8.林住期 ~出帆~
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翌朝になって村に出向き、村長に小屋の管理を依頼して駄賃を渡す。緻密な契約書を作成し、五年経って帰って来たら残りの代金を渡すことを約束した。
「昨夜、家を整理していたら権利書が出て来た。あそこはアルリーネの父親が購入して、アルリーネが相続した森だ。今は所有権は夫である私にある」
広場の中央まで来ると、見送りに出て来た村長を振り返った。幾人もの村人たちが聴き耳を立てながら遠巻きに見守っている。
「読むと、小屋の周りを除いた部分の森への立ち入りを認める代わりに、村がアルリーネを養う、という条件があったのだがどういうことだ?」
「な、それは、そのようなことは――」
「おかしいな。アルリーネは生活費を捻出するために、他人がやりたがらない仕事ばかり押し付けられていた記憶があるのだが」
村長が気まずそうに下を向く。後ろに控えていた村長夫人がずいっと身を乗り出した。
「グウェンフォールさん、そりゃあ何かの記憶間違いでしょう」
「いや。証拠の書類は私が持っている。裁判となれば、この村の蓄えを全て奪えるだろうね」
村人たちがざわついた。自分たちのしたことは棚に上げ、一斉に非難の目を村長夫妻へと向け始める。
「それともう一つ。私はね、これでも流れの魔導士くずれなのさ」
そう言って、袖口からクランシィの黄色の魔杖を取り出した。途端に村長が逃げ出そうとして、無様に尻もちをつく。村長婦人は夫を盾にして、自らを守ろうと蹲る。
「これから五年間、陰で見守らせてもらうよ。あんたたちが小屋をどう管理するか。もし少しでも誰かが、村人でなくとも誰かが、墓を荒し物を盗み出し、これ以上アルリーネを愚弄するようであれば――」
すっと目を細めて見せた。
「――この村に責任を取ってもらうのでそのつもりで」
それは具体的にはどういう意味だと追い縋る村長を無視し、ヴァーレッフェを目指す。
片耳の垂れた猫のディラヌーが何度追い払ってもずっと後ろを附いてくる。仕方なしに、同行を了承した。
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ふた月ほどして、ヴァーレッフェの王都に到着した。だがどうにも髭を剃る決意はつかない。お蔭でただの浮浪者にしか見えなかった。
これでは神殿の中の様子など窺い知ることは無理かと諦めかけたが、竜騎士たちが利用する酒場に顔を出せば、それなりの情報が手に入ることが判明した。
ディラヌーを足元に待機させ、隅の席でちびちびと酒を飲むふりをする。
騎士たちは酔いが回ると、猫見たさに向こうから寄って来た。竜騎士の身体に残る竜の匂いや魔素に、怯えない猫が珍しいのだ。
ディラヌーは退役した帝国の竜騎士から譲り受けた、生まれた時から竜にならしたらしい、と適当にでっち上げておく。単純で好奇心旺盛な性格なだけなのだが。魔獣が偶に出現する森育ちというのもあるかもしれない。
「こんなに可愛いのにさ、何でかねぇ。神殿に動物はご法度だとよ。
この前なんか貴族の飼い猫が一匹塀を越えて紛れ込んだとかで大騒ぎだ。向こうも恐怖で混乱しまくって、ちっとも餌で釣れないんだぜ。日がな一日、猫を追い駆け回すのが竜騎士の仕事だなんて、誰が想像する?」
「それはそれは、大変でございますなぁ。……はて、ということは、昔は猫が侵入してもお咎め無しだったんですかい」
「竜の巣窟に来たがる犬猫なら、野良でも何でも大歓迎だよ。先輩たちも愚痴っている。なんでこんなに動物を嫌い出したんだって」
それはつまり、精霊の眷属と称した縞栗鼠が死体だということがバレるからだ。
