1
――二本のテナー・テューバから始まる、不気味な和音――
――それに続く、バス・トランペットの重厚なファンファーレ――
――合わせる形で続く、九本のトランペット――
力の差に、成す術がなかった。
七対一。
「味方」が一瞬にして倒されてしまった。しかも、たった一撃の衝撃波だけで。
なんとか立ち上がるものの、まともに動けるような状態ではない。
「どうしたの、さっきの勢いは?」
一人の敵。明らかに「人」ではないが、強力な力を放った異形な存在は、挑発するかのように言い放った。
「確かに、君たちの力が一つになれば、ボクでも倒されるかもしれない……」
無表情な、仮面のような顔からは、感情のようなものは感じられないが、相手を屈服したときに人が放つ、優越のような心の表れが、その声に乗せられている。
「でも、それは、君たちが、その力を理解し、使いこなせるようになった場合の話だけどね」
少女たち全員が、立ち上がった。
「まあ、君たちの中では、シルキーさんが力の覚醒に近づいているから、ちょっと怖かったけど……。でも、こんなことになって、本当に残念だよ」
「うるさいっ!」
シルキーは、剣を構え、力を集中させるかのように叫んだ。
「でも、君の気持を考えると、本来その刃は、ボクではなく、その隣のヴィンセントさんに向けられるものだと思うんだけど?」
揺さぶり……。
シルキーは、一瞬、ヴィンセントに視線を移した。
「……」
力の集中は続けてはいるが、シルキーに、迷いが生じた。
「姉さん、使い魔の誘いに乗ってはダメ。ヴィンセントなら、あいつを倒した後、思う存分やれば、それで十分でしょ?」
妹のラスキーの声に、シルキーは、ハッとし、異形な存在、使い魔を睨み付けた。
「ボクとしては、誰が力を受け継ごうと構わないんだよ。他の世代に比べて、君たちは、力を引き出すことができそうだから、実は、期待してたんだけどね」
長身の少女が立ち上がり、左前の形で構えた。
「ベラベラとっ――!」
凛とした芯の強い声が響いた。
「君も、力の使い方を覚えてきたみたいだね、クルトワさん」
「黙れ!」
長身の少女、クルトワは、地面を蹴ると、一度も着地しないまま、目の前の敵に向かって飛び、強烈な蹴りの一撃を放った。
蹴りは、見えない壁に弾かれ、大きくバランスを崩した。
使い魔の左手がクルトワの腹に延び、小さく二回黒い閃光が走った。
「あぁ……っ!」
叫び声を上げ、吹き飛ぶクルトワ。
「気持ちに嘘はつかないでよ。本当なら、君も、今すぐにでも、シルキーさんを殺したかったはずなのに……」
瞬間的に倒されたクルトワに、動けなくなる一同。
「そうだね。さっきも言ったけど、君たちの中では、シルキーさんが一番力の覚醒に近いみたいだよ。でも、それでは全然力が足りないんだよね……」
「何が言いたい」
静かに使い魔は、シルキーに話した。
「もし、ヴィンセントさんたちを止めることができたら、力を与えることを約束するよ」
言っていることの意味がわからなかった。使い魔は、力を管理している存在。守り神の力とは別に、力を与えるとでも言うのだろうか。
「とはいえ、君もまだ未熟だ。すぐに力を与えるわけにはいかないけど、神の力を扱えるようになったら、僕が力を与え、君の願望を適えてあげるよ」
この場にいる誰もが、シルキーの望みを知っていた。その上、その願いが、叶うことが難しいことも知っていた。だが、シルキーだけは、それを信じていなかった。
「シルキー。気を確かに」
アイルが、強い口調で制した。
しかし、シルキーは、迷いの中に飲み込まれていた。
巫女としての役割を果たせばどうなるのか、使い魔の誘いに乗ればどうなるのか……。
シルキーは俯きながら考え始めた。
役割を果たした巫女が……。
「決まったね」
使い魔の声に、「悦」の思いが乗った。
……生存したという記録が……。
「……っ!」
無言のまま、目の前の障壁に剣を突き立てた。
背後からの攻撃に、何もすることもできず倒れるヴィンセント。
……記録がないことを、シルキーは知っていた。
「……おや。その……死んで……。それでは、ダメ………」
使い魔が、何かを言っている。
薄れていく意識の中、ヴィンセントは、使い魔が左手をかざし、自分の身体が光りに包まれていくのを感じていた――。
時はすでに、黄昏に向かいつつあった――。
「やばいな。間に合うか?」
オレは少し焦っていた。
予定では、昨日の今頃に、すでに到着しているはずだった。まあ、少し前の町で、寝坊してしまい、慌てて出たため、乗るべき乗合馬車を間違えてしまった不注意もあったのだが。
ため息をつきながら、歩いていると、少しずつ、見覚えのある風景に変わっていった。
山の形、近くの森の雰囲気、そして、この地域特有の空気の堅さ。
