勇者に放置された魔王の末路
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窓辺に佇み、我は千里眼の術を解いた。
視界の奥で揺らめいていた勇者一行の姿が霧散し、代わりに玉座の間の冷たい石壁が眼前に広がる。魔王城の最奥、この薄暗い広間において我、シャラドラシルは実に三百年ものあいだ君臨してきたのであるが、かくも途方に暮れたことは一度としてなかったように思われる。いや、途方に暮れるという表現すら生ぬるいのかもしれぬ。
勇者が来ない。
ただそれだけのことがこれほどまでに厄介な問題になろうとは、創造神ですら予測し得なかったのではあるまいか。無論、神がそのような失態を認めるはずもなく、我のような下僕に弁明などなさるはずもないのであるが、しかしながら現実として、勇者は一向に魔王城へ向かう気配を見せぬのである。
我が存在の意味についてここで少しばかり説明を加えておかねばなるまい。世界というものは光と闇、すなわち創造と破壊の力の均衡によって成り立っている。この均衡が崩れれば世界は滅び、また力そのものが消滅しても同様の結果を招くことになる。通常、これらの力は世界全体に適度に拡散しているものの、時の流れとともに徐々にその総量は減少していく。
枯れゆく泉のごとく、じわじわと、しかし確実に。
そこで現れるのが魔王と勇者という二つの器である。
闇の力を一身に集めた魔王と、光の力を宿した勇者。両者が相まみえ、互いに滅ぼし合うことでその器に蓄えられた力が世界へと解き放たれる。これこそが神の定めたシステムであり、我が存在する理由に他ならぬ。魔王とは世界を滅ぼす災厄などではなく、実のところ神の忠実なる僕なのだ。勇者もまた同様であり、英雄などという大層なものではなく、光の運搬人に過ぎない。
されど、勇者にはこのシステムが伝えられることはない。
理由は単純明快で、人間というものは余計な感情に振り回される生き物だからである。真実を知ればおのれの運命を呪い、あまつさえ創造神を殺そうなどという愚かしいことを考え始める者が必ず現れる。
我ら魔族はその点、いささか事情が異なる。
感情がないわけではないがより論理的にシステマチックに物事を捉えることができるのだ。死すべき時に死ぬ、それが世界のためであるならば何を躊躇うことがあろうか。
かくして我は三百年前、先代の勇者と相討ちになった先代魔王の後を継ぎ、新たな器として選ばれた。以来、闘の力を己が身に集め、来たるべき決戦の時を待ち続けてきたのである。そしてついに新たな勇者が誕生したという報せが届いた。
聖剣に選ばれし乙女、光の申し子、人類の希望──呼び名は様々あれど、要するに我の対となる存在が現れたということだ。
当初、すべては順調に見えた。
勇者は辺境の村で聖剣を抜き、その力に目覚めると己の使命を自覚したかのように旅立った。最初の数年は実に模範的な勇者としての道を歩んでいたように思う。魔物を討ち、人々を救い、着実に力をつけていく。我は千里眼を通じてその成長を見守りながら、いずれ訪れるであろう決戦の日を心待ちにしていたものである。
正直期待していた。創造神が今代の勇者について、「彼女はとてもいい子ですよ、勇者としてうってつけです(意訳)」というような事を神託で下してきたからだ。
だが勇者が最初の仲間を得た時、どうも雲行きが怪しくなってきた。
◆
剣聖と呼ばれる女剣士。神に祝福されし刃を持ち、その太刀筋は疾風の如し。勇者と剣聖、二人の出会いはとある街の酒場で、以降は共に旅を続けることとなる。ここまでは良い。仲間を得ることで勇者は強くなり、より困難な試練を乗り越えられるようになるはずだからだ。
ところがである。
