りたいのです。生涯を土御門に捧げるというのは嘘ではありません。その為にも土御門の全てを知りたいのです!」
美登里は凛として言い放った。