■第5話「叱ってくれる人がいるうちは、まだまともだ」
人は、誰にも叱られなくなった時に終わる。
――少なくとも、ガルド・レインズはそう思っている。
そして。
彼を叱れる人間は、そう多くない。
⸻
「ガルドさーん!!」
昼のギルド。
今日も元気に怒鳴る声が響く。
「なんだミレナ」
「なんだじゃないです!! これ見てください!!」
叩きつけられる帳簿。
そこには――見事なまでの赤字が並んでいた。
「……芸術的だな」
「褒めてません!!」
ミレナは机に突っ伏した。
「なんで増えてるんですか借金!?」
「昨日屋台やっただろ」
「やりましたね!」
「罰金取られた」
「当然です!!」
リオが横でため息をつく。
「だからやめてくださいって言ったじゃないですか……」
「結果論だ」
「違いますよ!」
その時だった。
ギルドの扉が、静かに開いた。
空気が変わる。
ざわつきが、一瞬で止まる。
「……あら」
柔らかな声。
だが、その一言で場が引き締まる。
入口に立っていたのは――
若い女性だった。
長い銀髪。整った顔立ち。静かな気品。
だが、その目には――確かな威圧がある。
「……リディア先生」
リオが思わず呟く。
魔法学園の学園長。
リディア・エルフェルン。
見た目は若いが、その実、長い年月を生きている存在。
そして――
「ガルド」
彼女は、真っ直ぐにその名を呼んだ。
空気が、凍る。
「……よお」
ガルドが、珍しく目を逸らした。
「元気そうじゃねえか」
「ええ。あなたと違って、ね」
にこり、と笑う。
だが、目は笑っていない。
「……なんでここにいる」
「呼ばれたからよ」
視線が、ミレナへ向く。
「え?」
ミレナが固まる。
「借金が増え続けている問題児がいると聞いて」
ゆっくりと歩み寄る。
「それが、誰かしら?」
完全にわかっている顔だった。
ガルドはそっと後ろに下がろうとする。
「逃げるな」
「はい」
即座に止められた。
⸻
「……で?」
数分後。
ガルドは正座させられていた。
ギルドのど真ん中で。
「何か言うことは?」
リディアが腕を組んで見下ろす。
「……すみません」
「何が?」
「色々」
「曖昧ね」
ぴしゃりと言われる。
リオとミレナは、少し離れた場所で見守っていた。
(すごい……完全に押さえ込んでる)
あのガルドが、逆らえない。
「借金を増やした理由は?」
「……商売」
「失敗したのね」
「成功しかけた」
「結果は?」
「……失敗」
「なら失敗ね」
容赦がない。
「あなた、昔からそうだったわね」
リディアはため息をつく。
「結果を見ないで、過程だけで満足する」
「そんなことは――」
「あるわ」
即断。
「だから無茶をする」
静かな声。
「だから、危ない橋を渡る」
ガルドは黙る。
「……変わってない」
ぽつりと呟かれた。
⸻
「……昔って」
リオが小さく呟く。
ミレナも耳を傾ける。
リディアは、少しだけ目を細めた。
「あなた、あの時も同じこと言ってたわね」
「……どの時だ」
「覚えてないの?」
「覚えてる」
短いやり取り。
だが、空気が違う。
「でもな」
ガルドが口を開く。
「結果、うまくいっただろ」
「……ええ」
リディアは頷く。
「うまくいった」
少しだけ、表情が緩む。
「あなたがいたから」
静かな言葉。
だが重い。
リオは息を呑む。
(やっぱりこの人……)
ただの酔っ払いじゃない。
「でもね」
リディアの声が戻る。
「それとこれとは別よ」
「……はい」
「今のあなたは、ただのだらしない大人」
「はい」
「叱られる理由がある」
「はい」
完全に従順だった。
⸻
「……でも」
リディアが少しだけ視線を緩める。
「生きてるのは、良かったわ」
その一言に、ほんの少しだけ温度があった。
ガルドは目を逸らす。
「簡単に死ぬかよ」
「そういう問題じゃない」
優しく、だがしっかりとした声。
「あなたは、そういうところがあるから」
ガルドは何も言わなかった。
⸻
「で、これからどうするの?」
リディアが聞く。
「働く」
「具体的に」
「……ちゃんと依頼受ける」
「ちゃんと、ね」
疑いの目。
「本当だって」
「信用はしてない」
「ひでえな」
「事実よ」
容赦ない。
リオは思わず笑いそうになった。
(この人……強い)
ガルドをここまで抑えられる人がいるとは。
⸻
「リオくん」
「は、はい!」
突然名前を呼ばれ、リオは姿勢を正す。
「あなた、この人と組んでるの?」
