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08 《混沌の森》で

「お話が終わったら、お城を出て行っちゃうの?その後、どうするつもりなんですか?」


 一度鏡の魔女さんに聞いたことがあった。


 お話が終われば、それぞれの役目は終わり。後は自分で好きなように生きていくことが出来るはず。


 白雪姫ともそんなに仲が良いのなら、そのままお城で暮らせばいいのに……と思ったのだ。


「死んだはずのお妃がいたら、おかしいだろ? 白雪にはこれから人生を共にする夫も出来るし、隣国の王子の妃殿下という立場にもなる。新しい生活にちゃんと集中して欲しいんだよね」


「でもそれこそ、新しい環境に慣れるまでは、魔女さんにいてもらった方が白雪姫も安心するんじゃない?」


「あの娘は見た目ほどヤワじゃないよ。私がちゃんとしっかりした娘に育て上げたからね。それに……」


 魔女さんは、ふっ……と遠い目になる。


「これから先の長い人生を乗り越えるには、ちゃんと夫婦で顔を合わせて会話して、しっかりとした関係を築いていって欲しいのさ。物語の主人公ってのは、本当に大変だからね」


 魔女さんの言葉の意味を飲み込みかねていると、私の肩をポンポンと叩いて言った。


「それより、あんたはどうなの?」


「え? 私?」


「あんたんとこ、ペローのシンデレラも大分話が進んでいるって聞いたよ。例の舞踏会も近付いているんだろ? ……あんたも辛いよね」


 ギクリとしながら「え? なんのことかしら?」とトボけたが、魔女さんは笑って言った。


「あたしにまで隠さなくっていいよ。シンデレラのお相手の王子様が好きなんだろ?」


「え……え……え…………???」


 冷や汗を滝のように流して固まってしまった私を、魔女さんが軽く抱きしめた。


「ごめんよ、バレてないつもりだったんだね。でもヤボな(ウルフ)達にはわからなくても、私にはわかるよ」


「………」


「初恋の相手が、よりによって妹の運命の相手なんてね。あんたの妹もいい子みたいだし、祝福してやりたいけど、心からそう思えないってのは気が重いよね」


「………」


「時には羨ましかったり妬ましかったり、そんな感情を持つこともあるだろう。そんな自分を、いやな奴だと思ったりすることもあるんじゃない?」


「………どうして」

 涙が一粒零れ落ちた。


「………ん?」


 泣いている赤ん坊をあやすように、魔女さんは私の背中をポン、ポン、と優しく叩き続ける。


 そのリズムで赤ん坊が泣き止むのとは逆に、私は涙がふつりふつりと湧き出した。


「どうして、私の気持ちが、そんなに、わかるん、ですか?」


 我慢している嗚咽が、言葉を不必要に切った。


「わかるとも。あんたより何年も何十年も長く女をやってきてるんだよ」


(だけど、お母さんなんて私の気持ち、全然わかってないけど……)


 そう考えてしまってから、また更に自己嫌悪に陥る。


「私、いやな子、なんです。妹にも、嫉妬、するし……。お母さんにも、最近、イラっとしちゃっ……たり、して……」


 昔、二人きりで暮らしていた頃、お母さんは私の世界の全てで、一番好きな人で、お母さんさえ側にいれば何も怖くなかった。


 幸せだった。


 今の家に来てからも、憎まれ役の継母に立候補したお母さんは立派な人だと思っていた。


 それがいつ頃からだろう。心のどこかで(お母さん、ずるい)という気持ちが芽生えたのは。


 お母さんが継母に立候補しなければ、私がシンデレラの “意地悪な義姉” になることもなかった。


 どうせ結ばれない相手なら、いっそ王子様の目に触れることもなく、遠い存在でいられた方が良かった。


 なまじ彼の愛する人(になる予定)のシンデレラの近くにいて、彼女の幸運を目の前で見せつけられるなんて。


 そのくせお母さんだけ、お父様という伴侶に恵まれて、あんなに大事にされて、愛されて。


 私はシンデレラの “意地悪な義姉” になったせいで、王子様と、とは言わないまでも恋人の一人だって出来ないのに。


 ……でも、そんな風に嫌な感情の波にのまれたその後には、どっと後悔の念に襲われる。


 お母さんだって、別に私を苦しめるために継母役になったわけじゃない。悪役になんて誰もなりたがらなくて、このままではシンデレラのお話が進められなくなってしまったから。


