3,風(ふう)変わりなご令嬢
ロスグラン領を臨むなだらかな山、その中腹に隠れるように建つのがロスグラン邸である。その玄関を入ってすぐ横に位置する応接室で、イヴリンは一人佇んでいた。
(ヴィンセントさん、まだかなあ…。1時間くらいって言ってだけど、まあ、お仕事だし、もっとかかったりするしね)
許可が出ていないので屋敷を探索することも叶わず、イヴリンはじっと応接室のソファに座っている。
(この屋敷のどこかに侯爵がいるのかあ…。全然人気を感じないけど…。ヴィンセントさんの口ぶりだと、2階にいるんだよね?
屋敷は歩き回ったらダメだとして、庭なら良いかな…?)
そうウズウズし始めると、荷物を置いたまま、応接室を出る。
屋敷の外に出ると、左右に藪とも言えるような鬱蒼とした庭が広がっていた。
(門から屋敷までは、何もないけど、綺麗に整備されてる。だけど、裏手は完全に藪ね…。遠くに塀があるから、あそこまでは敷地内だって分かるけど…、ほぼ山と一体化しているわ…)
屋敷の右手側に回り込むイヴリンだが、背の高い草に行く手を阻まれる。
(こんな広いのにもったいない…畑に整備したら自給自足できるのに…
あっ! 庭師としてここで雇ってもらえないかな…?)
良い案だと思いつきにウキウキしていたイヴリンは、後ろから近づく人物に気づかない。
「歩き回られては困ります、イヴリン様」
「ぎゃあ!!」
不意に後ろから声をかけられ、イヴリンは、令嬢にしてはたくましい悲鳴を上げる。
いつの間にか戻ってきていたヴィンセントが、良い姿勢のまま、眼鏡の奥にうっすら笑みを浮かべて立っていた。
「ヴィンセントさん…し、失礼しました」
イヴリンはすぐに冷静な表情を作ると、丁寧にお辞儀する。
「いえ、お待たせしてしまったのはこちらですから、そこまで恐縮しないでください。それに、私は使用人ですので、敬語ではなくて良いですよ」
ヴィンセントの言葉を受けて、イヴリンは更に恐縮する。
「いえ、私は公爵家を出された身ですので、今は貴族ではありません。それに、少なくともヴィンセントさんはこのお屋敷の先輩です。私もできればこちらのお屋敷に雇用していただきたいと思っておりまして…」
イヴリンの返事に、ヴィンセントは少し目を見張る。
(やば…ちょっと図々しすぎたかな…)
内心で焦ったイヴリンは、言い訳のように言葉を続ける。
「あの…こちらのお庭を拝見するに、お手入れが間に合ってないように見受けまして。破談になるのであれば、不定期で良いので、私を庭師として雇っていただけないかな、と。道具をお貸しいただければ、一通りのことはできるかと思います」
ヴィンセントは更に驚いたように目を見張る。
「それでしたらご心配には及びません。確かに、手入れの者は屋敷の中にしか入れておりませんが、庭はありのままにしたいとの旦那様の意向ですので」
すかさずイヴリンの申し出を断る。
(令嬢なのに庭の手入れができる…? どういう事だ…)
しかしヴィンセントは内心、不審感を強め、先ほどオーネストから聞いた、イヴリン・ペティベリーという令嬢の情報を回想する。
『…侯爵もご存知の通り、ペティベリー家といえば、言わずと知れた国を支える三大公爵家で、本来ならばこんな辺境まで嫁いでくるようなお嬢さんじゃないですが。つい最近のスキャンダルとして、実の妹の毒殺未遂を図ったとのことで、婚約者のベンデラーク家の長男との婚約破棄、及び貴族学校と王都からの追放を言い渡された…みたいな話がこの辺境にも届きましたよ。つまり、ペティベリー公爵に切られてしまったんですね。それで、まあ、体よく侯爵様の元に。
令嬢に関する他の情報は特に入ってきていないので、また王都に出入りする業者や情報屋から仕入れておきます』
今までの令嬢は例外なく去っていったため、釣書や評判を気にする必要がなかった。もちろんイヴリンの情報も必要だとは思わない。
しかし、王都を追放されたと言っても三大公爵家の娘。イヴリン自身への興味はないが、対応を失敗すると、領地の立場が悪くなる可能性もある。イヴリンが実家と縁が切れているとの真偽も判断しかねるヴィンセントにとって、イヴリンの対応は多少、悩ましい問題であった。
(いつまでも結婚しないからと、また国王が余計なお世話で縁談を持ってきたと思っていたが…。面倒な事に利用されたな。しかし、オーネストから聞いた現状の情報だけでは、この令嬢から、“働く”という、普通の令嬢が持たない発想が出てくることへの説明がつかない。馬鹿なだけなのか…?)
「…あの?」
思案を巡らせていたヴィンセントを心配して、イヴリンが声をかける。
「失礼いたしました。遅くなりましたが、イヴリン様のご滞在について旦那様に確認して参りますので、屋敷の応接室でお待ちください」
人の良い笑みを作ると、ヴィンセントは屋敷の中へ入ってゆく。
イヴリンも、後を追いかけるように屋敷に戻り、応接室に戻る。
(ヴィンセントさん、どうかよろしくお願いします…!)
応接室のソファで、両手を重ね、大人しくそう祈っていた。
一方、2階の最奥にあるロスグラン侯爵の執務室へと戻ったヴィンセントは、ため息をつきながらコートを執務机へ放り投げると、代わりに、机上に放ってあった王都から送られてきたイヴリンの釣書と婚約通知書、婚姻届けを手に取る。釣書に書かれた肖像が先ほど会った本人とで一致すると確認したヴィンセントは、やはりあれがペティベリー公爵令嬢で間違いないと考えた。
『破談になるのであれば、私を庭師として…』
書類を手に、先ほどのイヴリンの発言を思い出すと、ふと思いつく。
(…破談にしなければ良いのか)
ヴィンセントは諦めたような表情で椅子に座り、万年筆を手に取ると、書類に筆を走らせた。