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当方、角ありの嫁御を求む  作者: 灰鉄蝸
2章:守護者

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13/39

10話「紅蓮の魔人」






 薄暗い闇に包まれた屋内は、大きな獣のはらわたのように薄汚れていた。

 丸呑みされた獲物よろしく、ひぃひぃとあえぐ生者のそれは苦痛と絶望の色。


 そこは一棟の廃墟だった。

 ひび割れた窓、汚れた外壁。

 あの致命的な崩壊の時代〈ダウンフォール〉の後、おそらく二一世紀後半に建てられた工場だろう。

 広々とした敷地には、ほこりを被ったラインや、役立たずになった機械装置が規則的に並んでいる。

 熱で溶けたとおぼしき、不格好な機械の成れの果て。

 新東京の復興需要を目当てに作られたものの、治安の悪化にとどめを刺された類の廃墟だ。


 北関東では珍しくもないが、問題はあった。

 廃棄され久しい建造物の空気は悪いのだ。

 気分転換に深呼吸などと言う贅沢は許されないので、いっそ新鮮な空気を作ろうかと思い立った。

 呼吸に適した大気組成のレシピは、脳内のライブラリに保存済みだ。

 おのれの異能の使い道に思いをはせ、新藤茜しんどう・あかねは楽しげに微笑んだ。


 その笑顔に、目の前の椅子がガタガタと震える。

 安価なパイプ椅子に動力はついていない。

 そして笑顔に恐怖を感じるのは、大抵の場合、人間である。

 膝がすりむけた安物のジーンズに不釣り合いな、都市迷彩に対応した防弾ベスト。

 前者はともかく、防弾ベストの入手は容易なことではない。

 つまりは、男は普通ではない。

 結束バンドで家具に縛り付けられた、テログループの支援者。

 尤も、今では見る影もないが。

 先ほど、茜に無力化されるまで、いっぱしの名士を気取っていたとは思えない有様だ。


 それを間近で観察する茜は、戦闘員としては小柄だった。

 UHMAのロゴが眩しい、制帽の下には栗色の髪、ダークブルーの制服の上からでもわかる、突き出た胸。

 一五三センチの背丈に見合わない、豊満なふくらみだ。

 西洋人形のように精密な造形の顔と相まって、容姿に関しては並以上。

 着込んだ制服はコートに似ているが、それ自体に温度調整機能があり、夏でも冬でも問題ない。

 環境調整服と呼ばれる衣服の中でも、UHMAのものはデザインが優れていると茜は思う。


 そんな思考と共に、椅子に座った男の首筋へ手を伸ばす。

 指先でつまんだ、直径三センチほどのカプセルを見て、男が悲鳴を上げた。血走った瞳が涙をたたえ、鼻の頭に脂っぽい汗が垂れる。

 冬場の汗と脂が染みこんだ肌が、恐怖のあまり毛穴を開く。


「やめて、やめっ、ぎぃぎゃあああああ!」


 カプセルの両端が割れ、微細な糸がうねうねとうごめきながら男の頸椎へ殺到する。

 伸びた触手は皮膚を貫通、男は神経へ異物が接続される激痛に悶えた。

 拷問による自白の妥当性は、多くの場合、疑わしいものである。

 UHMAにおいて拷問とは、侵襲式デバイスによる情報の抜き取りを指す。

 こういうとき、対象の体内へ侵入するワームユニットは有能だ。

 脳神経へのバイパスを形成すると、自動的に、情報のデジタル化と吸い出しを始めてくれる。

 自白を強要するための苦痛を必要とせず、非常にスマートな手段とされるが、問題も多い。

 たとえば、脳がブラックボックス化している超常種の場合、神経組織をハックしようにも肉体の遡航再生が始まるし、そもそも重サイボーグ同然の第一世代亜人などに至っては、ホモ・サピエンスを基準にした浸透が上手くいかない。

