神様のお片付け
「いきなりだけど、俺、神様」
唐突に、神様が僕の前に現れた。
コンビニに行こうとしていただけなのに、まさか神様に逢うなんて。それも、背筋のまっすぐ伸びた二十代前半くらいの、ジーパンにTシャツ、サンダル履きというコンビニに行くかのようなラフな格好をした神様に。
「え?…本当に……えっと…神様なの…ですか?」
見た目もさることながら、神様が目の前にいることが信じられなかった。
戸惑う僕が不審の眼差しを向けていると、神様は不愉快そうに顔をゆがめた。
「神様だよ」
「……すいません、怪しいです」
僕がどうしても信じられないでいると、顔をゆがめた神様がため息を一つ吐き「いいか」と喋りだした。
「ミュージシャンを語る者がいつもギターを背負っているわけじゃない。泥棒は、闇に溶け込むような黒の上下で、いつも頭に唐草模様の風呂敷を被っているやつばかりじゃない。ギターを持たないミュージシャンもいるし、派手なジャケットを羽織った泥棒もいる、ジーパンにTシャツの神様だっているのだよ、青年」
つまり、見た目で判断するな、ということらしい。
だが、たとえ白のローブに立派なひげを生やしたいかにも神様な老人が目の前に現れたとしても、僕は疑うだろう。神様を名乗る人物が目の前に現れたというのは、見た目がどうこうというレベルの問題ではないのだ。
何か証拠を見せてくれ、そう思った時、
「まあ、信じる信じないは自由だけど、信じないとお前を世界から消すよ」
と神様に脅された。
「はい」
根拠のない恐怖を感じた僕は、神様の言う事に従った。
だって、言いようのない不安を感じさせるようなオーラを醸し出す人なのだ。
きっと神様に違いない。
そうだ、僕の前に神様が現れた。
神様は、少し疲れていた。
「実はな、母ちゃんに『少しは片付けしろ!』って怒られてんだ」
「えっ、お母さんいるんですか?」
僕は驚いたが、「当たり前だろ」と神様は、さも当然のように言う。当たり前らしい。
「母ちゃんもいるし親父もいる。少し年の離れた兄貴だっているぜ」
「…みなさん、その……神様なんですか?」
「もちろん。お前ら人間が出自や家族構成がどうあろうが人間で変わりないのと同じで、俺たちは神様だよ。〝八百万の神〟って言うだろ? 神様も、いっぱいいるの」
神様の口ぶりには、何度かしたことのある説明を繰り返すような、手慣れた感があった。
神様の言う事には、神様はいっぱいいて、今僕の目の前にいる神様は、僕の住む町周辺を管轄している神様だということだ。
そんな神様が、母親に片付けをするよう言われたらしく、僕の前に来た。
なんで?
「片付けって言うと荷物整理のように聞こえるかもしれないが、そうじゃないのだよ。生物の管理、つまり生き死にのバランスなんかをとるのも、広い意味では片付けだ。それが出来てないってことで、今朝母ちゃんに怒られてよぉ」
「はぁ……」
「てことでさ、お前必要かな?」
話半分で聞いていたのだが、とても聞き流せないような事を神様が言った。
僕が、必要かどうか?
どういう意味だ?
「ほら、缶コーヒーやペットボトルのお茶なんか買うと、たまにオマケでストラップとかついてくるだろ。ああいうさ、何かのきっかけで手に入ったモノ、別に欲しかったワケでもないモノでも、俺はなんとなくとっておくんだよ。なんか、もったいないってわけじゃないんだけど、捨てるほどじゃないな、みたいな?」
神様にとっては、僕たち人間の存在なんて缶コーヒーのオマケ程度らしい。
引き出しの奥の方にずっとあって、久しぶりに外に出たと思ったら捨てられることとなったオモチャの気持ちを、初めて考えさせられた。
ビックリした後、喜びの感情を抱く間もなく少しだけショックを受ける。
「俺は、在っても無くてもどっちでもいいのだよ。だからさ、ちょうどよく人間は口が利けるだろ。必要かどうか、そのモノに直接確認取れば、俺は処分に悩まないと思ってなぁ」