二人の足取りがどうにも怪しくなり始めた。魔王城へ向かう街道を進んでいたかと思えば、突如として方向を転じ、何の脈絡もなく港町へ向かう。港町で何をするのかと思えば、ただ店を眺めて歩き回るばかり。武器屋に入っては何も買わず、防具屋を覗いては首を傾げ、宝飾店の前で足を止めては長々と立ち話をしている。
「ねえねえ、あの指輪ちょーかわいくない?」
「わかるー。でもさ、今は旅の資金を温存しとかないと」
「それはそうなんだけどさー。見るだけならタダじゃん?」
千里眼を通じて届く会話の内容に我は首を傾げざるを得なかった。指輪? 旅の資金? そのようなことを議論している場合であろうか。世界の命運がかかっているというのに。
その後、聖女が仲間に加わった。
神の奇跡を行使する癒し手であり、その清らかなる祈りはいかなる傷をも癒すという。戦士、魔法使い、そして僧侶。冒険者の王道ともいうべき構成が整ったわけでこれでいよいよ魔王城への進軍が始まるものと我は期待した。
期待は見事に裏切られる。
「ちょっとちょっと、あの服見て! 絶対あれ聖女様に似合うって!」
「えー、私にはちょっと派手すぎない?」
「そんなことないってー。試着だけでもしてみようよー」
三人になったことで彼女たちの足取りはさらに迷走を極めた。東へ行っては引き返し、南へ向かっては寄り道をし、北の山脈を越えたかと思えばまた南へ戻る。その移動経路を地図上に描けば、さながら蜘蛛の巣のごとく複雑怪奇な模様を描くことであろう。目的地という概念そのものが消失してしまったかのような、実にとりとめのない旅路である。
さらに賢者が加わった頃には我の困惑は極限に達していた。
古今東西の知識を修め、あらゆる魔術に通じた大魔導師。これほどの知恵者が仲間になれば、さすがに旅の方針も定まるであろうと思われた。賢者ならば世界の危機を理解し、一刻も早く魔王を討つべきだと進言するはずだ。
「うーん、この街の市場、品揃えがいいのよね」
「マジ? じゃあちょっと見ていこうよ!」
「賛成ー。聖女様、あっちに可愛い小物屋さんあったよ」
「本当? 行く行く!」
賢者殿、貴女は一体何を考えておられるのか。
我は玉座の肘掛けを握りしめ、深い溜息を吐いた。四人の勇者一行は今日もまた、何の目的もなく街から街へとさまよい歩いている。店を覗き、品物を眺め、時には何かを購入し、時には何も買わずに立ち去る。その繰り返しが延々と続くのである。
これは何という現象なのか、我には皆目見当がつかなかった。人間の女というものはかくも目的意識というものを持たぬ生き物なのであろうか。
世界の均衡は刻一刻と崩れつつある。
現在、闇の力がかなり優勢な状態にあり、このまま放置すれば遠からず取り返しのつかない事態を招くことになる。勇者と魔王が相討つことで力を解放し、均衡を取り戻さねばならぬ。それが我らに課せられた使命であり、存在意義であるというのに。
何か手を打たねばならぬ。
我は思案の末、まず情報操作という手段に訴えることにした。人間の世界に流言を広め、魔王城の所在と、そこに眠る伝説の財宝について噂を流すのである。勇者一行が財宝に興味を示せば、おのずと魔王城へ向かうことになるであろう。
「ねーねー、魔王城に超すごいお宝があるらしいよー」
「へー、でも魔王城とか遠くない?」
「だよねー。それより、あっちの店見に行こ」
「いこいこー」
駄目であった。
彼女たちにとって、伝説の財宝よりも目の前の店のほうがよほど魅力的らしい。では財宝ではなく別のものではどうか。我は魔王城の近くに勇者の力を高める聖なる泉があるという噂を流した。
「聖なる泉? 肌がきれいになるとか?」
「さあ、そういうのじゃなくて、力が強くなるとかじゃない?」
「えー、別に今より強くなりたいとか思わないんだけど」
「わかるー」
これも駄目である。
ならば物で釣ってみてはどうか。我は魔力を用いて、勇者一行の移動先にさりげなく強力な武具を配置した。伝説の鎧、神話の盾、古の魔導書。それらを「偶然」発見すれば、より強力な装備を求めて魔王城を目指すのではないか。
