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当方、角ありの嫁御を求む  作者: 灰鉄蝸
1章:運命の歯車
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5話「角ある竜」後編





 才能と天運が、人に禍福を与えるというならば。



 生まれ持った才覚に生き方を食い潰される超常種もまた、人間の姿なのだと信じていたかった。

 信じた同胞が、その手で為した悪を見るまではそうだった。一つの街を死体で埋め尽くした末、いつの間にか忘れ去った夢を思う。


 その願いが、苦い悔恨にしか繋がらなかったのだとしても。


 そして今、おのれの躰は疾駆している。一度、脳細胞を派手に焼き尽くされたおかげか、思考は限りなく明瞭。澄み切った碧空へきくうの下、もうもうと黒煙を上げる施設があった。

 ひょいっ、と。

 その壁に開いた大穴を乗り越え、一人の青年が躍り出た。

 北関東の一角に作られた巨大な近代的建築物――ひたすら無骨なビルこそ、超人犯罪即応部隊の拠点である。

 瓦礫の山に埋もれた一階ロビーの外は、正面ゲートへ続く道。爆風でねじ曲がった自動車の残骸が、もうもうと黒い煙を上げている。

 電気自動車だったことだけが幸いだろう。

 燃料を積んだ車両なら、今頃、ここは火の海だ。

 並みの建造物より、はるかに強固なはずの基地施設を半壊させた爆撃は、その破壊力の大半を中央施設に集中させている。

 そのせいか、見た目ほど舗装道路は痛んでいなかった。この分なら、ここからは見えない滑走路側も無事かもしれない。


「無様だな」


 丸眼鏡を装着した、胡散臭い表情の男。

 その手には大振りのナイフ――見た目に反して超振動切断デバイスだ――が一振り。

 まったくを以て時代錯誤の光景と言えよう。西暦二一三四年のご時世、真っ当とは言い難い武装。

 しかしそれも宜なるかな、既に当世は人の世にあらず。その象徴、日本列島から南方へ伸びた特大のアーチ状構造体を見上げる。

 〈異形体〉。

 二一世紀にすべてをねじ曲げた来訪者。地球人類とは最早、地球上唯一の知的生命体ではない。

 むしろ、何者かに飼われる家畜の総称だ。塚原ヒフミは、それはそれは楽しそうに口の端をつり上げた。


「さっきから一発も当たってないぞ」


 余裕ぶった軽口に答えるのは、彼に片翼を断たれた敵。

 ヒフミの計算通り、激昂した目標は角の生えた少女のことを忘れ、まんまと陽動に引っかかっていた。

 怪物めいた影、大翼を持った亜人――アニラの放った飛翔体がこちらの三メートル脇に着弾。炸裂はしない。先ほどから続く不発に襲撃者は苛立ちを溜め込んでいた。


「おのれ」


 ならば周囲一体を焼き尽くすのみ。アニラの脳が知覚するのは、自らの体細胞より溢れ出る無尽蔵のエネルギーだ。

 結晶細胞は地球上の物理法則を歪曲し、おのれを活かす自我の望むままに振る舞う。

 ダイヤモンドより硬く金属のように粘り、砲撃に耐えうる性質を生み出した数秒後、空力的に適した翼と推力を生み出す。

 まさしく万能、神のごとき躰。兵器として及ばぬものはあれど、これ以上なき至上の肉体である。

 おのが翼を毛羽立った構造体へ変換、出来上がったのは粒子ビームの砲口。


「貴様が不死身ならば、小生が殺し直してくれよう! 心が折れるまでなぁ!」


 ちりちり目を焼くような光が、日中にもかかわらずわかった。荷電粒子の奔流ほんりゅうが渦巻いている。

 直撃と同時に、主力戦車の装甲であろうと沸騰し、蕩けた金属塊と化すは必定。

 だが、それは正しく射出された場合の効果だ。

