せいじょ2
お嬢の低い声の、真剣な問いかけに、すぐ側に座っていた男と女がそれぞれ答えた。
「...私達が聖女様への報告を止めさせておりました」
「まだ、聖女様へ報告できる段階ではございませんでしたので」
「それなら、途中経過として話せる範囲で構わないから、教えて」
この教団、青き鎖としては「魔王討伐」の案件に関しては昔から中立を保っているそうだ。
魔王と戦うのは主に「白き鏡」の仕事だというのと、人族以外の種族の多くが魔王を支持していることから、青き鎖はあえて「白き鏡」とは別の立場をとって均衡を取っている、とお嬢が言っていた。
「先日の、魔王討伐の遠征軍については失敗に終わったことは聖女様もご存じのとおりです。ですが、その背景や魔王の動向については、なんと言いますか、その...」
「...情報が錯綜していて、まだその真偽を測りかねている状況なのです」
もしも全ての情報を統合するのならば、こうだという。
わずか数十日前に突然「迷宮」に現れた魔王は、研究施設から逃げ出したという「最後の鬼姫」を強奪して失踪した。
再び現れたのは迷宮の10階層の街。
謎の「モモフ族」と結託し、人族から街の実権と「奴隷の猫族達」を強奪し、十日もたたぬうちに再び姿を消してしまっていた。
三度、目撃されたと言われた場所は迷宮の22階層。
猛烈な速さで迷宮の底へと移動する魔王を逆走で阻止する作戦を展開するも失敗。
「背後を突かれた」討伐軍は、「素手で」叩きのめされた挙句、強大な魔法の力で脅されて、20階層の転送門から地上へと放り出されたという。
「...一番最後の事実だけを切り取っても、我々の聖剣を携えた白き鏡の四聖が、素手の魔王を相手に手も足も出なかった、という話です」
「そして、百の落雷を寸分違わず操りきったという魔法。国中の魔法使いをかき集めても行使できるか分からないであろうその魔法を、魔王が一人で、一瞬で放ったことになります......いくら【徘徊する逢魔】の【魔導】の力であったとしても、それは...あまりにも...」
「...その後、ドワーフ達が仲介して20階層の転送門から全員を追い返したそうです」
「...その一方で、残り半数の後続部隊は一人残らず消息不明のまま......通常は、奇襲を受けたとしても伝令の一人は必ず逃がしきるものなのですが......場所が『迷宮』だけに、なんとも判断しかねています」
魔王が速すぎる。10から22階層への移動速度はもはや「転移」だ。
魔王が強すぎる。剣でも魔法でも敵わない、別次元だ。
誰一人殺さなかった? 皆殺しにした? まるで意図の見えない意思を持たない、まさに天災のような...
「待って、待って! みんな落ち着いて!」
ざわめいたり沈黙したりするみんなに、お嬢が声を上げた。
「みんな、副長の報告は聞いたでしょう! まずは一旦、それを思い出してみて!」
副長。お嬢が「ふりょう」と呼んでいた騎士団の副団長、この『青き鎖』の中で唯一、その魔王と直接対峙したことのある男のことだ――
とある施設で「小鬼族の双子」を使った実験をやっているという話を聞いたお嬢がすぐさま、白き鏡のその施設へと副長を「ひこうしき」に送り込んだ。
お嬢の「あなたが一番、融通が利くし、不測の事態でも生き残ることができると信じてるの! ...だからお願い、何も聞かずに...行ってきて...!」という無茶な依頼に、副長が苦笑いしていたのを俺も覚えている。
人族が他の種族を捕まえたり実験したりするのを許さないお嬢に、「いい感じにやってきて」と「まるなげ」された副長は、結局「間に合わなかった」。
そのゴブリンの双子はすでに逃走した後で、それを追いかけたらなぜか、『自称魔王』に遭遇して、命からがら生還した――という話だった。