「見て見て、この鎧めっちゃかっこよくない?」
「いいじゃん! でもちょっと重そー」
「だよねー。動きにくいのはちょっとなー」
「やっぱ今の装備のほうが可愛いし」
「わかるー」
彼女たちは伝説の鎧を一瞥しただけで何の感慨もなく立ち去っていった。我が魔力を込めて創り出した至宝を可愛くないという理由で見捨てたのである。
さすがの我もこのあたりで軽い眩暈を覚えた。
可愛いとは何なのか。強さよりも可愛さを優先するとは一体どういう価値観なのか。人間の女というものは我が思っていた以上に理解不能な存在であるらしい。
そして──二年の月日が流れた。
◆
勇者一行の旅は相変わらず迷走を続け、魔王城へ向かう気配は微塵も見せない。彼女たちは今日も今日とて、どこかの街で店を眺めて歩き回っているのであろう。
世界の均衡はもはや猶予のない段階に達していた。
闇の力があまりにも優勢になりすぎている。このままでは魔王と勇者が相討つ前に世界そのものが崩壊してしまう。我は魔物を使って勇者を導こうかとも考えたがそれは不可能であった。現状、闇の力が優勢なのである。ここで魔物を放ち、村や街を襲わせでもすれば、均衡はさらに闇の側に傾き、事態はいよいよ悪化する。
万策尽きた。
我はついに自ら動くことを決意した。人間の姿に身をやつし、勇者一行に接触する。直接誘導するのだ。
黒髪の旅商人に扮した我は勇者一行が滞在する宿場町へと赴いた。市場の片隅に店を構え、彼女たちが近づいてくるのを待つ。やがて、四人の女たちがこちらへ歩いてくるのが見えた。金色の髪を揺らしながら先頭を歩くのが勇者であり、その後ろに剣聖、聖女、賢者が続く。
「いらっしゃいませ。旅のお方、何かお探しですかな」
「んー、ちょっと見せてー」
勇者は我が並べた品々を物色し始める。魔王城への地図、魔物除けの護符、聖剣を強化する秘薬……いずれも魔王討伐に必要となるであろう品を揃えておいたのだが彼女の目はそれらを素通りし、隅に置いた装飾品のほうへと向かった。
「あ、この髪飾りかわいー」
「それはええと……」
「これいくら?」
「いえ、それよりもこちらの地図をご覧ください。魔王城への最短経路が記されておりまして」
「地図? べつにいらないかなー」
「しかし魔王を討つためには」
「そんな事よりさ、ね、この髪飾り、私に似合う?」
そんな事より、だと!?
我は表情を崩さぬよう努めながら、内心で歯噛みした。
その後も我は何度か姿を変えて勇者一行に接触を試みた。賢者を装って魔王の脅威を説き、老兵士を装って魔王城への道を教え、占い師を装って運命を告げた。しかしそのいずれも徒労に終わる。彼女たちは我の言葉に適当に相槌を打ちながら、結局は別の方向へと歩き去っていくのである。
もはや猶予はない。
我は意を決し、勇者一行の前に真の姿で現れることにした。本来であれば、魔王城という特定の座標において決戦を行わねば、力の拡散が上手くいかないのだがこの際贅沢は言っていられぬ。ここで直接戦い、相討つ形で力を解放するしかあるまい。
草原の只中で我は変身を解いた。
黒き翼を広げ、闇を纏い、三百年の歳月を生きた魔王としての威容を取り戻す。四人の女たちが目を丸くしてこちらを見上げている。
「我が名はシャラドラシル。汝ら人間が魔王と呼ぶ存在である」
「……えっ」
「勇者よ、聖剣を抜け。死にゆく者こそ美しい──我と戦い、互いに滅びゆくのだ」
「いやいやいや、ちょっと待ってよ」
勇者は慌てたように両手を振った。その反応は我が予想していたものとはずいぶん異なっていた。恐怖でもなく、憎悪でもなく、戦意でもない。どこか呆れたような、困惑したような表情を浮かべている。
「あのさー、おじさん」
「おじさんではない。魔王だ」
