8
翌朝。早朝――。
春先で、まだ日が昇るのがそれほど早くはない。
薄暗いが、灯りなしでも、問題はない。深い霧がなければ、の話だが……。
――弦楽器の静かなハーモニー――
――神秘的な音の重なり合いが聞こえてきそうな、ミステリアスな早朝だ――
――はっきりとしたオーボエやハープの音が響く――
そんな感じがするを朝を、最悪な目覚めが訪れた……。
「ぐゥごへッ!」
いきなりの鈍い衝撃に、わけのわからないうめき声を上げ、飛び起きる。
「ようやくお目覚めね」
そのままベッドから転げ落ち、腹を押さえ、こみ上げてくる「パワー」を抑え込む。
「気持ちよく……眠っている……人に、なんて起こし方を……、するんだ……!」
「ベッドの端の支柱から、飛び上がり、肘をあなたのお腹に叩き込んでやったわ」
ヴィンセントは、首を掻っ切る。
「方法のことじゃねえよ! 朝っぱらから臓物口からまき散らすところだったじゃないか!」
最悪な寝起きだ。
いつものように準備をし、外に出る。
霧が濃いとはいえ、朝の雰囲気は、さわやかだ。
ヴィンセントを背負い、一歩踏み出す。
「今更だが、もっとマシな起こし方はなかったのかよ」
「あれでも、初めのうちは普通に起こしていたわ。なかなか起きなかったのだから、当然の報いよ。それとも、両膝を落としてほしかったかしら?」
……。
「思ったより、霧が濃いわね」
「この時期は仕方がないよ。昼と夜とでは、暖かさの差がある。もうじき春が来る、と思えば、この霧もありがたいもんだよ」
「春か……。何回目、かしら……」
ヴィンセントが遠い目線でつぶやく。
道が大きく開ける。
しかし、まだ朝が早いということもあり、店の類は一切開いてはいない。
「ここを真っ直ぐ行けば、城門に辿り着く。ハァ~……。背中の人形について訊かれたら、どう答えればいいんだろう……?」
「そんなの、ありのままを話せばいいじゃない」
「信じてくれる自信はない。まあ、『腹話術士だ』とでも言っておけばいいか。そのときは、適当なこと、話してくれよ。一般の人は、オレほどこういうことに、耐性はないんだから」
「わかったわ」
ヴィンセントがうなずくと、正面から人が歩いてくるのが目に入った。
「こんな時間に?」
濃い霧のため、詳しくは見えないが、目の前の人影は、腰に差していると思われる剣を抜いたように見えた。
「グランノース特務隊にして、王家直系の王位継承者……」
女――?
「悪いけど……アンタに死んでもらいにきた」
反射的にヴィンセントが飛び降り、オレは、剣を抜き、盾を構えた。
黒い人影が走り出す。
「あっ!」
信じられない速さで距離を詰められる。
霧を切り裂き、剣が伸びる。
反射的に、剣を振り上げ、相手の剣を払う――。
相手の姿がわかる。
フルフェイスの兜をした、全身黒ずくめの鎧を身に付けている。
相手の右腕が浮いたが、瞬間的に剣を持ち替えて、逆手の状態で、切り付けてくる。
左手の盾から鈍い衝撃と金属音が響く。
相手の勢いを殺さず、盾で、そらす――。
そらすときに一瞬だけその剣が視界に入る。
勢いそのままに、想定外の方向に身体が飛び、バランスを崩す相手。
殺すつもりはない。だが、殺されるつもりもない。
バランスを崩した相手の背後から、剣を首筋に当てる。
「これ以上、やるつもりはない。何者だ?」
緊張感が生まれる。
「チっ!」
すると、相手は大きく舌打ちをし、地面すれすれの高さまで身を屈めると、地面を転がるように回転し、こちらに向かって地面を蹴った。
「うっ!」
相手のタックルをまともにくらい、後ろに倒れこむオレ。
「次は、殺す…」
そう吐き捨てると、霧の中へ走り去っていった。
「なんだったんだ……?」
霧の中、空を眺める……。
「終わったようね」
ヴィンセントが近寄ってきた。
ゆっくり立ち上がる。
「何か心当たりは? あの女も、早朝に歩いていただけで、『殺す』とは、言わないはずよ」
「まあ、王族ということで、狙われる可能性はあるけど、基本的には、ないな」
人間、生きていれば誰かしらからか恨まれることはあるし、思わぬところからも恨まれる可能性はあるが……。
「そう、ね……」
「それにしても、あいつの剣……」
「わかっているわ。私と同じ力を感じた」
「ということは……」
言葉を続けようとしたが、ヴィンセントの表情がそれを続けさせなかった。
オレは再び、ヴィンセントを背負い、城門を目指した。
意外にすんなり、街の外に出ることができた。
「それにしても、あいつら、背中のヴィンセント、完全にスルーだったな」
「それに関しては、私がなんとかしたわ」
「それ、どういう……?」
「簡単なことよ。あなたの家族同様、私が発している香りで、操ったわ。今回は、『背中の私は気にするな』という風に」
って、おい!
