02 こんにちは、シンデレラ
翌週、家の前に小ぢんまりとした、でも綺麗な装飾のついた馬車がやってきた。母は私をその馬車に乗せた後、自分も一緒に乗り込み、「これから新しいお家に行くわよ」と言った。
新しいお家?
これからそこに住むの?
今までのお家じゃだめなの?
思いつく限りの疑問を口にしたが、母は「向こうに着いたら全部話すわ」とだけ言った。
私はまた不安になり、初めて見る馬車からの眺めにも目もくれず、ぎゅっと両手を握りしめていた。
やがて馬車は、とあるお屋敷に着いた。
それほど広くない庭と、豪邸とは言えないくらいの屋敷だったが、今まで私達が住んでいた町中の住宅に比べれば、はるかに立派だった。
小さめながら庭はきちんと手入れが行き届いていたし、家の中もきれいに掃除され、決して多くはないもののいくつかの美術品が飾られている。
応接間に通された私達は、そこでその家の主人という男の人に迎えられた。
中肉中背で目立たない風貌だったが、少し小さめのその眼は優しそうで、着ている服も落ち着いた上品なものだった。
母は珍しくモジモジした様子で言った。
「あなたの新しいお父様よ」
……お父様!
お父……様?
“お父さん” じゃなくて “お父様” っていうの?
なんだか偉い人になったみたい。
「よろしく、ジャボット。私は今度、君のお母さんと結婚することになったんだ。だから君にとってはお父さん、だよ」
そう言って新しい父は右手を差し出し、私がおずおずとその手を取ると、そっと手を握り返してきた。
いきなり新しい家に連れてこられ、新しい父に紹介されて、まだ不安は残っていたがその新しいお父様の手を握ったら少しだけ安心することが出来た。
だってとても温かい手だし、お顔も優しそうだもの。
そして新しい父の手を取るため近くに寄った時、その人の後ろに小さな人影が隠れていたことに気が付いた。
「だあれ?」
「ああ、私の娘だ。君より1つ年下だから、妹になる子だよ。ほら、出ておいで」
その新しい “妹” が私の前に現れた時のその感動は、多分一生忘れられない。
柔らかいウエーブがかった金色の髪、大きい青い瞳は宝石のように煌めいていて、雪のように白い肌は頬の辺りが淡いばら色に染まっている。
華美ではない清楚なデザインのドレスは、少女の美しさを引き立てていた。
その余りの可愛らしさに、たっぷり十秒は息が止まっていた。
「お人形……みたい………」
「初めまして、お姉様」
声も、可愛い!
そしてにっこり微笑む。
更に可愛い! 可愛い! 可愛い! 可愛い!!
私は夢の中で熱を出したみたいに、現実感がないままボーッとなって、彼女の手を握った。
こんなに可愛い子が私の妹になるなんて、本当に夢みたいだった。
これからは毎日この子と一緒に遊べるのね!
「よろしくね! あなたのお姉さんになれるなんて、素敵だわ! 私はジャボットよ。あなたは?」
すると慌てたように、新しいお父様が私達の手を引き離した。
「まだダメだよ、二人とも」
私はわけがわからず、ポカンとした。妹は少し困ったような顔になり、母は母で新しいお父様に慌てて謝った。
「申し訳ございません。私がちゃんと娘に説明していなかったので」
「いやいや、仕方がないよ。なかなか言いにくいことだからね。こんな小さな子に言い聞かせるには、辛い話だ」
新しい家と新しいお父様、そして新しい妹の愛らしさに忘れかけていた不安が、ふいに蘇った。
「お母さん、何の話?」
「ごめんね、ここに来て、皆と顔を合わせてからの方が説明しやすいかと思ったの」
「ジャボット、後でちゃんと私からも説明するからね、今はちょっと、この子を睨んでくれないか?」
お父様が意味のわからないことを言う。
どうして?
