同じ笑顔で
親が決めた婚約相手と顔合わせする事になった令嬢令息の話。ご都合主義なーろっぱ。視点が交互に切り替わります。
ざまぁ物とか見てて、こういう二人もどこかにいて欲しいな、きっといる筈と書いたものです。
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誤字報告ありがとうございます!
読み易さを重視して敢えて「漢字→ひらがな」にしている箇所がありますのでそちらご了承いただければ幸いです。
「お前の婚約が整った。二週間後、相手の家で顔合わせするので準備しておくように」
執務室でそうお父様に言われたのはつい先程。
私は自室に下がったあと侍女達と当日着ていく物はどうするか、アクセサリーは、何か新調するものはあるか等を相談しながらも物思いに耽っていた。
婚約。私が婚約。
貴族の娘だもの、いずれ我が領地の発展のためにお父様が決めた相手と婚約を結ぶだろう事は承知していたし、それに不満もない。厳しくも優しいお父様だからよっぽど酷いお相手ではないでしょうし、聞いた限り家格も同程度。取決めとしても対等で、不当な扱いを受ける事はないと考えられる。
ああ、けれど、けれど。
恋もした事がないのに、私、大丈夫かしら?
子供の頃によくお母様にせがんだ童話も、最近流行りの恋物語も、ドキドキはするけれど私自身は誰かにそんな感情を抱いた事はない。
親しい令嬢と「あの騎士様格好いい」と式典の折にこそこそ話した事はあっても特定のどなたかを熱心に思った事はない。
曰く、恋とは燃えるようなものらしい。
曰く、恋とは盲目になってしまうものらしい。
全て『らしい』で自身は体験した事もない。
どうしましょう、これでお相手の方に恋をしてしまったら。束縛したり醜い嫉妬に駆られて嫌われるだなんてお話、聞いた事ありますわ。
どうしましょう、これでお相手以外の方に恋をしてしまったら。非常識な行いをしてお相手にも我が家にも迷惑を掛けてしまうかもしれませんわ。
そう考えるとどうにも不安になってしまって、かといって今からこんな事考えていてどうするのと自分を心の中で叱咤する。
しっかりしないと。
ああ、けれど、けれど。
それでももし、恋をするのなら──
窓から見上げた空は気が付けば、茜色から群青へと変わっていくさなかで、宵の明星がひとつ眩く輝いていた。
■
僕の婚約が整った。
我が領地は豊かで富んでいる方ではあるけれど、この縁組によって更なる発展が期待できる、そんな婚約だ。
相手は僕の一つ下で末の娘さんらしい。末っ子となると結構甘やかされがちだ、なんて話をよく耳にするけれど、評判を聞く限りしっかりとしたお淑やかなご令嬢だとか。
そんな相手との顔合わせが二週間後に控えていて、僕はというと少し……いやかなり緊張していた。
なにせ身内以外の女性と接する機会がそれほど多くなかったものだから。
僕は一人っ子で付き合いのある親族で女性というと母上と祖母上、あとは伯母上くらいとしか接した事がない。
一応教育としてエスコートの仕方はもちろん、どんな事に気を配ったら良いかとか教師から学んではいる。学んではいるけれど、身内以外にそれを実践した事があまりないのである。
父上も母上も「お相手のことをちゃんと見て、お話をすれば大丈夫」と言うけれど、何か気を悪くさせてしまったらと思うと心配は募る一方で。
このまま順調に話が進んでいけば、いずれ我が家に嫁入りしに来てくれる人だ。きっと同じ国でも領が違えば勝手も違うし、ホームシックで寂しくなるかも。そうなった時にきちんと寄り添って支えてあげられる関係性を築いていきたい所だけれど、僕は果たして上手くできるだろうか……。
そもそもとして僕はあんまり格好良い見目ではないし、内面もこうしてウジウジと悩んでしまうような気弱さだから、グイグイ引っ張っていくような男らしい美丈夫が好みだった場合お相手にはがっかりさせてしまうかもしれない。
貴族の結婚だ。政略なんて当たり前。
相手のお嬢さんもその辺はきっと理解している筈。
