第4話 十秒予知者の配信
桜の季節が過ぎ、新緑が眩しくなる頃。久我蒼の生活は、完全なる二層構造となっていた。
昼は、ごく普通の高校二年生。 授業を受け、部活には入らず、図書室で時間を潰し、友人と他愛のない話をする。そこにあるのは、どこにでもいる「背景」としての顔だ。
しかし、夜になると彼は変貌する。 自室のドアを閉め、防音カーテンを引いた瞬間、彼は冷徹な事業家であり、そして――誰も知らない「予知能力者」となる。
机の上には、FXで稼いだ資金を惜しみなく投じて揃えた、最新鋭の機材が鎮座していた。
虹色に発光するハイスペックなゲーミングPC、スタジオ品質のコンデンサーマイク、高解像度のキャプチャーボード、そして顔色を明るく補正するリングライト。 総額にして数十万円。高校生にとっては大金だが、蒼にとっては必要な「初期投資」に過ぎない。
「……さて、やるか」
蒼は新品のゲーミングチェアに深く腰掛け、軽く首を鳴らした。 FXは順調だ。だが、為替市場は水物であり、いつ規制や暴落で足をすくわれるかわからない。 リスクヘッジのためには、収益の柱をもう一本増やしておくべきだ。彼はそう判断していた。
選んだフィールドは「ゲーム配信」。 それも、ただ楽しむだけではない。彼の能力である「十秒先の未来視」が、最も効率的に、かつ劇的に機能するジャンルを選ぶ。
(格闘ゲーム、あるいは高難易度アクションのRTA。ここが狙い目だ)
フレーム単位の反応速度が求められる世界において、十秒先の確定した未来を知っているアドバンテージは、単なるチート(不正行為)すら凌駕する「神の領域」にある。
◇
まずは、実験だ。 配信ソフトを起動する前に、蒼は一人で検証を重ねた。 選んだのは、世界的に人気のある対戦格闘ゲーム。
CPUの難易度を最高に設定し、対戦を開始する。 相手がゲージを溜め、超必殺技を放つモーションに入った瞬間。 蒼は心の中でスイッチを入れた。
(見たい)
視界が二重になる。 十秒後の未来。 画面上の敵キャラクターが放つ技の軌道、判定が発生するフレーム、そして技が終わった後の無防備な硬直時間。それらがすべて、スローモーションのように脳内に流れ込んでくる。
(上段ガード、三フレーム後にしゃがみ中足、そこからフルコンボ……)
それは反射神経ではない。 すでに答えが書かれている回答用紙をなぞるだけの、単純な作業だ。
現実の時間で敵が動く。 蒼はあくびが出そうなほど冷静に、未来で見た通りのコマンドを入力した。 敵の攻撃を紙一重で回避し、強烈なカウンターを叩き込む。 K.O.の文字が画面に踊った。
「……なるほど、いける」
だが、同時に課題も浮き彫りになった。 一度能力を使えば、六十秒間の「クールダウン」が発生する。 格闘ゲームのワンラウンドは六十秒から百秒程度。つまり、能力が使えるのは、基本的に「ラウンドに一回」だけだ。
もし、能力に頼りきって、それ以外の時間を無様に過ごせば、「一発屋のラッキーボーイ」で終わってしまう。 継続的な人気を得るためには、実力が必要だ。
そこからの蒼の行動は徹底していた。 彼は一ヶ月間、配信を行わずにひたすら「トレーニング」に打ち込んだ。
能力を使わずに、普通にプレイして実力を底上げする。 そして、能力を使った直後の「クールダウン」をどう誤魔化すか、その演技を磨く。 リアクションの声色、コメントへの返し、わざとらしいミスの入れ方。 すべてを計算し、ノートに書き出し、体に覚え込ませた。
◇
そして、準備は整った。 五月の週末。蒼は深呼吸をして、配信開始のボタンをクリックした。
