0.プロローグ【日常】
耳に着けた補聴器を弄る。
少しレベルを上げれば雑音だらけで頭が痛くなってくるし、下げれば逆に何も聞こえない。
ギリギリ耐えられる雑音の中で、他人の小さな声を聞き取るのにもすっかり慣れた筈だが、それでも聞き逃す事が少なくない。
「おい!無視してんじゃねぇよ!陰キャ!」
急に肩を掴まれ、ビクッと振り返るとちょっとイキッたクラスメートだった。
「え?な、何?」
「何って、何度も言ってんだろうが、邪魔だからどけってよ」
何言ってるんだこいつ?普通に自分の席に座って次の授業待ってるだけの人間にどけって?何がしたいんだ?
とはいえ、とりあえず席から離れるとそいつの仲間らしき連中が自分の席を占拠して何やら話し始めた。
とりあえず、少し離れた窓際で、ボンヤリしながら補聴器のレベルを上げると、不快な雑音のなかで聞こえてくる声。
「だから、アイツに関わるなって!耳のアレ、壊したら幾ら弁償か知ってるのかよ?」
「分ってるつうの、俺の親一応医者だぞ?手は出してないじゃんか。それよりどうなんだ?始めたんだろ?『MF』」
「ああ、マジで先輩に誘ってもらって良かったぜ。なんつうか熱いわ。一人じゃちょっとアレだったけどさ」
「びびってんのかよ。治安は悪いって聞いてるけど、別にゲームはゲームだろ?」
「馬鹿かよ。外出た瞬間、初心者だろうが当たり前に狩られるんだぜ?誰かと一緒に始めた方がいいって!それが出来ないなら普通に保護のあるキラキラファンタジーやっとけよ。真面目にお奨めしない」
「マジか~……俺もそろそろ解禁だし、親には頼んでるんだけど、最初のワールドは一つだけって言われてるからな~」
「そりゃ、どこの家だって一緒だろ?未成年のフルダイブVR健全何とかかんとかの所為で、一日のログイン時間は8時間までって決められてるのに、三つのワールドやれば24時間も出来ちゃうんだから」
「そんな子供のイタズラレベルの話、ハードになんとでも制限つけられるだろうにな~」
「なんか、次の世代で制限つくらしいぜ。それこそ大人も8時間以内らしい」
「うわ~それなら、俺達も大人に追いつける可能性十分あるな~」
「いや、今でも普通に勝てるらしい。廃人なんてのは本当に一部で、普通の大人は8時間みっちりなんてプレイ出来ないらしいぞ」
「まぁ、そりゃ普通なら仕事してるんだし当たり前か」
「そうそう、ゲームが仕事なんてのはeスポーツか、動画配信者か、ファイヤーニートだけだっての」
「ファイヤーニートだって、殆どが本格の投資家の餌にされたんじゃないの?」
「さあ?一部の動画じゃまだいるけど、実際はどうなんだろうな?俺達みたいな餓鬼には分からん世界があるんじゃないの?」
2人が話しているのは、多分15歳から解禁になるフルダイブVRの話だろう。
今でこそすっかり一般のゲーム機として売られているが、発売当初はやれ脳の影響だの、個人を特定できない環境での無法な行いから未成年を保護するので、揉めに揉め、今ではフルダイブVR自体が15歳未満不可となっている。
そして、自分たちのような中高一貫の健全な男子中3(男子校なので女っ気など皆無)なら、それこそ陰キャだろうが陽キャだろうが、話題になるのは当たり前だろう。
何しろ簡単に言ってしまえば、手軽に大人を感じられる世界なのだから。
物分りのいい大人なら、中途半端に格好つけて煙草吸うより、ゲームでもしててくれって思うだろうし、リアルタイムな大人との交流とは言え、ある程度の制限は機械的にかけてくれるのだから、まあ安心だろう。
「おい!陰キャ!まじで大きい声ださせんなっての!マジできもいわ」
言いながら二人揃ってどこかへ行ってしまう。2人で行動するなら他行けばいいのに、本当に面倒くさい。
「なぁ、お前いつもアイツに絡んでるけど、何なん?」
「あ?そりゃ逆になんで俺がアイツのアレの値段知ってると思ってんだよ?マジで友達いねー陰キャと遊んでやってたら、寧ろ噛み付かれて最悪だったっての」
「マジかよ……陰キャってか陰険なんだなアイツ」
ああ……イラつく。聞こえてないと思って、ある事無いこと周りに吹き込む、知り合い未満の幼馴染。
『MF』って言ったか?ワールドってのは所謂ソフトの事だが、現状ハードを寡占状態のため、同じハードを使って、色んな世界に行ける事から、何か格好つけてワールドなんて言い方するらしいけど、ソフト開発に関しては色んな会社が手がけてるし、それこそ海外産の方が人気有ったりする。
なんでハードだけ日本産なのか知らないけど、どうやらある種の天才みたいな人がこの世界に絶望して作ってしまったらしい、全く新しい世界をさ。
出来うることなら自分だって、全く別の世界でやりなおしたい。
生れながらにして、ハンデを与えられるこの不平等な世界に、何を期待したらいいのか?
補聴器のレベルを下げて、無音の世界に浸ると、心の中に安らぎが満ちていく。