神様は、片付けの画期的方法を閃いたとでも言いたそうに顔を明るくし、言った。
僕が、この世界に必要かどうか。
その問い掛けに対する答えは、すぐに出た。
引き出しの奥にずっと在ったオモチャがいきなりゴミに捨てられても少ししかショックを受けないのは、なんとなく気付いているからだ。自分の存在価値や、未来を。
まぁ、僕の想像なのだけど。
でも、これは想像じゃなく、僕の気持ちだからはっきり言える。
「要らない」
たとえ神様に「お前は要らないから、世界から消すよ」と言われても、ああやっぱりね、と思うだけだろう。
少しショックだけど、受け入れられる。
缶コーヒーのオマケ程度の存在だっていうのも、今思えば光栄な位だ。
世の中の役立つ人になろう、そう思ったのはずっと昔。すぐに自分はそんな大層な人間じゃないと気付いた。
誰かの為に生きよう、そう思った事もあった。けど、誰かって誰?っていう疑問にぶつかり、疑問が疑問のままとなっている。
自分の為だけに生きよう、思うまでもなく生きている。でも、なんかつまらない。
長距離を走る根気もない僕は、短距離走の様にあっという間に人生が終わらないかな、と最近よく考えるようになっていた。人生長いな、って。
人生がマラソンだとして、何度も歩いたり立ち止まったりしながら2~3割程度進んで来た僕は、すでに正規のゴールを目指す気力を失っていた。そんな僕に、神様は言った。
「走る意味、あるのか?」「この辺でテキトーにゴールすればいいじゃないか」
「生きている意味、あるのか?」
「お前って、必要?」
僕は、答えた。
「要らない」
僕みたいな人間は、世界に必要ない。
だから、神様の質問にもそう答えた。
母親に片付けをするように言われ、人間の処分について悩んでいる神様の負担を少しでも減らせれば、そういう思いも少しあって即答したつもりだった。が、僕があまりにも悩まず答えたせいか、神様は怪訝な表情を浮かべた。
「随分簡単に決めるのだな、青年」
「似たような疑問を、最近は特に、自問することが多かったですから」
考えなしに決めた事ではない、そう主張する。
だが、モノの処分が苦手な神様は、どうやら即決されると納得できないらしい。
「いや、いいのだけどね、俺は」そう前置きすると、「でもさ、時間もあることだし、本当に要らないかどうか少し考えてみないか?青年」と神様は、僕を捨てる事を渋った。
判断の猶予なんて、僕には必要ない。
しかし、神様には必要らしいから、僕は神様の意思に従うことにした。
「じゃあ、お前が要らないかどうか、シミュレーションしてみよう」
「シミュレーション?」
想像なら、今までに何度もした。
誰が悲しむワケでもない。僕が居ない事で不幸になる人なんていない。
僕が居なくなっても、世界には何の影響もない。
そのことを神様に伝えようとしたら、神様は「じゃ、いいか?」と僕に訊いた。
何をするつもりなのか?
「いいな?いくぞ」
僕の返事を待たず、神様は指パッチンした。
すると、重力を忘れたらしい僕の身体が、宙に浮いた。地面に残った影は、宙に浮いた僕に引っ張られるように地面から出て来る。あっというまに、僕がいた場所を、僕の影に乗っ取られた。
「うわっ! こ、これって、どういうことですか?」
ここにきて初めて神様らしい不思議パワーを見せた、宙に浮いている神様に訊いた。
「だから、シミュレーションだよ」慌てふためく僕とは対照的に、神様は平然と言う。「お前が要らないから捨てるといっても、在った事実までが消えるワケじゃない。お前が居なくなった世界にも、ああやってお前の影は残る。ここまではいいか?」
「…はい、なんとか」
「今俺達が見ているのは、俺が作った『お前が消えた世界』という別世界な。今から、この世界で残されたお前の影を見て、お前が本当に要らぬ長物か判断する。ちなみに、あの影は、見る事は出来るが存在してないから、そこのところよろしく」
どうよろしくされればいいのだ?
