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第13話 ベアキラーの帰還 ①

 聖暦一〇二三年、臙脂えんじの月。一年で四番目の月である。


「イニシュカ村に来て四ヶ月か。早いもんだわ」


 シェーナ・キッシンジャーは、抜き終えた雑草を一束、に放り込むと、額に浮いた汗を軽く拭って息を吐く。


「雑草の伸びる季節にもなるわよね、そりゃ」


 彼女の目の前には、小さいながらも見事な庭園が広がっていて、様々な花や野菜、薬草が植えられていた。

 春になってこの庭では、いくつかの花が美しく花弁を開かせたが、暖かくなれば、雑草も生える。素晴らしい庭園の維持には、細やかな手入れが必要という訳だ。


「キッシンジャーさん……苦労をかけた」


 ぼそりと落とされた声に、シェーナは振り向く。

 そこに、男が一人立っていた。シェーナと同じく、庭仕事用の帽子を被り、雑草を集めた箕を抱えている。

 歳の頃は、もう四十も後半と思われるが、ぴんと伸びた背筋と、鍛え抜かれた身体つきは、衰えを感じさせない。顔に刻まれた厳格そうな皺だけが、彼の重ねてきた年月を物語っている。


「やだな、ディランさん。いいんですよ。部屋貸して貰ってるんだからこれくらい」


 シェーナがひらひらと、土で汚れた手を振ってみせると、男は表情を変えずに、一つ頷いた。


「うん、そうか」


 それから彼は、草むしりの終わった庭を少し眺め、またぽつりと言葉を落とす。


「妻は……この庭が好きでな」

「奥さんが」


 シェーナも、つられて庭を見渡した。


 彼――ディラン・マクギネスの妻、ソフィア・マクギネスは、六年前に他界している。

 彼女は、イニシュカ島唯一の小学校の、校長を務めていた。シェーナの友人エイダンの恩師にあたる。

 ディランの方はというと、エイダンの棒術の師匠である。


 ディランは、かつて冒険者だった。ギルド登録上の職は格闘家ウォリアーだったのだろう。ソフィアと結ばれてこの島に落ち着き、棒術の道場を開いたと聞く。

 妻の死後は道場を閉め、小学校で子供達の運動を監督している。

 マクギネス家の離れにあった道場は空き家となったが、放置しても傷むだけだからと、住居に改装して、旅人などに貸すようになった。そこに現在、シェーナが収まっているという訳だ。


 この寡黙な人物が、小学校で子供の相手など出来るのだろうか、とシェーナは当初、他人事ながら心配になったが、ディランは口下手ではあるものの、人嫌いという訳ではなく、特に子供は好きらしい。

 エイダンも彼を慕っていて、今でもよく、棒術の稽古けいこを兼ねて、顔を見せに来る。


「ソフィアさんの、お気に入りの庭か。じゃあ、なるべく丁寧に手入れしときたいですね」


 シェーナがそう声をかけると、ディランは、嬉しそうとも寂しそうとも見える口角の上げ方をして、「ありがとう」と短く答える。


「では、私は、学校に行く」

「いってらっしゃい」


 雑草を片づけ、裏の井戸で手と顔を洗うと、ディランは立ち去りかけて、シェーナの方を振り向いた。


「ああ……今日、娘が帰ってくるんだ」

「娘さん?」

「後で、挨拶をさせる。キッシンジャーさんも仕事だろうが、夜には家に戻るかね?」

「ええ、その予定」


 ディランは軽く頷いて、再びきびすを返し、仕事の支度に去って行った。


「ディランさんの娘さん……」


 一人残されたシェーナは、井戸端で呟く。

 そういえば、ちらりと聞いた事があった。マクギネス家には一人娘がいて、現在は島外に働きに出ていると。話していたのはエイダンだろうか?

