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エゴで窒息  作者: 夏至
番外編
14/14

12.5話「文学少年」朱鳥side

侑と出会ったのは高校二年生の卯月。部活動の入部届け提出の日。

部活動が終わる十分前、ボクは文芸部の部室へと足を運んでいた。


ボクの名前は《椿(つばき) 朱鳥(あすか)》。

高校二年生。文芸部副部長。趣味は睡眠、三度の飯より睡眠が好き。授業中の居眠りにより、進級も危ぶまれたが、無事に二年生になれました。


四階の端にある文芸部の部室の扉を開ける。


「あれ?新入部員ゼロ?」


大きな本棚に囲まれた部室の真ん中に、大きい机がドンと置いてある。

机でトントンと資料をまとめているのがこの部活の部長《栗花落(つゆり) (はな)》、清楚系美女としてこの学校で有名な三年生。

世の男子生徒は華みたいな人と付き合いたいと思うらしい。

ボクに気が付いた華はギロりと鋭い目つきで睨む。


「五人来たわよ。あなたが教室でうたた寝してる時にね」


ボクは「ごめんごめん。」と軽く謝りながら華の向かいの席に座る。隣の席には真新しいカバンが置いてあった。華が入部届けのコピーを五枚渡してきた。


「この中で何人がちゃんとくるかな」

「さぁ、どうでしょうね。でも文芸部は廃部にならなくて済みそうね」


五人分の入部届けをパラパラと適当に見る。


「朱鳥の初めての後輩ね」


そう。中学の時は帰宅部だったボクにとって初めての後輩。


もともと高校でも帰宅部になる予定だったが一年生の時、当時二年生の華に頼まれて文芸部に入部した。

この学校の文化部は最低でも部員が五人いることが条件。入部したとき、華と華の同級生が二人の合計三人しかいなかった。しかも二人は他の部と掛け持ちのためほとんど幽霊部員だった。

ボクも友達を誘って入部し、晴れて文芸部は継続となった。その友達も掛け持ちのため、普段は本命の部活の方へ行っている。


おかげで副部長という肩書きまで手に入れたが、文化祭時期をのぞけば、ボクがやっているのは放課後この部室にきて本を読むだけ、もともと本を読むのが好きだったボクにとってこの部活は苦ではないが、これを部活動と呼んでいいのだろうか。


「これなんて読むの」

「どれ?」

「ゆずき…ゆう?」


入部届けを一枚手に取り頭を傾げる。


「たすくです。」


声が聞こえた方をみると、メガネをかけたいかにも頭良さそうな見た目の少年が部室の入り口に立っている。

たすくと名乗るその少年はボクの隣に座ると、持っていた入部届けをボクの手から抜き取りシャーペンで『ユズキ タスク』とフリガナをふった。


「フリガナ振り忘れてました。すみません。」

「大丈夫よ、私も見逃してたし。それより顧問には入部届け渡してきてくれた?」

「はい。全員分まとめて渡してきました。」

「ふふ。ありがとう。初日からお仕事させちゃってごめんね。」

「いえ、そんなことは」


《いい子》というやつなんだろうか。


「ほら、朱鳥。挨拶」


そうだった。


ボクは椅子にもたれてた体を起こして、侑の方を向いた。


「二年の椿 朱鳥です。副部長やってます。よろしくお願いします。」


後輩への自己紹介ってこんな感じだろうか。何もかもボクにとっては初めての経験。なんだか少し、楽しみかもしれない。と、思ったのも束の間、柚木は『この人、先輩なんだ』と少し引いた目でボクを見た。

その後また真顔に戻ると、体をボクの方に向けて


「柚木 侑です。今日からよろしくお願いします。」


とぺこりと頭を下げる。

なんだろうか。とてもムカつくやつかもしれない。そんな気がした。


「ごめんなさい。私これから図書委員の仕事があって。」


華は急いで鞄の中に書類やらペンケースやらをしまう。


「あ、僕も何か手伝いますか?」


と柚木が立ち上がるので「図書委員なの?」と尋ねた。


「そうです。」とそっけない塩対応。


「柚木くんありがとう。でも今日は大丈夫よ、部活は明日から本格的に始めるからよろしくね。」

「よろしくお願いします。」

「朱鳥、戸締りお願い。」


華はヒラヒラと手を振って図書室へ向かう。「はーい。」とボクも手をふる。

華がいなくなったあと、柚木はボクの席の隣に置いてあるバッグを机におき、中を片付け始めた。


「柚木くん、委員会も入ってるんだね。大変じゃない?」

「別に大したことないです。」


入部届けに書かれたクラスをみる。


「B組って特進クラスじゃん。頭いいんだね。」

「勉強頑張ってるので。」

「へー…。」


会話が続かない。


「ねぇ、華の時と態度違くない?」

「そんなことないですよ?」


つめたい。どう考えても冷たい。


ボクが黙ると部室は静まり返った。外から運動部の練習する声が微かに聞こえて、廊下からはバタバタと誰かが走る音が聞こえた。その音は段々と大きくなって、部室の近くで止まった。その後ガラガラと音を立てて部室の扉が開くと、真っ白な髪を銀色に光りなびかせたクラスメイトの椎名がそこにいた。