 ヒフミの持つ〈結線〉は、人体という人体を掌握し、指先一本まで征服する異形異能であり、それはヒフミへ向けられた亜人の力も例外ではない。

 仕掛けた瞬間、精密な制御を求められる荷電粒子の加速器が、帯びたエネルギーを暴発させた。

 戦車を煮溶かすほどのエネルギーが襲いかかるのは、射手本人だ。

 粒子加速器として機能していた翼が吹き飛んだ。

 吹き付ける荷電粒子の洗礼を前には、さしもの超人の躰も耐えきれなかった。

 灼熱。

 激痛。

 アニラの強靱な皮膚と肉が焦げ、体液が蒸発した。

 使い物にならない体表を切り離し、肉体の再構築をコマンド。


「ぬっ、ぐうう!」


 唸り声を上げるアニラの前方、一五メートル。

 素早く刀身を鞘に収め、塚原ヒフミは自動拳銃を構えた。

 いつの間にか拾っていたらしいそれは本来、人間相手にすら火力不足の否めない銃器である。自動小銃ライフル擲弾発射機グレネードランチャーの類に比べて、銃弾そのものの威力は頭打ちにあるのが二一三四年現在の拳銃であり、

 あの文明崩壊からの復興以降、大きく進歩した防御装備を撃ち抜くには心許ないのだ。

 そう、人体を介さない装備であれば。

 しかし第一世代亜人の防御力とは、つまるところ万能の肉体に由来する代物だ。

 彼らの躰は周囲の物理法則をねじ曲げ、人体と同じ機能を果たすこともあれば、戦車のような装甲と火砲の塊にも、航空機のごとく空を舞う翼にもなれる。

 本質的に彼らは『兵器と拮抗する超人』ではなく、人間に似た姿形をした多機能デバイスなのだ。


「何でも出来る肉体は強度も自由自在だ――特に低くするのはね」


 いわんや、銃弾の運動エネルギーに耐えられないほどもろくも出来よう。

 自動拳銃のスライドが何度も後退し、連続した銃声が響いた。

 射出された四発の銃弾は白亜の肌を穿ち、その深奥に潜む副脳――人間から抉り出した脳組織を粉砕、強度の低下したアニラの躰をずたずたに食い荒らした。

 体内に埋め込んだ四つの副脳のうち、三つをものの数秒で喪失。

 両脇腹と右肩の付け根の脳組織が弾け飛び、肉体の制御系を失ったアニラは獣のような呻き声を上げた。

 コンクリート製の壁に躰を預け、ゴボゴボと血の泡を吐き出す。

 巨大な翼は片翼を切り裂かれ、もう一方も荷電粒子に貫かれて穴だらけの有様だ。第一世代でなければ、当の昔に死んでいてもおかしくない。


「投降してくれれば命までは取りません。UHMAじゃ、例外的対応ですよ?」


 ヒフミの独断であった。

 連絡しようにも、先ほどから情報端末は沈黙している。

 粒子ビームの射出時には、強力な電磁波が撒き散らされるため、極限環境を想定したハイエンドモデルには電磁波の遮断機能があった。

 UHMAが採用している軍用端末もその例にもれず、核兵器を想定した対EMP用のセーフモード――内部回路を疑似生体に変換――に移行している。

 電磁パルス対策の施された端末だけに、粒子ビームの余波程度で壊れてはいないはずだ。

 とはいえ不便なことに変わりはない。


「何故、小生を……生かしておく」


 何とか口だけは回るらしく、白亜の亜人が、そののっぺりした装甲越しに問うてくる。

 〈結線〉で敵本来の脳へ侵入、一切の肉体動作を封じている最中のことだった。

 無論、拷問にかけるためであり、残した副脳共々、保険のつもりでもあった。


「何でもいいんですが、蘇るからって死んでもいいわけじゃないんですよ。人の命は地球より重い、だなんて発言が二〇世紀にあったらしいけど、その理屈で言うと僕の命の価値は余裕で木星に届くわけで。一応、建前としては日本国籍の人権溢れる僕としては、ほどほどの重さにしておきたい」