「はい……一応」
「大変でしょう?」
「はい」
即答だった。
リディアが小さく笑う。
「でしょうね」
「でも」
リオは少しだけ考える。
「……勉強にはなってます」
「そう」
リディアは頷いた。
「それならいいわ」
そして、ガルドを見る。
「ちゃんと面倒見なさい」
「俺がか?」
「あなた以外に誰がいるの」
「……はい」
珍しく素直だった。
⸻
「じゃあ、一つ課題を出すわ」
リディアが言った。
「課題?」
「ええ」
にこりと笑う。
嫌な予感しかしない。
「今から、魔法学園に来なさい」
「は?」
「臨時講師が足りないの」
「なんで俺が」
「適任だから」
「どこが」
「戦闘経験」
「教えられねえぞ」
「知ってる」
「じゃあなんでだ」
「そこをどうにかするのが、あなたの課題」
「無茶言うな」
「無茶じゃない」
リディアは一歩近づく。
「昔はできてたでしょう?」
ガルドが止まる。
ほんの一瞬。
沈黙。
「……あれは」
「できてた」
言い切る。
「だからやりなさい」
逃げ道はない。
⸻
「……わかったよ」
ガルドがため息をつく。
「やりゃいいんだろ」
「ええ」
「リオも来い」
「なんでですか!?」
「助手だ」
「聞いてません!」
「今決めた」
「勝手すぎます!」
だがリディアは頷いた。
「いいわね」
「いいんですか!?」
「二人の方が効率がいい」
「巻き込まれた……」
⸻
数時間後。
魔法学園。
広い訓練場。
若い生徒たちが並んでいる。
「……マジでやるのか」
ガルドがぼやく。
「やるって言ったじゃないですか」
「言ったな」
「逃げないでくださいよ」
「逃げねえよ」
前に立つ。
視線が集まる。
ざわざわとした空気。
「えーっと」
ガルドが頭をかく。
「強くなりたいか?」
シンプルな問い。
生徒たちが頷く。
「じゃあ――」
一拍。
「とりあえず殴り合え」
「ダメです!!」
リオが即止めた。
場がざわつく。
「え? 違うのか?」
「違います!!」
「じゃあどうすんだ」
「ちゃんと教えてください!」
「だから教えられねえって」
「頑張ってください!」
後ろでリディアが見ている。
逃げられない。
「……ちっ」
ガルドが舌打ちする。
少しだけ考える。
「……まあいい」
ゆっくりと前に出る。
「一つだけ教える」
空気が変わる。
ほんの少しだけ。
「死ぬな」
静かな声。
それだけだった。
「それだけですか!?」
リオが叫ぶ。
「それが一番大事だ」
ガルドは言う。
「強くなるとか、その後だ」
生徒たちは、静かに聞いている。
「生き残れ」
短い言葉。
だが、重い。
リディアはそれを見て、少しだけ微笑んだ。
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その後の授業は――
当然、カオスだった。
「違う違う! 力みすぎ!」
「だからどうすればいいんですか!?」
「感覚だ!」
「出ましたそれ!!」
リオが頭を抱える。
生徒たちも混乱している。
だが――
時々見せる動き。
それだけは、本物だった。
⸻
夕方。
授業が終わる。
「……疲れた」
ガルドが座り込む。
「こっちのセリフです」
リオがため息をつく。
そこへ、リディアが歩み寄る。
「お疲れ様」
「もうやらねえぞ」
「またお願いするわ」
「やらねえって言ってるだろ」
「借金、減らしてあげてもいいけど?」
「やる」
「即決ですね!?」
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叱ってくれる人がいるうちは、まだまともだ。
道を外れすぎないで済む。
戻ってこれる。
だから――
その存在は、きっと大事なんだ。
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「なあリオ」
「なんですか」
「教師って大変だな」
「今さらですか」
「門番よりきつい」
「比較対象そこなんですね」
リオは笑った。
ガルドも少しだけ笑う。
そんな日常が、また一つ増えた。
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「明日は?」
「普通に依頼だ」
「安心しました」
「その前に飲むか」
「安心撤回します」
笑い声が響く。
騒がしくて、どうしようもない日々は――
今日もちゃんと、続いていく。