 そう、確かエイダンの一つ歳下で、小学校時代の級友だったはずだ。


「おっと、あたしも準備しなきゃ」


 シェーナは、現在も冒険者ギルドに加入している。

 この辺りは泥棒も出ないような平和な土地柄で、ギルドの詰所つめしょも、島を渡った先の隣町、トーラレイにしかない。

 今日の仕事も、トーラレイのギルドで請け負ったものだが、仕事場はイニシュカ島内だという。依頼人とは、島の港で落ち合う予定となっていた。


 部屋に戻ったシェーナは、庭仕事用の作業着を脱ぎ、白地のローブを羽織る。根っからの冒険者であるシェーナは、やはりこれを着ると、身の引き締まるような気分になるのだ。



   ◇



 イニシュカ島の南東部、ラグ川の河口近くに、その港はあった。

 主に、地元民のための漁港として機能している小さな港だが、波止場の周辺には、一応宿もあるし、喫茶店と酒場を兼ねた店もある。


 『オハラの店』という、飾りっ気のない看板を提げた店の扉を潜ったシェーナは、紅茶と軽食を注文して、カウンターに落ち着く。

 店内では、船を待っているらしい船乗りや作業員達が数人、新聞を読んだり、雑談を交わしたりしていた。


「おお、シェーナじゃ」

「朝からシェーナさんに会えるちゃあ、幸先ええわ。こら今日は調子出るがよ」


 常連客の船乗りが二、三人、シェーナに気づき、嬉々として声をかける。

 イニシュカの人々からすると、外部から来た冒険者のシェーナは、ちょっと目を惹く存在らしい。この店には仕事の前後によく寄るのだが、他の常連客から、あっという間に顔と名前を覚えられてしまった。


「はーいおはよう、幸運の精霊の使いが来たわよ」


 シェーナも既に慣れたもので、笑って軽口を返してから、目玉焼きを乗せたトーストに齧りつく。

 イニシュカの食べ物は、豪勢ではないが、どれも新鮮で、なかなかに上質だ。特に、魚介類は絶品と言える。

 島に着いて間もなくの頃、エイダンに港を案内されて、彼が露店でタコの脚を串焼きにした物を買ってきた時には、ぎょっとしたが、そういった、シェーナの育った地域では珍しい食材も、見慣れてきた。


「幸運ちゅうたら、今日あたり、ベアキラーが帰ってくるそうなよ」


 カウンターで新聞を読んでいた客の一人が、ふと思い出した様子で呟いた。


「ほおー、あのベアキラーが……そら、マクギネスの旦那さんが喜ぶじゃろ」

休暇やぶいりかいね? この前の正月は、忙しゅうて帰れんかったと聞くが」

「仕事いうても、薬草師っちゅうのは、最初の丸一年は修行の身らしいけん。しわいこっちゃのー」

「家でゆっくりしんさるんがええわ」


 他の客達も、笑顔で頷き合う。どうやらめでたい話らしいが、しかし、熊殺し(ベアキラー)とは穏やかでない呼称だ。


「あのー……ベアキラーってのは?マクギネスの旦那って、ディラン・マクギネスさん?」


 つい、シェーナは話に首を突っ込んだ。


「そうそう、小学校で運動を教えとんさる、あの人の娘さん。つまり、前の校長のソフィア先生ん所の子じゃね」

「お母さんに似て、よう出来た子でな。薬草師になる言うて、島の外に出とるのよ」

「勉強では、フォーリー家のエイダン坊の次くらいの成績じゃなかったかねえ」


 常連客は代わる代わる、丁寧な説明をしてくれるのだが、シェーナはますます混乱した。


 今日帰ってくる予定の、マクギネス家の一人娘。ディランもその話はしていた。

 しかし彼女は、エイダンの一つ歳下だったと言う。とすると、まだ十六、七だ。

 十代の少女の呼び名が『熊殺し(ベアキラー)』とは、一体どういった由来なのか?まさか、本名とも思えないが。


「おや、船が着いたがぁね」


 新聞を畳んだ客が、そう言って席を立った。

 窓から外を見ると、波止場に定期船が近づいている。小さく、乗客達の姿も見えた。仕事の依頼人は、あれに乗っているはずだ。


「おお、仕事じゃ仕事じゃ」

「ほんじゃあなシェーナさん」


 どやどやと作業員達が店を出て行き、シェーナも急いで紅茶を飲み干す。依頼人には、待ち合わせ場所はこの店の前と伝えてあるが、ギルドを仲介しての依頼だったから、互いに顔を知らないのだ。行き違わないようにしなければ。