眷属を偽る禁忌の復活魔術は、アルリーネに掛けたような身体保存の術に加え、魔導士が常に屍体を操らないといけない。
戦で死んだ兵士を一時的に使い回すためのものだ。強引に術で動かせば無理が祟り、やがては一層の死臭を放ちながら朽ち果てる。『復活』とは名ばかりの、死者を冒涜する愚行だ。
「動物といえば、只今神殿におられる聖女様の眷属は……」
「赤い聖火鼠様だよ。いつも侍女が籠に載せて、御大層に運んでる」
「おやまぁ。猫と随分な待遇の差でございますなぁ。私が以前、王都にお邪魔致しました折には、蛙の眷属を従えた聖女様がいらしたと記憶しておりますが……」
「んー? そういえば、随分昔にいたっけねぇ。俺たちが見習いになった時よりも前の話じゃないかい、爺さん」
この当時はまだ、目の前の竜騎士の父親に辛うじてなれるかすら怪しい年齢だったが、長い髭やくたびれた服装がそう見せているようだった。
「多分、ティーギン様のことでしょう」
猫を撫でることに没頭していた別の竜騎士が、ふと頭をもたげて話に加わってくる。『ティーギン様』とおっしゃったのか。
恥ずかしながら、かつて仕えた聖女様のお名前を知ったのは、年若の竜騎士のお蔭だった。
「ミズハメ地方の御出身の、最後の平民聖女様ですよ」
随分と物知りの青年だ。手放しに称讃すると、謙遜して首を振る。
「自分の母もミズハメ地方の平民なもんで。あの御方は誇りなんですよ」
「今じゃすっかり中央貴族の娘ばかりだもんなぁ」
もう一人の竜騎士も、残念そうに同意する。
「複数いらっしゃるので? 聖火鼠を従えた聖女様ばかり?」
「あーいえ。代々、お一人ですよ。でも代替わりが激しいのですよ。最初に聖女様となられた方は、今の神殿長の娘さんなのですが、結婚して柱が上がらなくなったとかで」
「次の聖女様は流行り病で突然お亡くなりになるし、今の聖女様は随分と何というかまぁ」
言葉を濁す竜騎士たちを労うように、酒を注いだ。
その後も何度も酒場に通って噂を集めると、悍ましいことに今の聖女はメルヴィーナの娘だった。
聖火鼠を携えた一代前の聖女はカドックと仲の良かった上級魔導士の姪、二代前の聖女がメルヴィーナ本人。
当のカドックは神殿長として、権力を欲しいままにしているようだった。
元上司の姿を確認しようとして、王都の目抜き通りをうろついている最中、偶然メルヴィーナを見かけた。かつて社交界の男がこぞってのぼせた理由が分からない。高級服飾店への階段を誇らしげに上がる様は、吐き気すら込み上げてきた。
子どもを産んでも尚、多少の胸が突き出し、くびれがある。顔の彫りは深く、目元が大きい。だからどうだというのだ。
慾にまみれ、侍女たちを顎で扱き使い、傅かれるのが当然とばかりに周囲を見下している。魂の醜悪さが透けて見えるようではないか。
心の美しさがそのまま外見となるのであれば、アルリーネの足下にも及ぶまい。
いや、アルリーネはよく見ると肉体とて美しかった。黒い瞳は輝く星のようで、無邪気な笑顔の中に心優しい性根がはっきりと現れるのだ。
胸元に密かに忍ばせた、精霊四色の石の連なるネックレスを優しく撫でる。
常に服の下ではあったが、アルリーネが唯一身に着けていた装飾品だった。人前で決して見せるなと父親に何度も言われたらしいので、もしかしたら滅んだ王家のものなのかもしれない。
何にせよ、黄・青・赤・紫と、四大精霊全ての色を配したそれは、聖女の日に生まれたアルリーネに相応しかった。
――窮屈な肉体から解き放たれた彼女に、全ての精霊の祝福を。
愛おしい名前を小声で唱え、心の底から真摯に祈った。