一年振りの、帰国を感じた瞬間であった。
国を出た時にも見た、元々道標であったであろう、木の棒だ。分かれ道でもあるような感じだが、確か、このあたりで一度振り返り、城の位置を確認した記憶がある。
朝に出て、昼くらいに、この場所にたどり着いた。そんな距離だったと思う。
そして、顔を少し上げ、一年前のように、遠くを見る――。
城……。
「少なくとも、夜には着く、……かな?」
少し、自信がなくなってきた。あのときと違い、荷物が多い。
それにしても、ここの空気はいろいろ旅をした中でも、やっぱり特殊だ。近くに割と高い山がある関係で、春先でも、温かいのに、風が吹くと寒い。
しかし、そんな気候がオレは好きだ。
立ち止まり、思い切り息を吐き切る。ゆっくりとした速さで、大きく息を吸う。つまり、呼吸練習だ。
魔法の授業の中でも、音楽を使った授業だったと思う。魔法は呪文によって作られたイメージを、魔力とともに放つもの。音楽もイメージを音にするという共通点から、魔法と音楽を合体させ、発展させたものを授業で行った。
いい音楽は、いい呼吸から、ということで、練習開始前に行うのが、呼吸練習だ。
大きく息を吐き切ると、少し止め、もう一度吸う。懐かしい空気が身体を駆け巡る。そして、ゆっくりと、息を吐く。
この呼吸練習、ウォーミングアップに使うだけでなく、気持ちを整えるのにも使える。オレの場合、重要な場面や新しい気持ちを作るときに行ったりもする。
「よし。行くか――」
小さく心に気合を入れ直し、一歩ずつ歩き始めた。
この一年、いろいろあった……。
なぜ一年間、国を離れていたのか。
オレの国の教育制度は、初等教育五年、中等教育四年の義務教育がある。高等教育以降は、主に学者や研究者を目指すための教育となっている。そして、初等と中等では、主に「生きる力」を与える教育を行っている。つまり、一般の人は、中等教育まで受ければ十分なのである。そして、中等教育の最後の一年は、その「力」を試すための一年である。この一年の過ごし方は、国に残り、軍役に従事するか、国外修行し、生きて帰ってくるかのどちらかである。ちなみに、軍役で死んでしまったり、旅の途中で死んでしまうということは、想定されていない。中等教育三年までの八年間で身に付く、戦闘技術、魔法技術がそれを証明する。オレの経験で、一度断られた仕事も、この国の出身者であると聞いた瞬間、逆に依頼されることさえあった。
オレの名前は、ゼフィールド。
こうして一年を旅して、卒業のために帰国途中である。剣士であり、魔道士でもある。身分もそれなりに高いが、旅の途中に、預言者に言われたオレに関することで、それも小さく感じてしまった。どうやら、オレには、世界に影響を与えかねない力があるらしい。確かに、その力は、何度もオレの命を助けてくれた。いろいろ謎はあるが、そういう力の持ち主らしい。
オレの故郷の国である、グランノースの城の門が近づきつつある。
隣の町の話では、最近は、門が閉じてしまうのが早くなっているらしい。理由はわからないが、近くに門番がいた場合は、開けてもらうこともできるが、いない場合は、朝まで待つことになるらしい。オレが焦っている理由は、このことだった。
城門の松明の灯りが、はっきりとした光として認識できるくらいの距離になった。
もう少しだ――。
オレは、歩くスピードを速めた。母親譲りの「嫌な予感」を感じたからだ。
本来なら走った方がいいのだろうが、旅先で入手した道具など、いろいろあるため、うまい具合に走ることができない。せいぜい早歩きが限度だ。
そうやって歩いていると、不意に松明の灯が消えた。
どうやら、その時が来たようである。
まずい――。
走りにくいのはわかっているが、オレは、強引に走り出した。
かなり賑やかな音を立てながら、ただひたすら、「間に合ってくれ」と祈るばかりだった。
目の前で、兵士が、門を閉めようとしている光景が目に入ってきた。
「ちょ……ちょっと!」
聴いた側には、悲痛な叫びとも思えるような声で、オレは兵士に訴えかけた。
「ん?」
その声が届いたのか、手を止める兵士。
そして、ようやくたどり着いた。
「危なかったな……」
肩で、血でも吐くのではないか、というような荒い呼吸をするオレに、兵士は、声をかけた。
「門が、早く閉まる……ハァ、知ってたけど……。っハァ……こんなに、早いとは……」
「確かに、通常なら、この時間はまだ閉めない。だが、最近は、警備上の問題で、早めに閉めることになっているんだ」
そう言いながら、別の兵士に水をもって来させてくれた。
「旅の者に、こんなことを話すのはどうかと思うが、どうやら、王宮の方で、何かトラブルが起こっているらしいんだ」
トラブル――?
