6話「告白」侑side
清々しいほどに青い空と、遠くに浮かぶ分厚い雲。蝉の声は永遠に鳴り響き、太陽の日差しはアスファルトを焦がし続けている。
今朝の天気予報で、今年一番の暑さだと言っていた。そんな地獄みたいな世界を、僕は大きな窓から眺めている。
近所にある商店街の裏路地。そこにある喫茶店の一番奥の窓側、ソファ四人掛けのテーブル席。僕はそこで本を読んでいた。
今日は夏と会う約束した日。
時刻は午後十二時。約束まであと一時間。
本を閉じて鞄からクリアファイルを取り出した。宿題をやるか部活の文化祭の宣伝POP作りをするか数秒悩んだ後、宿題のプリントをテーブルの上に出した。
この喫茶店は僕の両親が高校生の時からあるらしい。僕ら五人も小学生の時は休みの日やクラブの帰りによく来ていた。最近は試験勉強でもお世話になっている。
夏たちの中学受験の勉強しにここに集まった時は、夏が特大パフェを頼んだもんだから勉強どころではなかったな。と思い出して思わず笑みがこぼれた。
コーヒーを飲みながら宿題のプリントにペンを走らせる。
レコードプレーヤーから流れるジャズは曲名が分からないものの好きなメロディーのものばかりだった。
それから数十分後。
喫茶店の扉についたベルが小さく音を出しながら揺れて、一人店内に入ってきた。
遠くの席からでもわかるぐらい夏の真白の髪は目立っている。
夏がきょろきょろと店内を見渡して僕に気が付くと、笑顔で駆けてきた。
「侑、早いね。待った?」
夏はオーバーサイズの服を着ている。
今日は長袖じゃないんだな。とじっと見てしまった。
「夏休みの宿題やろうと思って早めに来たんだ。」
「宿題かー。侑は相変わらず真面目だな」
夏はソファにかけると早々にメニューを手に取った。
「お昼まだなんだけど、侑は?」
「僕もまだ。食べようか。」
やったー。と嬉しそうにメニューをめくる夏。
「どうしようかな…」
数分後、夏は二つのページを行ったり来たりしていた。
「オムライスとハヤシライスで悩んでるの?」
夏はメニューから顔を上げるとびっくりした顔で「何でわかったの?」と聞いてきた。
「ここでご飯食べる時、いつもその二つで悩んでるでしょ」
「え!?そうだっけ?」
自覚なかったことが面白くて笑えた。
「僕、ハヤシライスにするから、夏はオムライスにして半分こしない?」
「いいの!?」
「どっちも凄く美味しいよね。僕も好きだから。」
夏は「ありがとう」と笑ったあと、元気よく手を挙げてウェイターを呼んだ。
ぶかっとした服の袖がスルスルと夏の白い腕を伝って落ちる。チラッと痣の跡が見えた。
ウェイターが近づいてくるのを確認して、夏は腕をすぐに下す。テーブルの下で焦ったように袖を直していた。
ウェイターに注文を伝えて数分後、僕が頼んだお代わりのコーヒーと夏が頼んだオレンジジュースが運ばれてきた。
「コーヒー、ブラックなんだ」
カップに口をつけようとした時、夏にじっと見られながら言われて飲むのをやめた。
「甘いのも飲めるけど、ブラックの方がよく飲むかな。夏は好きじゃない?」
「全然飲めない。ジュースの方が好き。」
「夏は昔から好み変わらないね。」
「ブラックコーヒー飲めるとか、なんか大人。」
コーヒーを一口。いい香り。
「早く、大人になりたいよ。」
「どうして?」
「…守れるように、なりたいから。」
夏と僕との間に沈黙が流れた。初めは僕の言葉が聞こえなかったのかな。って思ったけれど、夏は不思議そうに、そして悲しそうに僕のことを見ていた。
「誰を、守り、たいの…?」
夏の首がごくんと動いた。
「お待たせいたしました。」
少し淀んだ空気を切り裂くように、オムライスとハヤシライスがやってきた。
「あ、ありがとうございます。」
夏がお礼を言ってハヤシライスのお皿を僕の前へと誘導する。
僕はカトラリーケースから大きなスプーンを取り出して夏に渡した。
「ありがとう…」
何か言いたげではあるが素直にスプーンを受け取って「いただきます」と手を合わせた。
僕はテーブルに広げたままだった宿題のプリントをクリアファイルにしまった。
「それって、文化祭の?」
その量は一口でいけるのか?と思う量のオムライスが乗ったスプーンを口に運ぶ途中、夏はクリアファイルを指さす。
「あ、うん。文化祭の宣伝。」
POPの入った側を夏に向けて見せたあと、クリアファイルを鞄に仕舞った。
「文芸部だっけ」
「そうだよ。今準備で大忙し。」
