7,屋敷に勤める無口な同僚
ひととおり買い物や食事、街の見学を楽しんだイヴリンは、マリーと街で別れて屋敷に戻って来ていた。
そのまま応接室でヴィンセントの帰りを待っていたイヴリンは、玄関の物音で彼の帰宅に気づく。
「ヴィンセントさん、お帰りなさいませ」
すかさず玄関に出てヴィンセントを迎える。
「奥様、お出迎えありがとうございます」
「こちらこそ、私の洋服へのお気遣いありがとうございます。マリーさんと一緒に街に行って購入させていただきました。その分、しっかり働きますので!」
イヴリンは真っ先にヴィンセントにお礼を言いたかったのだ。
「いえ、資金のご心配には及びません。おや、マリーに買い出しを任せず、一緒に街に行かれたのですね」
「はい、マリーさんに案内してもらいました。とても栄えていて、良い街でした。ご迷惑でなければ、街だけではなく、周辺の住宅地や農地、職人さんのいる工房なども今度ぜひ見学させていただければと」
2階へ向かうヴィンセントを追いかけるように、イヴリンは今日の報告をする。
マリーと街を巡った時に、イヴリンは、いくつか王都にないが、流行しそうな商品を目ざとく見つけていた。
(王都で流行れば国中にあっという間に広がる。量産体制を確保した上で受注が増えれば領地が潤う。でも、宣伝には有名貴族の協力や王都の住民が集まる地区に店を出すかしなければならないけど、いずれにしても今の私には実行する力がない案だわ。この世界にSNSがあれば良いけどね…)
2階に着くと、ヴィンセントは自室の前で立ち止まる。
(あ…ここからは立ち入り禁止だった)
イヴリンも手前で立ち止まる。一線を引かれた心地がした。
「あ、明日は、早速、庭の整理に着手しますね」
「そんなに急がなくて良いですが、ではよろしくお願いします。明日、倉庫を案内しますね。あまり使っておりませんが、確か道具が仕舞ってあると思いますので」
そう言ってヴィンセントは、イヴリンをその場に残して、扉の向こうに消えていった。
◆
翌朝、通いの食事担当・キースが屋敷に来て、出来立ての朝食をイヴリンとヴィンセントに振る舞った。
身に着けたエプロンが小さく見えるくらいの大柄で無口、無表情ながらも、手早く次々と料理を仕上げていく様子から、かなり優秀な料理人なようだ。黒の短髪に清潔感があり、深い青の理性的な瞳が印象的な、20代後半くらいの若い青年だ。
ヴィンセントは侯爵と朝食を食べるとのことで、食事を持って2階へ行ってしまった。
食堂で一人朝食を食べるイヴリンは、キッチンで作業を進めるキースを盗み見る。
(初めて同年代っぽい方が屋敷に来たのだから、いろいろ聞きたい…けど、自己紹介の時しか声を聞いてないわ)
今のイヴリンは17歳だが、中身は当時20代後半だったため、キースと同年代という意識でいる。
食べ終わったイヴリンは、食器を持ってキッチンのキースの元へ向かう。
「キースさん、朝食美味しかったです。特にオムレツがふわふわで…中のチーズ?がまろやかで…」
イヴリンが話を振っても、キースは『ぺこり』と頭を下げるだけ。
(う~ん。ジャガイモとか、野菜の残りがあったら種としてもらえないか聞きたかったんだけど。まあ、時間はあるし、ゆっくり仲良くなろう。きっとこの無口なところが侯爵様のお眼鏡に敵ったのね)
◆
「農具…はどこかしら?」
イヴリンは一人、倉庫で悩んでいる。
朝食を終えたヴィンセントは、イヴリンを1階のキッチンの勝手口から出てすぐにある古びた小さな倉庫に案内すると、仕事があるということで侯爵様の執務室に戻ってしまった。
倉庫に一人取り残されたイヴリンは、雑多に物が積まれている倉庫を前に、途方に暮れている。
(この奥にありそうなんだけど…)
木材や斧など、大型の荷物が積まれた一角に棒状のクワや草刈り用の鎌を下のほうに発見したイヴリンは、グイグイと力任せにクワの棒を引っ張る。
ガシャン! ガラガラガラ…
イヴリンが奥のクワを引っ張ったことによって、上に折り重なるように乗っていた、他の道具がバランスを崩し、一斉に倒れてきてしまった。イヴリンは間一髪、頭を両手で隠して大怪我は免れたものの、大型の道具類が体の上に落ちてきて身動きが取れなくなってしまった。
(やば…どうしよう)
イヴリンが焦っていると、「…何をしているんですか?」と、キッチンから音を聞きつけたキースが倉庫を覗き込む。
そのままイヴリンの上の道具を退けると、イヴリンの右手を取って引っ張り上げた。
キースは力加減を間違えたのか、イヴリンはそのままキースの胸に収まる。
咄嗟にキースの逞しい胸を押し返して離れるイヴリン。
「あ…ありがとうございます! 助かりました」
今世では人との触れあいに慣れておらず、照れてしまうイヴリンに、キースは無表情で黙ったまま、行き場のない手を眺め、やがてゆっくり口を開く。
「何をしていたんですか?」
「その…庭を整備したくて鎌やクワを取ろうとしまして…」
キースはちらっと散らばった道具類を見てから、視線をイヴリンに戻す。
「…怪我は?」
「…汚れているだけで、無事です」
(たぶん痣はいくつかできているだろうけど…)
キースは無表情のまま、散らばった農具の中からクワと鎌を拾い上げると、
「手伝います」
と言って庭のほうに向かって行く。
慌ててイヴリンはキースを追いかける。
「大丈夫です! キースさんはお仕事がまだありますでしょう!?」
「ほとんど終わって、今は保存する分の食事の熱を冷ましているので大丈夫です」
そう言って、早速、背丈ほどにも成長した庭の草を刈り始める。
「…ありがとうございます」
(情けないところを見て、心配になったのかな…。頼りなくて申し訳ない。しっかりしなきゃ)
眉をハの字に下げてしょんぼりした表情になったイヴリンを見て、キースは「ぷっ」と吹き出す。
(え!? 今、笑った?)
イヴリンが二度見すると、もう無表情のキースに戻っていた。
キースが刈った草をイヴリンが集めて束ねて積んでいく。
そんな二人の作業を、2階の執務室の窓のカーテンの隙間から、ヴィンセント――ロスグラン侯爵は、感情の読めない顔で眺めていた。