「椎名?」

「夏!!」


ボクの問いかけに食い気味で柚木が叫ぶ。

柚木は椎名に駆け足で駆け寄り、楽しそうに話している。


「侑。遅くなったけど進学おめでとう」

「ありがとう」

「今日バスケ部説明だけなんだ、久しぶりに一緒に帰らない?」

「帰る。片付けるから待ってて。」


なんだこれは。なんだあの笑顔は。華と俺に対する差なんて比じゃない。


「じゃあ昇降口で待ってるから、侑も準備できたらきてね。椿もバイバイ」


夏が元気よく手を振るから、思わず振り返していた。

椎名の姿が見えなくなると柚木は急いでは鞄を片付け始める。


「椎名と知り合い?」

「知り合いというか幼馴染です。」

「あー、じゃあ生徒会長とも?」

「まぁ、そうですね。」


さっきの笑顔はどうした。何でボクにはそんな冷たい態度なの?


「じゃあ。お先に失礼します。」

「あぁ…またな。」


柚木は丁寧にお辞儀をすると部室を出ていった。

しーんと部室が静かになる。外で部活に勤しんでいる声がまた微かに聞こえた。


「可愛くない!」


入部届けをもう一度見た。『柚木 侑』初めての後輩。楽しみだとか、先輩になるんだとか、何とも思ってなかったけれど、そうなんだけど


「思ってたのと違う!」


という矛盾を抱えてボクは寂しく一人で戸締まりをしたのだった。




***



皐月。ゴールデンウィークも終わり、本格的に部活が始まって早一週間、新しく入部した五人のうち、三人は幽霊部員になった。柚木は部活がある日は毎日くる。もう一人は生徒会役員と掛け持ちらしく、週に数回来るがあまり話をした事がない。


「さ、寒い…。」


移動教室のため、渡り廊下に出る。風が吹き抜けると大きなくしゃみが出た。


「五月だけど、まだ風は冷たいね。てかブレザー着なよ」


隣を歩く椎名が呆れ顔で言う。


「ブレザー堅苦しくて嫌いなんだよ」


ふと中庭の方を見ると一年生が集まっている。大きなカメラと三脚を持った男の人達も一緒だ。どうやらクラス写真を撮るらしい。

当たり前だがそこに柚木の姿もあった。


そういえば下の名前ってなんだったっけ。読めなくてフリガナ振ってたよな,…。ボクも華も苗字でしか呼ばないからな…。ゆう、じゃなくて、あ、そうだ。


「たすくー!」


思い出した『たすく』だ。と思った頃にはもう既に名前を呼んで手を振っていた。

ボクの周りにいた人も、中庭にいた一年生も一斉にボクの方を見る。柚木はびっくりした顔でこっちを睨んで、そのままぷいっと顔を逸らした。


確かにここで叫んで名前を呼ぶのはやりすぎたかもしれないが、先輩を無視するとは…。

なんなら「せんぱーい!」って手を振り返してくれれば空気も穏やかにならない?と思ったけど柚木がそんなことしている様子が全く想像できなかった。


「え?なになに侑いるの?」


と、少し前を歩いていた夏が振り返って聞いてきたので、ボクは「いないよっ!」とムキになって嘘をついた。




その日の部活の時間、ボクはまたホームルームで寝過ごし部室に遅れて到着した。


「朱鳥。また遅刻…ってなんか怒ってる?」


ズカズカと部室に入り、呆れる華をスルーして、柚木の隣の席に大袈裟にカバンを置いた。


「あ、先輩こんにちは。」

「こんにちは!!!!!」


ボクのバカみたいな大きな挨拶に冷静な柚木。いつもと変わらないご様子。


「なんで今日無視したの」

「え?先輩どっかで会いました?」


澄ました顔で本を読む柚木。

白々しいぞ、こいつ、とりあえずこっちを向け。


「中庭で撮影してただろ!!」


柚木はあぁと顎に手を置く。その後横目でボクを見た。


「だって椿先輩、服装はだらしないし、髪はボサボサだし、眠そうな顔だし、知り合いだって思われるのちょっと恥ずかしくて。」


「…え?」


たしかに、髪はボサボサかもしれない。カーディガンが袖と裾はまぁまぁ伸びてる。眠そうなのはいつもの事だけど…。


「そ、そんなぁ」


後輩に散々な言われよう。流石に少しだけ、本当に少しだけ傷ついた。


「朱鳥相変わらず泣き虫ね。」


華が笑う。


「泣いてないよ!!」


華に反論すると柚木が肩をぷるぷると震わせふふ。と声が漏れた。


「嘘ですよ先輩。」

「え?」

「別に恥ずかしいだなんて思ってません。」

「えぇ??」

「あの時のほほ膨らませてた先輩可愛かったですよ」

「はぁ??」


分かってたけど、この子だいぶ意地悪くない?

そもそも何で柚木はボクにこんな意地悪なんだ?ボクも何でこんなムキになるんだ?