そうは言っても僕は家の中がギスギスしてたり冷え切っている関係なんて嫌だし、出来れば仲良く暮らしていきたい。一緒に同じ家に住む家族として、父上と母上のようなおしどり夫婦……は厳しくてもあれに近付けるように歩みよりたい。
もう考えれば考えるほど不安で不安で仕方がない。
ああ、でも、それでも。
それでももし、相手とお会いしたなら──
窓の外に視線を向けると星々が瞬く空の真ん中、美しい月が燦然と夜を照らしていた。
■
顔合わせの日。
両家の当主夫妻を交えた歓談をしばししたあと「二人で庭園をお散歩でもしてきたらどう?」と促され、お相手の方と席を外すことになった。
彼は優しくエスコートしてくれて、今も「ここ少し段差があるから」と手を差し出してくれた。私はその少しふくよかな手を「ありがとうございます」とそっと握った。
彼とそのご両親を初めて目にした時『そっくり』という言葉がぴったりなくらい、そっくりなご家族で内心驚いた。
親子で似るのはわかるけれど夫婦でもあんなに似ていくものなのねと、不思議な気分だった。
御当主様が少し高いくらいで皆様似たような身長に、似たような体型、何よりそのふくふくとした柔らかい笑みが本当にそっくりで。
触り心地も、見た目に違わずふっくらしているのね……ふふふ。
彼の手を取るたびにその感触がなんだか心をくすぐり、少しだけ楽しくなってしまう。
季節の花々を眺めながら、ここに来るまでに抱えていた不安が全てなくなったとは言わないけれど、ずっとこちらを気遣ってくれる彼とこの穏やかな景色、繋いだ手のあたたかさに、私の心はすこしずつ軽くなっていくようで──
これなら私、ちゃんと言えるかもしれない。
「あの」
私とあまり変わらない身長の彼がこちらを見て「はい」と返事をしてくれる。
「私、貴方に伝えておきたい事があるのです」
私がまだ少し勇気を必要としている間も彼はきちんとこちらに体も向けて、目を合わせて話を聞く体勢を取ってくれる。
急かすこともなくゆっくりと待ってくれる優しい眼差し。
この人なら。
「私、貴方と──恋がしたいのです」
■
初めて会った彼女は、普通のご令嬢だった。
だけれども将来自分のお嫁さんになる方かと思うと特別に見えるのか、カーテシーの際にさらさらとこぼれる髪が光を弾いてつやつや輝くさまや優美な所作、滔々と挨拶をする声は芯を感じられて思わず見惚れてしまった。
だ、だめだだめだ、しゃんとしろ僕!
彼女の視線がこちらを向いていない間になんとか気を引き締めて、顔を上げた彼女と目があい微笑みを交わす。澄んだ瞳が綺麗だ。
──じゃなくて!
もしかして僕って惚れっぽい? チョロいってヤツか? と大いに悩みつつも頑張って冷静さを取り繕ってその後の両家の会合に臨んだ。
そうして「二人で親睦を深めて来なさい」との当主達の意向を受けて彼女を庭園へとお連れして程なく、彼女から「私、貴方と恋がしたいのです」と衝撃の告白を受けた訳だ。
「恋、ですか」
「はい。私は、その……恋というものをした事がありません。けれどそれが、時に人を狂わす程の情動を引き起こし凶行に至らせる事すらある、という事は知っております」
「そうですね。恋を題材にした劇では顕著に、噂話でもよく耳にします」
「はい、ですから私は怖くなりました。貴方という婚約者が出来る身でだれかと恋に狂ってしまったら恐ろしいと」
それならば、と彼女は続ける。
「せめて貴方と、恋に狂いたいのです」
──すっごい発言を受けている気がする。
すご、すっっっごい発言を受けている気がするけれど彼女は至って大真面目だ。
それにその気持ちは、僕自身もすごく腑に落ちるものがあった。
僕だって恋をした事がないから。
だけどさっきの顔合わせの時から僕なんかはしようと思わなくても出来そうな気がしているので心配すらしていなかっただけとも言える。
彼女はきっと、とても真面目な人なんだろう。
貴族として、政略とはいえ嫁ぐものとして真剣に考えてこうして話してくれたのだ。だから僕も真面目に答えなきゃいけない。
きっと僕なら話せるって勇気を出して話してくれたとも思うし、その信頼を大切にしたい。
それにその話は、僕の望みとも重なる部分があるから。
「わかりました。貴女の話を受けましょう」
