■第1話「昼間から飲む理由なんて、だいたいくだらない」
昼間から酒を飲む理由なんて、だいたいくだらない。
そしてそのくだらない理由を、誰よりも真剣に語る男がいる。
「なあリオ。人間ってのはな、昼に飲む酒が一番うまいんだ」
昼下がりのギルド酒場。窓から差し込む光の中で、ジョッキを掲げているのは、腹の出た中年男だった。
髪は無造作、服はよれよれ、腰には一応剣があるが、手入れされている気配はない。顔には無精ひげ。どう見ても、まともな冒険者には見えなかった。
「それ、ただの言い訳ですよね?」
向かいに座る青年――リオ・クラウスは、ため息をつきながら言った。
彼はまだ若い。背筋は伸び、装備も整っている。真面目さが服を着ているような男だ。
「言い訳じゃない。哲学だ」
「哲学でツケは払えません」
カウンターの向こうから、ぴしゃりと声が飛ぶ。
「ガルドさん、いい加減にしてくださいよ! 今月だけで何回目ですか!」
受付嬢のミレナ・フィルが、帳簿を叩きながら睨んでいた。
その視線の先にいるのが――ガルド・レインズ。
かつて、勇者の裏方として名を馳せた男……らしいが、今の姿からは微塵も想像できない。
「いやあ、ミレナ。今日はちゃんと稼ぐ予定があるんだ」
「昨日も同じこと言ってましたよね?」
「昨日は予定だった。今日は確定だ」
「どっちも信用できません!」
ミレナが頭を抱える。
リオはちらりとガルドを見る。
(……この人、本当に大丈夫なのか?)
昨日、初めて会ったばかりだった。軽い依頼に同行してくれと言われて、ついてきたのがこの男だ。
そして――
(あの戦いは、なんだったんだ……)
ゴブリンの群れ。十数体。
本来なら新人一人では厳しい数だった。
だが、ガルドは――
『あー、めんどくせえな』
そう言いながら、剣を一振りしただけで、すべてを終わらせた。
無駄のない動き。躊躇のない判断。
まるで戦いを知り尽くしているような、完成された動きだった。
(……なのに、なんで今はこうなんだ)
「リオ、聞いてるか?」
「聞いてませんでした」
「正直だな。嫌いじゃない」
ガルドは笑いながら酒を飲み干す。
そして、立ち上がった。
「よし、行くぞ」
「どこにですか」
「稼ぎに決まってんだろ。金がなきゃ酒が飲めねえ」
「さっき哲学って言ってましたよね?」
「哲学にも資金がいる」
「もう何でもありですね……」
リオは渋々立ち上がる。
ミレナは腕を組んだまま睨んでいた。
「本当にちゃんと稼いでくださいよ! 今度こそ!」
「任せろ。今日は“でかいの”狙う」
ガルドはにやりと笑った。
その笑みが、妙に嫌な予感を呼ぶ。
⸻
ギルドの掲示板の前。
依頼書がびっしりと並んでいる。
「どれにします?」
「んー……」
ガルドは適当に眺める。
そして、一枚を引き抜いた。
「これだな」
リオが覗き込む。
「……討伐依頼? 森の奥に出る大型魔物……危険度B?」
「おう」
「おう、じゃないですよ! 僕まだDランクですよ!?」
「大丈夫だ。俺がいる」
「その言葉、信用していいのか判断に困るんですが」
「昨日見ただろ?」
リオは言葉に詰まる。
確かに見た。あの実力は本物だ。
だが――
「普段のあなたを見てると……」
「普段は省エネモードだ」
「そういう問題ですかね……」
ガルドは依頼書を受付に出した。
ミレナが目を丸くする。
「これ、受けるんですか?」
「おう。今日中に終わらせる」
「本気ですか?」
「本気で酒代が欲しい」
「理由が最悪です!」
⸻
森の奥。
空気が重い。
「……気配、ありますね」
リオが剣を握る。
「おう、いるな」
ガルドはあくびをした。
「緊張感ないんですか?」
「あるぞ。帰ったら何飲むか考えてる」
「それは緊張感じゃないです」
その時――
地面が揺れた。
巨大な影が現れる。
黒い皮膚。太い腕。鋭い牙。
「……オーガ!?」
リオが息を呑む。
想定よりもでかい。明らかに強い。
「ちょっと待ってください、これBどころじゃ……!」
「まあ、ちょっとでかいな」
「ちょっとじゃないですよ!」
オーガが咆哮を上げる。
突進。
速い。
リオが構えるが――間に合わない。
「くっ――!」
その瞬間。
ガルドが一歩前に出た。
「下がってろ」
短い一言。
次の瞬間、世界が変わった。
さっきまでのだらけた男はいない。
立っているのは――
戦いを知り尽くした者。
オーガの腕が振り下ろされる。
ガルドは最小の動きで避ける。
そして、懐に入る。
「遅い」
低い声。
剣が閃く。
一撃。
それだけだった。
オーガの動きが止まる。
次の瞬間、崩れ落ちた。
静寂。
風の音だけが残る。
「……は?」
リオは呆然と立ち尽くす。
何が起きたのか理解できない。
ただ一つわかるのは――
(この人……本当に何者なんだ)
「終わったぞ」
ガルドが剣を振って血を払う。
さっきまでの空気が、嘘のように消えていた。
「……いや、終わったぞ、じゃなくて……」
「ん?」
「なんですか今の」
「斬っただけだ」
「そんな簡単な話じゃないですよね!?」
「細かいことはいいだろ。帰るぞ。喉乾いた」
「いや説明を――!」
⸻
ギルド。
「終わったぞー」
ガルドが軽い調子で入ってくる。
ミレナが顔を上げる。
「え? もうですか?」
「おう」
「嘘ですよね?」
「本当だ」
報告書を出す。
ミレナが確認し――固まった。
「……本当に、倒してる……?」
「だから言っただろ」
リオはまだ呆然としていた。
「ミレナさん……この人……」
「どうしたのリオくん?」
「化け物です」
「ひどい言い方だな」
ガルドは笑う。
報酬が渡される。
それを受け取った瞬間――
「よし、飲むか」
「待ってください!」
ミレナが叫ぶ。
「借金返してください!」
「え?」
「え、じゃないです!」
「今日の分は今日の分だろ?」
「違いますよ!?」
結局、その日の報酬は――
半分以上が酒に消えた。
⸻
夜。
酒場の席。
「……なんでこんな人なんだ」
リオは呟く。
目の前ではガルドが楽しそうに飲んでいる。
あの強さ。
あの技量。
間違いなく、一流どころじゃない。
なのに――
「なあリオ」
「なんですか」
「楽しいだろ?」
ガルドが笑う。
「……まあ、退屈はしませんね」
「だろ?」
それだけ言って、また酒を飲む。
リオはため息をついた。
(……でも、悪くないかもしれない)
この男のそばにいれば、何かが見える気がする。
そんな予感があった。
そして――
「次はもっとでかいのやるぞ」
「やめてください」
くだらない日常は、明日も続く。
⸻
昼間から酒を飲む理由なんて、だいたいくだらない。
だが――
そのくだらなさの中に、確かに“何か”がある。
それをまだ、リオは知らない。
ただ一つわかるのは――
この男が、ただのダメなおっさんではないということだけだった。




