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2,偏屈な辺境侯爵は難攻不落?

ロスグラン侯爵領は王都から南東に位置している、比較的温暖な地域だ。ただ、王都から一番遠い地であり、過去に戦争となっている隣国と隣接している地域で、貴族も遊びに訪れることも少なく、情報が少なかった。

そんなロスグラン領地をしっかりと下見をする暇も与えられず、片道だけの馬車でロスグラン邸前に放り出されたイヴリンは、意を決して屋敷の扉を開けた。


「あのー…どなたかいらっしゃいませんか~…?」

ギイ…と鈍い音を立てて重い玄関の扉を開けると、意外にもそこはきちんと手入れされている屋敷。

(意外…外観だけ見ると、中は蜘蛛の巣が張ってそうだったのに…)

イヴリンが玄関を見回していると、2階へと続く階段から一人の紳士が下りてきた。

「ああ…すみません、もしかして、ペティベリー公爵の…?」

紳士は、踊り場からイヴリンに声をかける。180cmはあるように見える長身は背筋良く、立ち姿が映える。第一ボタンの開いた白シャツと黒のベストで、下はスーツパンツを身に着けたフォーマルなスタイルだ。四角い細フレームの眼鏡の奥に切れ長の琥珀色の瞳が窺える。年は50代くらいだろうか、暗めのシルバーの髪は短く整えられている。フロックコートを手にしており、今から出かけようとしている様子だ。

(おお…素敵なロマンスグレーのイケメンおじさま…。執事さんかな? 服の上からだと分かりづらいけど…脱ぐとすごいタイプね、きっと。細マッチョというやつね)

「申し遅れました。ペティベリー公爵家長女、イヴリンと申します」

イヴリンは完璧なカーテシーをとると、冷たい、と言われる相貌で紳士を見つめる。

「やはりそうでしたか、私はこの屋敷を取り仕切る……ヴィンセントです」

ヴィンセントは柔らかな笑みを浮かべ、一礼する。

「ヴィンセントさん。…あの…他にお屋敷にいらっしゃる方は…?」

「ああ、この屋敷は私と旦那様だけで、掃除や食事などは週に何度か、通いのものが行ってくれております。なにせ旦那様は人嫌いで、なかなか表に出てきません。屋敷にも、許可を得た者しか住めないのです」

申し訳なさそうに眉尻を下げながら、それでもヴィンセントは柔和な笑みを崩さない。

「そうなんですね。私には供の者が…」

「申し訳ございません。お供の方にもお帰りになってもらうかと…」

「あ、いえ、供の者がおりませんので。私一人で嫁いでまいりまして」

「お一人で…?」

ヴィンセントは少し目を見張ると、興味深そうな瞳でイヴリンを見つめる。

「失礼いたしました、今まで嫁いでこられたお嬢様方は、たくさんの供の方を連れてらして。旦那様の許可が出るまでは別の宿泊施設などに泊まっていただいておりました。なかなか旦那様も許可を出しませんので、そのうち、しびれを切らして帰っていかれるのですが」

その説明を聞いて、イヴリンは分析する。

(なるほど、確かに普通のお嬢様は自分の扱いに納得いかないだろうし、持参金を使って滞在するとしても限りがあるもの。それが分かっていて追い返しているのね、侯爵様は。でも私は…)

イヴリンは再びヴィンセントに向き合う。

「そうでしたか。それでは私も屋敷に泊まることはできませんね。申し訳ございませんが、広いお庭の一角をお貸し願えませんでしょうか」

「は?」

イヴリンの返しに不意打ちを食らったヴィンセント。イヴリンは続ける。

「持参金はロスグラン侯爵にお預けする資金でございますから、私が使うことができません。あいにく家からの援助はございませんし、戻る事もできない身です。自分でお金をかせげるようになるまで、少し場所をお借りしたく…。あ、もし敷地内が難しいようでしたら、山のほうでも…」

イヴリンのその言葉に、初めて笑みを崩してヴィンセントは真顔になる。

「山は獣も出ますので、危なく存じます。ご令嬢を一人で外に出すことはできません。

…分かりました。私が仕事から戻りましたら、旦那様に確認いたしますから、それまではこちらの一室でお待ちくださいませ」

「あ…ありがとうございます」

(別に庭でも良かったんだけど…)

