14 響け!タップの靴音
鏡の魔女さんの話を聞いて、最初に突っかかってきた二人組も野次馬達も、表情から険がとれてくる。そしてなんだかモジモジしながら小声でつぶやいた。
「そ、そりゃあ、その……考えなしに悪者呼ばわりして、悪かったよ……」
「わかってくれて、ありがと」
「でもさ、俺達も物語の世界に住んでいて、色々思うところはあるんだよ」
「……なあ?」
「へえ?どんなこと?この際だから、言いたいことは言ってしまいなよ」
魔女さんに促され、「どうする?」という風に目くばせしあっていた彼らだが、そのうちの一人が思い切ったように話を切り出した。
「この童話の世界に名無しとして生まれて、虚しいっちゅうか、何の為に生まれてきたんだろうな、と思っちまうんだよ」
「うんうん」
一人の言葉に、野次馬達の頷きがさざ波のように広がる。
「何の為っていうのは?」
「例えば俺はあの狼(とペロー狼を指さした)と同じペローの赤ずきん町の住人なんだけどよ。まあ町っていうよりか、登場人物も少なくて村っていう感じの小さいところだけど、俺はそこの村人Fなんだ」
「うん、それで?」
鏡の魔女さんは穏やかに相槌を打ち、話しやすいように促す。
「正直出番なんか殆ど…っちゅうか全然無いに等しくて、俺、何のためにここにいるのかな――……って毎日思うわけだよ」
「なるほどねえ。……そうなのかい?ペロー狼」
問われて頭を掻きながらペロー狼が答える。
「うーん……そうだな…………。確かに村人達は『女の子は赤いずきんを被っているので、村の皆から赤ずきんと呼ばれるようになりました』ってところで背景に紛れてちらっと見えるくらいだったかな」
「そうなんだよ。本を読んでるよい子の目に映るとしたらそこくらいで、あとは赤ずきんが住んでいる村に村人の気配がする、かなー?って程度にしか役割がないんでさ」
「ふうーん」
「そうなるとさ、真面目に村人やってんのが、バカらしいっていうか、虚しいっていうか、そう思っちまうんだよ」
「うん、うん」
名無しの人達のこんな本音を聞いたのは初めてで、私は驚いてしまった。
むしろ名無しでいる方が気楽で気ままで、のんびり暮らせるだろうくらいに考えていたのだ。今の家に来る前、質素なアパルトマンの一室でお母さんと暮らしていた頃の私みたいに。
でも、考えてみればあの頃の私は子供で、元々何も考える必要がなかった。
もし私が名無しのままで暮らしていて、自分の人生を考える年頃になったら、どんな風に感じるのだろう? 私は自分の立場の辛さばかりにかまけて、他の人達の立場でものを考えたことが無かったことが恥ずかしくなった。
「おい」
声を掛けられ振り向くと、私にブスと言った男が神妙な面持ちでそばに来ていた。
「あのよ、酷いことを言って悪かったな」
「えっ?」
「……あー、えっとさ、おめえさん、よく見りゃそんなブスってわけでもねえよ。まあそれほど悪くはない、かな?でも、本当、すまなかったな」
……一生懸命謝ってくれてるのはわかるのだが、今一つ微妙な感じで、私は乾いた笑いが出た。でも、まあいいわ。
「うん、こちらこそ。私の方こそ名無しの人達の気持ちとか、ちゃんと考えたことなかったし」
「いやいや!それはあんたらが考えることじゃねえよ。あんた達はあんた達の役割をやってただけなんだろ?それを俺達が鬱憤晴らしに八つ当たりしてたんだって、よくわかったからさ」
「……うん」
何だかしみじみしてしまった。今日ここに来る前には考えられなかった展開だ。これも仲間の狼達や、何より鏡の魔女さんのおかげだな。
そうして和やかな雰囲気になったところで、鏡の魔女さんが「忘れてた!」と手を叩いた。
「どうしたんすか?姉御」
「そうそう、今日はあんた達に、白雪姫の結婚式で披露した、とっておきのダンスをお見せしようと思ってここに来たのに、すっかり忘れてたんだよ」
「え?あの熱い鉄板の上のダンス?」
「そうそう」
男達や野次馬達も、それを聞いてざわめいた。
「俺も聞いたことがあるぞ。白雪姫のママハハの魔女は、白雪姫の結婚式に熱々の鉄板の上に載って、余りの熱さに狂ったように踊って死ぬんだろ?」
「ひでえな。いくら悪役だからって残酷な話だよな」
「大丈夫、実際は熱したように見せて赤く塗った鉄板の上で、とっておきのダンスを踊っただけだから」
「ええー! そうだったんだ!」
魔女さんが種明かしすると、皆が笑った。
「それでね、その場面用に新しいドレスと靴を新調してダンスもたっぷり練習したもんで、せっかくだから皆に見せようと思って、今日はここに来たんだよ」
「それで、真っ赤なドレスだったのね」
「そう」
魔女さんがにっと微笑む。大輪のバラが咲いたような艶やかさだった。
男達が「…おお…」と低く呟き、グリム狼が「はう…っ!」と声にならない声をあげた。
「じゃあ、この上でダンスを披露したいんだけど、いいかい?」
普段はテーブル代わりに使っている大きな切り株の上にひょいっと飛び乗り、鏡の魔女さんが見渡した。
「勿論いいさ」
「俺達も見ていいのかい?」
「嬉しいねえ」
「いよっ!鏡の姉さん!」
やんやの声をあげる男達に、グリム狼が「現金なもんだぜ」と苦虫を嚙み潰したような顔をした。
男達の歓声が静かになると「じゃ、いくよ」と魔女さんが小さい声で合図を出す。
皆息を飲んで更に静まり返った。
…ダン!
