89.急襲『羊が逃げろってさ』
「ん……ん~」
ゆっくりと立ち上がりながら、腰に手を当て伸ばしながら空を見上げると、陽が傾きかけていた。
そろそろ気温が下がり始めるころかと、装備を切り替える。
とは、言え見た目は変わらない。
緑まだらのポンチョの下に着ているオリーブ色?黄ばんだ緑色のつなぎを夜用に変えるだけ。
うん……せっかく直してもらった〔旧型環境服〕は条件が足らず未だ装備不可だったので、別に皮のつなぎを作ってもらったのだ。
昼用は空調の付いたもので、夜用は裏起毛になっている。ちなみに裏起毛はウール素材らしいが、どうやって表面の皮にウールで裏起毛をくっつけるのかは謎。出来たのだから出来るのだろう。
正直装備能力としてはそれなりらしいが、<服飾>の序盤で作れる『機能服』の一種なので作りたいと言われて、そのままお願いした。ちなみに可愛くはしないでもらったので、悪しからず。
何でも機能服というのは防御力のアーマー、ステータス補助の服類とは別に、特殊効果を持つ服だそうで、今自分が着ているつなぎは〔狼犬の作業着〕となっていて、<製作><製造>の成功率が上がったりグレードが良くなったりするものらしい。
防御力は服よりちょっとまし程度、ステータス補助はDEX+5と普通の服の上下を着るよりはかなり控えめな代物ではある。
ただ、見た目が何となくこの火星に合った労働者風なのが気に入っているので、何の問題もない。
防刃ベストはしっくりこないので装備せず、代わりにハーネス?に左脇にディテクティブスペシャル右脇に作業ナイフを挿して、腰回りは矢や薬類の消耗品、左ももと後ろ腰に投げナイフなんかを装着している。
ただ、こうなると少し狼風のマスクが浮くよな~……いっそスカーフとか……赤スカーフはダサいって話だしどうしようか?
そんなことを考えつつ、再びその場にかがみこみ草むしりを再開、病毒に効くというOハーブを採集中だ。
場所を教えてくれたのは相変わらずの食堂のお婆ちゃんだが、少し離れたところにある沼地に生える橙色の草と言われ、本当にそう遠くない場所にあったので、相変わらず自分の探索範囲の狭い事を思い知った。
まあこれで、G(緑)のHP回復、P(紫)の解毒、Y(黄)の解痺、O(橙)の病毒用と回復薬が揃ってきた。
RとかBとかもあるらしいので、その辺もおいおい見つけていきたいところだが、まあ一歩づつかな?慌てないの大事。
さて、そろそろ鞄もいっぱいになるし村に戻って<調合>するかと立ち上がり辺りを見回すと、沼の縁で平気な顔をして水を飲んでいる羊を見かける。
何気に作業中入れ代わり立ち代わり羊が現れるものの、特に襲われることもないので、放置していた。
っていうか、食うか食われるかの関係だったはずなのに、特に襲われることないんだよな。
眠らされたことはあったけど、あれは多分何かのイベントだし、もしかしたら羊は攻撃してくる相手かどうか判別できるのかもしれないな?
沼地から離れ数歩踏み出し、何の気もなく振り返ると、
「メェェェエェ!!!!」
急に猛ダッシュで羊が迫ってきた為、思わずあとずさり、そのまま尻もちをついてしまった。
それでも左手が反射でクロスボウを引き抜いていたのは、我ながらこのゲームにも慣れてきたと思ったのだが、そんな自分の思考は無視して、あっという間にその羊は自分の横を抜けて掛けていった。
思わずつばを飲み込み、別に土がつくわけでもないのに尻を払って、立ち上がると、さらに数匹の羊がこちらめがけて走ってくる。
しかし多分攻撃の意思はないのだろうと、思い切り横っ飛びに避けると、やっぱり通り過ぎて行った。
何だったんだかなと思い、羊たちが逃げてきた方向に目を凝らす。
するといきなり袖を引かれ、思わず振り返り下を見れば、一匹の羊が自分の左手の袖を噛んで引っ張っていた。
言葉は通じずとも分かる、さっさと逃げろという合図によく分からないまま駆け出すと、後ろの方から、
ファサ……ファサ……
と変な音が近づいてくるのに気付く。
パッと振り返り、クロスボウを向けるとそこには巨大な何かが浮いていた。
何も考えず、ただ反射のみで引き金を引くも、あっさり回避されてしまう。
月夜に浮かぶ黒い影は相当な大きさに見えるが、何とも言えない不規則な急加速で上空に舞い上がり、そしてまた不規則に落っこちてくる。
すぐさま二発目を装填し、かまえ、発射したがそれも避けられ、すぐさまダッシュで逃げに入った。
それでも徐々に近づいてくる変な音、何となく蝙蝠の羽音に似てるか?と思い至ったところで、急に前を走っていた羊が足を止めたので、それに躓いてすっ転がってしまう。
急なことで動転していたが、すぐさま周囲を見渡し、月夜に浮かぶ白い羊を見つけると、その周りを飛ぶ黒い影……遠目で冷静に見てやっと蝙蝠だと確信し、そしてそのサイズが相当に大きい事も理解してしまった。
無意識に寒気が走り、鳥肌が立つ。その時、
「メェェェェェェェェ……」
妙に低くゆったりとした声で鳴く羊に対し、大蝙蝠が空中で静止したように見えた。
直後、聞いたこともない異様な高音が鳴り響き、思わずクロスボウを取り落として耳を塞ぐが、その場に膝をついて、全身に震えが走るのを止められない。
いつの間にか羊も鳴き止み、急落下する大蝙蝠に引っ掻かれたのが見えた。
そして、ふらふらと走りながらこちらに来る羊だが、さっきまでの元気はどこに行ったのやら、何かを訴えるようにこちらを見つめてくる。
草原の中、クロスボウの矢を避ける敵相手に、どうしろと?