「だからって無視することないじゃん!!」


次はどんな失礼なことを言ってくるのだろうと、身構えながら言ってやったが、柚木はぴたりと一瞬止まって顔を逸らした。


「あんまり…」


さっきとは違って急に弱々しい声


「なに?」

「幼馴染と親ぐらいしか、下の名前で呼んでこないので…」

「うん」

「ちょっと、照れただけ…です。」


か、可愛いとこもあるじゃん!!!!


眼鏡を人差し指でくいっと上げるフリをして、手で顔を隠しているようだ。隙間から侑の顔が少し赤くなってるのが分かる。

散々からかわれたが許してやってもいい。と思ってしまう。ボクは自分でもビックリするほどちょろかった。


柚木の隣にどすんと座ると目の前で華はニコニコしていた。気に食わないが今は良しとしよう。


「なんかすぐ涙目になっちゃうとこ、夢に似てますね。」


涙目なってない、なってないぞ。


「夢って、あの不良の?」

「あ、いえ、まぁ…。」

「ふーん。」


あの不良くん、涙目になることあるのか。少なくとも高校からこの学校に通っているボクは涙目になるような不良くんを知らない。


華が本を取りに席を立つと柚木が小さく手招きをするのでボクはそっと柚木に耳を近づける。

柚木は内緒話をするように口元に掌を添えて、小さな声で言った。


「頬膨らました先輩が可愛かったのは本当です」


はい??


「お前っ!!」


怒るボクを見て楽しそうに柚木は笑う。

前言撤回、やっぱり可愛くない。



***



水無月。蒸し暑い日が続いている。

午後の授業が自習になり、クラスのみんながガヤガヤと騒ぎ立てていた。


「なぁ、椎名。」

「なにー?」


前の席に座る椎名は、椅子に横向きに座り、ボクの机に寄りかかる。


「長袖のワイシャツ着てて暑くないの?」

「んー、まぁ大丈夫」


椎名は半袖のイメージが強かった。爽やかな顔つきとはそぐわない、わんぱくな男子高校生そんな感じ。まぁ、誰が何着ようが自由なんだけどね。当の本人は漫画をずっと読んでいてあまりボクの話を聞いていないし。


椎名が読んでいた漫画の表紙がチラッと見える。


「え、それ、今日発売のじゃん!」


思わず漫画の表紙を覗き込んだ


「え?なに椿この漫画好きなの?」

「めっちゃ好き!てかこの漫画家のファン!」

「まじか」

「なんで持ってんの?昼休み買いに行ったの?」

「違う違う、侑が昨日フラゲしたんだって」


羨ましい。というかあいつもこの漫画好きなのか。漫画を読むようなキャラには見えなかったけど、人は見かけで判断するもんじゃないな。


「てかさ」


椎名が漫画を閉じる。


「ん?」

「侑、部活でちゃんとやっていけてる?」


保護者みたいだな。


「毎日きてるよー。華と、あ、部長とは楽しそうにオススメの小説の話とかしてるし、部長は文化祭に出す作品についてあいつにアドバイス貰ってるっぽい。」

「へぇー。椿とは?」

「ボク?んー、まぁ…。」


今まで受けた数々の仕打ちを思い出して嫌な顔をしたら、椎名は「どうした?」と首を傾げた。


「あいつ、ボクのこと多分先輩だと思ってない。」

「そうなの?」


椎名はぐいぐい聞いてくる。ボクは机に突っ伏して不貞腐れる。


「めっちゃなめてるし、すぐからかうし、涙目になってんの見て笑ってんの。ホント性格悪い。」

「へぇー、仲良いんだな。」


椎名は何を言っているのか。


「どこがだよ」

「侑って、誰に聞いても『いい子だよね。』『優しい子だよね。』って言われんだよね」

「あいつがぁ?」


信じられない。確かに華の前ではいい子を演じているようには見えるが。


「僕達幼馴染の前だと、意地悪全開なんだけどね」

「猫かぶりじゃん」

「ふふ。そうだね。椿のこと慕ってるんだね。仲良くしてやってね」


ボクは机に突っ伏しながら足を静かにバタバタさせた。

椎名が保護者ヅラなのは腑に落ちないが、嬉しい。そんな気持ちがちょっとだけあった。

ボクはアイツにとって幼馴染たちと同じ「特別」にカテゴライズされているのだろうか。


「そういえば椿って」

「え?なに?」


椎名がまじまじとボクの顔を見る。


「なんだっけな、何か、ここまで出かかってるんだけど」


椎名は自分の喉を人差し指でつつく、その瞬間チャイムが鳴り響いた。椎名は勢いよく立ち上がると思い切り伸びをして「ま、いっか」と廊下へと出て行ってしまった。


「え、すごい気になるんだけど…」




結局ホームルームまでに椎名が言いたかったことは思い出されず、ボクのもやもやは晴れないまま放課後になった。そして椎名に返すのを頼まれた漫画を持ってボクは部室へと向かう。


「あいつ、漫画好きだったんだなぁ」


ただのガリ勉だと思っていた、ちょっと親近感。


部室の扉に手をかけたが、ガタンと音を立てて開かない。

あれ?鍵かかってる?