 結果、もっぱら人間相手に使われるのが実情だった。

 非人道的という言葉は、いつだって人間のための祈りなのである。




 事を終えると、男のズボンをぐっしょりと汚す、小便と大便の悪臭が目立った。

 体内の通信機から本部へ連絡。護送車では到着が遅すぎるので、一人乗りの無人航空機オートプレーンを手配した。

 〈異形体〉による文明復興以後、自律端末機械をベースに開発された輸送ドローンの一種だ。

 文字通り自動操縦で制御されるため、意識を失った人間を詰め込むには都合がいい。


 ふと、聴覚に相当する増設センサーが接近する敵を感知。

 一人か。

 大気中の振動を感知した限り、周囲に敵影はこれだけ。

 工場周辺の地形を探査し、狙撃の可能性を除外。

 分厚いコンクリートのビルや、旧時代の名残であるバリケードのせいで直進する弾丸の通りは悪く、敵の装備からいって、精密誘導兵器による爆撃の可能性は低い。

 茜の肉体は、そのほとんどが生身の人間とかけ離れた代物だ。

 それが彼女自身の超常能力であり、人体改造の水準は、現代のサイボーグ技術の枠をはるかに超えている。


 正面の鉄扉は閉じられたままだ。

 敵の位置は近い。

 茜はためらうことなく、蹴りで扉を開門。

 腰と連動した流れるような右回し蹴り。円を描き繰り出される一撃だった。

 凄まじい轟音。

 そのまま廃工場から一歩踏み出した途端、向かって右の路地から激しい銃撃。全弾、プラズマの盾の前に蒸発。

 待ち伏せは脅威だが、火力も練度も足りないようではいい的だ。

 敵を視認する。

 まだ髭も生えていない十代も半ばであろう少年だった。

 薄い褐色の肌。

 その手に保持された自動小銃――銃器の多くがそうであるように、人間を殺すには十分すぎる。

 どこかの〈異形体〉が、解析ついでにばらまいた品だ。性能も価格も当時の最高峰とはいえ、所詮、人間の武器である。

 希少資源を湯水のように垂れ流し、その体細胞の一つ一つが、とびきり優秀な演算素子の来訪者にとっては駄菓子のようなもの。

 それが回り回って、日本国内の治安悪化に拍車をかけるのも、安いスナック菓子のような事象というわけだ。


 結論から言えば、彼を保護するメリットはなかった。

 小型のレーザー発信器を、掌の肉を突き破って形成。

 無造作に手首を返し、高出力レーザーを一閃した。

 腹から脳天までを両断され、炭化した断面を晒して敵が倒れ込んだ。

 熱された衣服が瞬時に燃え上がり、ちりちりと肢体の肌を焼き始める。

 黒こげの部分が、ひび割れて雑草だらけのアスファルトに彩りを添えていた。

 おそらく自発的なテロリストではない。

 怯えきった顔を見るに、脅されてきた人身売買の被害者という線もある。


 ACCF――反文明浄化戦線のやりそうな手口だった。


 人類と異種、〈異形体〉によって崩壊した文明世界。

 国際的テロ支援ネットワークである彼らは、この二二世紀の単純明快な構図に根ざし、成長してきた組織だ。

 人類の間で膨れあがった異種への恐怖、憎悪をまとめ上げ、わかりやすい暴力をぶちまける。

 あくまで支援組織であり、表だったテロに直接関わらないため、その実態は不可解きわまりない。

 資金源に関してはさらに不明瞭だ。噂だけは豊富で、ポピュラーなものだけでよりどりみどり。

 欧州のファシスト、北米の諜報機関、上海政府のタカ派、大陸の神話主義者、はたまた陰謀好きの賢角人。

 そのいずれも、如何にもありそうな話である。

 ひょっとしたら、そのすべてが真実なのかもしれないし、そうではないのかもしれない。


 ぐいっと背伸び。


 襲撃者が死体になった今、人気は皆無。

 視界いっぱいに広がるのは、廃墟と雑草だらけのひび割れた道路。

 このゴーストタウンこそ、かつて宇都宮と呼ばれた都市の成れの果て。

 少し上を向けば、北の空から伸びるいくつもの筋を目に出来る。

 〈異形体〉の空中通路だ。

 朽ちた街並みを足下において、豊富な物資が行き交う天の道。


 二一世紀中に頻発したテロ、紛争、経済破綻によって、ほとんどの交通網は麻痺し、山間部の交通網は遮断されてきた。

 その空白を埋めるように〈異形体〉は人間社会を支え、さらなる衰退が起こった。

 空中を走る銀色の橋――〈異形体〉が伸ばした分岐枝は、植物の根のように本州各地へ繋がり、大量の物資と電力を供給している。

 乗っ取られた『北日本居住区』との境界線が近い手前、日本側も積極的に介入しない上、流通ルートからも外れていた。

 まず、陸路での輸送が死にかけているのだ。

 まともな住民は他の地域へ流出し、治安維持の必要性が薄くなったのも痛い。

 〈ダウンフォール〉という暗黒時代を経て、人口分布が歪になりすぎたことの弊害だった。


 だから北関東にはゴーストタウンが多い。

 北関東からの人口流出は、三本足の〈異形体〉到来に伴う北日本居住区の成立――青森を除く東北地方の『貸し出し』――によって激化した。

 現在でこそ、新東京に代表されるような繁栄があるものの、二一世紀前半にあった危機感は絶大だ。

 ユーラシア大陸に巣くう大小の〈異形体〉然り。

 明確な人類への攻撃性と、侵略的意図を持った地球外知性体の登場は世界を変えたのである。

 変えてしまった、というべきか。

 事実上、二〇世紀に築かれた世界秩序は完全に崩壊し、国家とその武力は、ことごとく食い荒らされた。

 二一世紀の原子力災害、中共崩壊、東アジア紛争、北九州への核攻撃、オキナワを焦土せしめた核の濫用、首都直下地震、内戦の勃発――この国の近辺だけでも目を覆うような有様だった。

