第26話 トーラレイの暁 ①
イフト川が平地を潤し、海へと流れ出すその入り江に、港街トーラレイは築かれている。
街の南側の最奥部、小高い丘の上には、この地の代官、トーラレイ男爵リード家の邸宅がそびえ立っていた。
一方、街の西の端にあたる港のそばには、ちょっとした市場通りがある。アンバーセットの蚤の市通り程の規模ではないが、通りはなかなかの活気を見せていた。
「そういや、温泉で使うとる湯桶を新調したいんじゃけど、採算から見て難しゅうてね」
古道具屋を眺めつつも通り過ぎて、エイダンは呟く。
「イニシュカ温泉って、島外のお客さんとかは、よく来んさるん?」
隣を歩くロイシンが訊ねた。
「んー、あんまり。湯船が小っこいけん、混み合い過ぎて、ほんまに体調悪い湯治の人が入れんようになっても、やれんかなって思うし」
「難しいところじゃねぇ」
隣を歩きながら、考え込むロイシンの横顔を、ふとエイダンは見つめる。
ロイシンは両親が島外出身なので、本来、イニシュカ訛りはあまり強くない。ただ、エイダンや村の友人と話していると、こうして良く、つられて訛るのだ。
ずっと昔から知っている事なのに、それが不思議と今になって、好ましく、とても可愛らしい事のように思える。
――おかしい。何か妙だ。
不意に、こちらを振り向いたロイシンと目が合って、エイダンは慌てて視線を逸らす。ロイシンの方も、同時に顔を俯けたような気配があった。
――何故だか、ロイシンとの会話に緊張する。この間マクギネス家で再会して、誕生日を祝われて以来、ずっとだ。
久しぶりの対面で、会話の仕方を忘れたのだろうか? しかし、同じく親友のキアランとは、村に帰った直後から、まるで昨日の続きであるかのように、他愛もない軽口を叩き合えた。
キアランもロイシンも、どちらも兄妹同然に育った仲だ。訳もなく態度を変えるような真似は、良くない……と思われる。
「お誕生日、どうだった?」
「えっ、ああ、ばーちゃんがな。あんずパン焼いてくれて、美味かった」
「あ、それわたしも好き。前にエイダンちでお誕生日会した時も、ブリジットおばあちゃんが焼いてくれたよね」
「なぁ、あれ美味いよな」
「シェーナさんとフェリックスさんが、この街で誕生日プレゼント選んでくれてるんだっけ?」
「そう言うてくれたんじゃけど……考えてみたら、フェリックスさんに給料払っとるの、今俺だわ。しかも、大して出せとらん」
現在フェリックスは、イニシュカ温泉で魔術の修行を兼ねて働いているのだが、この施設の維持費は、エイダンが管理している。
その維持費の元手となったのは、エイダンが冒険者兼風呂屋として、アンバーセットの街でせっせと働いて貯めた資金だったりする。更に元を辿ると、エイダンが貯金に励んだのは、彼の魔術学校入学のための学費を村の人々が出してくれたので、それをそっくり返すためだった。
「だけん、あんまり財布に余裕ないじゃろうし、プレゼントだとか、無理せんでもええんじゃけども」
「ええ人らじゃねぇ」
「うん、ほんまに」
照れ臭くなって笑うと、ロイシンもにっこりと微笑みかける。
――エイダンの心臓が跳ねるくらい、その笑顔は魅力的に見えた。やはりおかしい。
「マ、マディさん、早う着かんかなぁ。あの人も、頼りになる治癒術士なんよ。ロイシンにも会わせたい」
エイダンはぎくしゃくと、街の端へ首を向ける。
丁度その時、東の街道側から荷を運んできたらしい、若者達の会話が聞こえてきた。
「なあ、あれ見たか? 街の入口に来とる変な馬車」
「見た見た! しかも、乗っとるんも変な連中だがぁ?」
「なんよ、変な連中て」
「金持ちっぽいオッサンと、冒険者っぽい弓持った女と、あと東洋人かいな、ありゃあ?……それに、お洒落なトカゲと、ガラス球抱えた鳥」
「そらぁ……変だわ……なんそれ……」
トーラレイ訛りのその若者にとって、友人の証言は想像を超えたものだったらしい。荷降ろしの手を止めて、首を捻っている。
「エイダン、今の話……ガラス球ってひょっとして」
ロイシンが小声で言い、エイダンも頷く。
「弓を持った冒険者風の人ちゅうんも。マディさんかもしれん。妖精さんらと、合流出来たんかな?」
他にも、謎めいた人物が複数同行しているらしいのは気になったが、ともあれ二人は市場散歩を中断し、街の入口へと急いだ。
街の入口には、一緒にトーラレイに来た仲間達が、既に集まっていた。
シェーナにフェリックス、ハオマ。ヒューは、イマジナリー・リードの入ったガラス球を小脇に抱えている。
行商のデイジーも、ヒューと共にこの場に来ていた。そしてロイシンも、亡き母に代わり、またイニシュカ村の住民として、本件を見届ける事になったのだ。
共用の厩舎前に、懐かしいマディの姿を見つけ、エイダンは手を振った。
「マディさん!」
「エイダン! 君も来てくれたのか。元気そうだな」
マディが笑顔で、エイダンの肩を叩く。
「マディ殿、やはり浄気自動車は、こちらには停められぬようでござる」
「別に危険はないんだがなあ。ちょっと嵩張るだけで。幌を掛けて、目立たない所に引っ込めとくしかないか」
厩舎から、困り顔の男が二人ばかり出てきた。