「クリスも、お前が操った、ってことかよ」
「操るというのは、人聞きが悪いわ」
初めから言ってくれよ……。
霧もすっかり晴れ、春の日が照らす頃、ヴィンセントが声をかけてきた。
「忘れないうちに聞いておくのだけれど、いいかしら?」
「なんだ?」
「あなたの言う、魔法って、どのようなもの?」
「忘れないうちに」と言っていたから、なんのことかと思ったら、そんなことか。
「半年くらいの座学を手短に話すから、かなり端折るけど、それでもいいなら」
「構わないわ」
「魔法の話をする前に、この世界を構成している要素を説明する必要が……」
「それが、魔法とどう関係が?」
「魔法自体、オレたちの世界、物理界の力を使っているわけではないんだ」
別次元の力を、こちらの次元に影響を与える形に変換して使う、これが魔法の概要だ。
「なるほど……」
「別次元で、より物理界に近い力を使い、物理界に影響を与える魔法と呼ぶ。また、物理魔法は、その次元に住んでいる精霊の力を借りるんだ」
「『住んでいる』ということは、行こうと思えばその世界に行けるのかしら?」
「らしいね」
世界のどこかにあるトンネルをくぐると、行けるらしいが。
「話がそれたけど、世界の極性をさらに精神界にすると、神や天使、魔族の世界とも言える精神界となる」
「一発で戦争が起こりそうな状況ね」
「まあね。大体の人は、神は天に、魔王は地下に、というイメージがあるけど、神も魔王も、陰か陽の違いだけで、存在の仕方などは同じだと思えばいいよ」
ここからが本題だ。
「魔法を簡単に説明すると、自己の魔力とイメージで発動する異次元の力だ」
イメージ、つまり、思考だ。しかし、万人が同じ魔法を使おうとしたときに、同じイメージかどうかはわからない。イメージが異なれば、効果が変わってしまう。そこで、考案されたのが、呪文だ。魔法と呪文を結び付けておけば、多少の誤差はあっても、同じ力が発動できる。また、呪文の詠唱には、魔力を高めたり、集中したりと、かなり、使うものにとって好都合だ。
「なるほど……。大体わかったわ」
ヴィンセントも納得したようだ。
「一つ質問だけれど、私が力をフルに使いながら、あなたは、魔法を使うことはできるかしら?」
「え?」
「私についていた従者の何人かにも、魔道士と言っていた者もいたのだけれど、どれも、魔法どころではないほど消耗していたわ」
「それは、実際にやってみないとわからない」
「そう……」
街を出て、かなりの時間が流れた。
「そうだ。オレも、忘れないうちに聞いておこう」
「断るわ」
「いいだろう、それくらい」
「どうせ、碌な質問でもないでしょ?」
「……」
「冗談よ」
なんなんだ!
