第20話 ベアキラーの帰還 ⑧
「ほんじゃ、フェリックスさん達はトーラレイに行っとんさるんね」
治療院からの帰り道を、シェーナと並んで歩きながら、エイダンは港の方角に軽く首を伸ばした。
もう日暮れ時だから、本土とイニシュカ島を結ぶ定期船は、最後の便が出港済みだ。フェリックスとハオマは、あちらの港に宿泊するしかないだろう。
「そうなの。上手くマディに連絡出来てると良いんだけど」
「マディさんも、元気にやっとんさるとええな。みんなで会いに行こうっちゅう話だったがぁね?」
そう、折角の再会のチャンスなので、シェーナとエイダンもトーラレイに赴こう、という話になっていたのだ。
ハオマも来ているのだから、丁度良い。数ヶ月前、ヴァンス・ダラを巡る騒動の中で、パーティーを組んだヒーラーの面々が、もう一度集まる事になる。
「今回の件も、どうにかしてスッキリ解決すると良いわね」
「ヒューさんなら、きっと大丈夫じゃって」
エイダンはヒュー・リードと、何がしかの信頼関係を築いているらしい。
彼がそう言うのならば、とシェーナは納得しかけたが、考えてみるとエイダンには、時折心配になるくらい、お人好しな面があるのだった。
ヴァンス・ダラと、シルヴァミスト正規軍の戦いに巻き込まれた時もそうだ。不当に監禁され、死んでもおかしくないような目に遭わされたのに、エイダンときたら、
「そんな悪い人らでもなかったがよ」
と言って、すっかり水に流してしまっている。
珍妙な報道被害を受けただけのシェーナの方が、余程カンカンに怒ったくらいだ。
そのうち、悪徳貴族か悪徳商人にでも騙されやしないかと、年長の友人として、シェーナは気がかりである。尤もイニシュカ島には、そうそう大悪党など出没しそうにないが。
――悪党ではなく、熊退治の英雄であれば、本日帰還している。
ふとシェーナは、ロイシンの事を思い出した。
アンテラ山に登った事を、村人にはしばらく内密に、という約束があったため、エイダンには彼女の話をしていない。ディランから聞いていなければ、帰省の予定も知らないはずだ。
「トーラレイに行くんじゃったら……ああ、明日あたり、ディラン師匠ん所に顔出そうかな」
急に、思いついた様子でエイダンがそんな事を言い出すので、思考でも読まれた気分になって、シェーナは焦った。
「えっ?な、なんでまた?」
「村の外に遠出するんは久しぶりだけん、身体が鈍っとるかもじゃろ。師匠に、棒術の型を見て貰おうかなぁて」
日頃、庭で穫れた野菜のお裾分けくらいのちょっとした用向きで、ディランの家によく立ち寄るエイダンであるから、不自然に狼狽えたシェーナを、不思議そうに見つめた。
「ううん、なるほど。えーと、良い心掛けね」
シェーナは笑って誤魔化す。同時に彼女は、頭の中で、これはすぐにでもロイシンに報せなければ、と算段を立てつつあった。
◇
果たして――翌日、予告どおりにエイダンはマクギネス家を訪れた。
「ごめんくださーい」
自室で寛いでいたシェーナは、庭向こうのディランの家の方から、そんな声が聞こえてきたので、小窓を開ける。
戸口に立つエイダンを、ロイシンが笑顔で迎え出たところだった。
「エイダン!」
「あれっ、ロイシン! 帰っとったん?」
驚きながらも、エイダンは「久しぶりじゃなあ」と和やかな口調で声をかける。
「久しぶり。入って入って! お父さんもいるから」
ロイシンがはしゃいだ声を上げ、二人の姿は家の中に消えた。
――再び、エイダンが玄関に現れたのは、小一時間後の事である。
これ以上の出しゃばりは、と思いつつも、退出の挨拶と物音を聞きつけたシェーナは、つい庭に面したドアを開け、顔を出してしまった。
「やあ、シェーナさん……」
と、シェーナを見てエイダンは片手を上げたが、何やら、その表情がボンヤリしている。
彼はもう片方の腕に、蝋引き紙の包みを抱えていた。マクギネス家の庭に生えている花と蔓が、リボン代わりに結ばれている。
昨日、ロイシンがせっせと茹でては固め、状態を整えていた、熊油だろう。