自分の娘を睨ませたいなんて、普通じゃない。
それじゃなくても、こんな天使みたいな子を睨むなんて無理だわ。
「いいから、お父様の言うとおりになさい」
「お母さん?」
すると妹までがこう言い出した。
「いいのよ、お姉様。私のこと、がっつり睨んじゃってちょうだい」
わけがわからないまま三人から「さあさあ」と促され、私は妹を睨んだ…つもりだった。
が、やはりこんな可愛い女の子を睨みつけるなんて出来ない。
「ははは…全然睨めていないねえ。ジャボットは優しい子なんだね」
「仕方がないわね。私の後ろに隠れてしまいなさい。打ち解けてない様子を見せれば、この場はどうにかなるでしょう」
どういうことなんだろう。不安は大きくなるばかりで、母の背中に隠れながら、涙がにじんできた。
そして私達の世界、妹を中心としたこの世界のあらましを教えてもらったのは、その日の夜八時を回ってからだった。
毎日午後八時から翌日の午前六時までが私達の自由時間だからだそうだ。
その夜、母と義父から告げられたことは、私の人生観、というか世界観を大きく変えてしまうには十分衝撃的な内容だった。
* * *
私達は童話の国の住民で、それぞれに所属する物語に沿って、各々の役割を演じなければいけない。
夜に自由時間が設けられているのは、それが“よい子”の寝る時間だからだそうだ。
“よい子” が起きている時間は、いつ子供が本を開いて物語を読むかわからないので、その間は絶対に物語からはずれた行動をしてはいけない。
それがこの世界のルールだと、その日初めて教わった。
(ちなみに、この自由時間以外のよい子が起きている時間帯は通称『よい子タイム』と呼ばれているらしい)
私達が所属するのはペロー童話の「シンデレラ」。
そしてその「シンデレラ」の主人公こそ、さっき会った新しい妹なのだ。私は大いに納得した。
確かにヒロインに相応しい美しさだった。
誰もが一目で愛さずにいられない、可憐な少女。
絵本や挿絵で彼女の顔を見たら、本を読んでいる子供たちは皆彼女に夢中になり、応援してしまうだろう。
そんなヒロインの姉になれたことに、私は誇りを持たずにはいられなかった。
皆に自慢したい!
私の妹は可愛くて素敵なヒロインなんだ!
ところが、続いて聞かされた内容は私を奈落の底に突き落とすようなものだった。
母は継子である妹をいじめる継母、そしてその娘である私も、妹をいじめる役なんだそうだ。
そんな……せっかくあんなに可愛い妹が出来たのに、仲良くしちゃいけないなんて。
いじめなくちゃいけないなんて。
そんなのひどい……。
涙がポロポロ零れ落ちた。
今になって過去の色々なことが線と線でつながった気がした。
母が自分の名前を “ママハハ” と言ったこと。町で出会った少女達が私の名前を聞いて「意地悪な人とは遊べない」と去っていったこと。
彼女達に名前と呼べるものがなかったこと。
「いじめたくない……いじめたくなんか、ない……」
泣き出した私を、継父は優しく肩を抱いて慰めてくれた。
「優しいね、ジャボット。私たちは君の本当の気持ちをわかっているよ。他の誰が何と言おうと、君は私の可愛い娘だ」と父。
「ごめんなさいね、今まで本当のことを言えなくて。明日からは私もこの子を一緒にいじめるからね。あなた一人にいじめはさせないわ」と母。
「新しいお母様もお姉様も、優しい方達で私本当に嬉しいの。だからドンドン私をいじめちゃってちょうだい。これでも結構丈夫なんです。殴られても蹴られてもビクともしません!明日からどんな風にいじめられるのかなーって思うと、ワクワクしてるんです!!」と妹。
おかしい。
父→母→妹と順を追うごとに言ってることがおかしい。
特に妹は保護欲を掻き立てられる可憐さに相反して、言っていることが豪快な気がする。
しかし、どんなに嫌だと言っても、これは既に決まってしまったことらしいし、私に拒否出来るだけの力はない。
今まで私がこの世界のことを知らずに来られたのは、物語に登場する前だったからだそうだ。
今日、この新しい家で、父と妹と挨拶を交わした後は、私はヒロインをいじめる義姉としてこれからの日々を生きなければいけない。覚悟するしかなかった。
そうだ、あれがこの世界の姿を知った日だったんだっけ。
あの子に、私の妹に初めて会った、あの日が。
あれ以来、私は世間知らずの少女ではいられなくなった。
何も知らず、泣き虫で母に抱き着いてばかりいる子供だった私は、変わらざるを得なくなったのだ。