「え?朱鳥?」


名前を呼ばれて振り返ると部室の鍵を持った華が立っていた。


「あ、華。」

「朱鳥が…ちゃんと」

「え?」

「部活に遅刻しないで来てる!?」


華は大袈裟に手で口を抑えて泣く演技をしている。


「そんな大袈裟な」


とは言ったが、確かに遅刻しないのは初かもしれない。というか華より先に来るなんて、明日は雨かもしれない。自分で思うのも悲しいけど。

華が感激しながら立て付けの悪い部室の鍵をガチャガチャと開けていると侑がやってきた。


「あ、侑」

「椿先輩が遅刻しないなんて、明日は雨ですか?」

「おまえなぁ」


渡り廊下で大声で侑の名前を呼んだ日の次の日から柚木のことを『侑』と呼ぶことにした。

侑にも『椿』って女みたいだし『朱鳥』って呼んでほしいとお願いしたが「朱鳥も大概、女みたいな名前です」と言われ、『朱鳥先輩』は却下になった。

それに付け足して「呼んでと言われると呼びたくないですね。」と相変わらずの意地の悪さ。


「これ、椎名から預かってきた」


ボクは侑の煽りに負けず冷静な顔をして漫画を渡す。


「えっ」


侑は少し戸惑った様子で受け取る。

ボクは椅子に座りながら


「侑も読んでたんたんだね。ボクもそれ読んでる、その作者のファンなんだ。」


と話すと侑の表情がいつもより少しだけ明るくなったのが分かった。眼鏡越しの瞳がキラキラとしている。


「そうなんですか!?」

「え、うん。」


侑はボクの横の椅子に座ると漫画の表紙をじっとみた。

見たことない侑の顔。ボクに対してこんな顔出来るんだな。と顔がニヤける。


「前作で凄いハマっちゃって、今この人の作品集めてるんですけど」

「あ、じゃあデビュー作は読んだ?『エーテリアルバグ』」

「読みました!展開がもう面白くて!特に主人公の親友の『ノア』が…」


侑の顔が急に赤くなる。

柄にもなくはしゃいだ姿を見せて照れているのだろうか。そんなの気にしなくていいのに。

何よりボクはこうやって侑と話せて嬉しかった。


「ノア、好きなの?」


自分でも驚くぐらいに優しく穏やかな声で尋ねた。はしゃぐ侑が可愛くてい方がなくて、兄にでもなったかのような気持ちになってしまった。


「あ、いや、その…」


本を棚に戻していた華がもう我慢出来ないと言うようにふふふ。と笑って侑はハッと我に返った。

ちょっと照れた様子で前のめりになっていた体を戻した。


「仲良いね」


と華が嬉しそうに言う。

ボクは「だろ?」と言いたがったが、侑が即座に「仲良くないです」と言うもんだから落胆した。


「ごめんなさい。今日委員会が当番だからあとは朱鳥に任せるわね。」

「え、本返す為だけに部室来たの?頼んでくれればやったのに」

「有難いけど、部活出来るのもあとちょっとしかないから…なるべく、ね。」


華は少し寂しそうな顔をして、原稿用紙をファイルにまとめて、手を振って部室を出て行く。


そうだ。華にとっては秋の文化祭で最後なんだ。今年は侑も居るし、去年より頑張ってみようかな。

と柄にもなく心の中で熱く決意したのも相まって、静まり返った部室でちょっと気まずくなる。


「侑、漫画好きだったんだな」

「まぁ…」

「アニメとかもみるの?」

「最近は勉強忙しくて観れてないですけど、今までは、それなりに」

「ふーん。」


ちょっと意外だったり、本を開くタイミングを逃したり、侑がいつものドライモードに戻ったりと、気まずい空気はそのままだった。


侑はカバンから綺麗な表紙の本と電子辞書を取り出した。

表紙には『Un amour impossible』と書かれていた。


何語だろう。


侑が栞の挟んだページをめくると中も日本語ではなかった。

ボクは横目でこっそりと本のタイトルを見てスマホでその言葉の意味を調べた。


『不可能な愛』


スマホに出たフランス語の訳を眺めた。

『愛』ね。


「ねぇ、椎名って彼女いるの?」


『愛』という言葉に引きずられて、柄にもなく恋愛話を持ち出した。

普段、お互い本に夢中だったり、文化祭の準備だったりしてたから、あんまり会話してなかった。ただ、ただ侑が横にいて本を読んでる時間も大好きだけど、会話もちゃんとしてみたい。

共通の話題が一番かなと、椎名の話を持ち出したが、侑は一瞬肩を震わした。


「なんで、ですか?」

「いや、あいつハーフだし、顔いいじゃん。クラスの女子とか結構彼女いるのか気にしててさ」

「そう…ですか。」


侑の表情が少し暗くなる。

これって振っちゃいけない話題だった?でも、急に話を止めるのも不自然だし、どうしよう。と考えている間も口は自然と動いてしまった。


「幼なじみのお前なら、知ってるかなー。って…思ったんだけど…」


侑の顔が更に暗くなる。顔も俯き、本を持っている手に力が入っているのが分かる。

なんでこの話題で侑がこんな表情になるんだ?幼馴染に彼女いるのに、自分にはっていう劣等感、とか?いや、そんな奴には見えないし。過去に女取り合ったとか?いや、でも今めちゃくちゃ仲良いし。


え?