 やはり血液が沸騰ふっとうし、眼球が爆ぜ、脳細胞が焼けただれていくのは健康によくない。

 特に冷静さを失ってしまうのは考え物だな、とズレた思考のまま、戦闘能力を奪った敵を見下ろす。


「思ったより死体も怪我人もありませんからね。あなたの襲撃、最初から織り込み済みだったようですね。実に、気に食わない」


 この判断は、超人犯罪即応部隊の独断だろう。

 彼らは亜人であるイオナを仲介に頼る一方で、自らの掴んだ情報をさらけ出すリスクを切り捨てた。

 結果、顔面を荷電粒子で焼き尽くされた身としてはいい迷惑だが。

 そのあたりの事情を察したのか、アニラは嘲り混じりの失笑をもらした。


「……くっ、くく。救えんなぁ……小生を相手にする脇で内輪もめか」

「当然でしょうね。人間が信頼するのは人間だけ。ヒューマニズムの外にある僕たちは、文明社会に受け入れられやしない」


 今から約一〇〇年前、人類という種億にとって致命的な事態が起きた。

 崩壊していく文明の中、そのすべてを自給する新種が自然発生したのである。潜在的かつ対処のしようがないリスクが、新生児すべてに降りかかった。

 何の前兆もない新種の発生は、交易路が途切れ、インフラの破綻と飢餓の蔓延に悩まされるホモ・サピエンスにとって致命的だった。

 その存在がもたらす惨劇が嫌と言うほど周知された時代に生まれた以上、塚原ヒフミは冷め切っている。


「この世界を回すには犠牲が必要だと、僕に講釈垂れた男もいますが。やっぱり人間が無理をすることはない――こういう汚い部分は全部、異種が貰い受ければいい」


 不意に、ヒフミの言葉から熱が失せた。

 淡々とした語り口と裏腹に、どす黒い欲が垣間見える声。がらりと調子を変えた青年を、怪訝な目で見やるアニラ。


「何をいっている?」

「人類連合は所詮、人間の作る文明社会の管理がしたいんだろうなって話だよ。身をもって不都合を味わうと、頷きたくもなりますがね」


何だそれは、とアニラが呻いた。


「貴様らのご大層な理想はどうした」

「誰も自分が善玉だなんて宣言してませんよ。共存も共栄も、別に正義なんかじゃない」

「では……小生と何が違う、飼い犬め!」


 血を吐くような叫びは、アニラの感じた恐怖の表れだ。ある意味、神話主義者は純粋すぎた亜人種の行き着く姿である。

 歴史上、多くの革命がそうであったように、理想ゆえに現実へ苛烈なアプローチを押しつける夢想家の集まり。

 結果、引き起こされる惨劇がどうであれ、彼らの心根はあまりに無邪気なのだ。行為の残酷さと相反する、異常に肥大化した使命感の化け物。

 それが悲鳴をあげている。

 粘ついた、悪意の沼に踏み込んでしまったことを悟って。


「億単位で虐殺はしませんし、子供たちの健やかな誕生を祈ってるところ、とか。ああ勿論、健やかと言うのは超人災害を起こさないってことです」


 薄々、ヒフミも勘づいてはいたのだ。

 〈異形体〉の目的はどう贔屓目に見積もっても、人類の管理しかありえない。

 ましてその居住空間に用いられるテクノロジー、都市設計のあり方を鑑みれば、想定される敵が何であるのかは明白だ。

 わかっていながら目を逸らし、眼前の敵を討ち払うことだけに注力してきた惰弱さが、たまたま露呈しただけ。


「〈異形体〉や亜人種だけなら、侵略者として戦い、地球から追い出すメリットもあった。でも人類の子供たちは、必ず超常種が混じる。安っぽいヒューマニズムの想定しない形で、地球人類は危機を孕んでしまった。〈異形体〉への依存なしに文明社会は存続できません」


 それは資本主義のシステムを揺るがしかねない、無限の生産力の恩恵にどっぷり浸かり続ける契約だ。

 地球人資本の弱体化は、二一世紀半ばから今世紀にかけて加速度的に進行している。

 おそらくこのまま人類連合の躍進と、地球人資本及び国家群の瓦解が進めば人間の手には何も残らない。それでも、大多数の人々の文明生活に差し障りはないのだ。


「貴様らは狂っている……! 一体、何を以て我々との違いを示すのだ!」


 アニラの叫びから、既に理性的な色は消え失せている。

 半ば会話を打ち切るようにヒフミは笑った。

 ほとんど動作だけが染みついた、表情筋の動きだけで顔を制御する。

 楽しくも苦々しくもなかった。ひどく作業的な行為であった。


「〈異形体〉が特定の民族や文化に好意を示すことがありえるのか、僕にはわからない。けれど、日本列島が今日まで文明を維持できた要因ならわかってるさ。一〇〇年もの時間をかけた、共存の実験場。人類と超常種の管理体制……文明の解体ではなく、不可逆の変質こそ人類連合の目的だ」