一人は極東の民族衣装をまとい、眼鏡をかけた、二十歳そこそこの若者。今一人は、洗練された薄手のコートに帽子を身につけ、ステッキを携えた、いかにも都会の上流の紳士といった風貌の男。
「ようやくどうにか、目的地に着いたってのに。走らなくて困ったかと思えば、今度は停められなくて困るのかよ!」
「シャッシャ、新しい技術にトラブルは付き物ですよ、アイザスィース」
「新しい技術っつーけどよ。途中で浄気機関が故障して、半分くらいは馬に引っ張って貰ったんだから、これもう馬車だろ」
二人の男の後ろから、言い合いながら現れたのは、ガラス球を抱えた、鳥のような蝶のような生き物と、小洒落た服装のピンク色のトカゲである。
「彼らが、妖精か? 良かった、僕の送った伝書蝶を読んでくれたんだな」
フェリックスが安堵の表情を見せる。
「ああ。多少トラブルはあったが、こうして合流したぞ。……何か事情があると見たが」
マディが一堂に会した面々を見渡し、まずは全員が、自己紹介をする流れとなった。
◇
「フェザレイン鉄道株式会社の、エドワーズ社長……!?」
まずエイダンは、そこに驚かざるを得なかった。
決して世情に明るくはないエイダンだが、世界初の旅客列車運行を成功させた、鉄道会社の名前くらいは知っている。
「エイダン・フォーリーくんか。君の話は道中、マディから少し聞いたよ。平民の生まれで、しかも離島から出てきて、サングスター魔術学校に合格したとか。僕も平民出でね、あそこの卒業生だ」
「そうなんですか! じゃあ先輩……いや、俺は退学してしもうとるから、後輩とはちょい違うか……」
「はっは。何でも、珍しい治癒術を使うんだって? サングスター校も惜しい事をしたもんだ。在校中、時々画一的な授業に不満を覚えたりもしたが、それが悪い方向に転んだな」
エイダンとエドワーズが盛り上がる横では、フェリックスとホウゲツが、お辞儀をしたり握手をしたりしている。
「貴殿が、錆納戸小宵の一番弟子、フェリックス・ロバート・ファルコナー殿……! お会い出来て光栄にござる!」
「こちらこそ。故郷にいた頃の先生を知る人に会えて、嬉しいよ。詳しく話を聞きたいが……ヒュー・リードさんの用事が先かな」
「そうさせてくれるか?」
ガラス球を持ったヒューが、アイザスィースの抱えたガラス球の前に進み出る。
双方のガラス球の中から、イマジナリー・リードと、ウンディーネが出現した。
「はぁ……なんか、注目浴びちゃってて、やりづらいんだけどぉ……ワナ・ル・ゼトレッツァでぇす……」
ヒレの片方を小さく上げて、ワナ・ルは気怠げな仕草で、皆に挨拶をした。
ウンディーネの姿を初めて見るエイダンは、その美しくも不可思議な造形に、我知らず目を瞠る。
「ウンディーネって綺麗じゃなぁ。ラグ川のウンディーネさんも、あんな感じの人なん?」
こそりと、近くに立つロイシンとシェーナに問いかけると、二人は同時に首を縦に振った。
「うん。メイ・マ・セダヤッタさんにそっくり」
「ノームもそうだけど、あたし達に妖精の個人差を見分けるのは難しそうね」
ワナ・ルの正面には、イマジナリー・リードが浮かび上がった。彼は妖精達に向けて、貴族然とした振る舞いで一礼する。
「ワナ・ル・ゼトレッツァ。我輩はメイ・マ・セダヤッタ達によって創り出された、遺言用思念体。君がこの街に立ち寄ってくれて、助かった。直接イフト川の上流域に潜っていたなら、探し出すのは困難だっただろう」
「あたしは、別にどっちでも良かったんだけどぉ……アイザスィースとジゴドラは、観光旅行中だし。それに、あの馬車じゃ山奥の上流までは行けないからさぁ……」
「馬車じゃなくて自動車だ」
「実質馬車だっつの」
エドワーズがむすっとして口を挟み、アイザスィースの反論を受ける。道中何やら、移動手段に関するトラブルが起きたようだ。
「えぇっと、あたしに何か、用事なわけ?」
「そうなんだ。というより、ただ話を聞いて貰いたい」
ワナ・ルの質問に、ヒューが頷いた。
「実は今日、もう一人、この場に人を呼んである。出来れば、彼女が来てから始めたいが……」
「それは、わたくしの事ですね?ヒュー」
突如、後方から張りのある声が上がり、全員がそちらに視線を向ける。
「姉上。お久しぶりです」
ヒューが爪先を揃え、背筋を伸ばして呼びかけた。
遥か先の丘の上に建つ、男爵家の邸宅を背景にして、数名の侍従を従えた女性が、エイダン達の視線の先に立っていた。
ヒューのものとよく似た、水色がかった癖のない髪。怜悧な印象を抱かせる、涼やかな目元。女男爵がしばしば身にまとう、華やかながら機能性の高いローブ。腰の左側に紋章の付いた短剣を挿し、一歳くらいの子供を胸元に抱き上げている。
大通りを行き交う街の人々もまた、彼女に注目し、貴人に対する敬意を表しつつも、何事かと興味津々の表情で、一行を取り巻いていた。
「お初にお目にかかる方が多いようですわね。わたくしは、レイチェル・リード。こちらは、息子のニコラスですわ」
彼女は、抱き上げた子供の頭を軽く撫でてから、集まった面々に会釈した。
「弟であるヒュー・リードの手紙に応じ、本日、トーラレイ男爵代行として、この場に参りました」