ボクの頭の中は色々な情報が目まぐるしく動いていた。その中で一つの結論にたどり着いた。


え?まさかだけど。もしかして、侑は椎名のこと


「ふふ。」


テンパっているボクを見て侑が笑いだした。


「な、なんだよ!?」

「椿先輩、今『侑って椎名のこと好きなの?』って思ってましたよね?」

「なっ!」

「ほんと顔に出やすいですよね。」

「侑がそんな落ち込んだ顔するからだろ!」


侑は笑い泣きで出た涙を指で拭って、再度ボクを見た。


「夏も僕も男ですよ。」


そう言っていたけれど、侑の顔は心做しか悲しそうだった。


「そう…だよな。」


ここで『恋愛に男も女も関係ないよ。』って言えば正解だったのだろうか。侑は笑顔になってくれただろうか。


「ごめんなさい。用事思い出したので僕もう帰りますね。お疲れ様です。」

「お、おう」


少し早歩きで部室を出る侑の腕を、一瞬無意識に掴みそうになった。

侑が泣いていないか、確認したかったんだ。


放心状態のボクは一人になった部室で鞄から書きかけの原稿を取り出した。


「傷付けた…?」


静まり返った部室の冷たい空気がボクをネガティブにさせた。


「椎名の話題が地雷とか、思わないし」

「漫画の話広げれば良かったのかも」

「明日謝ろう…。でも、何を謝ればいいんだ」


言い訳と反省の独り言をブツブツと呟く。

ふと侑が入部した日の事を思い出した。椎名が侑を訪ねてきて、あいつはすごい嬉しそうだった。さっき漫画の話をしてる時、侑のこんなキラキラした顔見たことない。なんて思っていたけど


「あの時が一番、キラキラしてたなぁ」


侑の気持ちに気付いてしまったのかもしれない。

それと同時に自分の中にもやもやとした言葉で上手く表せない感情が生まれたのが分かった。


部活が終わるまでの間いつもの何倍も原稿を書いて、そしていつもの何倍も沢山書き直した。シャーペンが原稿越しにテーブルにあたる音が部室に響いて心地よかった。

らしくないことを沢山したからか、夜の天気予報で『明日から梅雨入り』のテロップを見た。




次の日、教室で湿気でうねうねになった髪を直していたら、椎名がボクの顔を見るなり「あー!」と声を上げた。


「何、急に」

「昨日言いたかったこと思い出した!」


そう言えば何か言いかけてたっけ。昨日の侑との一件ですっかり忘れていた。


「あれだ、侑が好きな何とかバグって漫画の」

「エーテリアルバグ?」

「そうそれ!その主人公の親友に似てるんだ!」


主人公の親友って「ノア」のこと?


「誰が?」

「いや、だから椿だよ」


え?ボクが?ノアに似てる…?

しかも昨日、侑がノア好きって言ってなかったっけ。いや、言ってないかも。そもそもノア好きだとして、ボクが似てるからどうだって話じゃないし、それに、侑は…


ボクの目の前の席で「あー、すっきりした」と伸びをする椎名の背中を見つめた。


侑が好きなのは、どうせ椎名なんだ。


「いいな」


ボクの小さな独り言は教室に響くクラスメイトの騒がしい声にかき消されて、誰にも届かないまま消えた。



***



文月。もうすぐ夏休み。

侑とはあの日からちょっと気まずい。結局ボクは侑に謝らなかった。何を言ったらいいか分からなかったし、侑も多分ボクの謝罪を望んでない。お互いいつも通りに振舞っている。


