こんな噂を聞いたの【プロトタイプ】
花嫁衣装に憧れていた。
私の未来の旦那様はどんな人だろう。
友達と分かるはずもない未来の話をして盛り上がったのは夢見る少女だったからだろう。
「ねぇ、こんな話、知ってる?」
そう切り出したのは誰だったか。もう覚えていない。
ただ、当時流行ったそのおまじないはよく覚えている。
月明かりの美しい夜、刃物を咥え水鏡を覗き込むと将来結ばれる相手の顔が映し出される。
話を聞いたその時は馬鹿馬鹿しいと思った。
けれども、好奇心に負けたミアはその日の夜、試したのだ。
美しい満月の夜だった。
小さなナイフを咥え、水を張った桶を覗き込んだ。
(私の旦那様はどんな人だろう? まあ……こんなことでわかるなんてあるわけないでしょうけど……)
それでも、期待してしまった。
桶の中に影が見える。
寝間着姿の自分だと思っていた影が、次第に姿を変えたように見えた。
「……え?」
驚いて思わずナイフを落としてしまう。
一瞬、桶の中の男性と目が合った気がしたけれど、桶の水は赤黒く濁ってしまう。
まるで血のような色だ。
そんなはずはない。
頭が必死に否定する。
桶に入れたのはただの水なのだから変色するはずがない。
けれども目の前には確かに濁った水がある。
数拍遅れてミアは渾身の悲鳴を上げた。
なぜあの時のことを今さら思い出したのだろう。
花嫁装束の試着補整をしながらミアは思う。
ずいぶんと長いこと忘れていたはずなのに、桶の中に映った瞳が婚約者とにている気がしたのだ。
ミアの婚約者、リオンは変わり者として有名な辺境伯で、長い前髪が顔の半分を隠してしまっているがそれでもすらりと背が高く、美形と表現して間違いない整った容姿だ。なにより、彼は情熱的だ。
ミアは初めて会った日を思い出す。
「待って」
突然腕を掴まれ、小さな悲鳴を上げてしまった。
「ああ、すまない。君の名前を知りたくて……」
はにかむような表情に視線を奪われた。
「……ミア」
紫の瞳に吸い込まれそうだと思いながら答える。
「ミア……ミア……」
彼は数回ミアの名を繰り返し、それから掴んだ腕を離し、手をとる。
「ミア、私の伴侶は君しかいないと感じたんだ。私のもとに嫁いでおくれ」
唐突すぎてなにを言われたのか理解できなかった。
「こ、困ります」
ミアは彼の手を振り払い慌てて父を探して走った。
「ミア!」
引き留めようとする声はあったが、追ってくることはない。
けれどもその時には既にミアの逃げ場はなかったのだ。
ミアの情熱的な婚約者はその日の夜には父に話をつけ、婚約が成立していた。
忙しい立場のはずの彼は頻繁に花やお菓子を手にミアを訪ね、芝居のような情熱的な求愛をしてくれた。
惹かれるまでそう時間はかからなかった。
なにより、彼は美しい。
そして、彼は常に恋する表情でミアを見るのだ。
「ミア、順調かな?」
扉の向こうから声がする。
既に五度もメイド達に追い出された彼はミアの花嫁姿を待ちきれないと言ってくれている。
「心配しなくても大丈夫ですよ。裾の長さを少し調節して……ええ、問題ありません」
一瞬待ち針が腰に刺さったけれどもなんとか誤魔化すことに成功した。
「私のミアはいつだって愛らしいけれど、花嫁姿はさぞ美しいだろうな。待ち遠しいよ」
「もうっ、お世辞ばっかり」
「いつだって本心さ。ミア、試着が終わったら観劇に行かないかい? 君の好きそうな怪奇ものが上演されているんだ」
忙しいはずなのにいつだってミアを喜ばせようとしてくれる彼は待ちきれないとでも言うように部屋の前を何度も行き来しているようだ。
「喜んで。前に観た劇の主演の方は出演しているのかしら?」
「……ああいう男が好みなのかい?」
少しだけ不満そうな声。