僕も「いただきます」と手を合わせてから、ハヤシライスをスプーンいっぱいに乗せて頬張る。
相も変わらず、凄く美味しい。
「文化祭何か売るの?」
「部長は本出すって言ってたけど、僕は特には。」
「えー、侑の書いた本読んでみたかったなぁ」
夏は大げさに落ち込みながらオムライスを集めてスプーンですくう。
夏に見てみたいな。と言われただけで、書いてみようかな。と安易に考えてしまう。
「その本の表紙綺麗だね。侑っぽい。」
テーブルの端に置いた本を指さした。
「何言ってるの、これ中学の時に夏が家族旅行でフランス行った時のお土産だよ。」
「あ、え?そうだっけ?」
「しかも、その時も侑っぽいから買ってきた。って言われた。」
「あーまじか。」
この本はフランス語で全く読めないけれど、僕の宝物。
気まずそうに指で頬を掻く夏を見たら笑みがこぼれた。
僕は昔から、悲しくても怒ってても、夏の言動で簡単に笑えた。とっても単純で呆れたものだ。
「夏休みは準備で部活ばっかりなの?」
「ううん、部活はあんまりないんだけど、バイトしようと思ってて」
「バイト!?」
「文芸部の先輩の家が本屋さんで、夏休みの間少しだけ」
「そうなんだ…」
びっくりしたままの夏がスプーンを口に運ぶ。ケチャップが口にの周りに付いてまるで子供みたい。
僕が無言で紙ナプキンを渡すと照れた顔で口元を拭いた。
「部活と言えば、夏は試合ばっかりみたいだね。」
僕もハヤシライスをスプーンいっぱいにすくった。
「三年生の引退がかかってる試合。勝てれば勝てるだけ一緒に出来るから」
「そっか。」
「尊とバスケ出来るのも後ちょっとか…」
尊、ね。
「尊は元気?」
「うん、元気。でもやっぱり最近はちょっと疲れてるかな。」
「そうなの?」
「ほら、尊ってキャプテンと部長両方引き受けてるし」
「そういえばそうだね。どうやって決めたの」
夏はもぐもぐと動かしていた口にオレンジジュースを流し込む。
「多数決。でも、流石に両方はないんじゃないかと思って少し抵抗したんだけど、今の三年生がもうそれでいいじゃんみたいな空気作ってきて」
僕はハヤシライスをまた頬張ると、半分残ったそのお皿を夏の近くに寄せた。
「まだその時僕、一年生だったから、部長立候補したけど却下されて、なんかもうね」
「尊は何も言わなかったの?」
夏も半分のオムライスが乗ったお皿を僕へ差し出した。
「尊は、仲のいい先生が顧問だから大丈夫だと思うって」
「あれ、でも顧問って」
「うん、その年の秋に奥さんの出産のタイミングで育休とったから、別の素人の先生が代わりの顧問になっちゃって」
「当時もその事で夏騒いでたよね。」
夏はハヤシライスを流し込むかのように食べる。見た目は爽やかイケメンなのに、やることは割と子供っぽい。
残りのオレンジジュースを一気に飲むと少し強めにグラスをテーブルに置いた。
「だって、夏休みに部長キャプテン決めがあって、その年の秋だよ!?育休取るの分かってたじゃん。なのになんで両方引き受けること止めなかったのって思う」
「気軽に相談出来そうな榊コーチもどっか行っちゃったしね」
「そうなんだよ…」
夏は怒りながら残りのハヤシライスを平らげたあと
「ごめん、少し熱くなっちゃった。」
と、気まずそうに空になった皿をテーブルの端に寄せた。
「前の顧問は少し、薄情だなと僕も思うよ。うちの学校、この辺じゃ名の知れた強豪校でもあるしね、責任感ないよね。」
「だよね。今の顧問の先生も急に頼まれた感じでさ、土日とかに来てくれるコーチだけが頼り。」
そのコーチって…
「あ、ごめん侑。僕ばっかり沢山話してた。何か話あるんだよね?」
夏が急に話を切り替える。
忘れていたわけではないけれど、ああそうだ、夏に話をしに来たんだ。と今日の目的を心の中で再確認した。
「うん…」
オムライスの最後の一口をスプーンの上に乗せる。
そのオムライスと夏の顔を交互に見た。夏は戸惑った顔で僕を見て首を傾げた。
「ハヤシライスと、オムライス…」
「侑…?」
「選べないから、半分ずつ」
「どうしたの?」
店内のお客さんは僕が来た時よりも半分ぐらいまで減っていた。
静かな時間とジャズが流れる空間に安らぎも安心もない夏の顔。きっと僕がこれからいう言葉に怯えている。
「夏が、ひどい目にあってるから助けたい。って気持ちと、夏が必死に隠そうとするから、見て見ぬふりをしてあげたい。って気持ちが半分半分なんだ。」
