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第9話 春時雨と怪異日和 ⑥

 「法外な力を持つ、旅の魔術士って……」


 エイダンは、シチューをすすりながら考え込んだ。


「何か心当たりがあるのか?」


 ヒューが怪訝な顔でただす。


「心当たりって程でも……ただ、妖精でも人間でも、気まぐれに助けそうな、ごうげな魔術士っちゅうと」

「ああ、エイダンが前に言うとった……イニシュカ(うち)の温泉を湧かしたんかもしれんっていう、ええと、マジョーショーかいな?あの、歴史の授業とかにも出てきたやべぇ奴」


 キアランが口を挟み、ヒューはますます首を捻った。


魔杖将まじょうしょう――ヴァンス・ダラか?あれは北の魔物達の味方で、混沌を振り撒く邪道の魔術士だろう?まさか、人助けなど」


 世間一般の認識では、そういう事になっているらしい。


 イニシュカ温泉を湧かしたのがヴァンス・ダラではないか、という話も、村の中にさえ大して広まってはいないし、力説したところで、信じる者は少ないと思われる。


 実際にヴァンス・ダラに会った事のあるエイダンは、彼に対して多少、世間と異なる印象を抱いている。が、兎にも角にも、百年前の話だ。最早真相を確かめるすべもない。


「旅の魔術士が何者だったのかは、アルフォンスにも分からなかったようだ。その思念体である我輩も、あずかり知らぬこと」


 イマジナリー・リードがそう応じて、続きを語る。


「既に皆、察しておるだろうが……移住を計画したウンディーネと取引し、水の精霊の加護を得た人間の一族。これがリード家だ。当時は一介の平民ではあったが、比較的富裕な商家として、村落のまとめ役を務めていた。その男の名を、ポールという」



   ◇



 精霊の加護を得たポール・リードは、ごくひなびた集落しかなかったトーラレイ地方の、開拓に乗り出す。

 妖精を怒らせてはならないという不文律のもと、誰も立ち入ろうとしなかったイフト川上流域に分け入り、用水路をひらいて村落を潤した。


 これらの事業の成功により、一躍、彼は英雄となる。

 辺境の開拓者として、名声はシルヴァミスト政府にまで届き、遂には爵位を与えられた。


 正式にこの地方の代官となったポールは、トーラレイの港を整備し、イニシュカ島への定期船を置いて、島に別荘を設けた。ここでも、急流ラグ川の治水工事を行い、島民に歓迎されたと言う。


 ただし、ウンディーネとの取引の件は、一族に対してすら秘された。

 当時のシルヴァミストは、『妖精大乱』の戦火の影響も未だ残っていて、現在より妖精を忌避する風潮が強かった。

 ノームはまだしも、ウンディーネとの友好的な話し合いは難しいと考えられていたのだ。

 彼らと直接交渉し、その力を分け与えられて成り上がった、などと世間に知られれば、叙勲どころではない。『妖精狩り』を疑われ、逮捕もあり得る。


 ――トーラレイにかつて存在したと言われる水の妖精ウンディーネは、何故か、人知れず姿を消した。あるいは初めから、ここにはいなかったのかもしれない。過去の人間が、勝手に妖精の伝説に怯えて、勝手に不可侵の領域を作り出していただけなのだ。


 そういう物語が、リード家から人々に伝わり、やがてそれが事実とされた。


 順風満帆に思えたポール・リードの人生だったが、しかしある時、突如として、彼の身に不幸が降りかかる。

 ふとした弾みで、身体から煙が噴き上がるという、奇怪な症状に悩まされるようになったのだ。

 この症状は、ポールの子供達にも、孫にまでも引き継がれ、男爵家に付き纏う謎の呪いとして、今もなお一族郎党を苦悩させている――



   ◇



 「初代リードさんに、呪いの症状が出たんって、妖精との取引が成立したのと、同時じゃなかったんですか?」


 エイダンは手を挙げて質問した。

 イマジナリー・リードに代わり、ヒューがそれに答える。


「祖父の記録によると、そうだ。ポール・リードが、トーラレイ地方の開発に乗り出したのは二十代の頃だが、呪いが発現し、屋敷に篭りがちとなった時期には、四十を越えていた。それまでは、常に領内各地を飛び回り、寝る間も惜しんで働く人だったという」