 そして凄惨な出来事の連続すら、数十年にわたる破滅の幕開けに過ぎなかった。


 かくしてユーラシア大陸はこの世のものとは思えぬ変貌を遂げ、太平洋沿岸は水晶の如きアーチに支配された。

 人間は、自分の手では絶対に元通りに出来なくなった世界を嘆き、異種へ売り渡してしまったのである。

 その中にあってUHMAという組織は、必要悪の下請け機関だ。


 進藤茜は、その秩序の部品だった。

 苦痛と憎悪の荒野から、脆く弱い古き種族を守るべき仕組み。

 獣が首輪をつけるように、兵士が規律を守るように。

 己の存在意義を賭して、人類の庇護者たらんとせよ、と。

 それが、西暦二一三四年の地球において、新人類ホモ・ペルフェクトゥスを支配する本能だ。



 ホモ・サピエンスという種族全体の奴隷こそ、新人類の本質である。

 新藤茜がそれを自覚したのは、家族と友人をまとめて焼き殺したあとだった。

 そこに後悔はなかった。







 その日の朝食時、ヒフミは幸福であった。

 料理が美味かったから、ではない。

 常日頃、自分で飯を用意しておく凝り性で、料理の味は似通ってしまう。

 理由は単純だ――何かと危なっかしい同居人が、まともな料理を差し出して来たからである。

 大いなる進歩であった。

 アクサナが作ったオムレツは、へたくそだった。黄色よりも茶色の面積が多く、彩り豊かとは間違ってもいえない。

 十中八九、まともな暮らしが送れないといわれていた少女だ。それが今、当たり前のように家事に挑戦している。

 その日は、定期検診の日だった。どんな結果が出るかわからない、不安に怯えているのだと察せられた。

 アクサナ=アレクサンドロヴナ=ペトロヴァの境遇は類を見ない。

 頼れるものが多くない少女は、人並みの生意気で、人並み以上に孤独を恐れている。

 出された料理は、親愛の証というだけではない。

 心の支えと、現時逃避を兼ねた代物だ。

 それを子供らしいと取るか、家族のいない哀れさと取るか――塚原ヒフミは、その複雑な苦しみすら羨ましく思う。 

 見た目のよくないオムレツに箸をつけ、咀嚼する。


「うん、上出来です。上を目指すなら、卵に牛乳を少し混ぜた方がいいですね。バターはもう少し弱火で熱すると――」


 シェフのお通りだよ、と冷たい視線を浴びる朝だった。

 おおむね幸福な時間といえるだろう。

 半ば成り行きで引き取った娘だ。

 ヒフミは卑劣だから、少女の求める絶対的な庇護者にも、義務的な他人にもなりきれない。

 余計、素直に「料理の出来を見る」だけのふりをした。

 子供らしい日々を持てなかった彼は、自分のズレを知っている。

 これだけは、自分の手で行うべきだった。


 現在の仕事――重要人物「導由峻の警護」も、彼一人がつきっきりで管理する類ものではない。

 青年の属するセクション、超人災害対策部は巨大な権限と責任を持つ部署である。

 殉職率の高さと引き替えに、必要なものを必要なだけつぎ込める。

 専門家の助けも借りて、自分なしでも回る警護体制を整え、緊急時の連絡や対処の仕方まで整えたのだ。

 あとでフォローしておく必要はあるだろうが、それはそれ。



 定期検診に使っている施設は、UHMA行きつけの立派な病院だった。

 一昨年、建て替えたばかりの建物は真新しく、医療スタッフにも活気がある。