オレは渡されたコップの水を一気に飲み干した。
日没から、毎日決まった量の松明に火を灯し、最初の火が消えたら門を閉めるらしい。
門を通り、家路を急ぐ。
先ほども触れたとおり、オレは、魔道士でもある。門が閉まっても、空を飛ぶ魔法を使い、それで中に入ればいい、と思う人もいるかもしれない。実際に、オレは、空を飛ぶ魔法を使うことができる。しかし、それは、やってはいけない。こういう首都ともなると、入国や出国に関するものは、かなり厳しくなる。つまり、入国手続きを行わないで入国したら、出国の際など、色々面倒なのである。そして、今回も、入国の手続きを完了し、中に入った。手続きといっても、こちらは帰国なので、身分証の提示と、帰国者名簿に記載するだけで済むのだが。
先ほど会話した兵士は、「旅の者」と呼称したことに対してだと思うが、一言「すまん」と言って、中に通してくれた。なかなか礼儀のできたやつである。
夜になったとはいえ、それほど遅くはない時間のはずだ。
それを証拠に、街はまだまだ喧騒で溢れかえっていた。
酒場では、賑やかな声や演奏が聞こえる。
途中、旅人風の恰好からか、酔っぱらいに声を掛けられるが、一言「急ぎなので」と断りを入れる。そうすると、聞こえるように舌打ちをし、その喧騒の中に消えていった。
しばらく歩き、「いつも」登校で使っていた道に入る。
「ふぅ……」
大きくため息をつく。
毎日使っていた道とはいえ、夜に出歩くことはあまりなかったから、雰囲気の違いに、新鮮さを感じた。
市街地を少し離れ、住宅街へ。
街の雑踏が遠ざかる。
市街地もそうだが、住宅街も暗いわけではない。
玄関先の松明には、火が灯り、街灯として、魔法が使われている。そのため、狭い路地でなければ、あらゆるところに光が溢れている。
しばらく歩き、路地に入る。そして、さらに見覚えのある、懐かしい家に辿り着いた。
ようやく、うちに帰ってきた――。
大きく息を吸い、呼吸を整える。
家では、キッチン兼リビングに灯りが灯っているように見えた。
何かの間違いで、すでに、他人が引っ越していたらどうしよう、など、しょうもないことが頭を過るが、まあ、それはないだろう。
鍵を鍵穴に差し、ゆっくりと、回す。
独特の圧力が指を伝わり、とある角度で、指にかかる重さから解放される。それと同時に軽い金属が別の軽い金属を叩く音が聞こえる。
ドアを開け、中に入る。
廊下は真っ暗である。
玄関脇の荷物置き場に、装備していたものを置き、軽く服をはたいた。
キッチンで作っていると思われるシチューの香が漂う。
廊下を半分ほど入ったところが、リビングだ。
リビングの入り口のドアを、二回ほどノックする。そして、ドアノブに手を掛け、軽く息を吸った。
「ただいま」の一言も合わせて言うつもりだった。