スマホの着信音で目が覚めた。


『華』


画面に写っている名前をみてあ、部活。と思い出す。またホームルーム中に寝てしまったらしい。


「もしもし」

『朱鳥?起きてる?』

「起こされた」

『もう…。もうすぐ部長会議なんだけど、書類朱鳥に渡したままだったの忘れてて。悪いけど生徒会室に持ってきてもらえない?』

「わかった〜。」


ボクは眠い目をこすりながら鞄から部活の資料を取り出す。誰もいない教室でぐっと伸びをして生徒会室のある一階へと向かった。


まだ眠く重い体を引きずるように階段を降りると騒ぎ声が聞こえた。一階の廊下で生徒会長が不良くんを追いかけている。このような光景は高校生になってから何度も見た。


「何すんだよ。」

「服装ぐらいちゃんとしろ。ピアスも学校にいる時は外せ。金髪もいい加減やめろよ…」

「うるせぇな。」


不良くんは生徒会長を突っぱねるが、負けじと生徒会長が詰め寄る。ボクはそんな二人を横目に生徒会室へと急いだ。


「あの二人も侑の幼なじみなんだよなぁ」


なんかとても不思議。


生徒会室のドアの前で華にメッセージを送ると直ぐに出てきた。


「ごめん!ありがとう」

「はい、どうぞ」

「助かったわ」

「生徒会長、不良くん追いかけてたからまだ来ないよ」

「あら、またなの?」


ガチャと大きな音を立てて生徒会室の扉が開くと副会長が中から出てきた。鬼の形相で生徒会長がいる廊下へと向かっていく。


「大変ご立腹なご様子で」

「副会長さんも大変ね」


華に渡した資料をチラッと見る。文化祭で行う部活動の内容が書かれている。華はぺらっと一枚ページを捲ってボクが書いた内容に目を通した。


「今年も朱鳥は文化祭で、読んだ本のレビュー本作るの?」

「うん、今年も沢山本読んだし、お店の役にもちょっとはなるし」

「ふふ、ありがとう。」

「あれ?てか部活は今日ないの?」

「会議が終わったらやるつもりだけど、何時に終わるかわかんないのよね。」


「今日は無しかな。」と華が呟く


「侑は?」

「帰るとは言ってなかったから、図書室かしら」


部活で侑に会えるのを楽しみにしている自分がいる。


「朱鳥はどうする?」

「んー、図書室行ってみる」

「分かったわ。じゃあまた連絡するわね」

「はーい。」


華が生徒会室に戻るのを確認した後、図書室へと向かった。


放課後の図書室は思ったよりも人がいなかった。

この学校の図書室が特別広いというのもあるけれど、静まり返った空間に本のページを捲る音が少しだけして、なんだか寂しかった。


ゆっくりと一周してみたが侑の姿はどこにもない。適当に窓側のカウンター席に座る。

ここからは体育館がよく見えた。きっと今頃椎名がバスケの練習をしているんだろう。


「椎名…か。」


侑はきっと椎名に特別な感情を抱いている。あんなに冷静でクールなやつなのに、椎名の事になると表情が豊かになる。

恋愛経験のないボクが、あれが《恋》だって思ってしまうほどに。


「侑、どこにいるんだろ」


テーブルに突っ伏した。

ボクは侑のことが好きなんだろうか。そもそもそれは後輩への好きなのか、恋愛感情なのかよく分からない。

会えるのが楽しみ?手を繋ぎたい?抱きしめたい?キスしたい?どれも当てはまらないのかどうかすら、よく分からない。これは経験の無さなのか?

少し前の自分だったら「いや、男相手にありえない」と思っていたかもしれない。別に偏見があるわけではなかったけれど、実際に身の回りにいたらとか、ましてや自分がとは考えたことがなかった。

実際、目の前の人間が同性に恋愛感情を抱いているのを見て、ボクは「ありえない」とは思えなかったし、きっと椎名と侑が一緒になったら、侑は毎日幸せそうなんだろうな。と思ったんだ。


