誰かさん
目の前には見慣れた黒猫の小さな後ろ姿。周りは真っ暗で、他には何も見えない。そしてここはどこか見覚えのある空間。
その暗い空間に、黒猫の姿だけがぼんやりと見える。
ああ、やっぱりなと。
そう思いながら莉伽は黒猫の後ろ姿に声をかける。莉伽が名付けた、黒猫の名前。
「ブラック」
黒猫は振り向き、
こちらを見て、
にやりと笑った。
「君は、一体誰なの?」
本当の君は、やっぱりあの時に会った、私に精霊を解放しろと言った、
『誰か』だったの?
「久しぶりだな」
「久しぶりって……ずっと一緒だったじゃない」
ずっと一緒にいて、助けてくれてたじゃない。
莉伽がそう言うと、黒猫は勘違いするな、と突き放すように言った。
「私はブラックではない。これの体を借りているだけだ」
チリルちゃんの時と同じってこと?体はブラック。中身は『誰かさん』。
「でもブラックは、あんたと関係があるんでしょ?」
莉伽がそう言うと、黒猫は豪快に笑った。笑い声も喋る声もブラックなのに、やっぱり全然違う。
「それほど馬鹿で使えなくはなかったらしいな、お前は」
また馬鹿にしやがったな、この野郎。
「確かに、これと私には関係がある。深い、深い関係がな」
「深い関係って?」
莉伽はイライラしながら黒猫の姿の『誰か』に問いかける。
「これはな、私が造ったのだよ」
………は?
造った?
「お前がブラックと呼ぶ物は私が造った。空間にあった塵やら何やらと私の力を混ぜてな。上手く出来ていただろう?」
出来てたって。
造ったって。
じゃあ、ブラックは。
「お前の監視のために私が造った。これが自分の意思で動けるように、考える力も一緒に与えてな。まぁ、これは何も知らない。だが、根底にはお前の監視という目的を植え付けていたから、お前にべったりだっただろ?無意識に、な」
だから好きだと言った。
だから嫁になれと言った。
一緒にいたいと言ったのは、私の監視のため。ブラックは無意識ではあるが『誰か』のために動いていた、とそう言うことか。
好きだと言ったのは、
ブラックの勘違い。
ただ、
監視のためにそばにいた。
少しだけ悲しくなって、
少しだけ寂しくなった。
黒猫の姿をした『誰か』は笑う。
「好きだと言ったのはこれの意思だぞ?私もまさかそっち方面に突っ走るとは思わなかったがな」
莉伽は黒猫をじっと見ながら、疑問を口にする。
「ブラックは自分が何者なのか解らない、と言ってた。ブラックが無意識に私を監視していたのなら、ブラックはあんたの事は知らないって事?」
黒猫はあぁ、と頷く。
「私の事は、これは知らない」
「………あんたは、何なの?」
私に精霊の解放をさせ、
ブラックを造り、私を監視させた。そして今、何故か私の前に現れる。
あんたの目的は、何?
黒猫は真顔だ。
先程までとは違い、真剣そうな顔。
「私はこの世界の神の友人だ」
………………。
ん?
莉伽の目は点になった。
点になるってこういう事なんだな、と感じた瞬間だった。
とりあえず真剣な顔をした黒猫に訊ねてみる。
「あの、どーいう事?」
この世界の神様の友達って?どうせなら、この世界の神様でいいじゃん。何故に友達、何故に友人。
「言った通りの意味だ。私はこの世界の神、アイリーンの友人。そして空間を操る事ができる。この黒猫と一緒でな」
あれ?
アイリーンって確か……。莉伽が疑問に思い訊ねるより前に、黒猫は喋り出す。
「お前にこちらの世界に残って貰ったのは、最初に会った時にも言ったと思うが、今回の勇者を死なせないためだ。
前回の勇者の話は聞いただろ?」
莉伽はこくりと頷く。
「人間側の話では、勇者は魔王に挑み、敗れ、死んだ。魔物側、魔王や精霊達の話では勇者は人間の領域に帰る際、人間によって殺された。
話が食い違っているな?どちらが正しい過去の歴史だと、お前は思う?」
どっちって。
莉伽は少し考え、魔王や精霊が話した方が正しい話だと思う、と素直に告げた。
アイナの話してくれた勇者と魔王の話が嘘だ、とは思っていない。
だが、人間の記憶は徐々に薄れていくものだ。曖昧で、間違った歴史を後世に伝えてしまっている場合もある。
その点、魔王や精霊はその当時の当事者なのだ。どちらを信じてしまうかと言われれば、それは後者だろう。
「結局お前は魔物側についたと、そう言う事か」
莉伽は黒猫のその言葉に、カチンときた。私は別に魔物側についた訳ではない。カチンときて、むかっとしたので何か言い返してやる、と思い莉伽は口を開くが、またもや黒猫が先に喋りだしてしまい何も言えなくなる。
そして、喋り始めた黒猫の次の言葉に、莉伽は言葉を無くした。
「その二つの話はな、両方とも本来とは違う歴史なのだ」
両方とも……違う?