タイトルは『【初見歓迎】格ゲー初心者ですが、ランクマ潜ります』。 画面上のオーバーレイには、シンプルに自分のハンドルネーム**「Aether_Ao」**だけを表示させている。
最初は視聴者ゼロ。 だが、継続してプレイするうちに、数人が迷い込んできた。
「こんにちは、見に来てくれてありがとうございます」
蒼は落ち着いたトーン、いわゆる「イケボ(イケメンボイス)」を意識して挨拶をする。 機材の良さが幸いして、クリアな音声が配信に乗る。
試合が始まる。 序盤は普通にプレイする。一進一退の攻防。わざとらしく被弾し、「うわ、痛いな」とリアクションを取る。 そして、体力が残りわずか、相手がトドメを刺しに来た絶体絶命の瞬間。
(ここだ)
蒼は能力を発動させた。 十秒先の未来。相手の思考、指の動き、画面上のピクセルの変化がすべて見える。
相手の前進に合わせて、蒼は大胆にダッシュした。 見ている側からすれば自殺行為。だが、蒼には見えている。相手がそこで「投げ」を空振りすることを。
相手の攻撃が空を切る。その硬直に、蒼の最大火力のコンボが炸裂した。 逆転勝利。
「……よっしゃ! 読み勝った!」
蒼は少しだけ声を張って喜んでみせた。 コメント欄が流れる。 『今の読みすごくね?』 『まぐれ? いや、反応速すぎだろ』 『GG』
直後、クールダウンが始まる。 蒼はわざとらしく息を吐き、「いやー、緊張した。手汗すごいわ」と語りかけながら、次のマッチングまでの時間を雑談で埋める。 この「集中したあとの脱力」こそが、能力の空白時間を隠すための最大のカモフラージュだ。
配信を終える頃には、同接(同時接続者数)は二桁になっていた。 爆発的な数字ではない。だが、手応えは十分だ。 「神プレイ」と「人間味のあるミス」の黄金比。このバランスさえ保てば、疑われることなくファンを増やせる。
◇
数日後。 学校の体育館裏で、蒼は倉田にスマホの画面を突きつけられた。
「おい蒼! これお前だろ!」
画面には、切り抜き動画が表示されていた。タイトルは『新人配信者の神回避まとめ』。 再生数はまだ数千回だが、コメント欄は盛り上がっている。
蒼は心拍数を変えずに、少しだけ驚いたふりをして画面を覗き込んだ。
「ああ、バレた? こっそり始めたんだけどな」
「やっぱり! 声でわかったわ。お前、いつの間にあんなにゲーム上手くなったんだよ!? あの回避とかプロレベルじゃねーか」
倉田の興奮した様子に、蒼は苦笑して肩をすくめる。
「たまたまだよ。まぐれが続いただけ。それに、あの裏で死ぬほど練習したからね」
「へーえ。ま、お前なんでもそつなくこなすしな。有名になったらサインくれよ」
倉田はあっさりと納得し、またスマホに見入った。 蒼は胸を撫で下ろす。 「練習した」という事実は嘘ではない。その努力の裏付けがあるからこそ、「十秒の奇跡」も才能の一部として受け入れられる。
その夜。 蒼は日課となっている収支計算のノートに、新しい項目を付け加えた。 『配信収益(見込み)』。 まだ微々たるものだが、FXとは違う、自分の「技術」で稼いだ数字だ。
窓の外、街の灯りが星のように瞬いている。 十秒先を見る能力。 それは単なる予知ではない。 「今」を演出し、人々を魅了し、自身の価値を高めるための、最強の舞台装置だ。
蒼はマイクのスイッチをオンにした。 画面の向こうには、彼の「神プレイ」を待つ観客たちがいる。
「こんばんは。今日もやっていきましょうか」
誰にも正体を悟らせないまま、久我蒼は今夜も、十秒先の未来を支配する。