「そう言うわけではないのですが……でも、怪奇ものにはぴったりの俳優だと思って」
以前から感じ取ってはいたけれど、リオンは少し嫉妬深い部分がある。ミアが他の男性を褒めると不満そうな様子を見せるし、たとえ役者や物語の中の主人公でさえ話題にすると僅かに表情が強ばる。
「すまない……ミアが他の男に興味を持つと思うとどうしても落ち着かない気分になるのだ」
その声色は本当に申し訳なさそうに感じられる。
彼のことは嫌っていない。むしろ一途な愛を嬉しくさえ思っている。
けれども時折感じる行きすぎた嫉妬や向けられる執着のようなものには困惑してしまう。
ミアは世間の基準からしてそう魅力的な相手ではないはずなのだから。
試着補正を終えて部屋を出た途端、抱き締められる。
「ミア、会いたくて気が狂いそうだったよ」
冗談なのか本気なのか。彼はそんなことばかり口にする。
慣れない。
無駄に美形なだけあって彼からこういう扱いを受けるとミアは困惑してしまう。
「ミアは? 私に会いたいと思ってくれていたかい?」
「もちろん」
軽く抱き締め返すと、すうっと首筋の匂いを吸い込むような音がした。
恥ずかしい。
せっかくの美形が台無しになってしまいそうな行動だ。
けれども彼がこんな行動を取るのもミア相手の時だけだと知っている。
「あと少しの辛抱だとはわかっている。あと少しで……ミアを独占する権利を得る……けど……結婚式まで待てそうにない。ミアが誰かに奪われないかいつだって不安なんだ」
これだけ接近すると普段は前髪で隠された顔の左半分が大きな布で覆われているのが分かってしまう。
繊細な刺繍を施された眼帯。仮面と呼ぶには目が見えない辺り眼帯なのだろう。
ミアはまだその眼帯について訊ねたことがない。
けれども、もうじき結婚するのだから知っていてもいいような気がした。
両目の色が違うだとか片目の視力がないだとか眼帯で隠す理由は様々だろう。しかしそれにしては覆う範囲が大きいように思える。
それが神秘さを増して素敵だと思える程度にはミアも彼に惹かれてはいる。
「心配しないで。私を求めてくれるのはあなたくらいよ」
そっと背を撫でればきつく抱きしめられる。
「……そうであって欲しいと願ってしまう私は性格が悪いだろうか?」
「だとしても私は気にしません」
気にしない。彼が思っているほど自分に価値がないことは理解している。
別に卑屈なわけではない。ただの事実だ。
平均的な身長。華のない容姿。恵まれてるとは言いきれない家柄。
情熱的に求められるほどの価値はない。
「私のかわいいミアは自分の価値を理解していない。そこが心配だよ」
「私なんて子爵家の三女ですよ?」
本家だっていつ没落してもおかしくないような貧乏伯爵家だ。分家だってこんなにも執着されるような家ではないというのに、それに加えて三女なのだ。
「ミアは私に嫁いでくれるのだろう? ミアの家のことはどうでもいいよ。それより……こんなにも愛らしくて情熱的な君の……ミアの魅力は私だけが理解していればいいよ」
どういうわけかミアの容姿は彼の好みだったらしい。それは幸いだろう。しかし、情熱的という部分に関しては疑問を抱く。
ミアはあまりひとつの物事に熱中する性格ではないのだ。
「あなたがそれでいいのであれば……」
リオンが満足しているのであれば、ミアが強く拒む理由はない。
少しばかり強すぎる執着も、本来であれば喜ぶべきものだろう。
結婚相手としてこれ以上の好条件はない。
そう、自分に言い聞かせても、幼い日のおまじないを思い出してしまう。
向けられる視線が、桶の中の視線と似ている。
そして、彼の顔を覆う眼帯の位置が、濁った桶と一致するようにしか思えないのだ。




