1話「日が沈む」夢side
「夢!ちょっと待て」
廊下を歩いていると背後から聞き慣れた声が俺を呼び止めた。
聞こえないふりをしてそのまま前へ進んだが、声の主は俺の左肩を思い切り掴んだ。
「痛いんだけど」
振り返ると俺を睨みつける桐ケ谷 潤の姿がそこにはあった。
「お前夏休み前の学年集会ぐらい出ろよ」
大体何を言いに来たのか検討はついていたが、やっぱりさっきの学年集会に欠席したことの説教のようだ。
「生徒会長ってそんなことまで管理してんの?」
「生徒会長だからこんなことやってるんじゃない、お前のことが」
「心配だからね。はいはい、そりゃどーも。」
潤の言葉を遮り、答えると不機嫌そうにこちらを見ている。
その後潤は俺のワイシャツのボタンを強引に閉め始め、ネクタイをグッと結んだ。
「何すんだよ。」
潤の手を強く振り払うと、負けじとばかりに俺に詰め寄る。
「服装ぐらいちゃんとしろ。ピアスも学校にいる時は外せ。金髪もいい加減やめろよ…」
「うるせぇな。」
再度潤に背を向けて廊下を歩く。
「おい、ちょっと待てって。夢!」
俺を呼ぶ声は、数名の女子生徒によってかき消された。
「あ!桐ヶ谷くんだ!」
「桐ヶ谷先輩!あの!今ちょっといいですか!?」
「会長!あのこれお菓子作ったんです。食べて貰えますか?」
「桐ヶ谷くん、夏休みの予定って…」
「え、ちょ、ちょっとそこどいてくれ皆。」
潤は周りに集まる女子生徒にあたふたしている。
あいつは学校一、モテるやつだ。
度々廊下で待ち伏せされては色々と渡されている。
しかし、これを本人が自覚していないと来たもんだから、学校中の男たちは腹を立てている。
群がる女子生徒達に心の中で感謝をして俺を階段のある方へと歩みを進めた。
階段の下に着くと上から「夢〜!」とまた俺を呼ぶ声が聞こえた。
顔を上げると、これから部活に行くであろう桜庭 尊と椎名 夏が階段の上に立っていた。
夏は手を大袈裟に降っている。
俺は夏の隣にいる尊が顔を背けたのを見て、少しだけ嫌な顔をしたあと同じく背けた。
軽やかに階段を降りる夏。白色の髪が光に当たってきらきらと銀色に輝く。
「これから部活?」
「そう!もうすぐ三年生の引退がかかった試合だからみんな気合い入ってるよ」
三年生、尊の引退がかかった試合か。
「夏はいつも楽しそうだな」
「だってバスケ好きだし、楽しいし」
俺と夏が話してるとゆっくり階段を降りてきた尊が夏の髪をくしゃくしゃっとしながら
「時間ないから行くぞ。」
と一言。
俺には一切目を合わせず、部室の方へ歩いていく。
「夢、またね。」
夏が部室へ向かう背中に小さく手を振って、俺は階段を駆け上がった。
屋上へ出る大きくて重い扉を開けた。
目の前に広がる青空に大きく手を広げて深呼吸。
「夢じゃん」
少し離れた位置からまたまた俺を呼ぶ声。
「あ、いたんだ」
日陰に座り込んで本を読む柚木 侑は、サラサラの黒髪を耳にかけ、眼鏡をクイッとあげる。
俺はその横に大の字で寝転がった。
「高校入学おめでとう」
俺は空を見たまま侑に言った。
「いや、もう夏だよ。」
そうだな。と小さく笑ったあと大きなため息をついた。
「鬱陶しくて困る」
俺がボソッと呟くと、侑が読んでいた本を閉じた。
「潤のこと?」
「そう」
「過保護だよね」
「過保護とかそういう問題じゃない」
よいしょっと上半身を起こして金色の髪を左手の人差し指にくるくると巻いた。
「金髪やめろだってさ」
「この学校って頭髪は自由じゃなかったっけ」
「目立つからだろ。どうせ。」
侑は「あぁ」と小さく納得した。
「この間なんて、『お前、皆になんて言われてるか知ってんのか?』なんて聞かれて。自分が他人になんて思われようが知ったこっちゃないよ。」
「ちなみになんて言われてるの」
「…コネ入学の不良坊ちゃん」
「まんまじゃん」
「ちげーよ!」
侑はふふっと笑って「ごめん、ごめん」と謝ったあと続けた
「まぁ、でも夢のお父さんのこととか、柊財閥知らない人いないし、夢が坊ちゃんなのは変わらないじゃん」
「でも、コネじゃない」
「夢パパと理事長って親友だもんね。誤解されても仕方ないか。」
「侑どっちの味方なんだよ」
「さぁ、どっちだろう」
侑が楽しそうに笑うから「もういいよ」と不貞腐れてまた寝転がった。
「寝るから、屋上閉める時起こして」