 皆の為に継母になっただけなんだと、私だって頭ではよく理解している。


 だから、お母さんを責めるのは間違いだってこともわかってる。


 わかってる……のに。時々どうしようもなく悲しかったり腹が立ったり悔しかったりと負の感情がほとばしってしまい、ついついお母さんを責めたくなってしまうのだ。


 頭ではそんな考えは、間違ってるってわかっているのに。


 私の告白を聞きながら、魔女さんは「うん、うん」とか「そうだねえ」と相槌を打つ。


「私、どんどん、いやな子に……なっちゃって……。自分で、自分が……嫌い……」


「うん、そう思う気持ちはわかるよ。でもね、私に言わせれば、あんたは十分いい娘だよ」


「うそ……」


「おや、あたしは、うそつきかい?」


「ご、ごめんなさい。そんな、つもりじゃ」


 魔女さんはふふっと笑って「わかってるよ」と言った。


「誰かに優しくされたら、嬉しい。意地悪されたら、悲しい。…それは当たり前の感情だろ?」


「ええ」


「同じようにね、自分が欲しいと思うものを他の誰かが持っていれば、羨ましいと思ったり、時には妬ましいと思う。それも人間として自然な感情だと思うよ」


「そう、かしら?」


「そうだよ。大事なのはね、そんな自分の感情を認めて、でも決してその相手にそれをぶつけないようにすること。自分が欲しくて欲しくてたまらないものを、誰かが持っている時、なぜか『ずるい』って思ってしまったりするだろ? でももしかしたら、その相手はあんたの知らないところで努力して努力して、大変な思いをして手に入れたのかも知れない。……まあ、そうじゃないかも知れないけど」


「………」


「他人のことなんて、結局は表面だけしか見えないものさ。そして誰でも自分の不幸や他人の幸せには敏感で、反対に自分の幸せや他人の苦しみには鈍感になりがちなんだよ。でも目に見えていることが全てではないし、あんただって人に見せていることだけが全てではないだろう?」


「………は……い」


 魔女さんの言うことは、半分はわかって、半分は理解出来なかった。


 そんな私の気持ちは声にも出ていて、でも魔女さんは私の心を全部わかった上で包み込むように笑いかけてくれた。


 シンデレラの美貌は、別に彼女が努力して手に入れたものではないし、将来王子様と結婚するのも、自分でその契約を取り付けたわけではない。


 ……でも、もしかしたら私には見えない何かがあるのかな?約束された幸せに見合うだけの苦労とかがあるのかな?……



 鏡の魔女さんとの会話を思い出したおかげなのか、私の気持ちは少し落ち着いていた。


 さっき叩いてしまったシンデレラの手を思い出す。


 手加減をする、つもりだった。でも嫉妬の気持ちで力が入っていた。


 痛かっただろうな。きっと、今までもずっと。


 痛くても私を信じて許してくれていた、心も見た目も美しい妹。


「ごめんね、シンデレラ」

 嫌な自分にきちんと向き合える気分になっていた。


 シンデレラの美貌は、別に彼女が努力して手に入れたものではないし、将来王子様と結婚するのも、自分でその契約を取り付けたわけではない。


 ……でも、もしかしたら私には見えない何かがあるのかな?約束された幸せに見合うだけの苦労とかがあるのかな?……



 鏡の魔女さんとの会話を思い出したおかげなのか、私の気持ちは少し落ち着いていた。


 さっき叩いてしまったシンデレラの手を思い出す。


 手加減をする、つもりだった。でも嫉妬の気持ちで力が入っていた。


 痛かっただろうな。きっと、今までもずっと。


 痛くても私を信じて許してくれていた、心も見た目も美しい妹。


「ごめんね、シンデレラ」

 嫌な自分にきちんと向き合える気分になっていた。


 この《混沌の森》で悪役の皆と出会って、それぞれの物語の役目やストレスやいろんなことを話せるようになって、本当に良かったな。


 皆それぞれのお話での立場のせいで、他の住人からは煙たがられたり嫌われたりしているけど、根はいい人(と狼)ばかりだ。


 女の子同士の友達のような、好きな人の話やおしゃれやお菓子の話は出来ないけれど、似たような悩みを共有する仲間がいて、私は大いに救われている。


 「じゃ、私もそろそろ帰るわね」


 (から)になったバスケットを取ると、狼達にあいさつした。


「おう、サンドイッチとチキン、旨かったって妹に伝えておいてくれ」


「今度はハンバーガーがいいって言っておいてくれよ」


「わかった」


 料理のリクエストをするペロー狼にグリム狼が呆れ顔で突っ込む。


「おい、好意で食い物用意してくれてるのに、こっちから食いたいもの要求するとかやめろよ」


「シンデレラは今アメリカンな気分なんだろ?いいじゃねえか。作りたいものと食いたいものが丁度合ってて」


「次はイタリアンな気分になってるかも知れねえだろ?」


「ピザでも俺は構わねえ」


「『構わねえ』とかえらそーに言うな。何が来ても有難たく食え」


 いつもは悪ぶってることが多いグリム狼だが、中身は結構常識派だったりする。


 マイペースなペロー狼とはいいコンビだ。


「じゃ、またね」と手を振ると、狼達が「おおーう! またなー!!」と吠えた。


 クスクス笑いながら家に向かうと、前から歩いてきた知らない男達がすれ違いざまに「公共の森でデカいツラしやがって」「悪者のくせに」とつぶやくのが聞こえた。


 驚いて振り向くと「うわ、睨んでる。気の(つえ)え女」「可愛げのないやつ」と追い打ちをかけてくる。


 楽しかった仲間達とのひと時を汚された気分になり、しばらくその場に立ち尽くした。




 数日後、更に事件が起きた。

 《物語進行委員会》から、私宛にイエローカードが届いたのだ。

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