「ひどい、目…」
夏は自分の右腕を左手で強く掴んだ。まるで何かを隠すように。
僕は最後の一口を食べて飲み込んだ後、空のお皿を端に寄せた。
「さっき言ってたコーチって、…潤のお兄さんだっけ。」
《潤》という名前に夏がピクリと反応する。
「う、うん…渉さん」
「前にバスケ部の応援で見かけたけど、潤にそっくりだよね」
「そう、だね。」
少しだけ引きつった笑顔。その顔は今までに何度も見た。小学生の時も、中学生の時も、高校生になっても。
「夏の一番近くにいたいけど、夏のこと応援したいって気持ち。これも半分半分。」
「侑、さっきからどうしたの?」
「選べないから半分ずつって、僕、ずるいかな?」
空になったグラスの中の氷がカランと音を立てた。
夏が口を少し開けて唇を震わせる。出てこない言葉に焦る表情。違う、僕はこんな顔をさせるために夏と話してるじゃない。
「空いたお皿おさげしますね。」
二人してウェイターの介入に肩がビクッと動いた。
ウェイターが席からだいぶ離れたのを確認して僕は大げさに咳ばらいをした。うつ向いていた夏の顔がこちらを向く。
「ごめん。ちょっと意地悪した。」
僕が謝ると少しだけ穏やかな表情に変わる。
「回りくどい言い方しちゃったし、単刀直入に言うよ。」
「う、うん」
夏が背筋を伸ばして構えたのが分かった。
僕は目を瞑って小さく深呼吸をした後、ゆっくりと目を開いて夏を見つめた。
「夏のことが好き。」
その言葉を発した瞬間、店内にかかるジャズも、外で煩く鳴く蝉の声も、流れる雲も風さえも止まったような気がした。
しばらく黙って反応を待っていると、本当に止まてしまったかもしれないと思うほど微動だにしなかった夏が口を開いた。
「友達として、でしょ?」
そうなるよね。でも半信半疑のようだ。
そして僕はもう引き下がるわけにはいかなかった。
「悪いけど、恋愛として、だよ。」
「…っ!!」
いつもおしゃべりの夏がこんなにも言葉を詰まらせて静かなのは初めてかもしれない。
「だって、僕、男だよ?」
恐る恐る発せられたその言葉を聞いて、僕は思わずため息をついてしまった。
「それ、夏が言うの?」
夏の目をしっかり見ながら微笑むと、夏は即座に目を逸らし伸ばした背中をソファの背もたれにつけてうつ向いた。
「どうして知ってるの?」って聞きたいのだろうか。
「さっき、誰を守りたいの?って聞いたよね。夏の事だよ。」
「僕…」
「尊も、潤も、夏を傷つける。だから、僕は守りたい」
「そんな!あの二人に傷つけられてなんかないよ!」
必死に隠そうとしていることも、なんだか段々腹が立ってきた。
夏の右腕を指さすと、夏が腕をぎゅっと掴んで困惑する。
「潤は、とりあえずいい、盲目がすぎるだけ。僕は許す気ないけど。でも、尊はダメ。その腕に付いた物理的な傷を、僕はないなんて言わせない。」
「こ、これは…。この痣は、部活でついたもの、だから」
てっきり何もないって嘘つかれると思ってた。
部活、ね。ある意味間違ってないかもね。でも
「そんな半年以上隠さなきゃいけない痣ってなに。」
「肌白いから、目立つんだよね。見えると、みんなに心配かけたくないし」
「見えなくても僕は心配してるよ」
僕の怒涛の反論に夏が目を泳がせながら、冷や汗を垂らす。
「外部からつけられたものだとしても、それでも、尊は関係ない」
「そっか」
「心配してくれてありがとう。でも、大丈夫。自分で解決するから…。」
ここまで僕がさらけ出しても夏は尊を庇って嘘つくんだね。
「…僕が知ってる尊なら、夏がそんな目にあっているのを見逃さないし、見過ごさないけどね。」
ごめんね、やっぱり僕は意地悪だ。
「それは…」
「僕らのリーダー…でしょ?」
「…。」
蝉の声がより一層大きくなって、窓を突き破ってくるのではないかと、こんな時にありもしないことを考えていた。
夏を追い詰めたいわけじゃない。何度も思うけど、そんな顔をしてほしくない。
だけど、夏が望んでいるならと見て見ぬフリをしてきた数々の出来事を僕はもう我慢できない。
漫画のような展開とか、ロマンチックとかそうゆうものに期待していた時、告白はもっとドキドキするもんだと思っていた。余裕なく、赤面して、泣きそうになりながら震える声で伝えるもんだと思っていたんだ。
「夏が好きなことも、守りたいってことも僕は全部、本気だよ。」
これは僕の意思表明。
どうか、傍観するだけに終わらないで。
二章 第六話 「告白」 終わり