 午前中は、検査が始まるまでずっと付き添っていた。

 生意気盛りのアクサナは終始、口では文句を言いながら、青年の指を強く握りしめていた。

 一二月も半ばを過ぎ、もうすぐクリスマスだ。

 北日本居住区には、〈ダウンフォール〉前の文化を模倣し尊ぶ余裕がある。

 出来ればこの娘には、人並みの暮らしを送って欲しいと強く思う。

 楽しいイベントの前に、面倒ごとをあらかた片付けてしまいたかった。

 たぶん青年にとって、地に足ついた日々はこちら側なのだ。

 外部へ赴いての任務が来ない分、しばらくは平和だろうと予期して。

 勿論、そんなことはなかった。



 気分転換のため一旦、病院の外へ出たヒフミを待っていたのは、一通の電子メールだった。

 端末の画面に移る、そっけない日本語のテキスト。


『公園の傍の木立まで来て貰えるかな。物騒なことはしたくない』


 その文体と、通知してきた人間の名前に怖気が走る。

 誇張でも何でもなく、ヒフミを動かすため、病院へ爆撃をしかけるぐらいはやりかねない人物。

 あえて、急ぎすぎずに歩き始めた。目立たない程度の、少し人より速いぐらいの歩幅。

 精一杯の自制心だった。


 病院の中庭に設けられた歩道には、リハビリや気分転換に勤しむ人々が見受けられた。

 多種多様な容姿の人々が、各々の日常を生きていた。

 アジア系は言うに及ばず、白人や黒人もそこそこいたし、亜人もそれに負けないぐらい混じっている。

 角があるもの、獣のような四肢のもの、翼があるもの。

 特徴によっては目立つが、そこに奇異の視線はない。

 ありふれているからだ。

 脳天気に笑う人もいれば、顔をしかめて、苦痛に耐えている人間もいる。

 共通しているのは、剥き出しの殺意など予測していない普通の人々であること。

 ここを地獄にしたくはなかった。

 その原因が、自分の同僚だという事実に不快感を覚える。


 焦らないよう目的地へ近づき、たどり着いたときには三分ほど時間が経っていた。

 指定された場所は、広葉樹が中心のよく整理された林である。

 木々が密集しすぎないよう、定期的に手入れされている証拠だ。

 素っ気ない、グレーのジャケットを着て、周囲を見回す。

 あの文面から察するに、茜はこちらと直接会うつもりだ。

 人体探知能力を行使――ヒフミのすぐ傍にいた。

 異物の大まかな位置が、五感に対応した気配として入力される。

 覚えがありすぎる濃密な死の質量。

 ふんわりと香る化粧水からは甘い匂いがしたが、焼けた人肉や、燃えた化学繊維の異臭が染みついている。

 一五三センチの小柄な女が、地表から一〇メートルほどの高さに浮いている。

 目視では確認できなかった――人間の形をしているだけの、膨大なエネルギーの塊。

 でたらめな怪物は、光学迷彩を使っている。


「そう、こっちこっち」


 青年の目線に気付き、悪びれた様子もなく姿を現す茜。

 そのまま、高度を下げて地面へ足をつけ、にへらと笑う。

 下半身に穿いているのはズボン。

 薄いブルーの布地越しに、筋肉の詰まったむっちりした太ももが見て取れる。

 皮膚の質感まで本物の人体そっくりに違いない。

 彼女は、動きやすそうなUHMAの制服姿だった。

 小柄すぎるものの、ダークブルーの制服を盛り上げる胸のふくらみが、その女性らしさを強く主張している。

