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1,元女社長、頑張って悪役姉を演じる

「イヴリン・ペティベリー。妹・シーア嬢の毒殺未遂で退学処分が発令された。

犯罪者を婚約者とすることはできない。この場をもって、このリオ・ベンデラークとの婚約も破棄する」


衆目が集まる貴族学校の食堂で、青い瞳を眇めたベンデラーク公爵令息のリオは、持ち前の正義感の強さも宿った、力強い声で そう宣言した。

リオの目線の先にいるのは、つい先ほどまで婚約者であったイヴリン・ペティベリー公爵令嬢。リオと同じアカデミーの2年生。女性の中では長身の、スレンダーな体型に、漆黒の美しく腰まである長い髪と、ミステリアスな深緑の瞳。釣り目気味な目元と薄い唇は美しくも冷たい印象を人々に与える。イヴリンは無表情でリオを真っすぐ見つめたまま、その感情は読めない。


広大な領地を持つヴェスター王国は、長く一つの王族が治める比較的安定した国。それも、貴族制度を始めとする統制された規則に基づいているからこそ。中でも、建国の祖として王家にも匹敵する力を持つ三大公爵家『ペティベリー家』『ベンデラーク家』『ラチェット家』が、それぞれの得意分野で王族を支えていた。

更に王家は、優秀な貴族を育成するため、4年制の貴族学校『ヴェスター・アカデミー』を、白壁の瀟洒な建物が立ち並ぶ美しい王都の中心街に設立した。ここでは、王族と上流貴族、優秀な中流・下級貴族のみが入学を許され、優秀な講師のもと、幅広い分野を学べる。


そんな名門貴族学校で、あってはならない事件が起きた。三大公爵家の長女、イヴリン・ペティベリーが、実の妹、シーアを毒殺しようとしたのだ。もとより周囲の人間と、とりわけシーアに辛く当たっていたイヴリンの動向を注視していた婚約者のリオは、イヴリンがシーアの食事に混入した毒物――ペティベリー家の紋章入りの小瓶に入ってた――も押収でき、証拠を揃えた。幸い、シーアが食事を口にしたのは一口だけで、自分で異変に気付くこともできた。しかし、毒殺未遂という事実は覆せない。生徒会に所属する友人の力と自分の公爵家としての特権も使い、イヴリンの退学処分を最速で進めた。…そして、婚約破棄についても。


リオは無表情のイヴリンを見つめながら、少し同情するような視線を向けた。

(…まさか婚約破棄までされるとは思わなかっただろう。)

リオも幼少期はイヴリンと良好な関係を築いていた時もあった。もう取り戻せない日々を想い、目を伏せる。


一方のイヴリンは内心、胸をなでおろしていた。

(……よかった~。計画通りいけたわ)

実はイヴリン・ペティベリー侯爵令嬢には、前世の記憶があった。

以前の人生では、日本の貧乏な家庭の一人娘として生まれ、日々を生き抜くため泥臭く必死に、明るく生きてきた。父親は蒸発し、体の弱い母親がほそぼそと稼いだ生活費しかなかった。

なので、就学前は、遠くの山まで足を運び、山菜取りやキノコや野草を採取しながら食いつなぎ、小学校に上がると、友人の母親に気に入られ、夕ご飯は毎回友人宅で食べお腹を満たし、中学に上がると、地域のボランティアに参加して商店街の人たちとの伝手を作り、おこぼれをもらう…。アルバイトができる年齢になると、まかないの出る飲食店でアルバイトを始め、そこの客であった広告会社の社長と仲良くなり、仕事を教えてもらう。ついにはPR会社を起業、順調に実績を積み上げていった。母親が働かなくても良いくらい稼げるようになったが、過去の無理もたたって母親が早逝…。その後は、彼女の働きすぎを止める人もいなくなってしまったので、ますます仕事にのめり込んでいった。…しかし、ついには過労で倒れ、そのまま…。

目覚めたら、人気小説シリーズ「公爵令嬢の恋愛結婚」の世界にいた。

仕事でPRの依頼があり、倒れる直前まで読んでいた、その小説の世界に…。


豪奢で真っ白なベッドで目覚めたイヴリンは、混乱していた。

(過労で倒れて…体が死んだように重くなって…って、あれ?この小さな手は…)

傷ひとつない真っ白で小さい手足を眺める。

(赤ん坊…?)

