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「また、会いましょう、ね」

作者: 春秋 一五

 目の前で、誰かが泣いている。


 その時、自分は死ぬのだな、と悟った。


 なんてことはない、もう、慣れていることだ。


 もう、全身に力は入らない。意識だけが生きている、もう、ほとんど末期の状態だ。何度も味わったことのある、じれったい感覚。体を動かそうとするのに、肝心の神経は、もう、全く動く気配すら見せない。


「……あなた」


 しわがれた声が、耳をうった。それは、安らかに、体を包んでいく。それに応えることはできない、視界も、もうただの真っ白いものになり果ててしまっていた。その空間が、僕はどうも好きになれない。虚無感しか感じない、そんな、独りぼっちの、寂しい空間。しばし、僕はその中で現世と音だけでつながることになる。


「長い間、ご苦労様でした……」


 震えている声は、話している者が涙を流していることを表している、のだろう。僕にその感情は計り知れない。それは、話している者にしかわからないものだ。


 それにしても、今、僕に優しく話しかけている人は、誰だろう。


 その声に、聞き覚えが、ないわけではない。しかし、死が近づいたことによる忘却が、思い出すことを妨げている。それは、とても、悲しいことのように思う。でも、この感覚も、初めてではない。そこまで、新鮮な痛みではなかった。ただ、心の古傷が、じわじわと痛んでいく。


 白い空間が、徐々に、色づいていく。


 それは、新たな始まりと、


 新たな終わりを告げる、幕開けのようなものだ。


「……来世でも、また」


 しかし、その、幕が開く、際に。終わりの、残滓が僕の、この、今の、僕の、耳と心を打つ。


「また、会いましょう、ね」


 ――――あぁ、そうか、君は。


 ブツン。


 真っ白い世界に、完全に色がついた。瞬間、激しい息苦しさに襲われる。それを解消するために、僕、で、いいの、かな、まぁ、いいや。僕は、高らかに泣いた。


 それは、新たな始まりを告げるベル。


 そして、終焉を告げる、サイレン。


 こうして、僕は、死に。


 また、僕は、産まれた。


 ―――――――――――――――――――――――――


 魂というものの、絶対数は決まっているのではないだろうか。


 そう、思い始めたのは、僕という魂がこの世に創り出されてから、何回目の人生の時だっただろうか。そこまで詳しくは覚えていない。ただ、最低でもその時には魂という言葉は、なかった。


 人は、死ぬ前に、徐々に自分が生きた記憶を失っていく。それは、次の人生を送るための、準備の様なものである。魂は、新たな体を与えられて、何もかも忘れたその新しい体で、たった一回と勘違いした人生を生きていく。そう、僕はこの長い長い、何度もある人生の中で、悟ったのだ。


 僕は、その、生きた記憶を失うのが、どうも苦手らしい。


 それが普通のことではないと気づいたのは、先ほどの絶対数の話より、もっと前のことだ。


 僕には、前世での人生の記憶が、ぼんやりと、うすぼけているが、覚えている。自分が死ぬ時、生き抜いた中の、断片的な記憶、それが、最初の体の時から、ずっと、ずっと、続いて、積み重なり、また、新たな体で、長い人生の中の、短い一つの人生をおくる。


 その中の、人生の、一つとして今回与えられた体は、松風 拓真という男の体だった。平凡な共働きの両親の間に生まれ、寛容な母と、多少、厳しい面のある父の元、学力もまぁまぁの高校に通っている、今のところ、ただの、普通の、人生だ。僕が生きている間に、文明はどんどん進歩していくが、人の一生というものは、特に進歩はない。


 産まれて、生きて、死ぬ、それだけだ。


「あ……、ひこーき雲だ」


 誰にともなくそう呟く。風にそよぐオヒシバが、そよそよとそれに返事をするように揺らめいた、秋が、近く、その風はとても心地よい。少しだけ夏の香りを含んだ残暑は、どこかへ、過ぎ去ろうとしていた。


 寝転んだ草むらには、秋の植物と、夏の植物が入り混じっている。その、変に青臭いにおいを、僕はずっと、どの人生でも、好き、だったような覚えがある。暇があれば、自然とこうしていたような気がした。


 前世の記憶を覚えているといっても、完全に、ではない。さっきも言ったと思うが、断片的で、ぼやけていて、つかみきれないものなのだ。出会った人の顔など、全くと言っていいほど覚えてはいない。だから、例え前世の記憶が残っていたとしても、言語も再び覚えなおしで、引き継がれているのは、この、考え方と、生きていた、という事実だけなのである。思い出そうとすれば、多少は見えてくるのだが、どうもそれはつかみきれずに、霧のように消えていく。


 ちょうど、空に浮かぶ、ひこーき雲の、様なものだ。


「おーい、拓真ー!」


 快活な声が、頭上から聞こえてくる。僕は空に伸ばした手を下して、声のした方を見た。予想通り、そこには詩音が自転車に乗って、こっちに大きく手を振っている。僕はそれに、軽く手を振りかえす。


「帰ろーよー」


「うん、わかったよ」


 僕は素直にその場で体を起こして、立ち上がる。体に纏わりつく草を払い落として、河原沿いの道に立つ詩音の近くに寄った。詩音は、笑顔でそんな僕の様子を眺めている。何年も続くそんな日常を、僕はどうにも好きだ。だから、僕もその笑顔に笑顔で答えて、歩みを進める。その歩調に合わせた詩音は、自転車を引いて、僕の横に並んだ。