 ヒフミが口を開くよりも早く、茜から本題を切り出した。


「早速で悪いんだけど――導由峻の護衛、理由をつけて辞退してくれないかな」







 新藤茜は、創造型タイプ・クリエイターと分類される超常種――それ単体では脅威たりえないサイキックだ。

 回避不能の人体操作や、念動力じみた超常現象を出力できるわけではない。

 だが茜ほどの技量に達したそれは、手のつけられない怪物となる。

 超常種は、肉体の姿形を元通りにしようとする働き――遡航再生のためインプラントの恩恵にあずかれない。

 しかし創造型の場合、自分自身の肉体のありようを再定義し、無限に能力を拡張することができた。

 自己定義の書き換え。

 それが創造型サイキックの恐るべき異能だ。

 内蔵するフレームや人工臓器を、すべて自身の手で設計し、元の肉体と置換していった彼女に不可能はない。

 ましてや、レベル3の超常種ともなれば、活動に必要な水分、カロリー、ビタミン、ミネラルのすべてを生成し補ってしまえる。

 拡張した肉体に必要な電力や、排熱の仕組みも例外ではない。

 生理機能の自己完結。それは彼女らを、人間から逸脱した怪物へ変える呪いだ。

 この特性が存在する根源的理由――超常能力の出力機能も増大され、人格はそれを基準に作り替えられていく。

 ゆえにレベル3に到達した超常種は、多くの場合、人間であることすら放棄してしまう。

 それも、社会不適合者や超人犯罪者のような生易しい形ではない。

 重ねて言おう。茜にとって、超常種は新たな人類の姿などではない。



――万能の神たり得る異能を授けられ、一人きりで閉じた生態系せかいそのものだ。



 瞠目どうもくするヒフミを見下ろし、栗毛を揺らして笑いかける。

 青年の顔色が変わった。

 彼女の周囲に発生した、発光する膜のようなものを目にしたからだ。

 白熱する光の本流から目を背け、腕で顔を庇うヒフミ。

 伊達眼鏡の奥で、瞳を覆う防護レイヤーが遮光を開始しかけたが、すぐに通常モードへ復帰。

 茜が意図的に光を遮断したのである。

 木立に隠れて、外部からはうかがいしれない程度の光量だった。


 熱放射と電磁波の漏洩を最小限に抑えているものの、その禍々しい光の正体は一目瞭然。

 熱量障壁。

 超高温のプラズマ流を張り巡らせたそれは、運動エネルギーや化学エネルギーを利用した攻撃に対し、無敵の盾となりうる。

 対処法はある。

 防壁内部を循環する莫大なエネルギーの流れに打ち勝ち、貫通できるほどのエネルギーを一点突破させればいい。

 そう、原理的には攻略可能だ。

 だがそれを、スイッチナイフほどの気安さで携帯できるのが問題だった。

 超常種の持つ最大の武器は、場所と時間を選ばない展開能力である。

 肉体的には人間並みのヒフミが持ち歩ける銃器など、何の役にも立たない。


「この距離で〈結線〉を使えば、暴発で塚原くんも病院もただではすまない」


 常軌を逸した脅迫だった。

 一般人を巻き込みかねない状況に、ヒフミは不快そうに眉をひそめる。


「正気ですか」

「まともに躰の乗っ取りへ対策を立てるとね、もっとひどい被害が出る。あなたを信頼した結果ともいうかな。今のままなら、病院の機械には影響ないよ。〈ダウンフォール〉後の施設は、核シェルター並みに頑丈じゃないと話にならないもの」