「あゥ…」

声を発音しようとしても言葉にならない。

「あらっ! お目覚めになりましたか? イヴリンさま」

傍に控えていた女性――のちのち乳母だと分かる――の問いかけで、自分が別人…それも小説の中の人物に転生したことを悟った。


――そう、日本で貧乏ながら奮闘していた成り上がり社長は、今は、国を支える三大公爵家の一つ、ペティベリー公爵家の長女・イヴリンとして転生していたのだ。

(これってPR案件の「公爵令嬢の恋愛結婚」の世界!? 倒れる前に読んでた…ていうかイヴリンって…ヒロインのいじわるな姉の…。一歳違いの妹を虐めて、妹のことが好きだった婚約者のリオに婚約破棄され学園を追放される典型的な悪役令嬢で…。確かこの小説って逆ハーレムものだから、序盤の、一人目の相手役候補のリオとの関係を深めるための序盤の悪役なんだよね。)

イヴリンは、公爵家の娘としての厳しい教育に耐え、婚約者のリオが劣等感を抱くほど優秀だった。恵まれた立場に傲岸不遜になっていたところもあるものの、自分にも他人にも厳しかったとも言える。そして、婚約者のリオは、厳しく優秀なイヴリンを敬遠し、ヒロインである妹・シーアと運命的に出会い、心優しい彼女に惹かれる…。

実はリオを愛していたイヴリン。リオは幼い頃、1度だけイヴリンを守ったことがあり、イヴリンはずっとその思い出だけを大事に、リオを想っていたのだった。

そんな想いもこじらせたイヴリンは、シーアに対して憎悪を募らせ、辛く当たり、学園でも徹底した無視や嫌がらせ、いじめを行うようになる。ついには追い詰められてシーアの食事に毒を仕込む…。学園の食堂で仕込めば犯人だと特定されないと思ったイヴリンだったが、イヴリンの危うい行動を警戒していて、それまでも証拠集めに動いていたリオが気づき、それを決定打に婚約破棄を言い渡す。

従来の聡明なイヴリンであったら、毒殺未遂という愚かな事はしなかったが、前日に行われたイヴリンの誕生パーティーで、イヴリンに同伴するどころかシーアと逢引しているリオを見て、かなりのショックを受けた影響が出ていた。


転生した元社長は、実はこの『イヴリン』というキャラクターが少し気になっていた。

(イヴリンの言動はちょっとキツけど、不器用な生き方に少し同情してて…。

でも学園と王都を追放されちゃって…。ずっと辛い生き方だったから、幸せになって欲しいのに…って思いながら…そのあと意識をなくして、そのまま…。だから、追放先は知っていても、追放後の展開を知らないんだよね。

でも、イレギュラーな「私」の存在が、ヒロインを…この物語を邪魔しちゃいけないから、イヴリンの運命は私が引き受けて、私が読んだところまでは、ヒロインの幸せのためにも、なるべくシナリオ通り進むようにしよう。私は追放されたって、自力で生きていく自信はあるから。逆に、何にも縛られず、自由に生きられるかもしれないしね)

そう決意して、元社長のイヴリンは、小説に沿うように生きてきた。本来はたくましく好奇心旺盛な性分だったが、なるべくイヴリンのように厳格であるよう律してきた。


そしてこの度、原作通りにリオに婚約破棄と学園追放を言い渡された。

(や~っと『イヴリン』の役割を果たしたわ。これで自由に生きられる!)

イヴリンは、美しくも冷たいと言われるその顔から表情を消したまま、心中ではニヤついていた。

(おおむね小説のシナリオ通り…にできたと思う。シーアの毒殺未遂に使う毒は、なかなか良い条件の毒が見つからなくて大変だったけど。自分で山に行って調達できたし。ちゃんと、リオが私を疑って証拠集めと生徒会への根回しをしてくれて、現行犯で見つけてくれたし。正義感の強いリオならって思ったんだよね。シーアも、早めに自分で気づいてくれたから健康被害もなくて済むし)

イヴリンは、顔面蒼白で王子に身を寄せる妹・シーアに視線を移す。

(相変わらず天使のように可愛い…。ふわふわロングの、光り輝く金髪なんて、ヒロインじゃないと維持できないわ。二次元の髪型よね。

1つ年下のシーアのことは、昔から普通に可愛い妹として思ってきたけど――)

転生イヴリンは、自分の存在がシーアの幸せを邪魔してはいけないと思い、今まで、小説のシナリオに沿うように生きてきた。とはいえ、生来の性格や培ってきたコミュニケーション能力が邪魔をし、原作イヴリンのように高潔に厳格に生きるのが難しい時もあった。

