3話「Un amour impossible」侑side
「過保護」
屋上で寝ている夢に自分のカーディガンをかける潤に言い放つ。
嫌味で言ったのに潤はニコニコしながら
「夢には、俺がいてやらないと。」
だって。聞いて呆れる。
潤はいつだって自分のことしか見えていない。
「そうですか。」
変わってしまった人と変わらない人。
そのあと潤と少し会話をした後、潤は会議に行くからと走って屋上を出て行った。
夢にかけたカーディガンの回収を頼まれたがそんなめんどくさいこと誰がやるか。
僕と夢だけになった屋上はとても静かだった。
弱くも強くもない風が吹いて、校庭で部活をしている人たちの声が微かに聞こえる。
僕は本を閉じて少しだけ日向に出た。ジリジリと肌を刺激する熱が痛かった。額から汗が垂れる。
昔の事を思い出した。
***
小学一年生の時に両親の誘いでバスケットボールクラブに入った。
もともと本や漫画が好きだった僕は運動が得意ではなく、やっていけるか不安だったけど、僕よりも運動音痴がいた。それは夢だった。
走るのも覚えるのも僕より遅く、バテるのだけは誰よりも早かった。たった一歳差だけど年上には見えなかった。
子供の僕でも知っていた。〝柊財閥の一人息子″
どんなおぼっちゃまくんがいるのかと思ったら、泣き虫で運動音痴、ただ顔は美形。そんな夢を僕は弟のように可愛がった。そしたら夢と仲のいい潤と仲良くなった。
潤は負けず嫌いの努力家だ。
勉強もバスケも遊びもできるまでやるし、勝つまでやる。そしてモテる。
バスケの試合があると何人かバスケなんて興味ないんだろうなと思う女の子がいた。おそらく潤のファン。本人は全然気が付いていなかった。かなりの鈍感。
そんな潤がライバル視していたのは尊だった。尊はバスケに関してはやれば何でもできた。所謂天才。
かといって驕っているわけでもなく、余裕ぶることもなく。それが余計に潤を焚きつける。
でもなんだかんだ僕たち四人は仲良しだった。
小学二年生になった春。夏がバスケットボールクラブにやってきた。
「椎名 夏です。よろしくお願いします!」
真っ白な髪と青い瞳がキラキラしていて、漫画やゲームで見る人気のキャラクターみたいだった。
「あの子、隣のクラスに転校してたハーフの子だ。」
僕の隣で夢が言った。
体型は小柄なのに、存在感は人一倍大きかった。
夏は尊にも潤にも負けず劣らずバスケが上手くて、センスの輝くプレイはすぐに皆の注目の的になった。
皆が夏の姿に釘付けになる。僕もその一人。
夏とは家も近かったこともあってすぐに仲良くなった。
五人で遊ぶことが多くなって、僕達はいつも一緒だった。
そんなある日、僕は夏にクラブを辞めることを告げた。
「え、辞めるの?」
夏の問いに夢と潤が慌てて駆け付けた。
「え?どういうこと?」
潤は首をかしげ、隣で夢は「なんで、なんで」と涙目になりながら僕に詰め寄った。
「まあ、僕、スポーツ向いてないんだよね。」
僕がにっこり笑って見せると、三人は一瞬びっくりした後、呆れ顔をした。
「四年もやってそれかよ。」
「僕だって運動音痴だよ」
「もっと侑とバスケしたかったなあ」
口々に言う三人に僕は「ごめんね。」と笑って返した。
そして僕は五年生になると同時にバスケットボールクラブを辞めた。
皆に言った辞める理由は建前だった。確かに本やゲームが好きでスポーツは苦手だ、でも小学生の間はバスケを頑張ろうと思っていた。クラブには仲のいい友達も多かったし、試合に出れなくても楽しいことは多かった。
でも、気づいてしまった。夏を好きだということに。
初めはコートを駆ける姿に魅了されていた。憧れと言うやつかもしれない。
練習が終わると決まって同じジュースを飲むこと。帰りにソーダ味のアイスを買うこと。
段々とわかっていく夏のこと。
「侑、僕んち遊びに来ない?」
家に呼ばれたときは胸が高鳴った。もっと夏のことが知れるんだ。
夏の家族は日本人のお父さんと、外国人のお母さん、中学生のお姉さんの四人家族。
部屋には僕の部屋に負けないぐらいの大量の漫画。ゲームも沢山ある。
「すごい…」
「侑、ゲーム好きなんでしょ!?」
「う、うん」
「一緒にやりたいの沢山あるんだ」
夏が僕のことを知っていてくれることが嬉しい。
「漫画も読んでるのある?気になるのあったら貸すよ」
夏が僕のことを知ろうとしてくれているのが、嬉しい。
夏が好きだと気が付くのに時間はかからなかった。
でも、想いは胸の内に仕舞っておこうと思っていた。自分の恋が普通とは少し違うことは理解していたし、想いを伝えて夏との関係が壊れるのが嫌だった。
だから、この気持ちが溢れないように僕は夏の近くにいるのをやめたかった。
尊も中学生になって、僕もクラブを辞めて、こうやって友達とは疎遠になっていくんだな。と。
その方が好都合だった。
でもそう甘くはなかった。
僕がクラブをやめた後も休みがあれば遊びに誘われたし、中学生の尊も当たり前のようにいた。
そもそも誘われても行かなければいいのに。とは自分でも思うが、その場その場で心は揺れた。
「ねぇ、侑って尊と同じ中学行くの?」
いつものように公園で遊んでいると、夏が聞いてきた。
「え、なんでそれ知ってるの」
「この間ママと尊のお母さんと侑のお母さんが話してるの聞いた」
「あー、そうなんだ。」
ほかの三人も寄ってきて話に入ってきた。
「中学の話?」
「うん、まぁ、そう。」
「尊と同じとこ行くんだって」
「中高一貫だし、家から近いから。雰囲気もいいから行こうかなって」
夢と潤と夏が顔を見合せた。その後3人とも僕の顔を見るなりニコッと笑った。
「実は僕達三人ともそこ行く予定なんだ」
え、なんだって?
