第18話 ベアキラーの帰還 ⑥
小石と思えたそれは、よく見ると、ごく小さなガラス玉だった。内部は水で満たされているらしい。
丁度、イマジナリー・リードが入っている球体を、縮めたような造りだ。
「これは?」
問いかけたのは、フェリックスである。
「ヴェネレ連邦に住んでる、知り合いのウンディーネから、連絡が来たのぉ。これはねぇ、メッセージを封じられるガラス船」
「ヴェネレから――西の大洋を渡ってきたのか? こんなビー玉が!?」
「やだぁ、そんな驚くぅ? 人間だって、紙で便りとか出すじゃーん? あんなの水に浮かべたらふやけて破れるし、何考えてんのって、あたしは思うけどぉ……」
メイ・マは呆れ半分に笑い、ヒレの上で軽く、ガラス玉を転がす。
するとガラス玉から、小さく気怠げな声が聞こえてきた。
『はぁ、メイ・マ、もう無理みぃ……あたし、そっち帰るわぁ……あのぉー、シルフとサラマンダーの友達が、ついでに、一緒に観光に来るらしいからぁ……あとよろ……』
「…………」
その場に集った人間全員が、珍妙な表情を浮かべ、顔を見合わせた。
「人間にはそうそう作れない、驚異的な魔道具から、誰かの愚痴が聞こえてきたように思えるんだけど?」
と、シェーナは所見を述べる。
「僕にもそう聞こえた。しかし、そっち帰る――とはつまり?」
「シルフとサラマンダー、という単語も挙がりましたね」
フェリックスとハオマが、それぞれ発言した。
「今のが、ワナ・ル・ゼトレッツァ。元、ゼトレッツァの……あぁ、人間が『イフト川』って呼んでる水域の、ウンディーネの声だよぉ」
ガラス玉を、ヒレの上で弄びつつ、メイ・マが説明する。
「ワナ・ルとは、先代の頃に友達だったんだけどぉ……今の代の彼女は、『はぐれ者』に生まれちゃったみたいねぇ。向こうの生活が嫌だから、イフト川に戻ってくるってさ。シルフとサラマンダーってのは、ヴェネレ連邦で出来た、妖精の友達じゃなーい? 知らんけどぉ」
シルフとサラマンダーといえば、それぞれ、風属性と火属性の妖精の事だ。
つまり、百五十年前の『妖精大乱』に敗れ、ヴェネレに逃げ去って行った妖精達の、末裔ではないか。
「ヴェネレ連邦のシルフとサラマンダーって……観光目的とかで、シルヴァミストに入国出来るの?」
「特に、入国禁止の法律は定められてないんじゃないか? ヴェネレも、敵国って訳じゃない。うちの親戚が、向こうと貿易してる」
シェーナの疑問に、フェリックスが地主階級らしい回答を寄越す。
建国から僅か百年の新興国でありながら、ヴェネレ人妖連邦の国力は、今や全世界でも有数の規模である。政治的な関係の良し悪しはともかく、貿易相手としては手放し難い。
「現在も、少数ではありますが、シルヴァミストに残っている、シルフとサラマンダーもおりますよ」
と、ハオマが付け加えた。
シルフもサラマンダーも、全ての氏族が『妖精大乱』に参戦した訳ではない。内乱も移民もどこ吹く風で、細々と、昔ながらの暮らしを続けている者達がいるようだ。
「その、ワナ・ルさんが……帰ってくるんですか? イフト川に」
ロイシンが、メイ・マに訊ねた。
「そう言ってんねぇ」
「じゃあ、イフト川にもウンディーネが、一人は戻ってくるんですね……」
複雑な表情から、彼女が何を考えているのか、シェーナにも読み取れた。
イフト川にもラグ川にも、一人ずつウンディーネがいるのならば――何世代か後には、また元のとおり、水域に精霊の加護が満ちるかもしれない。リード家が犠牲にならなくとも。
しかし、そうなるまでに、一体何百年かかるのかは分からない。そもそも、既に開拓の進んでしまったイフト川に帰ってきて、ワナ・ル・ゼトレッツァは、昔のように暮らす事が出来るのだろうか?