 穏健派〈異形体〉が滅多に第一世代を生み出さなくなった今、その存在は文明社会によって管理可能な数と質を保っている。

 だが、ホモ・サピエンスのつがいから生まれる超常種は違う。

 ホモ・ペルフェクトゥス――ヒフミの属する種族は、その生存に社会を必要としないからだ。

 環境を改竄かいざんし続け、飢餓も疾病も負傷も超克した躰は、そこに宿る精神を最適化させ、人間性すら切り捨ててしまう。

 そして塚原ヒフミは、身勝手な道を選んだ同胞が大嫌いだった。


「まったく、ろくでもない世の中ですよ」


 独りごちて。






 

 左腕の肘から下が根こそぎ吹き飛んだ。







 銃声がした。





 完全な不意打ちだった。

 後方で発砲音。複数のライフル弾がほぼ同時に着弾し、思う存分、運動エネルギーを破壊に転化した結果だ。

 粉砕された肉片と骨片が、傷口の反対側からぶちまけられる。血管も神経もズタズタに引き裂かれ、痛みを伝えるより先に挽肉同然の有様。

 ヒフミはその一部始終を、ひどく緩慢な知覚の中で捉えていた。ほぼ同時に、人体掌握の力〈結線〉を行使する。

 痛みが神経系を駆け抜けるより早く、自身の脳機能を掌握。

 痛覚のすべてを傷の感知に留めて、悲鳴を噛み潰す。


 続く掃射に背中を撃たれ、右の肺臓を破壊される。

 〈結線〉で肉体を制御、神経系を通さずに身体を動かした。

 ほとんど飛ぶような動きだ。人間離れした跳躍で、アニラの真横へ着地。


 有無を言わせず、先ほど掌握したばかりの副脳を操った。

 保険として残しておいた最後の一個だ。自分の指を動かすのと同じ速さだった。

 みしっ、と猛翼人の翼が軋みを上げる。

 ずたずたになったアニラの翼が、最低限の再生を終えて稼働したのだ。元々、結晶細胞で出来た汎用デバイスと言うべき異形の身体器官である。

 飛翔時に用いる斥力場の発生プロセスを転用、即席ながら目に映らない防御陣地の作成を行う。


「小生を、口封じかぁ――おのれ!」


 声帯の活動を抑え、やかましい声を強制的に黙らせた。

 既に、この第一世代の身体機能はヒフミの制御下にある。

 防御の効果は絶大だった。

 陸上で溺れかける、息も絶え絶えのヒフミが、遡航再生によって回復した頃には三〇〇発以上の弾頭を防いでいた。

 二人の手前、五メートルほどで防がれた弾幕が、ポロポロと地面へ落下している。

 少なく見積もっても二〇丁以上ある、分隊支援火器の集中砲火だ。とても歩兵の携行できる装備で防ぎ切れれる火力ではなかったが、強力な第一世代がいるなら話は別だ。

 ヒフミの〈結線〉で自爆させたとはいえ、アニラ本来の力は強大だ。

 半死半生の今でさえ、便利極まりない。


 ヒフミを襲っているのは、三ダースはあろうかという陸戦無人機――ラプトルの機銃掃射だった。機械仕掛けの恐竜どもが、そこかしこの物陰に潜み、さそりめいた尻尾の先端だけをこちらへ向けているのだ。

 超人犯罪即応部隊の装備が、よりによって自分を狙うとは。よもや部隊の総意と言うこともないだろう、とヒフミは思う。

 部隊全体で対処するなら、ここまで小規模の包囲網にはならない。


「やっぱり内通者か」


 つまり、最初から裏切り者が潜伏していたのだ。

 導由峻しるべ・ゆしゅんは、人類連合の管理区域に移送される途中で襲撃された。

 しかし実際のところ、イオナが動いた時期はかなりぎりぎりだったと考えるべきだ。

 この分では、遠からず敵の浸透を受けた勢力によって拉致されたはずだし、一連の襲撃そのものは、敵にとっては計画の前倒しであって、新たに組み上げた策謀ではなかったのだろう。