「うん、だから魔王のおじさんでしょ?」
言い返す言葉が見つからなかった。確かに人間の基準で言えば我は相当な年齢に達している。おじさんと呼ばれても仕方がないのかもしれぬ。しかし魔王に対する態度としてはあまりにも緊張感に欠けるのではないか。
「つーかさー、おじさんってあれでしょ? あの旅商人のおじさんとか、あの占い師のおじさんとかと同じ人でしょ?」
「……気づいておったのか」
「そりゃわかるって。魔力が全部同じカンジだし」
我は言葉を失った。変装はバレバレであったというのか。しかし気づいていたなら何故何も言わなかったのだ。
「だって、別に害はなさそうだったし。なんか一生懸命地図とか見せてくれたり、道を教えてくれたりしてたから、いい人なのかなーって」
「いい人ではない。魔王だと言っておろう」
「でもさー、悪い人っていうか、悪い魔王? だったら最初から襲ってくるでしょ。おじさん、ずっと私たちの後ついてきてたけど、結局何もしなかったじゃん」
それは貴女がたを魔王城へ誘導しようとしていたからであって、決して善意からではないのだが。
「とにかく、我と戦え。でなければ世界が滅びる」
「えー、やだよ」
「やだではない。これは使命なのだ」
「使命とか言われてもさー。だって、おじさんいい人じゃん。戦いたくないよ」
いい人ではないと何度言えばわかるのか。
我は苛立ちを抑えきれず、力を解放した。闘の波動が周囲に広がり、草が枯れ、大地が震える。これでも戦わぬと言うか。
「来い、勇者。貴様の聖剣で我を貫け」
「だからやだって」
「ならば、我から参る!」
我は勇者に向かって突進した。圧倒的な闘の力を込めた一撃。これを受ければ、いかに聖剣の加護があろうとただでは済むまい。我が力が自身を殺め得ると知れば、この怠惰な勇者もその気になるであろう。
だが次の瞬間、我は己の目を疑った。
勇者はあっけなく吹き飛ばされていた。
地面を転がり、岩にぶつかり、ぐったりと動かなくなる。一撃。たった一撃で勇者は瀕死の重傷を負ってしまったのである。
「なっ……」
我は慌てて勇者の元へ駆け寄った。脈を確かめ、傷を確認し、急いで治癒の魔術を施す。我は魔王──魔物たちの王、そして魔術の王でもある。大抵の魔術は使えるのだ。
「おい、しっかりしろ。死ぬでない」
「いたい……」
勇者がうめき声を上げる。どうやら命に別状はないようだ。我は安堵の息を吐きながらも同時に深い困惑に囚われていた。
弱すぎる。
勇者というものは聖剣の力によって常人を遥かに超える能力を持つはずである。我と対等に渡り合い、激戦の末に相討つ。それが本来の姿であるというのに、この勇者はあまりにも弱すぎた。
理由は明白であろう。ろくに試練を乗り越えてこなかったからだ。
五十年もの歳月を費やしながら、この勇者は店を眺めて歩き回ることしかしてこなかった。魔物と戦うことも困難を克服することも己を鍛えることも。何もしてこなかったのだ。聖剣の力に頼り切り、自らを高める努力を怠り続けた結果がこの体たらくである。
「おじさん……」
「黙っておれ。今治しておる」
「ごめん……」
「謝られても困る」
治癒の光が勇者の傷を癒していく。我は黙々と術を行使しながら、次の手を考えていた。勇者が弱すぎて戦いにならぬ。かといって、一方的に我が勇者を殺しても力は適切に拡散されぬ。相討つ形でなければ意味がないのだ。
ならば、方法は一つしかない。
我は治癒を終えると、勇者の腰から聖剣を抜き取った。神々しい光を放つ刃が我の手の中で輝いている。闇の存在である我が触れれば、本来ならば猛烈な拒絶反応が起こるはずなのだが今の聖剣にはそれほどの力が宿っていなかった。勇者と同様、ろくに使われてこなかったせいであろう。
「おじさん、何してるの?」
「我がこの剣で己を貫く。そして我が身を以てこの剣を砕く。適切な手順を踏んでいないゆえ、世界の寿命はほんの少し伸びるに過ぎないが──もはや手段の是非を問うてはいられまい」