「どうあれ、ウンディーネの帰還は歓迎すべき事ではないか」
思案に耽る一同を見渡して言ったのは、イマジナリー・リードである。
「その、ワナ・ル・ゼトレッツァなるウンディーネには、今度こそ、心地好く、末永く暮らして貰う必要があるだろう」
「歓迎は良いですが、一体いつこちらに戻ると?」
「んん……人間って、そういうの気にする系ぇ? 細かいなぁ」
ハオマの問いかけに、メイ・マは、気怠そうに再び、水の中へと潜った。
水面に戻ってきた彼女のヒレには、二つ目のガラス玉が握られている。
「さっきのは、一ヶ月前に来たガラス船でぇ……こっちがその後、つい二、三日前に届いた船。開封するね」
メイ・マが、ヒレの中でガラス玉を揺さぶる。すぐに音声が再生された。
『メイ・マ? はぁー、ちょっと船酔い気味ぃー……シルフとサラマンダーと、人間用の船に乗ってまぁす。……何かねぇ、あと十四日くらいで、フェザレインっていう港街に着くんだって。多分それ、シルヴァミストのどっかよねぇー? じゃあねー、あとでねぇ……』
音声は、そこで終わっていた。
耳を傾けていた一同は、またもや、戸惑いに顔を見合わせる。
「えっ、船上から……? ワナ・ルさん、もうヴェネレを出発してるの? あと十四日って……この手紙、いつ書かれたもの?」
シェーナが焦りを滲ませて、メイ・マを問い質す。
「んん、ガラス玉に書いてあるよぉ。妖精の暦だけどね……ええと……」
メイ・マはガラス玉を、陽光に翳した。容易には読み取れないが、表面に文字が刻まれている。
「十三日前に書かれてるねぇ、これ」
「……明日、着くんじゃんっ!?」
ヴラディベアもかくやという迫力で、シェーナは叫んだ。
「そっちを先に聞かせなさい、そっちを! 迎えもなく到着して、いきなり入国トラブルでも発生したらどうすんの!?」
「な、なんで怒んのさぁー!? やだぁほんと!」
「この場で諍いは起こすな、治癒術士の娘!」
呑気な態度のメイ・マに、つい喰ってかかり、シェーナはイマジナリー・リードに諌められる。妙に悔しい。
「フェザレインというと、あの西部一の商業都市! あそこは確か今――」
フェリックスが何かを思い出しかけた様子で呟く。
その横では、ロイシンも首を捻っていた。
「その街からどうやって、イフト川まで来るつもりでしょうか。歩いて……?あっ、風の妖精シルフは飛べるって、物語などには書いてありますけど」
「馬があれば、フェザレインから三、四日程度ですかね」
ハオマが言葉を添える。
「三日後。大体その前後に、水の妖精が一人、イフト川に戻ってくる……」
シェーナは一先ず気を落ち着かせ、考え込んだ。
イフト川流域、つまりトーラレイの人々に、この件を知らせておくべきか否か。
妖精は総じて小柄な種族で、魔物のようにいきなり人間を襲ったりはしないが、メイ・マを見ても分かるように、知らずに遭遇するには、ややインパクトの強い外見だ。
人間と妖精との間では、過去、何度も衝突や事件が起きている。現代では『国内の隣人』として不干渉を推奨されており、特に正規軍は、公的に関わりを持てない。
イフト川の上流域に、正規軍の拠点はあっただろうか?