 それから彼は、ちょっと顔をしかめた。


「俺の身にあの呪いが現れたのは、十四の時だった。最初は、剣を構えた時に、薄っすらと煙が出る程度だったが」

「だんだん酷くなってきた……?」


 ヒューは黙って首を縦に振り、肯定してみせる。あまり深く思い出したくない記憶らしい。


「アルフォンスが、初めて煙を噴いたのは、十歳になる前だったぞ。八歳か九歳か。当人がはっきりと覚えていなかったため、思念体の我輩も、曖昧にしか知らぬ」


 イマジナリー・リードが、淡々と言った。

 そういえば彼の『本体』アルフォンスは、持病の静養のために、ごく若くしてイニシュカ島で隠遁生活を送るようになったのだ、とエイダンは思い出す。

 何の病気だったのかは、今日まで知らなかった。ヒューと同じ症状に悩み、恐らく、島民には公表しないまま暮らしていたのだろう。


「発現時期に、人によって差があるんか……。呪いが表に出てきてしまう人に、共通点とかは?」

「確証はないが――」


 再び、ヒューがエイダンの質問に答える。


「俺の魔術は、火属性だ。魔道剣を使おうとすると、よく発現するので、属性のせいかとも考えた。大叔父は、どうだったか……」

「アルフォンスも火属性だ。呪術研究者としての才は、相当なものだったぞ」


 イマジナリー・リードが胸を張った。


「一族に付与された水属性の加護と、当人が生まれ持った火属性の加護。反発し合う二つの属性を得た事による、副作用……?」


 独り言めいた呟きを漏らしたのは、ハオマである。


「しかし、強化魔術の場合、属性が異なる者に付与したとしても、副作用までは起きません。相性の良し悪しはございますが」


 ハオマの得意分野は、地属性の強化魔術だ。

 他人の魔術を援護するならば、同じ地属性か、相性の良い水属性の方が、やりやすくはある、と彼は言う。

 ただハオマは、かつてエイダンの前で、風属性の『踊り』を強化した事もあった。あの時、誰も煙など噴いてはいない。


「うん……ほんじゃけど、支援強化魔術っちゅうのも、強力なら強力な程、でかい反動があるんよね。俺、強化バフ炊かれた後、何日か動けんくなった事あったし」

「貴方が無茶をした時の、あれですね」


「……エイダン、お前冒険者やっとった間に、また何かやらかしたんかい」

「もう身体を壊すような無茶したらいかんて、言うたいーね?」


 キアランとブリジットが、じろりとエイダンを睨んだ。

 とんだ藪蛇やぶへびに、エイダンは「ウヘェ」と首を竦める。


「過去にも似たような事がございましたか」

「おう。十四の時な、真冬に暖炉も焚かんと、夜中まで勉強しよって、大熱出して倒れた。ばーちゃん泣かしたらいかんぞと、俺からも言うたんに……」


「そ、その後は早寝早起きに切り替えたじゃろ!それより――どがぁかな。一族丸ごと、加護属性を()()()するような、規模のでかい魔術や契約があるんなら……そんなんが少しでもほころぶと、反動も凄いかもしれん」


「なるほど。あり得ない話ではございません。そもそもそのような魔術が、あり得ない程に並外れた所業ではありますが」


 やはりエイダンは、ヴァンス・ダラを思い浮かべずにはいられなかった。

 彼の使う魔術は、人智を超越する程に規模が大きい。だがその分、時として大雑把で、後年の反動を考慮に入れていなかったりする。


「ヒューにかけられている呪いを解除しようとした時、その糸口を見出せなかった理由も、理解出来ました。呪いではなく、加護だったのですね」


 いくら探っても、呪いの正体に繋がる音を聴き取れないのは当然だと、納得顔でハオマは頷く。


「そう、呪いではない……。これはあくまで、妖精との正当な取引の結果。本来人の身で得られるはずのなかった、多大な精霊の加護から来るものなのだ。そして現代を生きる、トーラレイ及びイニシュカの全ての人間が、この加護の恩恵にあずかっている」


 一同を見渡して、イマジナリー・リードは言った。


「それにしても、不可解だ。アルフォンス大叔父さんは、この島に篭ったまま、どうやって真相に辿り着いたんだ?」


 ヒューが真剣な眼差しを向けると、イマジナリー・リードは、あっさりと肩を竦めてみせる。


「それは簡単なこと。アルフォンスは、初代男爵、ポール・リードを直接知っておった」


 え、とヒューは、目を丸くする。

 ポールは、ヒューの四代前。アルフォンスにとっては祖父だ。会っていても、おかしくない年齢差ではある。


「ポールは、ウンディーネとの取引について、家族にも真相を語らなかったが……死の床にせった時、『呪い』が発現したばかりの、幼いアルフォンスを枕元に呼んだ。そして内密のうちに、一言だけ告げたのだよ。もし『呪い』を解きたいのならば、イニシュカ島のラグ川源流へ行けと」