机の上に置いていたスマホが震える。


「…また、寝てた。」


ずっと頭を置いていて痺れかけていた腕を軽く伸ばした。

スマホの画面に映る『華』の文字を確認した後、電話に出た。


『もしもし、朱鳥?いま部長会議終わったんだけど、柚木くんから部活休むって連絡きてたし、こんな時間だから今日は部活無しにしましょ』


なんだ、侑が部活休むなんて珍しいじゃん。


「うん、わかった。」


電話を切った後、猫背を直して伸びをする。

窓の外を見るとバスケ部が数名外で休んでいるのが見えた。


「明日は侑に会えるかな。」


図書室はさっきよりも人がさらに減っていた。



***



夏休みに入ってすぐ、文芸部は文化祭の準備を始めた。

準備といっても派手な装飾はしないし、人数も限られているので話し合いや、POPやポスター作り。華とボクは販売する本の原稿があるけど、つまりは個人作業ばかりだ。


「柚木くんも、朱鳥もクラスの方はどんな感じ?」


華が原稿を書きながら僕たちに話しかけてきた。


「僕のクラスはお化け屋敷ですけど、担当が一日目だけなんで、二日目はまるまる空いてます」

「侑なんの役やるの」

「役はやらないです、受付と列整理とかですね。」


侑らしいが、人を驚かして笑う侑も安易に想像はできる。いや、外では猫かぶってるのか。


「朱鳥は?」


侑もボクの方を見た。


「ボクのとこは執事喫茶」

「椿先輩が執事?」

「今似合わないって思っただろ」

「いや、そんなことは」


絶対にそう思っている顔をしている。


「ボクは厨房だよ、料理の方。でも…」


言葉に詰まった


「でも?」


侑が首を傾げる。

「でも、椎名は執事やるよ。あいつは似合うんじゃない?」って言おうと思ったけど、やめた。


「いや、なんでもない。ボクも一日目だけだから二日目は空いてる」

「じゃあ、二日目は二人にお願いしても大丈夫かしら」

「…それでいいと思います。」


侑はボクに疑問の目を向けながらも、華に返事をした。


そのあとレイアウトや、当日の流れを軽く決めた。それを華が紙に書き出してまとめながらボクに尋ねた。


「そう言えば朱鳥、夏休み中はいつ私の家くるの?」

「あー、土曜と日曜は確実に行くよ」

「そう。わかった」


その会話の後、華が「お手洗いに行ってくる。」とペンを置いて席を立った。

しばらく沈黙が流れてボクと侑がポスターに字を書くマジックのキュッキュッという音だけが部室に響いた。

ボクが切りのいいところで手を止めたタイミングで侑はとんとんとボクの肩を叩く。


「なに?」

「夏休み中、彼女さんとどっか遊びに行かないんですか?」

「はぁ?」


突然何を言い出すかと思えば


「嫌味?嫌味なのか!?」

「え?」

「年齢イコール彼女いない歴だよ!!」


侑はびっくりした顔をしている。

どうやらからかっていたわけではないようだ。


「部長と付き合ってるんじゃないんですか?」


部室の扉が開いて華が入ってきた。


「私がどうかした?」


ハンカチで手を拭きながら華は首を傾げる。


「侑が、ボクと華が付き合ってるんじゃないのかって」

「え、急に?」


侑は少し困惑した表情でボクと華の顔を交互に見たあと


「いや、椿先輩が部長のこと先輩なのに『華』って呼び捨てにするし、さっきだって夏休み家に行くって」


困惑したままの侑を見て華が口元に手を当てて笑った。


「ふふ。そういえば言ってなかったわね。」

「え?」

「私と朱鳥は従姉弟同士なの」

「えぇ!?」


侑が驚いた顔はレアかもしれない。


「夏休みに華の家行くって行ったのは、華の家は本屋さんでボクがバイトしてんの」

「本屋…」

「学校の結構近くにある『皐月書店』って知らない?」

「よく…行きます」

「ボクが文化祭で出すレビュー本にも協力してもらってて、オススメコーナー作らせてくれるんだ」

「祖父と父が経営してるんだけど、人手足りなくてね。よかったら柚木くんもバイトしない?」

「か、考えておきます…。」


侑が、腑に落ちた。と言わんばかりに気の抜けた感じで椅子に座っている。


「まぁ、傍から見たらボクら仲良いのかな」

「いや、かなり。」

「なんか、柚木くんのこと騙すようなことしてごめんなさい。」

「あ、いえ、僕が勝手に勘違いしただけなので」

「そもそも『美女』と噂に名高い華と付き合ってたら、学校中騒ぎになってるかもな」


「そうですね」と侑が笑って、文化祭の話し合いが再開した。侑はいつも通りの表情に戻っていた。


「誤解がとけて、よかった。」


ボクは思わず侑の顔を見ながら呟いた。侑はその言葉に気づいて顔を上げる。ボクはしまったと焦り、手で口を抑えた。


「椿先輩が部長と付き合ってるって僕が勘違いしたところで、どうこうなる話じゃないじゃないですか」


口を抑えた手をゆっくりと下した。侑がいつものからかっているような笑顔ならまだよかった。珍しく無邪気そうに笑うから余計に心が傷んだ。


「そう、だよな」

「椿先輩?」


ボクが誰と付き合おうが、付き合っていまいが侑には全く関係の無いことだ。




***




夏休みお盆前。

文化祭の準備で大忙し。でも、侑に会えるからいいか。なんて考えていた僕を慰めてやりたいぐらいに、侑と会えない。

三日前はそもそも部活が無かったし、一昨日は大事な用があるからと侑は珍しく部活を休んだ。そう言えばその日、体育館の前に救急車が止まっていた、何かあったのだろうか。

そして昨日は風邪をひいたらしく、また休みだった。


「つまんないの。」


今日はきっと来るだろうと思って、何となく早くに学校に来てしまった。

らしくないな。と自分自身思うし、そんな自分に心がついていけていないのだ。

これは恋と呼んでいいのだろうか。例え恋だとしてもあいつが好きなのは椎名なんだ。


「あーあ」


誰もいない廊下で大きくため息をつく。

とりあえず今日は早く行って侑を驚かせよう。華が委員会の仕事で早く来るから、朝鍵は開けておくって言ってたし、本でも読んで待ってよう。


四階まであがると、部室の扉から少し光が差し込んでいるのが見えた。


「開いてる?」


扉に手をかけてガラガラとひらくと、机の前に人影が見えた。侑だ。


「侑早いなぁ」


計画が狂った。驚かせようと思ったのに。と悔しくて下を向きながら扉を閉める。悔しくてというのは本当は建前で、久しぶりに会えたのが嬉しくてニヤついてしまった顔を隠すためだった。


その時、ぐすん。と鼻をすする音が聞こえた。

ボクは顔を上げて侑を見ると、服の袖で目元をゴシゴシしている。


「た、たすく?」


弱々しく震えたボクの声が侑を呼ぶと侑がこっちを向いた。侑の背後からの逆光に目がくらむ。侑の姿がボヤけて、目を凝らした。


赤く充血した目。目元には擦ったような跡。少し赤くなった鼻先。かけていた眼鏡を急いで拭く侑の手は少し震えていた。そして優しくにっこりと笑う。


「椿先輩がこんな早くくるなんて、雨降るからやめてくださいよ。」


お願いだから無理に笑わないで。


「さては文化祭に向けて張り切ってますね?」


お願いだから無理に話さないで。


「椿先輩?」


お願いだから


「侑っ!」


ボクは気がつくと侑に駆け寄ってぎゅっと強く抱きしめていた。

そして右手で頭を優しく撫でた。


「ちょっと!先輩!?」


混乱する侑はボクのことを押しのけようとするが、される度に強く引き寄せる。


「泣いていいよ」

「な、何言ってるんですか」

「誰もいないから」

「別に…泣きたくなんか…」


侑は弱々しく言葉を発する。鼻をすする音が再度聞こえて、ボクの胸元がじんわりと湿ってきた。さっきまでボクを押しのけようとしていた侑の手は、抵抗を止めてボクの制服をぎゅっと握る。


「夏…」


侑の口から零れたその名前。

やっぱり椎名に関することなんだ。告白でもしたのだろうか?フラれたって…ことなのか?