 アニラに張らせた斥力障壁バリアに、爆発物が着弾した。

 爆風も金属片も防いだからいいものの、状況は悪化していた。


 無人機の重火器のセーフティまで許可されたのだ。

 通常、市街地での運用を前提とする歩兵代替型の機体は、擲弾発射機グレネードランチャーや対戦車ロケット、携帯ミサイル等の使用に、発砲許可とは別のセーフティがかけられている。

 最前線国ならいざ知らず、破壊されてもいないインフラを壊されて嬉しい公共機関はないからだ。

 その枷が解かれている。はっきり言って最悪だった。


「どうしたもんですかね」


 正直、手詰まりである。

 UHMAの車両に積んできた機材があれば、また違ったのだが、手元にないものはどうしようもないのが現実。

 あとは精々、UHMAの後詰めが到着するまで同時間を稼ぐかだけが問題だった。

 ならば、とヒフミは軽口を叩く。

 殺意と武力を突きつけられる危地にあってなお、超常種の男は空気を読まない。


「参ったな。帰属意識とか、そういうのはよくわからないんですけど、良心ぐらいは期待してたのに」


〈結線〉の対象にすべく探知した、この場でただ一人の『人間』へ目を向ける。

 重厚な装甲に覆われた、身長三メートル近い鎧武者。

 戦闘用エクゾスケルトン――超常犯罪即応部隊の誇る無敵の鎧が、ラプトルによる包囲網の真後ろに陣取っていた。

 肉眼で視認できる距離だ。

 既にヒフミの異能の正体は割れているらしい――その欠点も。


『あの亜人女は危険だ――官僚どもに判断を仰ぐ隊長殿にはご理解いただけなかったが』


 声に聞き覚えがあった。

 ヒフミと由峻を連行していた、あの年かさの隊員のものだ。

 やはり離反者。ここまで性急な動きは、進藤隊長としても想定外と見るべきか。


「そりゃ、野蛮ですね。帰る場所をなくす価値がありましたか」


 治安部隊にまで浸透した人間の悪意。

 機械仕掛けの鎧武者が、異種を狩り殺すための武器を構えた。人間を主体とする文明社会は、自らを存続させようとする異種へ好意的な反面、裏切り者にはその種族にかかわらず苛烈な弾圧を行う。

