11.遊行期 ~祈誓~
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リーン……。
鈴の音か? 奇妙な音が流れている。当時の戦場では聴こえなかった筈だが。
アヴィガーフェの愚王は、その日の内に停戦を申し入れて来た。帝国の主だった魔導士たちが偽魔杖ごときに釣られて戦線離脱をしたからだろう。
しかしこれまでも、政治の場での話し合いが決裂すると戦になり、実力行使で埒が明かなくなると交渉のテーブルが再び設けられていた。
案の定、暫くすると再び開戦の火蓋が切って落とされ、また外交の場へ戦いが移り、さらに実戦になり。
堂々巡りだが、その度に頼りにされた。――いや、頼りにさせた。
漸く平和な日々が続くようになってきた頃合いで、ヴァーレッフェの国に留まってくれと国王自ら嘆願してくるように。
本名どころか出生地すら明かせぬ身で、『神殿長に任命しろ』なんて野心満載の怪しい要求は流石に出来ない。かと言って単に神殿務めをさせろというのも、他の上級魔導士たちの反発で無理そうだ。
神殿を見張り、禁忌の術を無効にする方法を探すためにはどうすべきか。神殿以外で魔導士がいても不信感を抱かれず、王宮図書館の最奥であろうと自由に出入り可能な身分。
「どうしても留まれ、と言うのであれば、ワシを王都魔導学院の学長に」
研究室として、学校内の塔も一つ丸ごと貰い受けた。できるだけ研究に専念できるよう手配させた。
出自不明の自分を信用させるため、魔導士ではなく竜騎士と国民を取り込んでやろう。
壁の南側や迷宮で経た知識を盛り込み、竜騎士には竜に使う魔道具や捜査で必要な魔道具、国民には生活が便利になる衣食住の魔道具を幾つも提案した。
一般国民相手の発明品は、手っ取り早く『魔導士グウェンフォール』の名を広めるため、設計図も製造方法も殆ど無料で公開した。利用者から欲しいのは金ではない。
神殿に盾突き悪事を暴き立てても、『かの人物が言うのなら本当なのかもしれない』と思わせるだけの信用だ。
無論、研究資金は必要なので、竜騎士や貴族相手の場合はそれなりに請求させて貰っている。
学長ともなれば、貸出不可の古書も研究塔に持ち込めた。神殿の古い設計図や歴代聖女の詳細な記録も手に入った。
だがどうにも突破口が見いだせない。
焦った挙句に自分の肉体の寿命を計る魔術まで探し出し、現れた年数にさらに頭を抱えた。……もうすぐ一桁を切る。
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リーン……。
とうとう命懸けの聖獣召喚の術に手を出した。たとえ契約しても、一介の魔獣では神殿の結界を秘密裏に越えられない。聖獣の力が欲しい。
シャンレイ様の指南書の最奥義を、自分の実力不足を分かっていながら実行した。
≪無礼、者≫
人外の圧倒的な美しさを湛え、銀色に輝く獣が魔法陣の中でこちらを見下ろす。まさかシャンレイ様の契約獣本人が出て来るとは予想外だった。
12年に一度の新年大祭、神殿の祭壇に顕現するのだから見間違えることはない。伝わってくる魔力の波長は唯一無二のもの。
自己防衛のために構えた魔杖は、聖獣の一睨みで即座に天井へ跳ね上げられてしまう。だがそれで、特徴ある青い杖をまじまじと見てくれることになった。
≪杖、これ……≫
≪シャンレイ、さま、子孫≫
少なくとも家系図上は偉大な魔導士様の姉君まで遡れたが、血まで繋がっているのだろうか。念話は容易な術ではない。言葉を厳選せねば。
≪我、本名、シャンレイ≫
改めて名乗ると、瞳に宿った怒りが少し和らいだ気がする。
≪声、出せ≫
ああ、そうか。聖獣は人間の言葉を理解できた。焦り過ぎて、そんなことさえ失念していた。
そこからは指示された通りに念話ではなく口頭で説明し、ただただ聖獣の温情に訴えるしかなかった。
≪聖女、死んだ、おまえのせい≫
そうだ。ワシが殺した。
≪神殿、死んだ、おまえのせい≫
そうだ。ワシが汚した。
≪正せ、この国、滅びる、前≫
胸元の精霊四色の首飾りを握り締め、道半ばにして殺されるのだと絶望に打ちひしがれていると、上から粛々と命じられた。