やはりというか何というか、ロイシンが誕生日プレゼントを贈ろうとしていた『大事な友達』とは、エイダンの事であった。
「なんかな、師匠に棒術を見て貰うんは、また今度になってしもうた」
「みたいね。ところでエイダン、今日、十八の誕生日なんだって?」
しれっと問いかけるシェーナに、エイダンは目を瞬かせた。
「うん、今お祝いされて……ロイシンから聞いとったん?」
「フフフ、実はそうなのよ。おめでとう! 時間がなくて、あたしからはお祝いを用意出来てないんだけど……そうね、トーラレイで何かあげよっか」
「あ、いんや、お構いなく」
エイダンは遠慮して手を振ってみせたが、未だ、心ここにあらずといった顔つきだ。
「……どうかしたの?」
シェーナが間近まで歩み寄ると、エイダンは蝋引き紙の包みに視線を落とした。
「なんちゅうか……ロイシンに会うの、ほんま久しぶりだったがぁけど……あんな感じじゃったかなって」
「あんな感じ?」
エイダンは、答えを探るように癖のついた後ろ髪を掻き混ぜてから、ぼそぼそと零す。
「うーん……上手く言えん」
「ひょっとしてさ。『綺麗になったように見えた』とか?」
「あっ。それかも」
急にすっきりした様子で顔を上げるエイダンに、シェーナは正面から呆れ返った。
「それ、本人に言ってあげた?」
「いんや?」
「もぉー!」
いっそ憤りに近い気分で、盛大な溜息を吐くシェーナである。
「んーな、いきなりそがぁな事、よう言わんよ! 別に、どこがどう変わったっちゅうんじゃなぁし。あ、でも髪は……あれ? 昔は結んどったかな?」
「駄目だわ、あんた」
「ええー?」
唐突に駄目出しをされて、エイダンはいささか情けない顔つきになった。
彼がサングスター魔術学校の入学試験のために、イニシュカ島から旅立ったのは、二年前の夏のこと。以来今日まで、ロイシンとは顔を合わせていなかった。
つまりその間に、十五歳だった少女が、十七になったのだ。変貌も遂げるというものだろう。
エイダンも、丸一年前にシェーナと出逢った頃は、まだ子供っぽい顔つきで、背丈もシェーナとほぼ同等だった。現在は、僅かながら高い位置まで伸びて止まっている。
「十八だものね……いや、十八なのにねえ……前途多難……」
「なんが?」
「何でもない」
この様子だと、ロイシンは自分の本心までは、エイダンに打ち明けていないと見える。エイダンは、ただ折良く帰省した幼馴染みから、誕生日を祝われただけだと思っている風だ。
昨夜、熊シチューをつつきながらロイシンが語ったところによると、彼女とエイダンは、どちらもおむつをしていた頃からの顔見知りだそうだ。
小学校時代には、成績で負けたくなくて、張り合った事もあったという。結局、博物学以外では勝てたためしがない、と残念そうに彼女は言うのだが、格闘面であれだけ勝っていれば、お釣りが来るレベルではないかと、シェーナとしては思う。
とにかく、学校で机を並べ、勉強を教え合ったりするうちに、ロイシンとエイダンは、良き友人となった。
母・ソフィアの死ののち、エイダンが治癒術士になる強い決意を固めたのを見て、気持ちの沈んでいたロイシンは励まされた。そして自身も、漠然としていた薬草師の夢を本気で叶えようと、エイダンを追うようにして村を出たのだ。
修行期間を終えたら、村で薬草師として店を構えるつもりだという。
彼女にとってエイダンは、幼い頃からの友人であり、憧れであり、母の死から立ち直らせてくれた――いや、共に立ち直ろうと前を向き合った仲間でもある。
揺るぎない好意を抱くようになるのも、理解出来るところだった。
ちなみに、一人娘がそんな話をするのを、ディランは沈黙を保ったまま、複雑な顔で聞いていた。
どこの馬の骨とも分からない輩よりは、自分の弟子で妻の教え子でもあるエイダンの方が、娘の想い人として安心出来そうなものだ。
が、それはそれとして、熊肉の滋味を味わうどころではない心境も、まあ理解出来た。
「でも悪いなぁ。これ、熊油じゃって。グレンミル薬草園からも、なかなか取り寄せられんような高級薬品を、こんなに」
