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第19話 ベアキラーの帰還 ⑦

 フェリックスとハオマは、先に山を下り、取り急ぎ、港へ向かった。今からならば、トーラレイ行きの午後の便に、何とか間に合うはずだ。


 シェーナとロイシンは、ヴラディベアを『処理』してから山を下る事になった。

 大型魔物(モンスター)の死体を放置して、腐敗させても衛生上危険だし、いつかのように、腐肉食スカベンジャータイプの別の魔物を呼び寄せる場合もある。


 ロイシンは――これも薬草師の修行の中で身につけたのか、それとも父親から伝授されたのか――実に、解体の手際が良い。いくらもしないうちに、ヴラディベアの骨は山中に埋葬された。

 有用な部位は、山頂の灯台で荷運び車を借りて、村まで持って帰る事になった。


 イニシュカ島では、獣肉が貴重らしい。山の裏手に牧場はあるが、そこでは主に、乳製品や鶏卵、羊毛を出荷している。伝統的に、海産物で栄養を補ってきたのだろう。


 そういえば、アンバーセットにいた頃、エイダンがシェーナの食べているローストポークを見て、「それ、この辺の名物料理なん?」と不思議がった事があった。

 彼は肉料理といえば、挽肉のパイか端肉のシチューか、ソーセージくらいしか知らなかったそうだ。一切れあげたら、肉の味にひっくり返る程感動していた。



「今日は本当にありがとうございました。シェーナさん」


 山のふもとまで下ったところで、ロイシンはシェーナに謝辞を述べた。


「母の生前の心残りを解消する場に、少しでも立ち会えた事が嬉しいですし……こうして、プレゼントも持ち帰る事が出来ました」

「友達へのプレゼントって、やっぱり――熊肉にするの?」

「お肉は、近所の人に配ろうかな。彼なら、熊油の方が喜ぶと思います! 新鮮なうちに湯煎ゆせんしないと!」

「うん……そうね……」


 シェーナは、荷車の上の熊の生肉と、切り分けられた脂肪が、リボンをかけられ、ラッピングされている様を想像した。

 ……まあ、治癒術士ならば、喜ぶには喜ぶだろう。熊油は、万能塗布薬と言われる貴重品だ。


 こうしてシェーナは、ロイシンと熊肉に別れを告げた。

 そうは言っても、また今夜、マクギネス家で顔を合わせる事になるのだろうが。ディランが驚きそうだ。



   ◇



 一人になったシェーナは、タウンゼンド治療院に足を急がせる。

 そこに、ヒュー・リードという男爵家の人間がいるはずだ。ハオマとフェリックスに代わって、事の経緯を説明しなければ。


 治療院のドアノッカーを叩くと、すぐにエイダンが顔を出した。


「あれ、シェーナさん。こんちは、いらっしゃい」


 相変わらずの、呑気な声が上がる。

 シェーナからすると治癒術士の大先輩にあたる、オーウェン・タウンゼンドには、村に来てすぐに挨拶を済ませた。今では時に仕事を手伝ったり、見学したりもしている。だから、ここに勤務するエイダンの応対も、慣れたものだった。


「ちょっとお邪魔するわね、エイダン。実はさ……ヒュー・リードさんに伝える事があるのよ。ここにいるって聞いて」

「え? ヒューさんに?」

「色々あって、あたしも関わる事になったの。ハオマの受けた依頼に」


 ぽかんとするエイダンだったが、「とりあえず、立ち話もしわいけん」と、彼はシェーナを中に通した。


 村で唯一の治療院とはいえ、さほど大きな建物ではない。

 廊下の手前側に、診察室の扉がある。エイダンとシェーナは、そこを素通りして、奥の扉を開けた。

 こちらの部屋には、二台ばかりベッドが置かれ、一応入院出来る設備が整っている。

 そのベッドの一つに、顔色の悪い青年が、毛布にくるまり、横たわっていた。

 どういう訳か、行商の娘、デイジー・エディソンが、ベッド脇で彼を見守っている。見舞いだろうか。


 ドア近くの椅子には、オーウェン・タウンゼンドが腰掛けていた。


「ん? 何だ、キッシンジャー君か。急患でも出たのかね?」


 タウンゼンドは、手元のノートから顔を上げ、これまた相変わらずの、落ち着き払った低い声音で問いかける。


 細身で面長。七十歳間近にしては、若々しい外見だ。

 この村では珍しい、シルヴァミスト標準語を使う人物で、恐らく都市部の中流階級辺りの出身なのだろうが、素性ははっきりしない。しかし対疾病の、水属性治癒術士としての腕は確かで、村民から信を置かれていた。


「いんや、タウンゼンド先生。シェーナさんは、ヒューさんに用事があるんじゃそうです」

「……俺に……?」


 それを聞いて、ベッドに横たわっていた青年が、のろりと身を起こした。状況から予想出来たが、やはり彼がヒュー・リードらしい。


「ヒュー坊、大丈夫なん?」

「ただの腹痛だよ。大分良くなった」

「ふむ」


 ヒューを気遣うデイジーの横合いから、タウンゼンドが彼の顔色を観察する。


「朝よりは、顔色がましになったが……まだ痛み止めの治癒術は必要だろうか?」


 そこでタウンゼンドは、手にしたノートをエイダンの方に向けた。


「フォーリー、ここで基礎問題の再確認だ。水属性・風属性の痛み止め術をかける際に、留意すべき点は?」


 急に話を振られたエイダンは、僅かに戸惑ったものの、そう間を置かずに回答する。


「えっと、効き過ぎると患部以外の感覚も鈍うなるけん、転倒や物を取り落とすのに注意させる。運動や乗馬は三時間禁止。『重ねがけ』する場合は、四時間以上の間を空けてから。あと、支援魔術と併用したらあかんです」