魔女さんの左足が力強くテーブルを鳴らす。
……ダン!
今度は右足で鳴らす。
ダン!ダン!ダン!ダン!ダダダダ…………ダン!!
両足の踵とつま先を器用に使い、細かくリズムをとったあと、ひときわ強くテーブルを踏んだ。
邪魔にならないよう、スカートの裾をほんの少し指先で持ち上げる。この間見せてもらった羽のついた赤い靴がチラリと見えた。
トカラッ…トカラッ…トカラッ…トカラッ………
また軽やかなリズムを踏む。
お城での本番は楽団が音楽を奏で、それに合わせて靴を鳴らしていたはずだけど、今は音楽なんて全くない森の中。
でも魔女さんが鳴らす音が心地よくて、他の楽器なんて必要がないくらい。
カッカカン、トン!カカカカトン、トン!
ッカカッ、ッカカッ、ッカカッ、ッカカッ、カカカカカカカカカ…
足を鳴らしているとは思えないほど、細かいリズムを刻み続ける。すごい。こんなに早いリズムは、手で打つのも難しい。それを足で表現するなんて…。一体どれだけ練習を積み重ねたんだろう。
気が付くと私の頬は涙で濡れていた。それでも、両目は魔女さんの動きを追って吸いついたように離せない。
カカットン!トン!!…ダン!!!!
《混沌の森》は小鳥さえさえずるのを止め、水を打ったような静けさが落ちた。その中に魔女さんの靴が最後にテーブルを打った音が響いてこだまする。
誰もかれも動くことが出来ず、息をすることさえためらわれるような時間が過ぎた。
ふと男達の一人が静寂を破り、小さく手を叩く。どこか放心したような表情だが、とにかく何か伝えなくてはいけない、と思いつめているようにも見える。
それにつられるように、パラパラとそこかしこで拍手が起こった。
私も呼吸を再開し、手を叩こうとするが震えて上手く叩けない。声に出して何か言おうにも、声も出ない。こんなに感動したのは、生まれて初めてだ。
拍手の代わりに涙がポロポロとこぼれ、目が合った魔女さんが笑みで応えてくれる。
ハッとなってグリム狼を振り向くと、彼は両手で顔を覆って泣きじゃくっていた。
「あ…あでご…ずげえっず…ほんど、ずげえっず…ざずが、おでがぼれだ女っず…」
あ…どさくさ紛れに告白しちゃった…。もっとちゃんと、魔女さんに気持ちが伝わるように告白して欲しかったのに。
こちらの思いをよそに、横にいたペロー狼にポンポンと肩を叩かれると、しがみついて更に大泣きしだした。
ペロー狼は自分も少し赤い目をしていたが、グリム狼に抱きつかれて「やれやれ」という表情になる。やっぱりいいコンビだ。
切り株ステージの上で鏡の魔女さんは「ふぅーーー」と大きく一つ息をつくと、周りを見渡して「どうだった?楽しんでもらえた?」と呼びかけた。
今や全員が魔女さんのファンになった皆が「うおおおおおおお!!」と応える。
「勿論ですよ!」
「いやー、すごかった」
「こんなの、初めて見たよ」
切り株から降りた魔女さんは、口々に褒め称える皆を笑顔でかわしながら、私達がいる方にやってきた。
「鏡の魔女さん、本当に素敵だった。本番では白雪姫達もきっと喜んだでしょうね」
「ええ、もちろん。でも今までお世話になったあんた達にも是非見てもらいたくて、今日はここに来たんだよ」
晴れやかな表情で話す鏡の魔女さんの顔を見て、わかってしまった。
………ああ、本当にお別れ……なんだ。




