グローカス
何も言わない莉伽に、男は勝手な解釈をしてくれた。
「逃げてきたのか?」
「……え?」
「そこのちびと一緒に逃げてきたんだろ?おおかた『売り屋』辺りから」
売り屋?
売り屋って何でしょうか?
ぽけっとしている莉伽に、男は、違うのか?と目で訴えてくる。
莉伽は少し考えたすえ、その話しに乗っかる事にした。
「そーです、逃げてきたんです」
男は、「やっぱりそうか」とため息をつきながら、先程机の上に置いた袋から小さいガラス瓶と、紙に包んである大量のパンらしきものを取りだし、口に運び始めた。
「しかし、よく宿屋に潜り込めたものだな。入口で呼び止められなかったのか?」
「……呼び止められなかった、ですね」
嘘ではない。
入口から入ったわけではないのだから、呼び止められるわけもないのだが。
とりあえず男の言葉で、ここが宿屋らしいという事が解った。ということは、この部屋はこの男が借りている部屋、と言うことになるのだろうか。
……それにしても。
お腹すいた。
多分、この世界に来てから半日以上はたっているだろう。その間、何も食べていない莉伽は、男の食べているパンっぽい物に自分でも驚くほどの視線を向けていたらしい。
「食べるか?」
莉伽の視線に気付いた男が、そう聞いてくる。莉伽はその言葉に驚いたが、お腹が空いていたのは事実なので、その男の好意に甘え、それをありがたく頂くことにした。
男は紙に包んであったパンらしき物を莉伽にくれた。だが、ガラス瓶に入っている赤色の飲み物はくれる気は無いらしく、ちびちびと飲んでいる。
もしかしたらお酒の類いなのかもしれない。
「で、これからどうするんだ?このまま逃げつづけるつもりなのか?」
これ、美味しいなと思いながら莉伽が黙々と食べていると、男が机の上に置いてある紙の束を見ながら聞いてきた。
その紙は莉伽が先程机の上で見た物で、こちらの世界の文字が書かれている紙だった。男はそれをしげしげと眺めている。
これからどうするか。
どうするべきなのだろうか?
『誰かさん』の言う通り、莉伽がこの世界にまだいることを隠して動かなければいけないのだとしたら、亮乃の所へは戻れない。
亮乃を死なせたくないなら言う通りに行動しろと脅されたので、
元の世界へも戻れない。
『誰かさん』はまず精霊を開放しろ、と言っていたので、まず精霊捜しをしないといけない、という事になるのだろうか?
それと、『自分で調べろ』とあんまり教えてくれなかった、この世界の事についても調べていかないといけない。
うん。めんどくさいね。
「俺も仕事があるんだ。助けてやりたいのはやまやまなんだが、手を貸してやることは出来ない」
無言で考え事をしていた莉伽に、男は冷たく言い放つ。
「この場所もすぐに見つかる。移動した方がいい」
本当は『売り屋』から逃げてきたわけじゃないので、移動などしなくても大丈夫なのだが。
もしかしたらこの男は遠回しに『邪魔だからさっさと出ていけや、この不法侵入者』と言っているのだろうか。
もしそうなら、男の邪魔になるのは避けた方がいいだろう。優しくしてもらったし、ね。
けっして今後の展開が恐いから、とかじゃないですよ?
出来ればこの男から何かしらの、精霊なりこの世界についてなりの情報でも聞ければ良かったのだが、今はそういう雰囲気ではなかった。
莉伽は椅子から立ち上がり頭を下げる。
「これ、美味しかったです。ありがとう御座いました。チリルちゃんのために、もうちょっとだけ貰っていってもいいですか?」
チリルちゃん、と言うのがまだ眠っている少女の事だと解ったのだろう。
男はちらりと見て、軽く頷き残っていたパンらしき物を紙に包み直し、莉伽に渡す。
莉伽はそれを受け取り、チリルを起こすためベッドに近付く。
チリルはまだぐっすりと、気持ち良さそうに眠っていたので、起こすのがとても忍びなかったが、とりあえず揺り動かし声をかける。
「チリルちゃん、ごめん起きてくれるかな?」
「……?」
まだぼんやりしながらも覚醒したチリルは、目をこすりながら、半分閉じている目で莉伽を見る。
この雰囲気は本物のチリルだろう。『誰かさん』ではない。
「ごめんね。移動するから、歩ける?」
チリルはゆっくりと首を縦に振る。
チリルの頭を撫でてやり、手をつなぐ。
「じゃあ、あの、本当にありがとう御座いました」
隅に置いてあった荷物をゴソゴソしていた男に礼を言う。
「何もできなくて悪いな」
「いえ」
十分してもらいましたよ。うん。
「これ、着ていけ」
そう言って男は長い灰色のローブを莉伽に渡す。
「……え?」
「君が着ている服、売り屋の所の服だろ?見たことのない形状だし、そのままだと目立つぞ。隠しておけ」
男は莉伽を見下ろしながらそう言った。座っている時はそうでもなかったのだが、やはり強面の顔で見下ろされると、萎縮してしまう。
びびりながらも莉伽は、男からローブを受け取り笑顔を作る。
優しさに怖がってどうする自分、と気持ちを奮い立たせながらローブを受け取る莉伽は、内心疑問に思っていた。
結局、『売り屋』って何なんだろうか?と。
「あ、ありがとうございます」
貰ったローブをはおり、ローブに付いていたフードも被って、貰ったパンっぽいものを手に持ち、莉伽はドアに手をかける。
「あの、聞いてもいいですか?」
ふと思い付いて、莉伽が振りかえると、男は椅子に座って紙束を見ていた目をこちらに向ける。
「なんだ?」
「えと、名前を……」
そう言うと、男は少し考えるような素振りを見せたあと、静かにこう言った。
「名前はグローカス。《アンカー》だ」
「アンカー?」
「あぁ」
リレーとかで最後に走る人の事をそう呼ぶのだが、
多分そういう意味ではないのだろう。
このノリでもう一つ聞いてみる。
「グローカスさんは、精霊ってどこにいるか知ってますか?」
グローカスは、きょとんとした顔をする。
「突然だな。精霊ってあれか?昔に封印されたっていう古代の魔法の事か?」
封印。
多分それだと思います。
「古代の魔法は遺跡に封印されているって話しを聞いた事はあるが」
遺跡、か。
というか精霊が古代の魔法?
精霊ってこの世界ではそんなに古い物として扱われているのだろうか。
「今は昌魔法が基本で、精霊魔法を使える奴はいないしな……そんな事聞いてどうする?」
「いや、えー……興味があって」
昌魔法が何かなのも聞きたかったのだが、とりあえずこの辺りにしておかないと怪しまれそうだ。
「じゃあ、ありがとうございました」と言って、莉伽は眠さでフラフラしているチリルの手を引き、ドアの外へと出る。
グローカスの顔は見なかった。
隠していることがバレそうな気がしたから。




