6,『ロスグラン』侯爵と領地の情報集め
マリーは週に3度程度、屋敷を訪れ、定期的な掃除と、シーツや洋服といった洗濯物の回収をしていく手伝いの方で、食事はまた別の男性の料理人の方が同じく週3度ほど訪れて作り置きをしていく。
というようなことを、ヴィンセントはイヴリンに説明し、自分の仕事に戻っていった。
朝食を摂った後、イヴリンは、マリーの仕事の手伝いを申し出た。最初はとまどったマリーだったが、自分で洋服を洗濯していたイヴリンを思い出し、少し変わったご令嬢なのかと納得し、渋々、許可する。
イヴリンは仕事を手伝いながら、いろいろな話もマリーから聞き出したかった。
「…では、マリーさんは侯爵様にお会いしたことはないんですか?」
「そうですね…。侯爵様の姿を知っているのは、昔の戦争に参加していた人ですが、今は街には数えるくらいしかいないんですよね。地元から軍に徴集された戦闘員も少なく、非戦闘員は戦時は避難していたとかで。でも、侯爵の部隊にいた数少ない人からしても、侯爵になってからは会える事も少なく、今と風貌も違っていて、気づかないらしいですよ。
あとは…戦後復興で、侯爵様の手腕もあって発展した商工会長とか、一部の信用に足る人は仕事の関係もあって知っているみたいですね。かく言うアタシも商工会長からここに手伝いに行くように頼まれてましてね。前任者も、仲介で派遣されてたみたいですし、徹底されてます。侯爵様の執務室も、ヴィンセントさんの許可があった日…侯爵様がいない時しか、掃除に入れないんです」
廊下を履く手を止めずにマリーは話す。
「…そういえば、ヴィンセントさんについて知っていることはありますか?」
イヴリンは、もう一人のミステリアスな人物についての情報を求める。
「ヴィンセントさんも自分の話はしないけれど、遠くに奥さんがいるみたいな噂を聞いたことがあります。あくまで噂ですが。でも、侯爵様の補佐で屋敷を全然離れられないですし、本当かどうか分かりませんが」
「ヴィンセントさんに、奥さんが…」
イヴリンは部屋の窓をハタキで叩いて埃を落としながら、マリーの言葉を復唱する。勝手にヴィンセントも未婚であると思っていたが、普通に考えてとっくに奥様がいる年だ。
「でもやはり、マリーさんのお話を聞く限りでは、侯爵様は変わり者ではあるんですね。建前上とはいえ、妻として支えるためにはまず姿を見せていただけるような信頼を得なければいけない、と思っていましたが、放っておいてあげたほうが良さそうな感じがします…」
「はは、まあ、そうですね。でも、奥様も変わってますよ。普通、侯爵夫人が自分で洗濯したり、掃除を手伝ったりなんかしませんから」
呆れたような笑いをイヴリンに向けるマリー。
そんなマリーに、イヴリンは、「良く気づいてくれた」とばかりに、ずいっと顔を寄せる。
「それなんですが…」
イヴリンは内緒話をするようにマリーの耳に手を当て、口を寄せた。
◆
「…ということでして。行き場のない私が独り立ちできるまでこちらのお屋敷にやっかいになる代わりに、侯爵様は縁談を承諾したと見せかけることができて、国王のお節介から逃れられる、という利害が一致したかたちなんです。
あと、私も自分の滞在費の代わりに、庭の手入れをすることを屋敷のお仕事として許可いただきまして。そちらと併せて、独り立ちするための仕事探しをしつつ、一時かもしれませんが、妻として領地の役に立てることも見つかると良いな、とは思っているのですが…」
「なるほど、仮の奥様とはどういうことかと思ってましたが、そういうことでしたか。なんだか不思議な巡り合わせですね」
マリーは面白がっているような視線をイヴリンに向ける。変わらず淡々とした屋敷の日常に、新たな変化が訪れそうな予感を感じていた。
「侯爵様が許すなら、ずっと屋敷にいれば良いと思いますけどね、アタシは。そもそも、元公爵家のお嬢様が仕事をするなんて、想像できませんし。仕事探しって…どうするおつもりですか?」
「そうですね…。私はお父様の方針で、公爵家の教育を受けているのですが、それは机上の勉強ばかりです。王都にある公爵家の本家で暮らしていたので、お恥ずかしながら公爵家の領地にも数えるくらいしか行ったことがなくて、実際に勉強した事が国や領地の役に立つのかどうかは、未知数です。なので、本当の侯爵夫人になる可能性は低いですが、まずは侯爵領を知って、何かお役に立てることがないか見てみたいと思ってます。それから考えます」
(…まあ、もちろん領地の役に立てる事があったら、とは思うけど、本音としてはひとまず街を見て、自分が入り込めそうな事業がないか見てみたいだけだけど。なかったら、庭で苗を育ててそれをもとに安価な農地を見つけるしかないかな…)
「そういうことでしたら、アタシの仕事が片付いたら、一緒に街に出てみますか? 実はヴィンセントさんから、奥様の日常の洋服も、急ぎ買ってくるように頼まれているんです。資金はもらってますが、すぐ必要な服となると既製服になってしまうとは思うのですが。奥様も一緒に選んだほうが良いかと思いますし」
マリーのその言葉に目を輝かせるイヴリン。
「ヴィンセントさん、そんなお心遣いを…。お言葉に甘えて、案内をお願いして良いんですか…?」
(服は毎日洗濯するから良いのになあ…。でも街はすぐ見てみたかったから、助かる。洋服代は早く働いて返せるように頑張ります)
胸の前で両手を握り合わせ、期待を示すイヴリン。
「決まりですね。では、ちゃっちゃと仕事を終わらせましょう」
マリーのその言葉を皮切りに掃除に戻り、黙々と手を動かす二人だった。
◆
屋敷から馬車で山を下ると、海につながるなだらかな斜面が続く地形の中央に、ひときわ栄えた街が臨める。
マリーとイヴリンは、いくつかある大通りの、ひときわ賑わう通りの手前で馬車を降りる。
(すごい活気がある…!道も綺麗に舗装されてるし…。この通りは…女性客が多い…かな?)