良く分からないまま、僕は、存在していない僕の影を追って『僕が居なくなった世界』のシミュレーション映像を見る事となった。
僕の影が、僕のような日常を送る。
僕と神様は、特に食い入る事も無く、それを見ている。
僕の影が、コンビニに行って週刊誌の立ち読みをする。
「お前が居なければ、あの本の購入者は、より状態の良い本を買えたワケだ」
「そう、ですね」
一通り読み終わると、おにぎりとホットスナックを買う。
「お前がツナおにぎりの最後の一個を買ったから、後でおにぎりが欲しいと思ってきたヤツはがっかりするだろうな」
「でも、他のは残っていますよ」
コンビニを出ると、買ったおにぎりとホットスナックを食べる為、公園のベンチに座る。
「お前がいるから、あそこにいるカップルはいちゃつく場所を一つ失ったのだな」
「それは、別にどうでもいい…」
食事を終えた僕は、街を歩く。
「人が多いな。まぁ、俺のせいでもあるのだが」
「その鬱陶しい人の群れを形作る一人なのですよね、僕も」
自分の存在が邪魔な事は分かったが、特にやる事もなかったので、自宅へ帰る。
しかし、僕の影が帰る場所は、そこにはなかった。
「そりゃあそうだろ。簡単にいえば、この世界では最近死んだのだからな、青年は」
僕の家の前には、僕が死んだ事を知らせる花輪が飾ってあった。
僕は空から、僕の影は地上で、同じものを見て立ちつくす。
影の方に口があるのか分からないが、僕は、何も言えない。何も言葉が出ない。
僕の家の前には、最近では疎遠となっている友人たちがいた。僕が居なくなっても「え、本当に?」「あ、あいつ死んだんだ」「マジか…それより、何か食わね?」程度の薄い関心しか示さないだろうと思っていた友人たちは、悲しんでいた。世間的に早過ぎる死を驚いているだけではなさそうだ。みんな、僕の影を見つけると、声を出して泣いていた。
みんなが、悲しんでいる。
僕と僕の影は、戸惑った。
どうしようかとたじろいでいた僕の影は、意を決して家の中に入った。僕と神様も、その後を追う。
家の中には、両親がいた。僕が死んだことで迷惑かけただろうな、すぐにそう申し訳なく思ってしまう位、両親はやつれていた。そして、家の中に入ってきた僕の影を見つけると、両親は、涙を流しながら「なんで?」と憤慨していた。
「一応言っておくが、アレは深い悲しみからだぞ」
「えっ?」
「迷惑とか不満を思っているワケじゃない。お前が死んでしまい、心底悲しいから泣いているのだよ、心底悔しいから怒っているのだよ、青年」
神様の言葉が、胸にズキズキ刺さった。
僕と僕の影がこの状況に耐え切れなくなるのは同時で、一緒にこの場から逃げ出した。
居場所を失くした僕の影を見下ろしながら、僕と神様は話す。
「これが、お前の居なくなった世界のシミュレーションだ。どうだ?」
「……正直、予想外な事があって、驚いてます…」
力無く話す僕に、まともな会話をする事を望むのは難しいと察したのだろう、神様は、正面を見据えたまま口を開いた。
「分かっていると思うが、お前の存在なんてちっぽけだから、世の中に及ぼす影響なんてほとんどないのだよ。死んだからといって世界が悲しむワケでもないし、誰かが喜び笑うなんて事もない。というか、世界って規模で見たら、絶対に必要な人間なんてほとんどいない。1%を遥かに下回る。けど、絶対に要らない人間っていうのもまた、ほとんどいないワケだ。矛盾しているようで難しいと思うが、そうなのだよ、青年」
「……はい」
「お前は、自分を要らない人間だと言ったが、その要らぬ存在の為に泣いてくれる人が随分といたな。自分では要らないと思っていても、誰かにとっては必要だということもある。そういうモノが集まっての世界だから、世界には要らないようで必要なモノばかりだ。そりゃあ、モノが溜まり過ぎだと神様も怒られる」
自虐ネタを言うと、神様は微笑した。
僕も、少しだけ笑った。
神様が指パッチンすると、元の世界に戻っていた。
僕の影も、ちゃんと元の位置に、僕の足元にある。
「それじゃあ青年、もう一度訊くぞ。お前は必要か?」
神様は、僕の目を見て訊いた。
僕は、答える。
「はい、たぶん」
「たぶんかよ…」
神様は、苦笑した。
「すいません」
「いや、とりあえずいいだろう。母ちゃんには、『要らないモノは捨てろ』と言われていたから、要るかもしれないと分かった以上、どやされることもあるまい」
そう言うと、片付けが苦手な神様は満足そうな笑みを浮かべて僕の前からいなくなった。
神様が帰ったかもしれない空を見上げながら、僕は思う。
生きていると、生きるってことに理由が欲しくなる。
夢や目標なんてない僕は、特に。
理由が見出せなくなると、ただ漫然と生きている事が嫌になって、死にたくなる。
だから、本当に譲れない理由が見つかるまで、とりあえずの理由を付けることにした。
「誰かの為に生きよう」
誰かは、誰かのままでいい。こんな僕でも必要としてくれる人が世界の何処かに居るかもしれないから、その人が見つかるまでは疑問のままでいいことにする。
いつかきっと、もしかしたら部屋の片付けをしていたら思いがけずかつての探しモノがひょっこりと出てくるように、夢や目標とか、何か生きていたい理由を見付けられるかもしれない。今は要らないかもしれないからと、早々に捨てるのはもったいない。
片付けが苦手な神様が、そう教えてくれた気がする。