 ましてや治安を預かる組織の離反者など、到底まともな末路を迎えないはずだ。


『さあな。化け物どもの気紛れに未来を預けるのが、正しい選択だとは思えなかっただけだ』


 意外なほど、憎しみや怒りと縁遠い声だった。

 その静けさに、かえって相容れない断絶を感じた。

 そもそも、如何にホモ・ペルフェクトゥスなどと名付けたところで、所詮、誕生して僅か一世紀ほどの新種だ。

 在来種である人間にとって、その存在は脅威以外の何者でもない。いわば、人間主体の社会を信じられず、UHMAの走狗を務めるヒフミの裏返しのようなものだ。

 異種と共にある社会を信じられない人間こそ、目の前の外骨格を操る『裏切り者』だった。

 不意に、エクゾスケルトンが拡声器の音量を上げた。

 誰かに聞かせるための声。


『お喋りでもしていれば、あのお嬢ちゃんが出て来てくれるかと思ったんだが……意外と賢い』


 そううそぶいた後、エクゾスケルトンは背部のハードポイントから武器を取り外した。

 独特の砲身形状に見覚えがあった。

 怖気が走る。ラプトルの機銃掃射などより、はるかに剣呑な代物だ。

 その全容を認識した瞬間、ヒフミは全力でアニラの真横へ跳んだ。みっともないのを承知で、地を這うようにして逃げる。

 構えられた長大な砲身――携帯型電磁投射砲。外骨格との対比で『マスケット』とも称される携帯型レールガンだ。


 目を焼くような熱と光。


 真っ白な視界の中、轟音を感じたかと思えば、激痛と共に何も聞こえなくなった。

 鼓膜が破れた。

 半ばもんどり打つように地面へ叩きつけられ、のろのろと目蓋を開く。

 過剰な光量の名残に涙腺が刺激され、止めどなく涙が流れる。

 火傷した自身の指が見えた。

 掌全体が火ぶくれし、燃えるような痛みが四肢の末端を覆っている。この分では、顔の皮膚もひどい有様だろう。

 周囲へ目を向けた。

 重要参考人になるはずだった男は、まともな死骸も残らず爆発四散。

 半ばプラズマ化した弾頭の直撃だ。

 極超音速に達する砲弾の帯びた運動エネルギーの前には、半死半生の第一世代など吹けば飛ぶような代物だ。

 どこか水晶じみた肉片、きらきらと光り輝く臓器をまき散らし、白亜の亜人――アニラは躰を預けていたコンクリートの壁面ごと吹き飛んでいた。


 爆風で火傷を負った皮膚の再生に一秒。

 鼓膜の修復、三半規管の正常化に二秒。

 よろよろと立ち上がるのに〇・五秒。


 その四秒にも満たない時間が致命的だった。

 外骨格で運用出来るほど小型化されたレールガンは、元を辿れば異種起源テクノロジーの産物である。

 必要な電力の供給や磁界の制御、冷却問題を解決したのは、亜人種の肉体の分析でもたらされた数々のブレイクスルーなのだ。

 薄く目蓋を開けば、この短時間で次弾装填を済ませた電磁投射砲がヒフミへ狙いを定めていた。


『用済みだ』


 使命感も強い感情もない、夜の湖面のごとき静けさの声。

 青空の上でさんさんと照り輝く太陽と不釣り合いな口径であった。ひぐまめいた体躯の鎧武者が、満身創痍まんしんそういの若者へ銃口を向ける。

 距離にして約一〇メートル弱。

 如何にヒフミが超常種とはいえ、過剰な肉体機能の増強が出来ない以上、ほぼ死地と言っていい間合いであった。

 適当な物陰へかけようとしたヒフミの両脚を、ラプトルの機銃掃射が撃ち抜いた。

 再びアスファルトへ倒れ込む。

 〈結線〉を使う暇もない。

 ましてや、人体の範疇に入らない無人兵器はどうしようもなかった。


『肉体の再生中はその面倒な超常能力は使えない、らしいな』


 また語りかけるような声。

 確実に、導由峻をおびき寄せようとしている。その慢心を狙って〈結線〉を仕掛けた。

 対象の脳への同期を開始した瞬間、脳組織に根を張った異物がこちらの掌握に抵抗。

 敵は、肉体の制御を脳で行っていない。軍用の戦闘アルゴリズムが、脳に埋め込まれたチップを通して、生身の躰を操っている。

 インプラント。気付いたときには、エクゾスケルトンの反撃が始まっていた。


『面倒だ、脳を潰してからにしよう』


 火砲を再度、背部へマウントし、戦闘用エクゾスケルトンの脚部が人型から逸脱する。

 折り畳まれていた第二の膝間接が開き、肉食恐竜のごとき獰猛どうもうさを感じさせる獣脚へと変形。

 瓦礫の降り重なった都市部、あるいは山岳地帯を時速八〇キロ以上の速度で踏破する機構。