「ここは洋服店や装飾店が立ち並ぶ通りです。食品街は1本向こうの通り、農具や工芸品などは反対側の通り、金貸しとか役人が働いている区画はその裏、商工会はその近くにあって…。…少し離れたあの辺の一角に、飲み屋や娼館などが立ち並ぶ区画があります」
きょろきょろを通りを見回すイヴリンに、マリーは360度回りながら、見える範囲の区画の説明をする。
「ひとまず、この通りで、奥様の気になる店に入りましょう」
「はい!」
イヴリンとマリーは、洋服店が立ち並ぶ大通りを歩く。
通りにいる客は、見慣れない美人に、振り返ったりコソコソ噂したりしていたが、イヴリンは気にしない。それよりも、立ち並ぶ店を面白そうに観察していた。
(服にはあまり興味はないけど、王都とデザインの方向性が全然違くて見ていて楽しいわ。地域によって違うのね。活気もあるし)
「お嬢さん、新作が入荷してるよ! どうだい?」
「新規オープンの店です! 若い女性に人気の商品がありますよ~」
呼び込みに釣られるように、いくつかの店を見て回る。
王都はレースや手触りの良い高級な生地にこだわったドレスや毛皮製品が多いが、ここでは、汚れても洗える綿や風通しの良い麻、保温性の高い毛糸のような実用的な生地や素材を使った豊富なデザインの洋服があり、イヴリンには新鮮だった。
(王都は銀座で、ここは原宿って感じね…。でも王都でも売れそうな生地やデザインが多いわ。上手く宣伝できれば、領地の特産品として大きな収益になりそうだけど…)
何店舗か見て周ったところで、イヴリンは汚れても洗える素材でできたシンプルなワンピースをいくつか購入した。
「もっと高級なドレスを扱っている店を見なくて良いんですか?」
マリーが素朴な質問を投げかける。
「王都と違って社交界…貴族のパーティーとか少なそうですし、侯爵様主催のパーティーなども開催していなさそうですので必要ないです。これも、充分可愛い洋服ですし」
もともと社交界は敬遠していて(原作のイヴリンはコミュ症で評判も良くなく、社交界ではレアキャラだったため)、一族のパーティーしか出席していなかったイヴリンは、貴族も少ないこの地では華美な洋服は必要ないと判断した。
(ドレスなんて、お金もかかるしね…)
イヴリンのその言葉に、(本当に変わったご令嬢だわ)と、マリーは再び不思議に思っていた。
◆
洋服を買い終え、マリーの案内で街を巡ったイヴリン。
食品街では、王都にはなかった色とりどりの魚や野菜に驚くも、温暖な気候のわりに果物の種類が少ない事に注目しつつ、地元の食材を使った定食屋でマリーとご飯を共する。
その後、商工会や役所が立ち並ぶ区画で、商工会を見学させてもらい、忙しなく働く人々の姿と自分の社長時代を重ねてほっこりして、…そして、飲み屋街では、お酒の種類や食べ物のメニューリストを興味深く眺めて――その片隅に立ち並ぶ娼館に気づく。
和やかな領地でも、やはり水商売は必要なんだなあ…、もしかしたら、原作イヴリンは生きる道として娼館を選んでいたかもしれない…と想像していた。
(今の「私」にもその選択肢はあるけれど、今のところ別の生き方も選べそうだし、まずは別の道を頑張ろう。あと、そっちの経験が少なくて太刀打ちできる気がしないしね…)
原作イヴリンのその後をなんとなく察し、そのイヴリンの分も自分はしぶとく生きようと決意を新たにした。