「では、私は少し仕事に行ってまいります。小1時間で戻りますが、それまで2階には上がらないようにお願いできますか…?」

「はい、もちろんです」

「ありがとうございます。帰ったらすぐに旦那様に確認しますので。またのちほど。失礼いたします」

再び柔和な笑みを浮かべ、頭を下げて屋敷を出ていくヴィンセント。

颯爽と立ち去るヴィンセントを見送って、イヴリンは近くの一室――おそらく応接室――に入ってゆく。

(オークリー・ロスグラン侯爵…この「公爵令嬢の恋愛結婚」の物語が始まる以前、現在の国王が第二王子の身で王位に就くきっかけとなった隣国との領土争いの戦争。

その時に、平民に近しい貧乏貴族の身分から軍の将校に上り詰めていた侯爵が、その戦略と武勇で最小の被害で戦争を勝利に導いた、影の英雄…。表向きには、第二王子であった現王が軍を率いて立てた功績ってなってるけど、実際に動いたのは、戦争の記録を見ても明らかにロスグラン侯爵なのよね。

そしてその功績の褒章として、侯爵という爵位とこの土地を得た…隣国と接する戦地ともなったこの僻地を…。

ちょっと侯爵本人に会ってみたかったけど、難しいか)

ふう…と嘆息して緊張を解いたイヴリンは、窓の外の風景に目をみやる。

(にしても、馬車の車窓から見た限りだけど、農地もある程度整備されていて街にも活気があったわ。領主としては良い領主なのね…。噂通り変わり者ではあるみたいだけど)

ロスグラン侯爵に関してのパーソナルな情報は、イヴリンが住んでいた王都にはほとんど届いておらず、戦歴についての情報と、国王が功績への褒美として若く美しく、家柄も良い花嫁をあてがっているものの、毎回、花嫁が逃げ帰ってくる…とても偏屈な人物であるという噂しか届いていない。

(功績を立てたのに、いわくつきの領地しかもらえなかったから変人になったのかしら? それとも元々の性格…?

でも、ヴィンセントさんの話を聞く限り、今までの花嫁は、ひどい目に遭って逃げ帰る、というよりは締め出されている…という感じね。私は逃げ帰る場所がないから、申し訳ないけど、間借りできるか図々しく交渉してみよう。

仕事が見つかるまでは…ってもしかして、原作のイヴリンは、勉強はできても生活能力がなかったと思うから、それで言われるまま追い出されて明日をも知れぬ身になってたのかな…。お父様はもう縁を切ってるからイヴリンがどうなろうと侯爵に文句を言うこともないだろうしね…)

イヴリンは切ない気持ちになりつつ、応接室の中央に置かれた、少し固めのソファに腰かけた。



ロスグラン侯爵領で一番栄えた街、領地内を統括する商工会本部、その応接室。

机を挟んでヴィンセントと向き合っているのは、ぼさぼさの髪に大きな丸眼鏡をし、ニコニコと気の良さそうな笑みを浮かべる商工会長、オーネストだ。

「――…と、報告は以上です」

今月の一通りの業績の報告を終えたオーネストは、書類から目を離し、いつもにも増して眉間に皺を寄せたヴィンセントを見やる。

「お疲れのようですね。今月はどこも業績が好調かと思いましたが」

「…いや、そのことではない」

ぱさっと手に持った書類を机上に投げ置くと、ヴィンセントは雑に足を組む。

オーネストは、にこやかな笑みを崩さず、ヴィンセントの悩みの種を予想する。

「そのことではない…というと…ああ、また王都から婚約者が来るんですよね……その様子だと、もう来ましたか?

…あれ、それにしては、いつもの宿泊施設のバタバタを聞きませんね。また追い出したんじゃないですか?」

「仕事が見つかるまで屋敷の庭に住みたいと言っている。ひとまず屋敷内に待機させているが」

「え? それはまた…面白そ…コホン。面倒そうですね」

オーネストは笑いそうになり、咳でごまかす。

「供も連れていなかったし、身なりも簡素だった。本当に公爵令嬢なのか…?」

顎に手を当てて考え始めたヴィンセントを見て、オーネストは内心驚いていた。

「それにしても、ヴィンセントさん…いえ、ロスグラン侯爵様が誰かを屋敷に留めるだけで、私としては驚きですけど」

ヴィンセント――を仮の名とするオークリー・ロスグランは、更に眉間の皺を濃くして、自分の正体を知る数少ない人物を睨んだ。

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