一瞬頭が真っ白になった。
それぞれ行く理由をつらつらと話し始めたが、何も頭に入ってこなかった。
この気持ちはなんだ。嬉しい?ビックリ?よく分からなかった。
夏は僕を離してくれない。
学校を変える選択もあったかもしれないけど、着々と準備を進めてくれている両親には言えなかった。
三人は無事受験に成功して尊と同じ学校に入学した。
その一年後に僕も入学した。
これからまたみんな一緒なんだ。そう実感したのは入学式が終わって夏が僕に会いに来た時だった。
「また皆一緒だね」
相変わらずイケメンのその顔は笑うとより一層眩しくて、目が眩んでしまった。
その時に僕は、もうどうでもいいや。みんな一緒に今まで通り仲良く。それがきっと僕の幸せで、何より夏がそれを望んでいるんだ。と自分に言いかせた。
しかし、僕の決意は虚しく、その年の秋に事は起きた。
図書委員の仕事をしていた昼休み。夏が落ち込んだ様子で僕の元へやってきた。
「どうしたの?」
「夢がもう一週間も学校来てなくて」
「風邪?」
「多分違うと思う」と夏が首を振った
「今日の朝練で、顧問が夢からバスケ部辞めるって連絡きたって」
それは少し意外だった。相変わらず僕より運動出来ないみたいだったけど、夢は部活を辞める度胸も無さそうだった。
「辞める理由は…?」
「わかんない」
「そっか。」
「でも…!!」
急に声を張る夏にしーっと静かにするように促した。夏は気まずそうに手で口を抑えて、小さくごめん。と謝る。
「でも、僕が悲しいのは、尊と潤が何も言わないことなんだ」
「何も言わないって、潤も?」
「そもそも、尊と潤も急に話さなくなって、ピリピリしてる」
尊はもう中学三年生だけど、高校受験が無いため今でも部活には頻繁に顔を出してると聞いていた。
だから四人で仲良くバスケをやっているもんだと思っていたけど。
「僕も夢と連絡とってみるから、あんまり落ち込まないで。」
僕にはそう返すしかなかったけど、夏はその言葉を聞いて「ありがとう」といつもの顔で笑った。
その日の夜、夢にメッセージを送ってみたけど既読がついたのはその三日後で、返事は無かった。
その後、僕から何かすることはなかったが、夏に誘われて二人で夢の家へ一度だけ行った。チャイムを鳴らしても誰も出てくれなくて、しばらく粘っていた夏を引っ張って帰った。
その帰り道に、有名な財閥の息子なのに普通のマンションに住んでで意外だな。と関係のないことを考えていた。
「潤は隣の家なのに誘っても来てくれなかった。」
「うん」
「尊も夢のことはほっといてやれしか言わない」
「うん」
「もうみんなと遊べないのかな」
夏の話に相槌を打ちながら帰った。夏が五人でいることを望むなら叶えてあげたかったから、最後の質問には「うん」とは答えなかった。
そのまま冬になった。
朝、いつも通り自分の教室へ行こうと階段を上がっていると、二年生の教室階がなんだか騒がしいのに気が付いた。
「どうしちゃったんだよ!?」
この声は潤だ。だいぶ声を荒げている。思わず潤の声がする方へ駆け寄った。
すると前方から駆け足でこっちに向かってくる人影が見えた。窓から入る風に金髪の長い髪が揺れる。
「夢…?」
真っ黒だった髪は金色に、耳にはいくつもピアスが付いていた。服装もお坊ちゃまみたいにきっちりしていたのに面影もなかった。でも、この人は確かに夢だ。
「侑」
「連絡取れないから、どうしたのかなって心配だったよ」
できるだけ普通にふるまった。でも
「もう俺には構わないで」
すぐに拒絶された。
”俺”なんて、夢には似合わないな。そんなことを考えるほど僕は冷静だった。
夢は僕の横を通って何処かへ行ってしまった。潤はその近くで立ち尽くしていた。
夢がこんなになってまで尊はやっぱり出てこなかった。
尊は面倒見がよくて、特に夢の事を誰よりも可愛がっていたのに。きっと尊と夢の間に何かあったんだ。多分潤はそれを知っているんだと思う。
その日から夢は学校へ来るようになったが相変わらず僕たちとは関わらなかった。潤がしつこく付け回しそれにキレる夢を廊下で何度も見るようになった。
それから数日後、夢の両親が離婚したことを知った。