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秋口まで王都での調査を続けたが、調べれば調べるほど、神殿の歪みが判明した。カドック一人をどうこうすればよい話では済まなくなっていたのだ。
加担したと見られる上級魔導士が束になれば、自分の実力ではすぐに闇に葬られるだろう。
駄目だ。まともな策が何一つ思い浮かばない。どこかでもっと魔術を磨かなければ、立ち向かえる連中じゃないのだ。
一旦アヴィガーフェへ引き返し、アルリーネの墓の周りに土産として持ち帰った花の種を撒いた。
納屋に隠したシャンレイ様の魔術書と青い魔杖を荷物の中に加えると、村で再び村長夫妻を脅し――もとい、挨拶し、猫のディラヌーと共にすぐに壁の南側を目指した。
数年毎にアルリーネの小屋に帰り、その度に新たな花を植えた。種が見つからなくて、異国の山で苗を一つだけ掘り出し、持ち帰ったこともある。
園芸の才など無かったが、村人が世話をしてくれたのか、精霊のご加護があったのか、小屋の周囲には年中様々な花が咲き乱れるようになっていた。
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丁度ヴァーレッフェとアヴィガーフェの国境沿いで繰り広げられていた長年の小競り合いが、急に激化した頃だった。
帝国シャスドゥーゼンフェの宮廷図書館に忍び込み、古代魔術の禁書を漁っていた最中、アルリーネの森一帯が焼失したとの噂話を耳にした。
取るものも取りあえず小屋へと急いだが、手前の村は無残に焼き払われている。小屋も地中深くに残した岳父の遺品以外は跡形もない。代わりに竜の大きな足跡があちこちにあった。
辛うじて残った庭先の小さな盛り土三つが、アルリーネの居場所を教えてくれる。
アルリーネの足下には、尻尾の短い老猫のカイと、足が不自由だった犬のメイ、数年前に旅先でひっそりと息を引き取った灰色猫のディラヌーの遺体がそれぞれ埋まっていたからだ。
許せなかった。ただただ怒りが込み上げてくる。
その時には扱えるようになったシャンレイ様の魔杖を握り締め、醜悪な竜に跨って空を飛ぶヴァーレッフェの竜騎士たちを追い抜き、誰よりも早くアヴィガーフェの陣営目指して突っ込んだ。
「……アヴィガーフェの愚王はどこだ」
自分でも驚くほど、地を這うような声が腹から出た。竜を使って小屋や森を焼き払ったのは、ヴァーレッフェではなく自国の王だった。
匿った敵の兵を炙り出すためだと? 頭がおかしいとしか思えない。あの村人たちにそんな度胸があるものか。
逃げ纏う兵士たちに向けて、次々に攻撃魔術を放つ。
気絶させるだけだ。カドックたちのようにはっきりと悪人だと判明しない限り、もう二度と人は殺さぬとアルリーネに誓ったのだ。
「王はどこだ!」
アヴィガーフェの魔導士たちの稚拙な攻撃を交わし、やっと王の天幕に到達したと思ったら、蛻の殻。敵前逃亡とはこしゃくな。
「失礼ですが、貴方様はどちらのお国の魔導士様でいらっしゃいますか」
暗赤色のマントを翻したヴァーレッフェの竜騎士が近寄って来た。女どもが群がりそうな洗練された身のこなし。無駄に顔の整った優男だ。
「貴様には関係ない」
「お見受けしたところ、アヴィガーフェの国王に大層お怒りのようですが」
「邪魔だてするならヴァーレッフェだろうと容赦はせん」
「いえ、決して。――私、ルウェレンと申します」
第三師団偵察分遣隊の隊長だと叮嚀に名乗り、頭を軽く下げた若い武人は、ヴァーレッフェの陣地に迎え入れたいと勧誘し始めた。
流れの魔術士を参加させるなぞ、正規の魔導士たちが同意すまい。今日出会ったばかりで、気は確かか。
「ご安心を。これでも多少の鑑識眼と発言力は持ち合わせているのですよ」
見た目ほど、頼りなさそうな男ではないようだった。