「地属性の場合は?」

「地属性治癒術は、あんまり痛み止めの効果がたこうなくて、体内の悪いもんを出すために、嘔吐おうとや排泄をうながしたりもするけん、場所と状況に気をつける……」

「よろしい」


 自身の研修生であるエイダンとの問答に、タウンゼンドは満足した様子で頷いた。


 今述べられた知識は、魔術学校に入れば習える内容だ。しかしエイダンは、サングスター魔術学校に合格したものの、最初の課題から先に進めず、半年で退学になってしまったと聞く。

 恐らく、治療院に勤めながらせっせと勉強しているのだろう。タウンゼンドは、例え幼少期から見守ってきた相手でも、実力や知識の不足した治癒術士に、医療業ギルドへの推薦状を書いてくれるタイプとは思えない。


「え……そうだったのか。以前、森の中で腹痛を起こした時、ハオマに地属性治癒術を頼んで断られたんだが」

「あらら。彼の事だから多分、トラブルになっちゃったんじゃない? 言葉が足りなかったりして」

「な、何故君がそれを知っている!?」


 驚くヒューに、シェーナは苦笑した。


「多少、付き合いがね。ハオマも相変わらずだわ」


「『痛み止め』と簡単に呼ばれるが、痛覚軽減を正しく使いこなすのは難しい。君は正規軍にいたそうだが、その頃の感覚で市井の術士に頼むと、災難を招きかねないぞ」


 肩を一つ竦めて、タウンゼンドがヒューに説く。


「ところで、エイダンの治癒術は、腹痛には効きづらいの?」


 ふと、シェーナは疑問を口にした。

 エイダンの得意とする火属性治癒術は、浄化、解呪、解毒と、多岐に渡る効能を誇る。その上、闇の魔術による負傷にも有効なのだ。研修中の身にしては、破格の使い手と言える。

 しかしエイダンは、決まり悪そうに後ろ髪を掻いてみせた。


「まだ肌寒い時期だけん。風呂に入れなぁいけん俺の治癒術を、腹痛とか発熱とかには、あんまり使わん方が……」

「ああー……」


 闇の魔術による傷を癒やす事は出来ても、湯冷めはどうしようもない。世の中、万能の技術はなかなか存在し得ないものだ。


「ほんで、シェーナさん。言伝ことづてちゅうのは?」


 エイダンが癖毛を引っ掻き回す手を止めて、シェーナを見つめた。


「いけない、そうだった」


 シェーナは我に返る。つい、目的のヒュー・リードを教材にして、治癒術談義に入ってしまっていた。


「お仕事絡みの込み入った話なら、うち、外に出とこうか?」


 と、デイジーが気を利かせる。


 込み入り具合はともかく、リード家の抱えた事情については、言及しなければならなくなるだろう。シェーナが返答に迷っていると、ヒューの方が先に首を振った。


「いや、デイジー。どうか君も、一緒に聞いて欲しい」

「――そっか。うん、分かった」


 ヒューとデイジーは視線を交錯させ、ほんの短い間、ベッドの上に置かれた互いの手を、触れ合わせる。

 シェーナは、少しばかり丸く見開いた目を、慌てて明後日の方角に逸らした。


「ほんなら、俺お茶淹れてくるわ。胃腸にええやつ」


 部屋の中に流れる空気の変化には、全く気づいていない風のエイダンが、けろりと提案して、食器棚からポットを引っ張り出した。

 仕事となれば、さとい面も見せるのだが、彼はどうやら、男女の機微への観察眼は今一つらしい。



   ◇



 エイダンの淹れた茶は、実際『胃腸にええやつ』だったらしく、シェーナの話の最中、その場の雰囲気と、ヒューの胃壁の調子を和ませるのに貢献してくれた。


「そうか。一族の加護を解除するのは可能……それは確かなんだな」


 ティーカップをベッドサイドに置いて、ヒューは再度確認した。


「そう言ってた。でもエイダン、ヒューさんの症状は、時間をかければ日常生活に問題ないくらい軽減出来る。そういう見込みはついてるのよね? 寛解かんかいってやつ」


 シェーナが水を向けると、エイダンは物思う顔つきで腕を組む。


「一応は。ただ、これからのリード家にも多分、煙を噴く人は出るじゃろうけん」


 概ね、リード家の一世代につき、一人から二人程度は、『ふろふき』の症状が発現する、とヒューは言う。


「姉には、既に子供が一人いる。まだ幼児だ。今のところ症状は見られないが、いつどんな形で発現するか……それに、兄や……俺にも、そのうちには家族が」


 ふと、ヒューの視線が泳ぐ。彼の目は僅かにデイジーを捉え、またすぐに伏せられた。


 次世代にもまた、この『加護』を負わせるのか。確かに、それは悩ましい点だ。添い遂げたい相手が見つかってしまった時ほど、苦悩は深まる。


「イフト川の妖精が戻ってくるのは、三、四日後という話だったか?」

「妖精の旅行が、人間と同じようなペースならね」

「……」


 ヒューは目を閉ざし、何事か考え込んだが、やがて顔を上げ、前を見据えた。


「シェーナ・キッシンジャー、言伝ことづては確かに受け取った。感謝する……。タウンゼンド先生、紙とペンを貰えるだろうか」

「紙とペン? 構わないが」


 タウンゼンドが不思議そうな顔をしつつも、腰を上げる。

 ヒューは続けて言った。


「手紙を、一通出したい」

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