厳格な父親であるペティベリー公爵の目を盗んで、こっそり野山に息抜きのキノコ狩りに出かけたり(収穫物は近隣の農村にこっそり置いてきたため、神獣の贈り物だと信仰されていた)、変装して王都の外れの町で子供と遊んだり…少しシナリオにない行動もとっていた。ただ、王都から南西に位置するペティベリー家の領地に家族で休暇に訪れた時だけは、父も休暇のため隙を盗めず、自由に見て回れなかったことだけを心残りにしていた。

婚約者のリオに対しても、時々、社会人である「私」の自我が出てきてしまうことがあった。リオは幼少期はイヴリンに対しての劣等感もなく、「私」は、勉強や剣術を頑張っているリオを褒めてあげたくて仕方がなくなり、うっかり何度か素直に褒めてしまっていた。一度、興奮した屋敷の番犬から「私」を守ってリオが怪我をしてしまった時は、治療中はずっと手を握ってリオの傍にいた。ただ、リオが小説とは異なり、イヴリンに懐き始めたため、甘やかしすぎた、と「私」は、次第に突き放すようになり、ある誤解も重なり、更に溝が深まっていった。

シーアに対しても、本当はとても可愛がりたい、と「私」は思っていたが、近づくと可愛がってしまうため、原作のイヴリンと同じように、意識して距離を取るようにしていた。

それが功を奏し、シーアのほうから積極的にイヴリンを敵視し、陰口を言うようになっていた。…それが、原作のシーアの性格とは少し相違がある事に「私」は気づいていたが、小説の解釈の仕方の誤差の範囲だと結論していた。

厳格な父親も、イヴリンには厳しい一方で、亡くなった美しい母親似のシーアには甘く、可愛がっていた。イヴリンに対しては、公爵家のために有益な道具となるように、教育は徹底させて、王族や上位貴族との交流ももたせるように機会も作っていたが、次第にイヴリンの愛想のなさから社交界での使い道は諦め、リオとの婚約関係を維持できれば良いとだけ考えるようになり、放置するようになった。イヴリンはリオと…ひいてはベンデラーク家との繋がりを維持するために使えれば良いという冷めた考えになっていた。

そんな考えが使用人たちにも伝わっており、使用人たちもシーアばかり甘やかすようになり、小説のシナリオ通り、イヴリンは次第に一人になっていった。だんだん屋敷に味方がいなくなっていく事に対し、「私」もたまに辛く感じる事もあったが、中身が大人なので耐えられた。ただ、イヴリンもこんな気持ちだったのか、と原作イヴリンの心中を察し、切なく思っていた。


(…でもまあ、今までの積み重ねで、シーアの私への警戒感が強いお蔭か、仕込んだ毒にも早めに気づいてくれて良かった。もちろん解毒薬も準備していたけれど)

「おい!聞いているのか!?」

今までをイヴリンが述懐していると、リオが現実に引き戻す。

(…っ。やばいやばい、充実感で意識を飛ばしてた)

リオの呼びかけで我に返ったイヴリンは、用意していたセリフを口にする。

「分かりました。言い訳を聞く気もないのでしょう。あなたがシーアに惹かれているのも存じておりました。せいぜい、シーアと幸せなってくださいませ」

銀髪に青い瞳、すらっとした長身のリオと、金髪と深紅の瞳を持ち、イヴリンとは異なり小柄なシーアは、ビジュアルからして主人公カップルだ。

(この小説って逆ハーレムものだって聞いてたし、リオ以外にもシーアの相手役候補がいるのだろうけど、転生前に読んだ序盤の範囲にはまだ登場していなった…と思う。だから、ライバルの情報は助言してあげられないけど、頑張れリオ!)

そう心の中でエールを送る。

「…っ。何故お前はそう…言い訳もないのか…!」

苦虫をかみつぶしたような表情で、しかし悲しそうな声色でリオがイヴリンに問う。

そんなリオを見て、リオの影に隠れていたシーアが、リオの前にすっと歩み出る。リオの視線からイヴリンを見えなくするかのように。

「…お姉さま、悲しいですが、この事はお父様の耳にも…」

「!! そんな……!」

驚愕の表情を作るイヴリン。しかしこれには本心も混じっている。

(あれ? まだお父様は知らなくて、このあと正式な退学処分とお父様の私に対する処遇が決まるまで屋敷で待機になるはずなんだけど…。手際が良いわね。まあ、結果は変わらないし、良いか。)