夢が不良になったのはそのせい?一瞬、そう思ったりはしたけど、尊や潤を見ていたらこっちの人間関係に原因があるような気がしてならなかった。
ある日の放課後、委員会の仕事で図書室で片付けをしていると、部屋の角の窓際の席に夢がいるのが見えた。
夢は頬杖をついて窓の外を眺めている。金色の髪が夕日にあたってキラキラとしていた。
「不良が図書室なんて似合わないね」
僕が声をかけると肩がビクッと上がった後、ゆっくりこっちを向いた。
「なんだよ」
「尊と何かあった?」
僕は単刀直入に聞いた。
「誰から聞いた?」
夢が明らかに動揺している。どうやら当たりのようだ。
「誰からも聞いてないよ。ただ何となく見てたら、何かあったのかなって」
「何も、ない。」
「そっか。」
多分嘘だけど、追及するのはやめた。
「夏にだけはさ、いつも通り接してあげてよ」
僕がお願いすると、夢は困惑した表情で僕から目をそらして頭を掻いた
「夏が最近寂しそうなんだ。」
夢が僕の顔をじっと見る。
「侑は人の気持ちが分かるんだな。」
「え?」
「俺、全然分かんないんだよ」
「僕だってそんな分かんないよ」
「そんなことない」
見た目が変わっても口調や仕草はやっぱり夢のままだった。
夢は丸くなった背中をぐっと伸ばしてもう一度僕を見た。
「分かった。夏と侑には今まで通りに、なるべくする。」
あっさりと承諾を得た。
「俺はただ、泣き虫で弱い自分を変えたい。自分一人で生きていきたい。」
夢はそういうと「帰るね」と図書室を出た。
***
しまった。もうこんな時間だ。
過去の思い出に耽っていたら、いつの間にか日が沈みはじめていた。
隣でうなされていた夢が勢いよく起き上がった。
「大丈夫?うなされてたけど」
「だ、大丈夫。少し悪夢見てた…」
夢はかけられたカーディガンを見て嫌な顔をした。
夢はこの後あのマンションに帰るのだろうか。
後々知った話だが、僕が普通だと思っていたあのマンションは、夢のお父さんの仕事の関係で買ったらしく、想像していた大きな家は別にあるらしい。
夢は学校が近いからと未だにあそこに住んでいるが、どうやら一人暮らしみたいだ。
暖かい風が屋上に吹いて、夢の髪が揺れた。
あの日みたいに夕日に照らされてキラキラしている。
「夕日に当たるとすごい綺麗な色だね。」
僕達は屋上を出て、僕は職員室に鍵を私に行くため、夢と別れた。
たまに思い出す。
『侑は人の気持ちが分かるんだな』
夢に言われた言葉を。
いつからか誰が何を言いたいのかとか。誰が何を思っているかとか。人の仕草や表情で分かるようになってきた。
でも、僕はそんなこと知りたくなかった。
だって夏の目線がずっと潤にだけ向いている事に気がついてしまったから。
その眼差しが明らかに特別なものだと、僕は分かってしまったから。
「どうせなら、鈍感馬鹿が良かったなぁ」
職員室に鍵を返したあと、下駄箱に向かう足取りが少し重かった。
過去を思い出してセンチメンタルになっている自分がらしくなくて、笑えた。
風が吹いて足元に紙が飛んできた。ゆっくり拾ってそれを見ると夏休みの部活の日程表だった。
「あ、わりぃ…って侑か。」
潤が資料を抱えて駆け寄ってくる。僕がカーディガンを夢から回収しなかったことが不服そうな顔をした。
拾った日程表をもう一度見た。この学校はスポーツにもかなり力を入れていて全国大会出場とかもかなりあるらしい。もうすぐ夏休みだと言うのに三年生が残っている部活も多い。バスケ部もその一つだった。
「これ、もらっていい?」
「別にいいけど…」
なんで?という顔をしていたけれど気づかないフリをして僕は自分の下駄箱へ向かった。
靴を履いて校舎を出ると体育館を見た。電気がついていない。もう部活終わったのかな。
さっきの日程表のバスケ部の欄を見た。試合という文字がいくつか書かれているその前後に「休み」と書かれた日が数日あった。
鞄から本を取り出した。さっき屋上で読んでいた本。そして毎日持ち歩いている本。
綺麗に装丁されたその表紙にフランス語で書かれたタイトルをそっとなぞった。
「僕は今でも、夏が好きだよ。」
一章 第三話 「Un amour impossible」 終わり