生かされるのであれば無論そうするつもりだ。その為だけにここまで生き恥を曝し、足掻き続けたのだから。
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リーン……。
聖獣の御蔭で、神殿の最奥への侵入が多少は可能となった。尤も神殿の壁を越えられるのは聖獣だけだ。
ワシは同行することも出来ず、古い記憶を頼りに指示を出して塔で待つ。念話で報告を聴き取るのは、かなり魔力を消耗した。
だが何とか過去に自分が書き上げた報告書を書庫で見つけてもらい、再び一から検証する機会を得ることが出来た。
そして気が付く。光の柱を上げる魔術も、古代の屍体を操る魔術も、どちらもあっけない程に不完全だったのだ。
若い頃はまともに理解も出来ず有頂天になっていたが、大陸中の魔術を学び尽した今なら分かる。こんなものが作動する訣がない。
光の方は、本物と波長が完全に違う人工の紛い物だ。そこを誤魔化す魔法陣を構築したのだと思うが、禁忌の領域なのだろう。完全に合致する術が見つからない。屍体の方は、動力源が謎だ。
『夏の盛り』とは名ばかりの陰気な日に、三代目の偽聖女が不審死を遂げ、メルヴィーナの遠縁から再び四代目が立った。
名前は彼女に肖り、同じく『メルヴィーナ』。しかもカドックの跡を継いだ現神殿長の孫娘だと言うから眩暈がする。
学長という肩書と、竜騎士たちに普段から顔を売っていた御蔭で、登殿の儀には間近で立ち会うことが叶った。
外に出るときは、シャンレイ様の魔杖を背中に隠し、新たな細工を上から施したクランシィの魔杖を握る。
アルリーネの首飾りは外から見えないよう、常にローブの下だ。
普段は灰色猫の姿で過ごしている聖獣も、この日ばかりは本来の姿に戻り、隣を優雅に歩いている。
ひと月前から魔導士らが天候予測に駆り出され、練りに練って決めた日だが、朝から雨脚が強くなる一方だ。それでも雨天中止とならないのは、連中が仕掛けた魔道具の都合だろうか。
濡れた広場まで入ると、ティーギン様のお姿を思い出して、やるせなさが込み上げる。あの頃は、花壇が周囲に幾つも置かれていた。出入りの庭師に見たことのない花を教えてもらっては、微笑んでいらした最後の本物の聖女様。
今では樹木が切り倒され、花は根こそぎ抜かれてしまった。土だった場所は、どこも分厚い石畳で覆われている。
蟲や鳥から赤栗鼠の屍体を守る為に違いない。
広場の背面の壁に聳え立つは黒竜の彫刻。手前の祭殿から広場中央の床を長くうねって突っ切り、壁に嵌め込まれた巨大な目でこちらを厳しく見据えていた。
祭壇の奥で赤い柱が華々しく上がり、列席者の歓声が上がる。神殿長が密かに唱えているのは、自分が提案した穴だらけの古代魔術の亜流でしかない。
藤籠の中で赤栗鼠の屍体がたまに動き、やけに小洒落た中年男が汚れた傀儡魔術をこっそり唱えている。神殿長子飼いの部下が、縁故だけでよくあそこまで出生したものだ。
いっそのこと聖獣に赤栗鼠を襲わせ、この場を滅茶苦茶にしてやりたかった。
拳を握り締めて広場の後方を見渡し、頭から冷や水を被せられたかのように、一気に怒りが吹き飛んだ。
じっとこちらを睨み付ける大きな黒竜の双眸。まるで生きているかのごとく、その目は問うてきた。『それは、本当に復活させて良いものだったのか』と。
そうだ、その通りだ。穴だらけだとしても、放置して良い訣がない。まずは詐術のカラクリを暴かねば、これからも悪用する奴らが現れる。
光柱の幻影に偽の波長を付加する魔術も、屍体を使い回す魔術も、過去の苦い経験が積み重なって封印されたというのに。
今ここで聖火鼠ではないと暴いたとしても、その時だけ特殊な事情があったと誤魔化される可能性がある。それだけでは周囲に疑念を抱かせるだけで、偽の聖女だという決定的な証拠にならない。本物の聖女だったティーギン様とて、この愚か者のせいで、亡くなる以前に聖水蛙を失ってしまっていたのだから。
野心家の神殿長は、この国だけでなく帝国の上層部とも頻繁に接触しているのだ。帝都新聞の社主まで味方につけてしまった。ティーギン様を悪し様に書き立てられるのは、耐えられない。
帝国シャスドゥーゼンフェの野望が潰えた訣でもない。アヴィガーフェとの小競り合いも相変わらずだ。