「えっ、ちょっと待って」
勇者が慌てて起き上がる。治癒の甲斐あって、傷はほぼ塞がっているようだ。
「待つ必要はない。これが最善の方法だ」
「最善とかそういう問題じゃないって! おじさん死んじゃうじゃん!」
「それが我の役目だ。魔王とはそういう存在なのだ」
我は聖剣の切っ先を己の胸に向けた。あとは力を込めて突き刺すだけ。三百年に及ぶ我が生涯もこれで幕を閉じる。
「やめてよ!」
勇者が飛びかかってきた。
聖剣を握る我の手を必死になって押し返そうとしている。だが弱すぎる。こんな程度の力で我を止められるはずがない。
「どけ」
「やだ! 絶対やだ!」
「なぜ止める。貴様には関係のないことだ」
「関係あるよ! おじさん、ずっと私たちのこと見守ってくれてたでしょ! なんか変な人だなーとは思ってたけど、でも悪い人じゃないってわかってたから!」
「だから悪い人だと言っておろう。魔王だぞ、我は」
「魔王だから何だってのさ! いい人はいい人だよ!」
論理が破綻している。魔王がいい人であるはずがないではないか。世界を滅ぼす存在、人類の敵、闇の化身。それが魔王というものなのだ。
いや、違う。
我は世界を滅ぼすつもりなどなかった。世界を救うために死のうとしているのだ。魔王としての役目を果たすために。
「いいから離せ。世界のためなのだ」
「世界とかどうでもいいよ!」
「どうでもよくないであろう! 貴様も世界に住んでおるのだぞ!」
「そうだけど! でもおじさんが死ぬのはやだ!」
勇者の目から涙が零れ落ちた。なぜ泣くのか。我と貴様は今日初めて言葉を交わした間柄ではないか。いや、旅商人の時にも言葉は交わしたがあれはほとんど一方通行であった。我の存在など、貴様にとっては取るに足らぬものであったはずだ。
「なぜ、そこまで」
「わかんない。でもやだ」
理由もなく嫌だと言われても困るのだが。
我は溜息を吐いて聖剣を突き出そうとしたが勇者の抵抗が予想以上に激しくなった。先ほどまでの弱々しさが嘘のように凄まじい力が腕を通じて伝わってくる。
「おい、力が」
「うるさい! 死なせない!」
聖剣が輝きを増していく。勇者の内に眠っていた光の力が今この瞬間、急速に覚醒しつつあるのだ。
しかし我とて退くわけにはいかぬ。光と闇が混じり合い、反発し、膨れ上がっていく。
「離せ! 邪魔をするな!」
「やだ! 絶対やだ!」
我もまた必死であった。必死になれば、当然ながらこれまで以上に力の出力が高まる。抑えていた闇の力が解放され、聖剣に流れ込んでいく。
そして聖剣が砕けた。
光と闇の力を同時に吸収し、許容量を超えた聖剣が粉々に砕け散ったのだ。無数の破片が空へと舞い上がり、やがて眩い光を放ちながら消えていく。
その光は世界中へと広がっていった。
光と闇、創造と破壊の力が適切な均衡を保ちながら世界へと拡散されていく。本来ならば魔王城で行われるべき儀式がこの草原において、しかも誰も死ぬことなく完遂されたのである。これほどの力の拡散ならば、世界は文字通り救われたといっても過言ではあるまい。
我は呆然と空を見上げていた。
「なんか、きれい」
隣で勇者がつぶやく。確かに光と闇が織りなす光景は美しかった。しかし我の心中は複雑であった。
「死ねなかった」
「死ななくてよかったじゃん」
「そういう問題では……いや、もう良い」
結果として世界は救われた。それならば、方法など些細なことなのかもしれぬ。いや、これが神の望んだ結末なのかもしれぬとも思われた。あるいは神ですら予想していなかった展開なのかもしれぬが。
「おじさん、これからどうするの?」
「さて、どうするか」
魔王としての役目は終わった。次の魔王が選ばれるのは数百年後のことであろう。それまで我は何をして過ごせばよいのか。