 〈異形体〉を盟主とする勢力圏――人類連合に組み込まれた極東特有の、畸形的進化の極みにあるテクノロジーの結晶だ。

 人類連合と距離を置く北米や、思想弾圧とサイバネティクスまっ盛りの欧州がそうであるように、各々が頼みとする技術そのものが、この一二〇年の歴史を表していた。


 動物を模倣した間接構造は、整備性や強度の面において装置に劣る。

 装甲や火砲を支え、段差を超えるなら無限軌道キャタピラがあるように、生物の身体構造は単純なスケールアップだけで兵器転用できるものではない。

 ゆえに外骨格は人の居住圏で最大の威力を発揮する。

 あくまで人間大。

 装甲車の速さで地表を駆け抜ける、歩兵の限界を超えた歩兵。

 それが戦闘用エクゾスケルトンだ。

 馬鹿げた太さの親指が、硬質の床を踏み締め、蹴った。

 恐るべき突撃。一トン近い装甲と人工筋肉の塊が突っ込んでくる。


 両脚を破壊されたヒフミに、突進を避ける術はない。咄嗟とっさの判断であった。

 〈結線〉の行使を放棄して、両脚の粉砕された骨格、筋肉の修復を最優先する。

 造血と肉が盛り上がる感覚――神経系からの訴えを無視し、痛みを麻痺させた。

 衝撃。

 地上最大の哺乳類に殴られたようなものだった。

 自身が蹴り飛ばされたのだと気付いたときには、内臓のいくつかが爆ぜている。

 しかし肉体の駆動には問題ない。自身の肉体を操り人形の如く制御して、無理やり受け身を取った。


 顔を上げる。

 エクゾスケルトンは既にこちらへ再度の突進をしている。

 こちらの〈結線〉を警戒してか、ヒフミの肉体をすり潰した後に重火器を使う腹積もりのようだ。

 あれだけの質量にしてはありえない、迅速な制動であった。

 デタラメな旋回の速さは、おそらく慣性制御の類。

 結晶細胞は確固たる自我によって励起され、その異常性を最大限に発揮し、外骨格を駆動させる人工筋肉は結晶細胞の軍事利用が生んだ代物である。

 無人化による負担の軽減が、世界的な兵器開発の主流だとすれば、戦闘用外骨格はその真逆へ突き進んだ成果物。

 それは人間を兵器システムの一部として見直させる、おぞましい発明であった。


 敵は肉体の制御を戦闘用アルゴリズムへ引き渡した上で、操縦者自身の覚醒した自我を以て、エクゾスケルトンの性能を限界まで高めているのだ。

 まず、正気とは思えない判断だった。

 自身の肉体が、有機物で出来たロボットへ変わる感覚を味わいながら、人間として兵器と合一するなど。

 だが、その歪な肉体制御に付けいる隙がある。臓器の修復も待たず、あふれ出した胃液に腹腔ふっこうを焼き尽くされる最中の決断。

 この程度の損傷は問題外、四肢が原形を留めているなら戦える。

 彼我の距離が四メートルを切った。


 打撃が来る。


 膝の力を抜き、体重移動を兼ねて身を沈める。

 思わぬ姿勢変化に、ヒフミの頭骨を叩き割るはずの一撃は空を切った。

 同時にヒフミの右手は、左腰の柄を掴んでいる。やや反りの入った分厚い刀身が、なめらかに抜刀される。

 〈異形体〉が解析と加工を担当した振動刀。古刀の構造を再現した刀身は、地球人類の創り出した武器でありながら、異種起源テクノロジーの産物でもある。

 外殻の切断は難しくとも、人工筋肉ならば刃を通せる。

 狙うのはエクゾスケルトンの膝関節だ。

 まず、人間の筋力では外骨格の間接を破壊するなど不可能。されど、突貫の勢いを要撃側が利用できない道理もないのだ。

 塚原ヒフミの身体制御技術は、人体掌握の異能〈結線〉によって最適化されている。


 それは、人体というハードウェアを限界まで酷使した一刀。


 柔も剛も取り入れた、人工筋肉とフレームの織りなす間接へ刃を走らせる。轢殺れきさつされんばかりの間合い、刹那の好機に振るわれた絶技。

 少しでも角度を違えれば、刀身がへし折れるような横薙ぎの太刀筋だった。

 ぶつん、と太い筋が断ち切られる手応え。

 ヒフミは身を捻りながら刀身を引き抜き、真横を通過する外骨格の質量を受け流した。


 直後、耳をつく轟音をあげてエクゾスケルトンは地面へ激突。精緻せいちな姿勢制御が崩れた今、化け物じみた馬力は発揮できまい。

 もっともその代償は、ヒフミにも重くのし掛かっていた。


「がふっ」


 何せ、内臓が破裂したまま無茶な技を使ったのだ。再生が追いつかず、膝をついてうずくまる。

 開けた道路の上で膝をつき、ごぽごぽと血反吐をぶちまけた。人間ならば意識を失ってそのまま死亡するところだが、

 片っ端から再生されていくためにそれも叶わない。