オレは気を取り直して、話し始めた。
「七年に一人、巫女が選ばれ、戦いになる」
「えぇ。そうよ」
「だったら、命を落とすこともあるよな?」
「そうね」
「お前、何人兄妹だ?」
その瞬間、強力な力により、頸動脈が締めつけられた。
「ちょ……っ。うっ……! ぐ……っ!」
「失礼ね! 人の家庭が、常に発情しているみたいに言わないの!」
「言って……ねえ!」
オレは、ヴィンセントの腕を掴むと、上半身を前に倒す勢いで、ヴィンセントを投げた。
空中で一回転し、きれいに着地をするヴィンセント。
「例外はあるのだけれど、各貴族、一族の中から一人ずつ選ばれるわ。決して、各家から選ばれるわけではないわ……」
な……なるほど……。
またそれから、しばらく歩いた。
地図を確認する。
「ここって……」
そう。昨日も止まった場所だ。
「こっちよ」
ヴィンセントが指差す。
指さされた方を見ると、街道の他に、道が分かれたような跡があった。雑草が生い茂り、とても道とは言い難いが、辛うじてかつて道だった場所には、道であった痕跡はあった。
「大分変っているけれど、雰囲気はまだあるわ」
遠い目をするヴィンセント。
道に生えた雑草のため、歩きにくい。
「ここを抜けると、今度は森。森は、少しずつ上りとなり、そこを抜けると、村に辿り着くわ」
やがて、ヴィンセントの言っていた通り、森へと入って行った。
森の中も、比較的雑草が深いが、平野に比べて高くないため、歩行に支障はない。
「ここから先は、森ということもあって、ひょっとしたら、襲撃のようなものあるかもしれないから、十分に注意しなさい」
「わかった」
襲撃って……。
「通常ならば、村の周辺で行うのが祀りの決まり。でも、たった一人、そういうルールを忘れる残念な頭の持ち主がいるの」
「それだったら、お前も、城で仕掛けたんじゃ」
「あれは、行ってしまえば遊びの範疇よ、相手の力を探るための、ね。でも、その一人は、ルール無用で、平気で仕掛けてくるわ」
仕掛けたことには、変わらないような……。
「まあ、注意するさ」
しかし、その直後、近くで、圧力というか、攻撃的な意思を感じた。
ヴィンセントがオレの背中から蹴りつけるように飛び降りる――。
オレは、反動で、五、六歩前のめりになる。
思いっきり、蹴りやがった……。
枝木が折れる音、葉が揺らされる音が周囲に響く。
ほぼ反射的に、そのまま転がるように前に跳ぶ――。
空気の振動音と共に、オレが立っていた地面をえぐった。
「何が起こった!」
「言っていた馬鹿が来たわ」
言ってる傍から!
すぐに立ち上がり、剣を抜く。
「必要ないわ」
「え?」
二度ほど同じように、強力に圧縮された空気の振動音をかわす。
「言ったでしょ、馬鹿が来たって?」
敵の位置は、おそらく正面。
音や衝撃波は、何かしらの障害物があれば、ダメージは弱くなるし、木や枝に触れれば、音から位置が探れる。そして、巫女の力は、消耗が激しい……。
数度攻撃をかわすと、攻撃が止まった。
……。
森の中は静かだった。
――弦楽器の静かなハーモニー――
「来ないな……」
「そうね。一応、成長しているのかしら……?」
注意しながらも、攻撃が来た方向に歩き出す。
しばらく歩いていると、強烈な攻撃意思=魔力の高まりを感じた。
「来るわ」
――唐突に、弦を強烈に弾くようなピチカートが響く――
反射的にその場を離れる。
――静かなハーモニーが、トロンボーンの攻撃的な響きにより、雰囲気が一変する――
二度、三度の音の攻撃が訪れる。
「この近くね」
この音、どこか、迷いのようなものを感じる。
一瞬間があり、再び音が響く――。
多重音――。
「和音か!」
ハープのような、弦の響き――。
「大きく避けなさい!」
ヴィンセントが叫ぶ。
単音と違い、和音となると、複数の音が発せられるだけでなく、音に厚みも生まれる。そして、その厚みは、攻撃範囲やダメージが大きくなる、ということだろう。おそらく、響き方による倍音も鳴るので、余計に強力なものになるだろう。
案の定、先ほどよりも大きな範囲の地面がえぐれた。
危ねえ……。
だが、これだけ強力な攻撃ができるのなら、討っておいた方が……。
「ヴィンセント、攻撃した方が……」
「まだよ。大体の場所の見当はついているし、すぐに反撃もできる。でも、もう少しだけ避け続けてみなさい」