はーい。と気だるげに返事をして侑が本を読み始める。
気持ちの良い風とページをめくる音が心地よくて直ぐに眠ってしまった。
『好きなんだ。』
はっと目が覚めた。体を起こすと額から汗が落ちた。
夢を見た。昔、中学生の頃の思い出を。
何度も忘れようと思っていたあの日を未だに夢に見る。
脳裏にずっとこびり付く風景がある。
学校からの帰り道。伸びるふたつの影。俺を抱きしめる大きな手。ずり落ちるエナメルバッグ。
「夢のことが、好きなんだ。」
告白の言葉。
大きな体を突き放した自分の手。
その先で悲しそうな
尊の顔。
忘れることの出来ない。中学二年生の秋。
「大丈夫?うなされてたけど」
侑が顔色変えずに尋ねてくる。
空はオレンジ色に変わり始めていた。
「だ、大丈夫。少し悪夢見てた…」
腕で額の汗を拭った。
ふと視線を下にうつすとカーディガンが俺の体に布団のようにかけられている。
「これ…。」
「まぁ、お礼ぐらい言っといたら?」
侑は荷物をまとめて立ち上がる。どうやら帰るようだ。
カーディガンの左胸の所にあるロゴを触る。
このマークは小さい頃から潤が好きだったブランドだ。
「本当に、ウザすぎ。」
侑に続いて上がった。
風がふわっと吹いて俺の金色の髪がゆらゆらと揺れる。
「夕日に当たるとすごい綺麗な色だね。」
侑がそう言うから、俺は風に揺れる長い髪の先を見ていた。
「白髪で目立つ生徒がいるんだから、俺の髪なんて別にどうでもよくない?」
「白髪って夏のこと?ハーフなんだし、自毛だし、仕方ないよ」
「…あいつ、かっこいいよなぁ」
「…うん、そうだね。」
侑が少し寂しそうな顔で笑うから、反応に困った。
日の沈む空を眺めたあと、カーディガンを片手に屋上を出た。
侑は屋上の鍵を返しに行くと言うので早々に別れ、下駄箱へ向かうため、屋上から続く薄暗い階段をゆっくりと降りる。
一歩一歩降りる度に、色々なことを思い出した。
尊の告白は俺にとってただ驚きだけの出来事だった。でも気持ち悪いとか、そういう感情が一切湧かなかった。だから拒絶してしまったことを、少し後悔していた。
ちゃんと返事をしようと思っていた。でも色々と重なって俺は愛されることが嫌になった。
自分を変えたくて、中学二年生の冬、髪を金髪に染めて、耳にピアスをあけて久しぶりに登校した。
一人称も「僕」から「俺」に無理やり変えた。
こんなことで変わるわけ無いと分かってはいたけれど、何か形から変えなければ心が落ち着かなかった。
こうすれば強い男になれると、思っていたし、孤立を強く望んだ。
久しぶりに学校に行くと、潤は俺に過干渉になっていた。そして尊は俺を避けた。おまけに二人の仲は険悪だった。
夏と侑は今まで通りだったが、前みたいに五人みんなで集まることは無くなった。
そして尊の中学の卒業式の日。
俺は体育館の裏で尊とばったり会って
「この間のことは忘れてくれ。嫌な思いさせて、悪かったな。」
と、謝られた。
その時何かが込み上げて、涙が出た。去っていく尊の背中に「待って」と声を掛けたいのに声は出なかった。尊に避けられてホッとしていた。自分が望んだことだったのに、それがその時はとても寂しかった。
あの時の寂しさの正体はなんだったんだろうか。そして今も尚抱いている、尊へのこの思いはなんなのだろうか。
すっかり暗くなってしまった校舎を眺めながら、そんな事を考えていた。
帰ろう。
そう思った時、大きな音が廊下に響いた。二年生の下駄箱の方からだ。
俺は恐る恐る、音のする方へ向かった。
下駄箱の影に隠れ様子を伺うと話し声が聞こえてきた。
「顔はダメだって。痣見られたら他の人にどうしたの?って聞かれちゃうから」
夏の声だ。
痣?誰かに殴られたのか?
「……帰るぞ。」
「…うん。」
もう一人の顔を、夏の事を殴った犯人を、見なければ。
そう思っているのに、足が動かない。未だに弱い自分が情けない。
呼吸が上手くできない。口を抑えて。声を殺した。
誰もいなくなり静まった下駄箱で震える自分の体を止めたくてしゃがみ込むと、溢れる涙が握るカーディガンにぽたぽたと落ちる。
夏に暴力を振るっていたのは誰?
そう質問を頭の中で繰り返しては「……帰るぞ。」とという声が繰り返される。
あの声を俺は知っている。
一章 第一話 「日が沈む」 終わり