「苦しい…」


泣きながら侑は言う。

ボクは自分が抱きしめている力が強すぎたのかもしれないと、慌てて離れようとしたら、侑が逆にボクを抱きよせた。

物理的な苦しさじゃなくて、心の方なんだな。とボクはまた侑の頭を撫でる。


「…」


こういう時なんて声をかけてればいいのかわからない。

でも、一人にしたくない。


「初めから、ダメだって…わかってて…」

「うん。」

「僕、ひどいこと、沢山しちゃって…」

「そっか…。」


ボクの肩に顔をうずめて泣く侑の頭を撫でながら、ぼーっと窓の外の遠くを眺めた。


「ねぇ、侑。」

「…。」

「ボクじゃ、ダメ?」


泣き続ける侑に、僕はいつの間にかそう問いかけた。




侑が泣き止むまで少し時間がかかった。部室の椅子に座る侑はぐったりとしていた。


「水買ってくるから、待ってて」


ボクは侑にそう言い残して部室から出た。

そして四階の渡り廊下にある自販機の前で急に冷静になった。


さっきボク、なんて言った?「ボクじゃダメ?」って言った?

何言ってるんだ、え?馬鹿なのか?どうか、どうか侑が忘れてますように。


力強く自販機のボタンを押して、出てきた水を手に取る。

恐る恐る部室の扉を開けると、侑はさっきと変わらずぐったりとした様子だった。


「はい。」


ペットボトルの水を差し出す。侑はゆっくりと受け取りながら「ありがとうございます。」と小さく呟いた。


いつも通り侑の横に座って横目でちらりと侑を確認する。静かな部室にペットボトルのキャップを開ける音と、ごくごくと侑の喉が鳴る音が聞こえる。静かすぎて自分の鼓動までもが侑に聞こえてしまうのではないかと、より一層緊張した。


「先輩…」

「はい!!!」


急に名前を呼ばれて声が裏返った。


「ボクじゃダメ?ってどういう意味ですか?」


覚えた…。


「あ、いや…」


ペットボトルの蓋を締めながら侑はずっと自分の足元を眺めている。

鼻の上と目元がまだ赤くて、ボクも何だか泣きそうになった。


「ボク、今まで好きな人とかいた事なくて」

「なんですか、急に」

「お願い、聞いて」


真剣な顔でお願いすると侑は生意気な顔を辞めて黙って頷いた。


「周りが恋愛してるの見ても羨ましいとかもなくて、友達に彼女が出来ても、なんか別世界みたいだった。」


侑は黙ってボクの話を聞いている。緊張する。汗ばむ体は夏のせいか、この緊張のせいか。


「本は好きだけど、恋愛小説とか読まないんだ、なんか心理描写がよく分からなくて、同情とか、共感とかもできなくてつまらなくて…。友達が告白して振られたとか言ってきても、え?あの人のこと好きだったの?ってビックリするぐらい察しも悪くて…」


次は何を話そうとか、何を言ったらいいんだろうとか、何を伝えたいとか、頭の中は全く整理出来ていなかったけど、言葉が沢山出てくる。


「でも、侑と初めて会った日、椎名と話してる侑の姿見て、侑は恋してるんだな。って思った」


侑が何か言いたげに一瞬こっちを向いたが、ボクが話を続けようとしていたのが分かったのか、ぐっと抑えているのが伝わる。


「その瞬間から、ボク、椎名に対して『いいな』とか『羨ましいな』とか思うようになって、初めは生意気な後輩をあんな笑顔に出来る存在って凄いなって思ってただけなんだけど」


話し始めた頃は照れくさくて仕方なかったけれど、段々と開き直ってきた。


「それが次第に、苦しいとかモヤモヤとした言葉に出来ない感情に変わってきて、今日泣いてる侑見たら『椎名じゃなくて、ボクにしてくれないかな』って思っちゃって」


侑と顔を合わせるように覗き込んだ。自分の顔が一気に真っ赤になったのが分かる。

それを見た侑の顔も真っ赤に染まっていく。


「つ、椿先輩」


貴重な侑の焦る顔、それに加えて照れ顔。こんなレアな表情、この先二度と見れないかもしれない。いや、この先もこういう表情をする時、その隣に居たい。


「これって、侑のこと好きって事、だよな?」


ボクが前のめりに侑に訴えかけると


「ぼ、僕に聞かないでください!!」


侑は大声を上げ両方腕で大袈裟に顔を隠した。


友達の話を聞いても、いくら本を読んでもよく分からなかった感情が今、ボクから溢れ出して止まらない。

この想いが全部、侑に届け、届け。とボクは今、人生で一番必死だ。


番外編 「文学少年」 終わり

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