「また、前世がどーのとか、考えてたの?」


「うん、まぁね」


「また、思い出せなかったの?」


「もう、ちょっとで、思い出せる、気がするんだ。いつもと、違うんだよ、ひとつ前の人生の、記憶は」


「ふーん……、進歩、なしなのねー」


「うん」


 詩音は、少し残念そうに空を仰いだ。何が残念なのかはわからないが、特に言及はせずにその横顔を眺めた。普段は、いつもの、人生なら、誰にも前世の記憶を覚えているなんて言う酔狂な話はしないのだが、何故だか、幼馴染として育った詩音に、僕はそのことを打ち明けたのだ。詩音はそれを不審がる様子もなく、興味津々に、僕の話に耳を傾けていたのだ。


 その、中で、僕は一つ前の人生の話をした。


 ――――また、会いましょう、ね――――


 あの、優しく、しわがれた、声の話を。はっきりと覚えている、その、声のことを。いつもは断片的で、はっきりとした記憶のない僕には珍しい、一つの、別れの記憶。


 それを思い出そうと、僕は、いつもこの河原で空を仰いでいる。しかし、空はいつも何も教えることなく、ただただ、僕を見守っていた。それは、今も、昔も、変わらない。


「まぁ、思い出せるといいね。その人のこと。きっと、大事な人だったんでしょうから」


「そう、なのかな」


 死に際に言葉を交わしているのだから、そうなんだとは、思うけど。それ故に、僕は思い出せないことが悔しかった。どうせ忘れられないなら、もっと、はっきりと、覚えていればいいのに。……悔やんでも、仕方のないことなのだが。断片的にでも、覚えていることさえ、奇跡のようなものだから。


「……私も、拓真にとって、大事な人に、なれるかなぁ」


 呟く詩音に、僕は何も答えられなかった。何となく、気恥ずかしいというか。こういうことは、何度人生を過ごしても、慣れないものだ。成長しない自分の魂が、いじらしい。


「……あ、着いたよ? 詩音」


「え? あ、ほんとだいつのまに」


 いつの間にか、僕らは詩音の家の前に着いていた。築数十年の、古民家の様な立ち振る舞いの詩音の家は、田舎であるこの辺の地方でも珍しいほどの、和の雰囲気を放っている。個人的に、僕はその雰囲気が好きだった。どうでもいい、ことだが。


「それじゃあ、ね、詩音。また」


「うん、じゃあ、また、うん」


 何か納得できないものがあるのか、詩音は少し思案顔になり、僕の別れの言葉に応えた。僕はそれを不思議に思い、二人で思案顔となる。横を通り過ぎた自転車の小学生が、不審そうな一瞥をこちらに向けたが、気にすることもなく。


 そして、それから、詩音は再び口を開いた。一言一言、噛みしめるように、一つの文章が完成する。


 それは、優しく僕の体を、包み込む。懐かしい香りを含んだ、言葉。



「また――――また、会いましょう、ね」


 目の前を、電撃が通り過ぎたような感覚に襲われる。断片的な記憶が拾い集められて、いくつかのはっきりとした記憶が、現世を生きる僕に、前世を生きた僕の記憶が、その姿を現す。


 ――――また、会いましょうね――――


 そう、呟いた人の、笑顔が、頭に浮かんだ。ゆっくりと流れる川の流れに全く合わせる様子もなく、急激に頭に雪崩れ込んでくる。今まで、前世の体に置き去りにした記憶まで、まるで録画された映像のように、くっきりと、見つめることができた。


 時代も、場所も、言葉さえも違う記憶達の中に。


 変わらない、一つの、笑顔が、そこにはあった。


「―――――――――――――あぁ」


 なるほど、そういうことか。僕は目を多い、嗤った。今まで忘れていたことが、馬鹿馬鹿しく、恥ずかしく思えてくる。そんな僕の様子を見て、詩音は、優しく微笑んだ。


 魂は、どうやら引き付ける性質でもあるようで、


 僕は、一つの、魂を、どの人生でも、愛した。


 どの記憶にもある、同じ、変わらない、優しい笑顔がその証拠だ。


 そして、


 そして、僕は。


「……また、会えたね」


「やっと、思い出して、くれたね……」


 また、同じ笑顔を、愛している。


「もしかして、詩音も……?」


「うん。でも、私の方が、不器用みたいだね?」


「……そうだね、ずっと前から?」


「もちろん、前の、人生の時にも、ね」


「……ごめん、ずっと、気付なくて」


「うん、いいの」


 そこで詩音は言葉をきった。頬を伝った液体は、残暑からくる汗などではないだろう。それはわかっている。その、液体も、僕は、何度も見てきたはずだ。


「私のことは、忘れてても、いつも、あなたは私に会いに来てくれた」


「……うん」


「約束を、守ってくれたじゃない。今回も、ほら――」


 詩音は僕に手を差し出した。僕は、歩み寄って、その手に触れる。優しい温かみが、指先に伝わる。詩音は、顔を綻ばせて、僕の手をそっと握った。僕も、その手を握り返す。


「こうやって、また、手を、つないでる」


「うん」


「だから、ね」


 詩音は、僕の手を離して、広げて、振った。


 それは、別れのサイン。


 だが、それは、永久の別れなのではない。


 そんなもの、何度も、人生を歩む、人間にとっては、ありえないことなのだ。


 だから、僕も、手を振り返そう。


 始まりの、先には、終わりが、


 その、先には、始まりがある。


 だから、別れの先に、は。


「「じゃあ、またね」」


 再び出会いが、あるはずだ。


 長い、長い長い長い、人生の中の、ほんの、点にも満たない時間が、過ぎていく。


 その中で、不器用な僕たちは、今を生きている。


 だから、僕たちは、これからも、


 不器用に、生きて、いくのだろう。


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