「! ありがとうございます」
ふわっと喜色を滲ませる様が可愛い。
だらし無く緩みそうになる顔に紳士の仮面を気合いで貼りつけて続ける。
「それと、僕も貴女に話したい事がありまして、よろしいでしょうか?」
「はい、是非お話聞かせてください」
真剣に見つめてくるその瞳を僕はしっかりと見つめ返す。
大丈夫だ。この人とならきっと。
「僕に、貴女の事をたくさん教えて欲しいのです」
■
貴女の事を教えて欲しいと彼は言った。
私の先ほどの発言を受けてかしら、と思いつつ彼の言葉を待つ。
「僕たちは政略結婚です。当主が決めて、初対面ですが既に結婚することが定まっている。そういった事に不満を持つ人は世の中にいるんでしょう。それこそ劇や噂話のように反発し、自身の不幸を嘆き、婚約者を蔑ろにする方、不貞に走る方もいるんでしょう」
庭園の美しい花々を見渡したあと彼は「でも」とまた私に顔を向ける。
「僕はこの婚約を不幸だと思いたくない。だって僕は貴女の事を殆ど知りません。好きな色も、好きな食べ物も、この庭園でどの花が一番好きそうかも、僕には何一つわからない。それなのに勝手に決められた相手だからと遠ざけるのは違うと思うのです。もしかしたら僕らはとても仲良くなれるかもしれないのに」
花びらがひとひら、私と彼のあいだで舞う。
優しい風がふわりと私達を包んだ。
「だから貴女の事を知りたいのです。沢山話をして、手紙のやり取りをして、お出掛けしたり、話題の劇を観に行ったり、お茶をして、景色を眺め、貴女のことを少しずつでも知っていきたい」
小鳥が一羽、また一羽と近くの木に降りたって歌いながら寄り添うのが見えた。
「そうして──僕の事もどうか、知っていって欲しいのです」
彼は右手を自身の胸にあてると、そっと微笑んだ。
彼の言葉が、眼差しがじんわりと私の中に沁みていく。
「だからその、ええっと……」
彼が少しだけ思案気にして、そして「そうですね、きっとこうだ」と何かを決めた顔でスッと私の前で跪いた。
それはいつか劇で観た、王子様のようで。
「結婚を前提に、僕と恋人になってください」
キリッとした直後に途端照れくさそうに少しはにかみながら、ふくふくした頬を赤らめて、彼は私に片手を差し出した。
私は、私は────
恋とは恐ろしいものだと、そう思っていた。
熱に溺れて自分が自分でなくなってしまうのではないか。
愚かな真似をして、自分も相手も、周囲の大切な誰もかれをも振り回して、不幸にしてしまうのではないか。
多くの物語を、誰かの話を聞くたびに、その情熱に、ドラマティックさに胸を高鳴らせながらもそんな考えが、どこかにあった。
でも、違うんじゃないか。
もっときっと、素敵なものに──素敵な私になれるんじゃないかって。
彼となら、そうなれるんじゃないかって。
そう思えるから。
「────はい、こちらこそ、よろしくお願いいたします」
私は彼の、優しくあたたかな手に手を重ねた。
■
それから僕らは婚約して結婚するまで、たくさん、たくさん話をした。
二人で色んな所に行って、色んな事を経験して、鮮やかで穏やかで、楽しくて嬉しくて、たまに喧嘩もして悲しい事もあったけれども、しっかり話しあってわかりあって仲直りもして、重ねた時間の分だけ絆が深くなるような、そんな時間を過ごした。
結婚式の日なんて彼女のあまりの美しさと、こんな素敵な人と一生を誓える事が嬉しくて涙腺が緩みまくっていたくらいだ。
周囲からは呆れられたけど、本当に女神のようだったんだから仕方ないと思う。
そんな日々の中のある日、僕らは共に夜会に参加していた。
多くの貴族達と接してずっと立ちっぱなしだったからそろそろ休憩しようかと座れる場所で休んでいる中、友人が声を掛けてきた。
一通りお喋りに興じていた折、友人は僕らをしみじみと眺めた後、とある言葉を投げ掛けてきたんだ。
その言葉に僕らはつい同時に瞳を瞬かせてしまった。
二人思わず目を合わせて、じわじわと込み上げる喜びに二人揃って友人にお礼を告げた。
そんな僕らを見て友人はまたしても嬉しい事を言ってくれたから。
宵の明星と月がより添いあう美しい空の下、僕と彼女の幸せな声がちいさく響いた。