 市民への被害を最優先で考えたヒフミと、目的だけを優先した茜の損得勘定は別物だ。

 だが巻き添えで被害を出せば、茜自身もただではすまない。

 UHMAは手段を選ばない組織だが、構成員の暴走を何より嫌う。

 ヒフミの思考を先回りして、彼女は無邪気に笑った。


「少なくとも目的を果たせば、あたしはお咎めなしで落ち着くだろうね。多少のペナルティは呑む覚悟だけどさ」

「どんな厄ネタを掴んだんですか。あなたが、一月前にわかりきっていたことで動くわけがない」

「話が早くて助かるよ。でもハズレ。あたしが情報を掴んだというより、情勢の方が動いちゃったわけ」


 そうやって茜は、無邪気に口を開く。


「〈異形体〉の力を自由に使える娘と、人間を操れる超常種が結びついたら、どんな馬鹿だって不味いと思うよ。こうしている間も、彼女は賢角人のコミュニティを伝って、影響力を行使している。異種起源テクノロジーの軍事利用を促進できて、〈異形体〉の意思決定にすら参加できる亜人だもの。劇物に劇物混ぜ合わせたようなものよ、動じない方がどうかしてる」


 賢角人はその角を通じて、独自の情報通信ネットワークを確立している。

 一種の仮想現実とすらいえる領域で、電磁波ではない媒介――諸説あるが、そのほとんどがオカルト同然――のため遮断も困難である。

 通信そのものの制限が困難である以上、現実の彼女を拘束して「口先だけの存在」に貶めるのが一番、楽な方法だった。


「塚原くんは誰の弟子かな? 亜人の有力者、イオナ=イノウエが背後にいる。そう考える連中が尻込みして、導由峻しるべ・ゆしゅんに手出しできない。情勢が落ち着くまで、あの子には悪いけど軟禁状態にでもしておけばいいんだよ」


 由峻の存在は、本人の能力以上に危険だ。

 人類連合を動かしている集団を、否応なく変質させかねない。

 そうなればいずれ、太平洋を挟んで経済交流、技術交流を続ける北米も態度を変える。

 通常兵器の質と量、戦略兵器に対する備え――そのいずれでも、北米は人類連合に劣っているからだ。

 あまたの大国の崩壊を足場堅めに利用し尽くし、太平洋沿岸全域を飲み込んだ侵略者。


 人類連合とはそういう組織だ。

 その運営方針が太平洋地域での利権拡大に向けられず、あくまで内政に傾けられていたから、北米との関係は成り立っていた。

 それが一度、外部へ転じたなら――独立国として、人類最後の大国として、警戒しない方がどうかしている。

 つまりは、穏やかな統治を是とする人類連合にとって望ましくない状況だ。


 支配でも搾取でもなく、人類という危険物の管理だけを目的とした拡大。

 二〇三五年の東京壊滅をはじめ、世界中の都市を壊滅状態へ追いやったサイキック・ハザード。

 その爪痕は一〇〇年近く経った今でも、人間社会へ暗い影を落とし続けていた。


「塚原くんと導由峻をセットにして扱いたい急進派と、そんなものはほっぽり出して、これまで通りを続けたい保守派。御上うえも一枚岩じゃないってわけね。あたしとしては、連合内部でこういう対立が続くのは好ましくない……わかってくれないかな?」


