01 童話の国の住人
「やーい、ワルモノー!」
石が飛んでくる。
声がした方を振り返りそうになったけど、どうにかこらえることができた。
こういうことは、しょっちゅう起きるので、もう慣れっこだ。
でも慣れているから、平気というわけでもないのだ。
「こら! お止めなさい!」
「だってー、あいつらワルモノなんでしょう?」
「今は『よいこタイム』だから、こんなことをしてはいけません!」
石を投げた子供と、その母親らしい会話が聞こえてくる。
……えーっと、つまり「よいこタイム」でなければ、私たちに石を投げてもいいということなのでしょうか?
私はこっそり溜め息をついた。
「ごめんなさい、ジャボット。こらえてね」
「わかってるわ、お母さん」
私たちは他の人に聞こえないよう、小声で会話した。
――いったい、いつまでこんなことが続くんだろう。
私が恋する「あの人」も、こんな風に私たちをワルモノと思っているんだろう……と思うと、涙が出そうになってくる。
* * *
ここは童話の国である。もちろん子供が読む物語の、あの童話である。
もっと詳しく言うと童話国ペロー地方シンデレラ町である。
本来「シンデレラ」は英語であり、フランス人作家であるペローの作品としては、フランス語の『サンドリヨン町』と呼ぶべきだ。
しかしその名前だと、読者である子供達が何の話かわからなくなってしまう、という理由でとりあえず『シンデレラ町』と呼んでいる。
適当なものである。
ちなみに同じ話の町がグリム地方にも存在するが、あちらでもグリム地方シンデレラ町となっている。
ドイツ語圏のグリム地方では不自然な地名なのだが、「子供にわかりにくいから!」という大義の元に『シンデレラ町』を名乗っている。
適当なものである。
ここシンデレラ町ことサンドリヨンの町民が何をしているかというと、日々「シンデレラ」の物語を紡いでいるのだ。
通行人Aには通行人Aの役割が、パン屋Bにはパン屋Bの役割があり、皆がそれぞれの役をこなすことで、シンデレラの物語を支えていた。
彼ら"名無し町民"からすれば "名有りの町民" は羨ましい存在かも知れない。でもそれだって役にもよるのだ。
私は名有り町民。ジャボットという。
――シンデレラの義姉である。
* * *
……この世界が“そういう決まり”になっていると知ったのは、いつだっただろう。
小さいころの私は母と二人きりで暮らしていた。
特に貧しくはなかったけれど、ぜいたくな暮らしをしていたわけでもない。
ごく普通の生活だった。
下町のアパルトマンにあった私達の住まいは、一般的な人々が住む一般的な住居で、ごうかな食事も、きらびやかなドレスも、高価な暖かい羽根布団もなかったけど、お金持ちの生活を知らなかった私はそれで満足だった。
ちゃんと毎日食べられる食事、おしゃれではないけど暑さ寒さをしのげる衣服。
冬の寒い夜は、暖をとるため母と同じベッドで眠ったものだが、私はお母さんと一緒に寝るのがうれしかったので、毎年冬が来るのが待ち遠しかった。
私達はごく普通の母子だった。父親は私が物心つく前に亡くなったそうだ。
でも私は父の顔さえ覚えていないので、特にどうということもなかった。
お母さんは「ジャボット」「ジャボット」とよく私の名前を呼んだ。
そして「あなたは私の自慢の娘。”名有り”の子」と言った。
「じゃあ、お母さんの名前はなあに?」
「お母さんは名前がないの。あえて言うなら”ママハハ”かしら」
「ふーん、変な名前」
「……ふふ、そうね」
お母さんにはもっと素敵な名前の方が似合うのに、と思ったが、柔らかくほほえんだお母さんの顔は、不満そうには見えなかった。
私はお母さんの名前には不服だったが、自分自身については何も不満はなかった。
私は幸せな子供だった。
ただ時々、よくわからないことが起こった。
お母さんと買い物に出掛けた時なんかに、すれ違う人々がこちらを見ながらコソコソをうわさ話をしたり、男の子から「やーい、わるものめ」と石を投げられたりするのだ。何でみんな私たちに意地悪をするのだろう。
悔しくてお母さんに理由を聞くと「ごめんね……」と言って私を抱きしめた。
お母さんが悲しそうな顔をしていたので、子供ながらにそれ以上聞くことが出来なかった。
そしてその理由がわかる時がやってきた。
* * *
私が七つか八つの頃だったか、散歩の時いつもより少し遠くまで行ってみると、とある家の庭先で同い年くらいの少女が三人で遊んでいた。
私は仲間に入りたくなり、声をかけた。
「私も一緒に遊んでもいい?」
彼女達はニコニコして「いいわよ」と気持ちよく仲間に入れてくれた。
彼女達のうち一人が言った。
「私は町の少女Eよ」
もう一人が言った。
「私も町の少女でN」
最後の一人が言った。
「私は仕立屋の娘B。お姉ちゃんがAなの」
私は目を白黒させて聞いた。
「それは名前なの?」
三人は可笑しそうに笑った。
「名前なわけ、ないじゃない! 名前がないからそう呼ばれてるんでしょう?」
私は急にいつも母が言っている言葉を思い出した。
『自慢の娘。”名有り”の子』
あれはつまり、普通の人には名前がなくて、名前がある自分は特別な存在という意味だったのか。
だから「それで、あなたは?」と聞かれた時、ちょっと得意な気分で答えた。答えてしまった。
「ジャボットよ」
それまで親しげな笑顔だった彼女達の顔色がサッと変わった。
「え……」
「名有り?」
「それも“ジャボット”って……」
わけが解らず不安になって、
「それが、どうか……した?」
と聞くと、三人とも私から後ずさり
「私達、あなたとは遊べない」
「意地悪な人とは、お友達にはなれないわ」
「じゃ。さよなら」
と言って、そそくさと家の中に入ってしまった。
え? 何? どういうこと? 私、あの人達に何もしていないよね? なんで? どうして意地悪なんて言うの?なんで?
疑問ばかりが頭の中をぐるぐると回り、泣きながら家に帰った。
お母さんに抱きついて今あった出来事を話すと、悲し気な顔で私を抱きしめた。
「ごめんなさいね、私がちゃんとあなたに話していなかったから」
「じゃあ、私はやっぱり意地悪なの?どうしたら嫌な子じゃなくなるの?」
「あなたは全然意地悪な子なんかじゃないわ。ただ、意地悪な設定なの」
「……せってい……?」
「来週、お話しするわ」
わけがわからず、私はお母さんにしがみついたまま泣き続けた。
お母さんは私が泣き止むまで優しく背中をなでていた。
お母さんは私が泣くと、いつもこうやって抱きしめながら背中をなでてくれる。その手のぬくもりは、いつだって私を慰めてくれた。
でも今日はどれだけなでられても抱きしめてくれても、不安が消えることはなかった。