父親にとってイヴリンはベンデラーク家との関係を繋ぐための道具。リオが婚約破棄し、ベンデラーク家に見捨てられればイヴリンの利用価値はなくなる。イヴリンに愛情のない父親が早期に切り捨てることは予想はできるが、さすがに公爵家の縁談の破棄には時間がかかるはずだとイヴリンは考えていたが…。

「すぐに屋敷に戻って確認いたします。皆様、もう会うことはないでしょうけど、お元気で」

イヴリンは、周囲でやじ馬をしていた生徒たちを見回す。

生徒たちはイヴリンから目線を反らし、ひそひそ噂をし始める。

噂がしっかり広まることを確信して、イヴリンは食堂を退室した。

納得のいかない表情をしたリオと、ほのかに笑みを湛えるシーアを残して。


アカデミーの校門を出たイヴリンは、振り返って校舎を見つめる。

(意図して取り巻きも友人も作らないでいたけど…授業は結構面白かったのよね。前の人生でもしっかり教育は受けられなかったら、楽しかったのだけど。それだけは、残念)

そう名残惜しい気持ちを振り切るようにアカデミーを後にし、ペティベリー邸に戻る。

ペティベリー邸の執務室で、窓を向いたまま、イヴリンの顔を見ようともせずペティベリー公爵は口を開く。

「もともとお前には期待していなかったが、ここまでくると呆れる。シーアからお前の愚かな行いに対する訴えが日頃よりあったが、今朝ついにベンデラーク家からもお前との縁を切るとの連絡があった。今の後悔は早くお前との縁を切れば良かったということだけだ。

せめて遺恨なくペティベリー家との関係を絶てるように、お前に情けをかけ、ロスグラン領に嫁げるよう手筈を整えておいた。光栄に思え。」

無機質に感情なく告げる公爵の背中を見つめ、イヴリンは悲し気な表情を作ったまま納得する。

(まさか…シーアとリオは今日の毒殺の一件を予想してたの…? それで、婚約破棄を先に公爵に根回ししてたのね。昨日の誕生パーティーの段階では、おそらくもう話が進んでたんだわ。どうりで簡素な形だけのパーティーだと思った。

じゃないと次の嫁ぎ先なんてすぐに見つからないもの。まあ、手っ取り早くて助かるけど、そんな的確に私の行動を予測することなんてできる?)

少しの疑問を残しつつ、一礼して公爵の執務室を出たイヴリンは、自室に戻って荷造りを始めた。

(――事実上の勘当と辺境侯爵の元への嫁入りという名の追放。おおよそシナリオ通りいったわ。まあ、今はお父様も再婚してまだ幼いけど弟も生まれたから、家は弟に任せれば良いし、長女がいなくなったところでダメージもないしね。

ただ…私の嫁ぎ先の…オークリー・ロスグラン侯爵の情報がないのよね。

かなり偏屈で、どんな婚約者やお嫁さんも追い返してきて未だ独り身である高齢の辺境侯爵、としか知らないし…。このあとの原作小説を読んでいないから、それ以上の情報がないのがなあ…。イヴリンがどうなったかも分からないのが怖い…。まあ、追い出されたとしても、街の片隅で一人で生きていく自信はあるから、だからシナリオ通りに追放されたんだけど。でも、いきなり殺されるとか、慰み者的な扱いだったら、いわゆる悪役令嬢の破滅シナリオってことだよね…。それだけは回避したい…そうなりそうだったら、逃げよう…。

そろそろ冬になるから…せめて暖かな場所で生きられますように…)

今後の悲惨なシナリオを予想する心中とは異なり、イヴリンの口元は緩んでいた。

自由になる嬉しさを感じているかのように。

――そうして予定通り追放されたイヴリンは、供もつけられず、片道の御者だけを伴い、丸二日、休憩も満足に取らず、馬車を走らせ――申し訳程度の持参金と小型のトランク一つを手に、ロスグラン侯爵邸の前に降り立った。


(…これは…)


周囲は人気のない山の中腹、森の中。

蔦がはびこり、敷地面積は広大であるのに、何故か人気(ひとけ)も感じない……幽霊屋敷が、イヴリンの目の前に立ちはだかっていたのだった。

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[良い点] 面白いです! [一言] 追ってまいりますので、今後も頑張って下さい!!! (ブックマーク登録しておきました)
2023/05/17 19:52 退会済み
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