 今朝、ACCFの工作員から抜き取った情報は伏せておく。

 裏付けを取っていない、というのも理由だが、何よりイオナ=イノウエや導由峻のような賢角人の耳に入る可能性があるからだ。

 独自の情報網を持ち、知識・経験の貸し借りを行う異形の亜人たちは、人類連合やUHMAに対しても強い影響力を持っている。

 茜のような独立独歩の超常種の場合、いくら警戒しても足りることはない。


 それまで口数少なかったヒフミが、意を決したように口を開く。

 両腕はだらりと下げたままで、緊張感の欠片もない姿勢だった。

 だがその脱力こそ危険な兆候である。

 ある種の身体操作技術において、無駄に力を込めすぎない呼吸、筋肉の使い方は基本であり、ヒフミの現状はいつでも戦闘に取りかかれる姿勢と同義だ。

 つまり、交渉決裂も辞さない構え。


「相当、口べたですよね。意外と可愛らしいところもあるじゃないですか」


 思わず茜はあっけにとられた。

 挑発じみた台詞だが、そこに侮蔑の意はなく、本気で感心しているような節がある。

 気でも狂ったのかと思いかけたものの、続く言葉に思い直した。


「たしかに僕を脅すなら、ここは最高の立地です。ですが新藤対策官、その前提を崩すなら話は別だ」


 勝ちのハードルを切り下げてしまえば、茜とヒフミの間に優位性はなくなる。

 ヒフミの言葉は楽しげな響きを帯びている。不快感を表すときの彼の癖。


「この至近距離だ。あなたの脳を自壊に追い込むのは難しくない」


 思わず、茜は笑った。

 おのれの間抜けさを嘲っていた。

 高密度のエネルギーを出力し、精密操作している関係上、茜の肉体は高度な操作システムの塊だ。

 たとえ一瞬でも、そのコントロールを乱すことが出来れば、恐ろしい暴走が起きるだろう。

 その立て直しに苦慮している間に、ヒフミは次の一撃を加えることが出来るのだ。

 戦術的優位を覆す超人を封じ込められる切り札。

 こちらがどれだけ強力でも、そこにいるだけで行動を制限できる。

 直接的な戦力としてさほどでもないが、塚原ヒフミの恐るべき点はそこにあった。


 現実に白兵戦に持ち込まれても、茜の優位は動かない。

 全身に加えられた人体改造の成果――肉体強度、筋力、反射速度のすべてにおいて勝っている。

 だが、そのカードは実際の殺し合いに移らなければ意味がない。

 塚原ヒフミが行っているのは、恫喝の無効化だ。

 脳が吹き飛んでも肉体再生できる例外的存在。

 ヒフミは自身の特性を考慮に入れて、こちらとの対立を覚悟している。

 ここでヒフミを負傷させたところで、今の茜には何の意味もない。

 否、むしろ情勢を悪化させるだろう。


 この不器用な後輩を、明らかな危険人物と切り離せなければ意味がない。


 だが、そもそもヒフミへ「由峻と縁を切れ」と迫ること自体、悪手だ。

 自発的に身を引かせなければ、意味がないと知らせるようなものだった。

 茜はその巨大な暴力に人格を飲み込まれた生き物だ。

 ギリギリの一線で粘る交渉など、考慮したことがない。

 じりじりとした焦燥があった。

 はたと気付いたときには、小型の飛行物体が視界の隅に映っていた。

 直径三〇センチほどの円盤が、音もなく浮いている。


「――時間切れか」


 異常を感知して、観測ドローンが集まってきたのだ。

 絶えず都市上空を旋回する端末機械たちは、人類連合の保安部や環境整備局の所有物だ。

 〈異形体〉の体細胞は、それ自体が高度な観測機器だが、見知った情報すべてを開示するわけではない。

 古代の神託オラクルよろしく、必要なとき、人類連合の理事会やエージェントを通じて指示を出す。

 つまりドローンが収集する情報はあくまで、人間や亜人が利用するためのものだ。


 茜の恫喝は既に無効化されたも同然だった。

 事後なら正当化できる行為も、事前に見逃して貰えるとは限らない。


「〈結線〉で誰かを操って、保安部に通報させたんだね? 不得手なことはするもんじゃないよ」