神殿が自国の民を欺き続けて目先の戦争を回避したところで、まともな聖女がいなければ毎年冬は過酷になっていく。
若い頃の自分なぞ、あの黒竜に喰われてしまえばよかったのだ。上司の腐った本性も、ティーギン様の思慮深さも、周りのことなど何一つ見えて無かったのに、自分ほど賢く優れた魔導士はいないと根拠のない自信で溢れていた。
嗚呼、本当に。なんと愚かだったのだろう。
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リーン……。
秋になり、万策尽きて、アルリーネの森へ戻った。
何度目かの戦でアヴィガーフェから奪ったこの土地は、今やヴァーレッフェの領地となっていた。
治めるのはルウェレンだ。土地持ちの竜騎士になぞならんと嫌がるのを、ワシへの報酬代わりとして無理矢理に手を挙げさせた。
村も無くなったというのに、どの季節に来てもここでは花が咲き乱れている。
冬の極寒の二箇月は流石に訪れたことがないので不明だが、その前後の冬の月でも小さな花が雪を被って咲いているのだから驚かされた。
「アルリーネ、今回は薄紅色の花だ」
王都一の園芸店お墨付きの苗だった。学院が長期休暇に入る度に、花の種や苗を買いに寄っていたら、最近は向こうから『これが綺麗な花が咲く』だの、『こっちは花持ちがいい』だの珍しいものを取り置いてくれている。
「春になると、小さい花が沢山咲くらしい」
昨年の春に、花が少なかった箇所へと植えておく。
一緒に来た聖獣は、今日も灰色猫の姿で秋の花の間を優雅に散歩していた。
高位の契約獣は、主が名前だけでなく姿まで与えることが可能である。その分の魔力を分け与えなければならぬが、要求されて断れる状況では無かった。
召喚直後の混乱の中で、咄嗟にアルリーネが押し付けられた猫の姿を思い描いてしまう。名前も同じ『ディラヌー』しか出てこなかった。
こうして眺めていると、あの猫が本当に蘇ったのではないかと錯覚しそうだ。竜の匂いなぞ気にしない肝の坐った猫だった。
そして、いつもアルリーネの後ろを附いて歩こうとする猫だった。
灰色猫の先に目をやれば、彼女がいるのではないかと探してしまう。
バサリ。急に影が射して、上空を見上げる。
赤い竜がこちらを目指して降りようとしていた。
「その竜を着地させるでない!!」
騎乗した人物の元へ、魔術で声をすかさず上げる。クランシィの魔杖を振り回し、降りようものなら攻撃すると警告した。
「グウェンフォール様? ど、どうしてこんなところに!」
「お前こそ、何故ここにいる」
「何故って、一応ここら一帯が領地なもんで」
地面すれすれまで降下した赤竜から器用に飛び降りたルウェレンが、困惑した様子で頭を掻いていた。竜にはきつい体勢だったらしく、すぐに上空へと飛んで行く。
「フェルンは竜の中の竜なんですから、着地しても花を荒らしたりしませんよ」
どんな竜だ。竜騎士の会話は時々よく分からない表現が混じる。
「ここ、いつ来ても花が咲いてますよね。妻も気に入ってて」
逢引の場に活用するな、罰当たり者が。
「この森には無暗に立ち入るなと言った筈だが?」
「だから領民にはちゃんと言い聞かせてますよ?」
「お前も含めてだ」
えー、と不満そうな声を上げる。
「ワシが植えた花だ」
どうも通じていないようなので、多少の権利を主張しておこう。
「そんなご趣味をお持ちとは」
「な訣があるか」
ここの手入れをするために、多少の知識は仕入れたが、趣味と呼べる程の技術は無い。
「ここは、墓なのだ……月に帰った妻の」
先ほどまで愛想笑いをしていた竜騎士が押し黙る。
『アタシ、月に帰るのがいいな』
アルリーネがそう言ったのだ。だから月にいる。どの色の月かは分からぬが、いつか必ず会いに行く。
シャリーン……。
また鈴の音だ。酷く心地良い。
「そうでしたか。奥方様はお幸せな方ですね」
ルウェレンが花の中で微笑んだ。竜騎士支給の物ではなく、領主が纏う真紅の凝ったマントが舞った。
上空を赤い竜が過ぎり、秋の風が吹き抜ける。
新たな『ディラヌー』は、灰色の尻尾をピンと立てて花の間を闊歩している。
アルリーネは今、どこだろう。