 船から降りてきた乗客が、何人か店の前を通り過ぎ、やがて一人の少女が、看板を見て立ち止まった。

 手元のメモと店名を見比べ、辺りを見回す。店内のシェーナと視線がかち合い、彼女は軽く会釈した。


 桜色に近いストロベリーブロンドの、ふわりと広がったボブヘア。穏やかな雰囲気を湛えた、大きな蓬色よもぎいろの瞳。若草色のローブに包まれた、しなやかな身体つき。同性でも、思わず目を瞠るような美少女である。


 ――まさか、彼女が依頼人?


 シェーナはあたふたと店の外に出て、「あの」と、少女に声をかけた。


「トーラレイの冒険者ギルドで、護衛任務を依頼したのは……貴方?」


 少女は大きな目を更に丸くして、シェーナを見つめ返す。


「は、はいっ。そうです。わたし、依頼人の……ロイシン・マクギネスです」

「マクギネス――?」


 シェーナはその名を、おうむ返しに唱えた。

 確かに見たところ、年齢は十六、七歳程だ。ポケットとホルダーの多いローブと、大きな鞄は、薬草師がよく身に着けている装備でもある。


 では、彼女がディラン・マクギネスの娘であり、『ベアキラー』だというのか。


(なるほど、ベアキラーってそういう意味ね)


 と、シェーナはすぐさま、一人合点した。

 美女を形容する際に、たまに使われる例え話だ。『その美しさでドラゴンでも落とせる伝説の女』だとか。つまり、可愛さで熊も倒せそう、といったジョークが由来のニックネームなのだろう。


「あの、何か……?」


 少女は、鞄の肩紐を握って、不思議そうにシェーナを見上げる。やや緊張しているらしい。


「おっと、ごめんなさい。あたしは、シェーナ・キッシンジャー。今回の護衛依頼を請け負った冒険者よ。護衛って言っても、治癒術士が一人だけど、良かったのかしら」

「はい、大丈夫です。実は、あそこに見える山の上まで、花を採集しに登りたいんですけど……」


 と、少女は港を背に、島の奥を指差した。

 その先には、イニシュカ島の中央にそびえる、アンテラ山がある。そう標高の高い山ではなく、登って降りるだけなら、日暮れまでには十分可能だ。


「村の掟で、一人で山に入るのは禁じられてるんです。山には稀に魔物モンスターが出るし、遭難する事も、あり得なくはないので。普段なら村の人に同行を頼むんだけど、今回は……ちょっとの間、秘密にしたくて」


 そこで彼女は、僅かに頬を赤らめて目を逸らした。

 おや、とシェーナは気づいたが、いちいち依頼人の事情を、根掘り葉掘り探りはしない。冒険者としてのたしなみである。


「オーケイ、そういう事ね。それじゃ今日一日よろしく、マクギネスさん」

「よろしくお願いします。……良かったら、ロイシンって呼んで下さい」


 少女は、はにかむような笑顔を見せる。


(あらあら、可愛らしい)


 我知らず、シェーナまでも口元を緩めた。


 シェーナの勘では、彼女は誰かしらに恋心を抱いている。そしてその誰かのために、アンテラ山に登る必要があるようだった。村に秘密で登りたいという事は、恋の相手は、村内の住民だろう。


 一体誰だろうか?その幸運な相手とは。


「分かった。早速出発する?ロイシン」

「はい!」


 ロイシンは元気良く頷いて、背中に括っていた杖を手にした。

 登山用の杖だろうか。シンプルで、かなりの長さがある。エイダンが愛用している、ハンノキ製の長杖によく似ていた。

 級友だったというから、案外、同時期に作ったのかもしれない。


 小規模な任務ではあるが、これはこれで良いものだ。いや、可憐な少女の護衛には間違いないのだから、立派に、幼い頃憧れた叙事詩の英雄めいているとも言える。

 シェーナは上機嫌で、自分も錫杖を手にした。

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