「ラグ川?」

「源流ちゅうと、アンテラ山の灯台の辺りか……」


 ブリジットとキアランが、地元民らしく言葉を添える。イマジナリー・リードは更に続けた。


「そこに、ただ一人残っている。リード家と取引を行った、ウンディーネの血族がな。彼女は契約の履行監視者として、故郷に留まった者……そして、この『加護』の、解除方法を知る者だ」


「なぁっ!?」


 ヒューがった。バロメッツの干し団子が喉に詰まったのか、しばらくむせる。


「ほんじゃあ、アルフォンスさんはさっきの話を、妖精ウンディーネから……?」

「その通りだ。ウンディーネから直接、全ての真相を告げられた。イニシュカでの隠遁生活を始めて、間もなくの事だ」


 エイダンの問いかけを、イマジナリー・リードは、目を閉ざして肯定した。


「何故、本家に知らせなかったんだ!?一族を救う方法を目の前にしながら!エイダン、ラグ川源流とは、相当に遠いのか?危険な場所か?」


 今にも出発しそうな勢いで椅子を蹴立て、ヒューはエイダンへと顔を向ける。


「……山の上の方は、たまに魔物モンスターが出るけん、一人では登ったらいけんと言われますけど」


 とはいえ勿論、前人未踏の魔境などではない。

 先程キアランが言ったとおり、山頂には灯台がそびえ建っているし、つい先日もエイダンは、村の男達と数人でラグ川上流に行き、イニシュカ温泉の湯船に使う、岩石を採集してきたばかりだ。


 しかしアンテラ山の地理の説明よりもまず、エイダンには言うべき事柄があった。

 彼は、イマジナリー・リードに向けて静かにこうべを垂れる。


「アルフォンスさんが、一族の『加護』を解かんでおいたのは……その話を、マクギネス先生にも、誰にも打ち明けられんだったのは……村の皆のこと、考えてくれたけん、ですよね」


 ヒューも、それで察したらしい。はっとした様子でイマジナリー・リードを見つめた。


「さてな、一体誰を思っての事だったのか。どうあれ、真相を知ったアルフォンスは悩んだ。一族が解放されれば、精霊の加護も失われる。その時、この地に何が起きるのか。それはウンディーネにも分からなかった。無論、アルフォンスに予測出来るはずもない。川が干上がるか、溢れるか、淀んだ魔力から魔物が生じるか……」


 『加護』から解き放たれる方法があるのならば、試してみたい。

 しかしそれは、治水によってようやく豊かな生活を得られた、辺境トーラレイと、離島イニシュカの人々を、見捨てる決断となるかもしれない。

 アルフォンスには、選び取れなかった。リード家に仕え、同時にイニシュカ村を愛した、侍女ソフィア・マクギネスに対しても、とても告げられる事ではなかった。


「我が『本体』は、結局決断しかねたまま、イニシュカで一生を過ごした。やがて彼は病に倒れ、自身の死期を悟り……ラグ川の源流に棲まう最後のウンディーネを、今一度頼る事にした。『加護』を解除するためではない。抱え続けた秘密を、次代の誰かに伝えるために」


 ラグ川のウンディーネは、かつて西の大陸に旅立つ際に仲間達が使った、航海用の魔術を知っていた。

 ガラスの船に、生地せいちの水域の魔力共々、自らを封印し、長旅に耐えるための術である。


 生物としての成り立ちが違うため、その魔術は、人間に適用する事の出来ないものだったが、研究と改良の結果、アルフォンスの持つ知識と記憶の一部、それに、合言葉を一つだけ、ガラス球に封じる事に成功した。


「合言葉?」

「ラグ川のウンディーネを、呼び出すための呪文であるよ。彼女は普段、川底で眠りに就いていて、人が源流まで分け入って来ても、いちいち迎え出たりはせんのでな」


 そうして、ガラス球に封じられた存在。それがイマジナリー・リードだ。


 本来の計画では、アルフォンスの死後、適切な機会を測って、封じられた思念体を目覚めさせ、リード家に真実を伝える役割を、誰かが担うはずだった。

 ところが、イマジナリー・リードを完成させた直後、アルフォンスは力尽き、誰にもガラス球を託す事なく、この世を去ってしまう。

 結果として、十六年後に偶然雨水を浴びるまで、イマジナリー・リードは、『男爵文庫』の奥で眠り続ける事になったのだ。


「我輩の託された遺言は、これが全てだ」


 イマジナリー・リードは、閉ざしていた目を開き、食卓の上で緩やかに両手を組んだ。


「この身は、所詮生命を持たぬ者。決断までは託されておらん。この先の事は、ヒュー……リード家直系たるお前が決めると良い」


 ヒューは、浮かせていた腰を再び、どさりと椅子に落とし、祈りの言葉を呻いた。


「ああ、そんな……精霊王ユザよ、我が脳裡に秩序と文明を」

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