「平和的解決です。矛を収めてください。こうなったらお互い、本意じゃないでしょう」


 熱量防壁を解除すると、あたりに濃いイオン臭が立ちこめる。

 直前までプラズマ化していた大気が、瞬時に冷却されていた。

 化け物じみた力を前に、ヒフミの表情は動じない。

 内心はどうあれ、それを顔に出さない胆力は大したものだった。

 自分一人のときは狼狽えるくせに、他人の命が関わるとすぐこうなる。

 茜から見ても、危なっかしい後輩だった。


「……いいよ。致命的なそのときが来るまで、この問題は棚上げ。でもね、塚原くん。あなたが守ろうとしている女の子は、可哀相な犠牲者なんかじゃない。危険だよ、神話主義者や民族主義のテロリストよりもね」


 その忠告は嫌みでも何でもなく、彼女の本心だった。

 ロマンチストの気がある青年は、狡猾な亜人たちによってその情念を利用されている。

 生き物として尺度が違う、異種を人間のように守りたがるヒフミが哀れだった。


 茜の知る限り、そこに救いはない。


 人懐っこく育てられた獅子は、家族にじゃれついただけなのに、彼らを深く傷つけてしまう。

 その気がなくとも、大きな爪や牙、全身の筋肉の量が違いすぎるのだ。

 人間と猛獣の間に横たわる、生き物としての尺度の差異がもたらす悲劇である。

 たとえ人の形をしていようと、人間と異種の間にある絶対的な差異も同じだった。

 人に害をなした猛獣は、いずれ、殺処分される。

 この構図は変わらない。

 たまたま狩人と猛獣が同じ種族になっただけで、超人対策部の行う異種間調停の本質はそれと大差ない。

 ヒフミと茜はそういう意味で、経験を共有していた。

 ある日、あるとき、人に害をなすからと、親しい仲の同胞を手にかけた化け物だ。


 いつか、同じことを繰り返すかもしれない。


 それでも茜は、自分のありように誇りを持っている。

 その感情すら、得体の知れない肉体に用意されたものだとしても構わない。

 強烈な自我を満たす、唯一の矜持だった。

 武力や疑念を捨てたところで、楽園がやってくることはない。

 貧困や飢餓に苛まれたとき、人間は容易く蛮行を働く。

 なればこそ、より多くの人々を満たす仕組み、人類連合の敷く秩序は守る価値があった。


 案の定、ヒフミは茜の言葉に反論した。

 苛烈な制圧を是とする茜に比べれば、ヒフミのやり口は生ぬるい。

 当然、人間社会を脅かしかねない異種への価値観も違うのだろう。


「ギリギリの一線までは、どんな命だろうと尊重しますよ。踏み外すそのときまでは、この手で守ります。僕は顔も知らないより多くの誰かじゃなくて、自分の生きる世界のために戦っているつもりです」


 いっそ清々しいほど胡散臭い笑みさえなければ、さわやかな台詞だった。

 茜はそういう彼が嫌いではない。

 あまりにも人間くさい彼の本音に笑みがこぼれる。

 本当の極限状況では、誰よりも献身的に戦うくせに、奇妙なほど人間に近しい価値観を捨てきれない男。

 塚原ヒフミという青年は、茜にとって未知であった。


「噛み合わないね。そういう甘いところ、嫌いじゃないけどさ」


 自分は所詮、化生の類。身のうちからわき上がる確信に突き動かされ、父も母も友達も焼き殺した人でなしだ。

 そこには後悔も反省もなく、為すべき事を為した充実感しかない。

 だから、後悔を引きずり続ける塚原ヒフミは面白かった。

 超常種という存在が、その人の身に余る力を携え、どこまで『人間らしく』生きられるのか。

 茜自身は見ようと思っても見られない夢物語だから、かえって、眼前のロマンチストを嫌いになれない。


「ところでそういうの、女の子にとってはね」


 しかしながら、はっきり言っておかねばならないこともあった。




「――いい人止まりになるタイプだと思うんだ」




「やめてください、泣きますよ」


 死ぬほど嫌そうな顔で、塚原ヒフミは眉をしかめた。









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