「拙僧から提案させて頂きますと」
ハオマが、改まった口調で冷静に口を開いた。
「まずは――本件の依頼主、ヒュー・リードに、報告したく存じます」
「うむ。遺言用思念体としても、それは頼みたい」
イマジナリー・リードも、厳かに同意を示し、僅かに浮遊させていた身体を、地面に降り立たせて頭を垂れた。
「イマジナリー・リード様……」
貴族の誇りを備えた思念体の、初めてみせる態度に、ロイシンが恐縮した様子で姿勢を正す。
「我輩は使命の行く末を……リード家の決断を見届けねばならん。どうか、頼む」
それから彼は、メイ・マに向き直った。
「今一度、確認するが。全ての真相を誰にも知られないまま、リード家に架せられた『精霊の加護』を解除する事も、可能……。そうだったな? メイ・マ・セダヤッタ」
「そうだよぉー」
軽く応じて、メイ・マは、三つ目のガラス玉を水中から拾い上げた。
それは他の二つと比べて大振りで、オパールのような輝きを湛えた球体である。
「アルフォンス達に発現した、煙を噴く症状ってのは、さすがに予想外だったけどぉ……でも、人間は妖精みたいに、適度にちゃらんぽらんとやってくのが、苦手だからねぇ。いつか、加護の重責に耐えられなくなる日が来るかも……。あたしらの契約を仲介したあの魔術士は、そう予想してたのさ。この通り、『契約破棄の魔術』を、置いてってくれたよぉ」
――あの魔術士。
ハオマ達の話にも出てきた、謎めいた魔術士の正体について、ちらりと、シェーナの好奇心は疼いた。
メイ・マが直接、その魔術士に会っていたなら、風貌と名前くらいは聞き出せるかもしれないが……
――いいや、やめておこう。これ以上重大な情報を仕入れて混乱したくないと、脳が訴えている。
「よし、すぐに村まで戻ろう!」
と、今にも駆け出しそうな勢いで提案したのは、フェリックスである。
「フェザレインに明日到着するという妖精達も、もしかしたら、安全に案内出来るかもしれないぞ!」
「え? どうやって?」
「シェーナにも見せたじゃないか。マディから、手紙が来てただろう?」
「……あっ!」
うっかりと失念していた。
先日、かつてパーティーを組んだ仲間、マデリーン・ベックフォードから、フェリックスに手紙が届いたのだ。
何でも、彼に引き会わせたい人物がいるらしい。
イニシュカまで来るのは大変だろうからと、フェリックスは、トーラレイで待ち合わせる旨を認め、返事の手紙を郵送した。
マディが冒険者稼業の拠点としている、エアランド州スミスベルスから、ホルダー州トーラレイに向かうならば――西部一の都市、フェザランドを経由して、主要街道に入る道程が、最も近道だ。
「マディからの手紙には、フェザランドで、他の仕事を片づけてから来ると書いてあった。彼女は今、あの街にいる! 伝書蝶を使おう!」
高速通信用魔道具、伝書蝶。確かにそれを使えば、明日にもマディにメッセージを届けられる。
ただし、伝書蝶は高度かつ高価な魔道具なので、この近辺で置かれているのは、トーラレイの役場くらいのものだ。
「今から山を下って、トーラレイ行きの船に乗って。なかなかハードなスケジュールね」
「良いじゃないか、冒険者らしくて!」
「話は、まとまったのぉ?」
メイ・マが、岸辺に頬杖をつく。
「そのようだな」
「では、急ぎ山を下るという事で」
頷き合うリードとハオマである。
ロイシンは川辺に跪き、メイ・マを見つめた。
「メイ・マ・セダヤッタさん。お話、どうもありがとうございました」
「えぇ? そ、そういう改まった言い方、苦手ぇー……。あたし、ワナ・ルの手紙開封しただけだしぃ……あんた達が友達のお迎えしてくれるなら、こっちがお礼言った方がいいじゃーん? やだぁほんと……」
口元まで川に沈めて、ぶくぶくと水面を泡立たせつつ、一頻り愚痴を零すと、メイ・マはそれきり、全身を水面下に潜り込ませ、まるで清流に融解したかのように、見えなくなってしまった。
「あらら。行っちゃった?」
シェーナ達は、挨拶も出来ていない。
「まあ、彼女はあの通りの性格だが。また我輩が呼び出せば、対話くらいは出来よう」
イマジナリー・リードもまた、そう言うなり、ガラス球の中へと戻る。
「それじゃ――あ、そうだ。途中に置いてきた、ヴラディベアも持って帰らなくちゃ」
「えっ?」
何気なく独白するロイシンに、その場の全員が、ぎょっとして顔を向けた。
「ハルキハッカの草むらは、駄目になってしまったけど。もっと良いプレゼントが、調達出来ました!」
晴れやかな笑顔でロイシンは続け、周囲の面々はもう一度、「ええっ?」と声を上げるのだった。