ボンヤリ状態から大分立ち直ったのか、エイダンは改まった口調で、プレゼントを有り難がる。
「ロイシンは、ええ薬草師になるって前から言うとったけど。やっぱり立派にやっとるんじゃな」
「そういう言葉は、かけてあげられる訳ね……」
シェーナは、再び浅く溜息をついた。
基本的にエイダンは、他人を助けるにせよ、褒めるにせよ、励ますにせよ、捻くれた所がなく、素直に行動する。友人とするには良い男だ。――友人とするには。
家の中でどんな会話があったのか分からないが、恐らくロイシンは一喜一憂しどおしで振り回され、ディランは黙りこくったままハラハラしていたのだろう。
「どうかしたん? シェーナさん」
「何でもないってば。さーて、マディの歓迎準備もしなくちゃね」
「そうじゃな!」
エイダンは、旅支度だと言って張り切り、熊油を抱えて家に帰って行った。
◇
「笑って下さい。言えなかったんですよ、彼が特別に好きだって……」
自棄酒ならぬ自棄ハーブティーのマグを、テーブルの上に置いて、ロイシンはがっくりと肩を落とす。
マクギネス家の庭園である。
ディランは村の寄り合いで遅くなりそうだからと、ロイシンに夕刻のお茶に呼ばれたシェーナは、庭の小さなテーブルで、オリーブとイワシのパイを摘まみながら、遂げられなかった告白の顛末を聞かされていた。
「まあ、ほら、ディランさんもその場にいたんでしょ? それはお互い、緊張するんじゃない?」
突然『娘さんとの交際をお許し下さい』のシチュエーションに持ち込まれては、エイダンにとっても酷というものだろう。
「でも、二人きりになったら、もっと緊張して何も話せなくなりそうで」
聞けば子供の頃、ロイシンがエイダンと遊んだり、勉強したりしていた時には、大抵、キアランをはじめ共通の友人と一緒だったそうで、二人きりになった記憶はほとんどないと言う。
エイダンも随分なものだが、ロイシンもかなりの奥手だ。今日日、侯爵家の娘ですらもう少し奔放なのではないだろうか、とシェーナは、お茶のお代わりをマグに注ぎながら考えた。
「あたしの見立てではね、脈はあると思うの」
「ほ、ほんとに?」
ロイシンの成長ぶりに見惚れたまま、マクギネス家を出てきた直後のエイダンときたら、あの癖毛と同じくらい頭の中までフワフワになっていた――と言ってしまうと、彼に好意を持つロイシンが気を悪くするかもしれないので、適当にオブラートに包み、それを明かす。
「だから自信持って、ガンガン行っちゃえばいいのよ。ああいうタイプは」
「そうかしら。積極的になり過ぎて、はしたないなんて思われたりしないかしら」
不安げな顔で、頬を手挟むロイシンである。
「……ところで、話は変わるんだけど。前回、村に現れたヴラディベアを追い払った時、エイダンはいたの?」
「ええ、いましたよ。よく覚えてます。丁度、エイダンは酷い風邪を引いて寝込んでて……熊肉は精がつくって言うから、何とか仕留めようと思ったんですけど。その時は逃がしちゃったんですよね。四年前だから、わたし十三でした……。未熟だったわ」
「な……なるほど、今回四年越しの念願を果たした訳ね……」
風邪で寝込んでいるエイダン少年の元に、仕留めたての熊を持参し、解体してシチューを作ったとしても、相当に積極的だと思われたかもしれない。積極性の方向が、シェーナの意図する所とやや異なっているが。
「はぁ……こんなんじゃ駄目だなあ、わたし。肝心な時に臆病で」
「勇敢だと思うけどなあ――」
悩みも回答も、どこかずれた恋愛相談を続けながら、シェーナはアンテラ山の向こうに、ゆっくりと夕陽が沈んで行く様を眺める。
イニシュカ村は、相変わらず平和だ。誰もがこのささやかな平和を、少しでも長く守りたいと、そう思って暮らしている。
ヒュー・リードも、エイダンも、きっと目の前のロイシンも。
そして今や、シェーナもまた、この村を守りたいと切に願う一人なのだった。
「ベアキラーの帰還」はこれで一段落です。
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