「よかったら、一緒に旅しない?」
「……は?」
「だって、おじさん一人じゃ寂しいでしょ。私たちと一緒に来なよ」
剣聖、聖女、賢者が無言でうなずいている。彼女たちもまた、我を受け入れるというのか。
「我は魔王だぞ」
「元魔王でしょ? もう聖剣ないし」
「それはそうだが」
「じゃあ決まり! ねー、みんな、次どこ行く?」
「あ、私あっちの街に可愛いお店があるって聞いたんだけど」
「マジ? 行こ行こ!」
彼女たちはまるで何事もなかったかのように歩き始めた。世界を救ったという自覚がまるでないようである。いや、そもそも世界の危機など認識していなかったのであろう。
「ほら、おじさんも早く!」
勇者に手を引かれ、我は歩き出した。これから先、どのような旅になるのかは皆目見当がつかぬ。ただ一つ言えることは魔王城へ向かう旅ではないということだけである。
店を眺め、品物を見て、時には何かを買い、時には何も買わずに立ち去る。そのような旅が延々と続くのであろう。
「あのね、さっきの街で見た髪飾りのことなんだけどさー」
「まだ言っておるのか」
「だって可愛かったんだもん!」
我は深い溜息を吐いた。
どうやらこれが人間の女というものらしい。理解できぬ。全くもって理解できぬ。だが不思議と不快ではなかった。
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◆◆◆
魔王と勇者が和解? をしてから、七十年の月日が流れた。
世界には新たな危機が迫っていた。
冥界と呼ばれる異界から、怪物たちが押し寄せてきたのである。それらは魔物とは異なる存在であり、光も闇も関係なく、ただ破壊と殺戮のみを求めて暴れ回った。
人間たちは為す術もなく蹂躙されていった。
軍隊は壊滅し、都市は陥落し、国々は次々と滅んでいく。かつての勇者は老いさらばえ、もはや剣を握る力すら残っていない。剣聖も聖女も賢者も同様に年老いて引退していた。次代の勇者が選定される気配もない。
そんな中、とある小国の城塞都市が冥界の怪物に包囲されていた。
防壁には無数のひびが入り、今にも崩れ落ちそうである。城壁の上では残り少ない兵士たちが必死の抵抗を続けているがもはや時間の問題であった。
「もう駄目だ……」
「神よ、お救いください……」
絶望の声が響く中、突如として空が暗くなった。
暗雲が空を覆い尽くしている。
そして、暗雲を突き破る様にして漆黒の炎弾が降り注いだ。
冥界の怪物たちが一瞬にして焼き尽くされていく。だが圧倒的な魔力を秘めた黒炎は敵だけを選別して焼き払い、人間には一切の害を及ぼさなかった。
城壁の上で兵士たちが呆然と空を見上げている。
その視線の先に一人の男が浮かんでいた。黒き翼を広げ、闇を纏っている。明らかに尋常の存在ではない。
「やれやれ」
男は溜息をついた。
「なぜ我が勇者の真似事をせねばならぬのか」
独り言のようにつぶやきながら、男は周囲を見回す。怪物たちはその数を大分減らしているようだ。
「しかし仕方あるまい」
男は再び溜息を吐いた。
「あの娘は老いさらばえ、戦う力を失っておる。まあ若い頃も大して変わらんが……。ともかく、次代の勇者が選定される気配もないとくれば、我がやるしかあるまいて」
城壁の上から、兵士たちがおずおずと声をかけてきた。
「あ、あの……貴方様は一体……」
男は振り返り、その顔に不敵な笑みを浮かべた。どこぞの元勇者に滅茶苦茶にされた魔王としての威厳を取り戻すかのように。
「我が名は魔王シャラドラシル」
朗々たる声が響き渡る。
「侵略者共よ、聞くがよい!」
黒き翼が大きく広がり、闇の力が渦を巻く。
「汝らの滅びこそ我が喜び。死にゆく者こそ美しい。さあ、わが腕の中で息絶えるがよい!」
高らかに宣言を終えると、魔王は極大の闇の炎を怪物たちへと解き放った。
(了)