「本来の歴史、前勇者ミトスは何故死んだのか。その理由は簡単だ。魔王に倒されたわけでもない、人間に殺されたわけでもない、そして事故やトラブルに巻き込まれて過って死んでしまったわけでもない。
となると、残る理由はただ一つ」
黒猫は一度目をつむり、意を決したかのようにぼそりとこう呟いた。
「寿命だ」
………寿、命?
「ミトスってそんなに歳くってたの?」
そんなばかな。
私の想像では勇者なんてものは若い兄ちゃんだって相場が決まってるんだけど、ミトスはまさかのよぼよぼのおじーちゃんだったって事?
「いや、ミトスはまだ26だった」
26歳………
全然現役じゃん。
「だが、寿命だったのだ。それがミトスの限界の命だった。あの日、あの時、魔物の領域から人間の領域に戻った時にミトスの命はつきた。
ミトスはその場に倒れ、通りがかった人間に発見された。そこを魔物に見られていたのだろう。魔物はそれを、ミトスが人間に殺されたのだと勘違いした。それが魔王に伝わり、精霊に伝わって真実を隠してしまった」
黒猫は莉伽から目を反らし、真っ暗な空間を見ながら続きを話始める。
「ミトスの亡骸は、発見した人間が供養してくれた。善意でな。だが、その人間はミトスを勇者だとは知らなかった。だから勇者が寿命で死んだことは、誰も知る事はなかった。私と、この世界の神アイリーンを除いてな」
莉伽は自身の指にはまっている指輪を見る。ライトの反応がないのだが、寝ているのだろうか?
「精霊ならこの空間にはいないぞ」
莉伽のその様子に気付いた黒猫が、説明してくれた。ここは云わば、黒猫に乗り移った誰かのプライベート空間。入る制限をしたからライトは閉め出されたのだそうだ。
そっか。
ライトは聞いていないのか……。
まぁ、そっちも気になるんだけど………。
「ねぇ、アイリーンって名前、私聞いた覚えがある。確かミトスを召喚した女の人の名前がアイリーン」
ライトが言っていた。
ミトスを召喚して、魔王を倒せと言った女。
何故その女の名前が、この世界の神様の名前と一緒なの?
「同一人物だから当然だろう」
いや、まぁそんな気はしてたんだけどさ。どうしてアイリーン……様は勇者召喚なんてしたのだろうか。神様だってんなら、魔物だろうが魔王だろうが、どうにでも出来るだろう。
「神は自分の造った世界に干渉してはならない。だからアイリーンは、異世界の人物に頼んだのだ」
黒猫はそう言ったが、
莉伽には納得出来なかった。
「でもさ、アイリーン様はミトスを召喚したんだよね?それって干渉にはならないわけ?それに自分の造った世界なんでしょ?魔王だって魔物だって、もとを辿ればアイリーン様が造ったって事だよね。それの後始末を他人にさせるのってどうなの?それにミトスが死んだ後、一度魔物がミトスの死を確認して、やっぱり人間に殺されたのだと、そう結論付けたって話だったんだけど」
後始末って言い方はよくないけどね。魔王様はいい方だったし。
それにやっぱり疑問だ。何かまだピースがちゃんとはまっていないような、そんな感じ。
黒猫はまだ何かを隠してる気がする。何か大事な事をさらけだしていない。
莉伽は黒猫をじっと見る。そういえば、まだ聞いていないことがあったのを思いだし、黒猫に訊ねる。
「あんた、名前は?」
黒猫は、今それを聞くのか、と笑った。
だって今思いだしたし。
しょうがないじゃん。
そうして少しの間の後、黒猫は口を開き一つの名前を口にした。
誰かさん
改め
ディフェペース
咬みそう。