 陸上で溺れていく魚の気分。


 がちゃり、と硬質な音がした。上半身の筋力だけで起き上がったエクゾスケルトンが、電磁投射砲マスケットを構えていた。

 銃口の先には自分自身。

 〈結線〉の行使が間に合うかどうか。

 インプラントされたチップは、無機物である分、アニラの副脳よりはるかに難易度が高い掌握対象だ。

 自身にかかっている異形体からの制限を解除すれば侵食汚染も容易いが、今から申請するのでは間に合うまい。

 跡形もなく吹き飛ばされても、塚原ヒフミ自身は復活できるが、今回ばかりは死ぬわけにはいかない。

 復活までの間、完全に無防備になったあの娘は殺されるからだ。


「まだ……だ」


 しかしエクゾスケルトンの操縦者は冷静だ。この時点では、イオナや即応部隊の横槍もありえない。

 鬼気迫る形相のヒフミに気圧されもせず、奇跡は起こらず、レールガンの引き金が静かに引き絞られる。

 祈れど、願えど、決して天の救いは差し伸べられない。

 ゆえに。



――射線上に割り込む誰かがいた。



 雄々しい二本の山羊角が瞳に映る。

 視界に入るまで察せぬほど、人間の限界を超えた跳躍だった。

 ヒフミより少し背が低い身長と、その黒髪に見覚えがあった。一〇年以上も前、他者の献身をはね除けた少女の姿と重なる、ちっぽけな後ろ姿。


 導由峻。

 角ある亜人種の娘が、最悪の機会にやってきたのだ。

 逃げろ、とヒフミは叫ぶ。

 上辺の軽薄さも、内心の諦観もかなぐり捨てた懇願だった。

 青年の心からの声をどう取ったものか、妙齢の娘は口の端をそっとつり上げて。



――幽かに笑っている。



 果たして、何が起きたのか理解できた人間がその場にいたものか。

 結論から言おう。

 電磁投射砲の放った砲撃は、何一つ破壊できなかった。

 突然、砲弾そのものが運動エネルギーを失い、ぴたりと宙で静止した後、呆気なく地面へ転がった。

 大気との摩擦で赤熱していた砲弾は冷え切っていて、アスファルトに接触した途端、ガラスの器のように粉々に砕けてしまった。


 ラプトルの放った攻撃も無意味だった。


 擲弾発射機の放ったグレネードはことごとく不発に終わり、地面へ落下。

 そのことごとくが、壊れ物の器よろしく砕けていく。製造時とは似ても似つかない、出来損ないの陶器のような材質へと変質したのだ。

 超物理現象の洗礼を経た物質は、最早、接触前と同じではいられない。それは既に『向こう側』の法則に組み込まれ、不可逆の変貌を遂げている。

 運動エネルギーや熱エネルギーはおろか、化学反応のすべてを掻き消す不可視の領域。

 埃まみれのスーツから背中まで伸びた長髪まで、黒色に満ちた容姿の中、抜けるような白皙が微笑む。


「停滞フィールドの盾、とでも名付けましょうか。一二〇年前、初めて〈異形体〉が振るった力、人間の悪意の一つで打ち破れるとでも?」


 ヒフミは自分の耳を疑った。停滞フィールドとは本来、〈異形体〉の環境改変能力に便宜上つけられた名称である。

 その効果は、あらゆるエネルギーの否定。

 熱核兵器の無力化を成し遂げた超物理現象は、〈異形体〉の有益な側面が知られる現代においてなお、畏怖と絶望の象徴だ。

 既存の物理法則をねじ曲げ、望みの結果を導き出すもの――すなわち結晶細胞の高純度構造体が行き着く、人智の及ばぬ力。

 おそらく由峻は、超弩級〈異形体〉へ直接アクセスし、その環境改変能力を限定的に展開させたのだ。

 常軌を逸した精密制御に、ヒフミの背筋は寒くなった。


「これが、わたしの躊躇った結果ですか」


 何もかも見透かした琥珀の双眸が、周囲をさっと見渡した。ばらばらに千切れ飛んだアニラの遺体を一瞥すると、痛ましそうに切れ長の目が伏せられる。

 けれど、それだけだ。

 鉄火場に巻き込まれ、命を狙われている少女のものとは思えない落ち着きがあった。

 ヒフミは恐怖していた。すべてを受容したかのような夭桃ようとうの人型に。


「君は、いったい……」


 非人間的な印象をぬぐえないまま、それでも由峻に声をかけた。


「超人災害対策官は、超人災害の現場においてあらゆる権限を行使しうる――そうでしたね」


 答えはなく。

 当たり前のように、彼女は微笑んで非常識を口にする。






「塚原さん、わたしの提供する武力を使ってください」






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