反撃は、いつでもできるのだが……。
なるほど。これなら、反撃しなくても問題はない。
ヴィンセントは、「オレの力がなければ、まともに戦えない」と言っていた。それが本当なら、これだけの強力な攻撃をかましていたら……。
続けて二回ほど、音が響く――。
しかし、その音は、辛うじて音を出している、といったようなレベルだ。
思った通り……。
つぶやきが漏れる。
音が着弾しても、大した破壊力にはならなかった。
すると、近くで、何か塊のようなものが落下するような音が聞こえた。
「やはり、自滅したわね」
ヴィンセントがつぶやく。
「それが狙いかよ……」
音のした方へ向かう。
ヴィンセントと同じような人形が転がっている。
堅い髪質の茶色い髪に、フワッとした明るいオレンジのドレス。
「当たり前の結果ね……。前にも話したけれど、結晶の力は、かなりの勢いで消耗するわ。今の私のように、湯水のごとく浪費しても、まったく問題のない状態ならまだしも、従者もない状態では、一瞬でこうなるわ」
眠っているように倒れている人形に向かい、勝ち誇る。
「死んでるのか?」
「私たちに、死という概念はないわ……」
そう言いつつ、どこからか花を拾い、人形に手向け、手を合わせるヴィンセント。
「って、死んでないからぁっ!」
人形が突然起き上がり、手向けられた花を蹴散らす。
「あら。生きていたわね」
「自分で死という概念がないって、言ってたでしょ!」
「おいヴィンセント。このうるさいの、何?」
人形を無視し、ヴィンセントに訊く。
「この子は、エルク。結晶は、『お気楽ハープ』。『失笑をもたらす者』よ」
「違うっ!」
ヴィンセントの胸ぐらを掴みながら、オレを睨み付け、叫んだ。
「私は、エルク! 『歓楽をもたらす者』。か・ん・ら・く! それに、何が『お気楽』よ!エルの結晶は、『契約の竪琴』……!」
自分のことをエルと言うのか。見た目以上に幼い印象がある。
ヴィンセントが大きくため息をついた。
「この、いろいろと残念な子、失礼、馬鹿な子が、攻防万能型の結晶に選ばれるなんて、誰が想像したでしょう……」
わざわざ言い直さんでも。
その後、「馬鹿じゃないもん!」から始まる口論。エルクが突っかかり、ヴィンセントがかわすというやり取りが続いた。
なんでもいいから、先に進ませろ……。
一通り言い合うと、エルクが肩で息を始め、いきなり倒れ、動かなくなった。
「静かになったわね。行くわよ」
無情にも、エルクを捨てる、ヴィンセント。
「いいのかよ? つーか、それが狙い?」
「問題ないわ。それよりも私たちは、先に進まなければならないわ」
ヴィンセントがオレの背中によじ登る。
「ちょっ……。待ちな……さい!」
かなり弱々しくなっているが、背後で、エルクが叫んでいる。
「い……いいのか?」
「いいのよ。馬鹿だけど、ああ見えて、頑張れる子だから……」
「馬鹿じゃ……ない……もん……」
そこは、突っ込むんだ。
「せいぜい追いつくのね。追いついたら、一緒に乗せてやってもいいわ」
「そんな勝手なことを!」
「いいじゃない。別に減るものでもないのだし」
そういう問題じゃねえよ。
「ハァ~……でも、結局、オレに拒否権なんてないんだろ?」
「よく分かっているじゃない。それなら、早く歩かないと、追いつかれてしまうわ」
こうして、オレたちは、倒れているエルクを放置し、目的地へと歩き出した。
そこそこの速さで歩いているが、やはり、こうも雑草があると、歩きにくい。
しばらく歩いていると、背後に気配を感じ、振り返ると同時に、何かが飛び掛かり、オレの足の自由を奪い、倒れてしまった。
「なっ!」
突然の襲撃に、顔面から倒れこむ。
「お……追いついたわ!」
肩で息をしているが、勝ち誇ったように、叫ぶエルク。
結局、オレは、ヴィンセントとエルク、二つの人形を背負って歩くことになった……。
しかし、この重さ、歩いているだけで、根こそぎ持ってかれそうな気がする。
「辛そうね?」
「当たり前だ! どうやって乗っているのかは知らないが、こんな重たい人形が二体も背中にへばりついていたら、どんな強靭な肉体の持ち主でも疲れるだろうが! 気遣いの言葉を掛ける暇があったら、降りるなり、休憩する時間なり与えろよ!」
ヴィンセントは大きくため息をついた。
「そうね。少し休憩にしましょう」
「休憩できる場所、あるのか?」