あの時はまだ【勇者】達の、副長の報告を誰も信じてはいなかったと思う......お嬢以外は。
副長の「約束通り生きて帰ったぞ、クソ聖女」と苦笑しながらの、その冗談のような報告内容にお嬢だけは真剣に「ぐぬー」と頭を抱えて悩んでいたのを、俺は覚えている。
「...確かに、あの時の副長の報告と...合致します」
「見たことの無い魔法で副長を倒して、不死であるはずの【勇者】を素手で叩きのめしていた、と...」
「そして本で聖剣を叩き折り、ゴブリンが止めに入って、最後は頭だけ出して埋められた、なんて...」
「...あの時は絶対に、聖女様を笑わせようとした副長の笑えない冗談だと思っていたんですが」
「...あとで、副長に謝っておきます」
なんだか反省し始めたみんなに、お嬢が言った。
「あ、謝るって!? ......えっと、それを踏まえて、今回の遠征から帰還した四聖の話も、みんな聞いてるでしょ?」
四聖というのは『白き鏡』にいる四人の強めの戦士達のことだ。
その四人のうち二人が、突然「引退する」と言い出した。他にも同じような騎士達が複数人いたらしい。
魔王からの精神支配でも受けたのだろうと言うことで、医者やお嬢の診察を受けた騎士達。
その時に騎士の一人がお嬢に、消え入りそうな声でただ、「恥を知った」と言って、口をつぐんでいた姿を俺も見た......
眉をひそめるみんなに、お嬢は続けた。
「副長は言ったわ。なんとも『人らしい』ゴブリンと魔王だったぜ、って。そして遭遇した聖騎士達は何かを、ひどく反省していた......」
そしてお嬢はボソリと「...何か、引っかかるのよ」とつぶやいた。
そんなお嬢の言葉に続いて、他の奴がその言葉に重ねて、やがて議論が白熱しだした。
「...だが、それでも、相手は人族の敵、魔王だぞ?」
「【徘徊する逢魔】を放置すれば人族が滅亡するというのは子供でも知っている伝承だ!」
「聖女様の息の『かかっていない』商業組合、傭兵組合を中心に、魔王討伐競争が加熱しているんだ、もう簡単には止まらない」
「止める理由などないだろ!? 邪悪は早急に滅ぼす、だが問題は...」
「正義だ悪だと軽々しく口にするなと聖女様に言われたの、忘れたの?」
「なんだと貴様!?」
カン、と高い音が割り込んだ。
それはお嬢が、テーブルの上に一つの小さな箱を、叩きつけるように置いた音だった。
「箱? ...その箱、まさか!?」
「聖女様っ!? それは他の者に見せては――」
聖箱。それは歴代の聖女に受け継がれるという聖なる箱。
お嬢が俺に「見てみて、ロー! これ...アハハハ!」と笑いながら見せてきた、他の者が決して開いてはいけない、見てはならないという、聖なる箱だ。
その箱を、蓋が開いた状態で、お嬢はテーブルの中心へと滑らせた。
もう、みんなが目で、その箱を追わずにはいられなかった。
そして、空っぽの箱。
その空っぽの箱の底に書かれた、刻まれた、ナイフか何かで刻んだのだろう荒々しく力強い文字――
――クソどもの言うことを信じるな!
歴代聖女が秘密裏に受け継ぐはずの「聖句」を前にみんなが目を丸くして、信じられないものを見てしまったという顔でお嬢の方を見て、二度三度、箱とお嬢を往復した。
再び、みんなの目を覚ますかのようにお嬢がパンッと、手を叩いた。
「聖剣も、聖箱も、ただの道具」
お嬢がみんなに言った。
「必要ならば、相手が魔王でも神でも、私は戦うわ。
だけどっ!
それは手段であって、目的じゃない。
熱に浮かされないで、私達は、『青き鎖』が守りたいものが何なのか、みんな、思い出して。
...お願い、みんな。私に、力を貸して」
全員が一斉に、起立した。
そして、二言三言交わし合って、互いの分担を確認してから足早に部屋から立ち去っていった。
どうやらもう一度、情報を収集しなおして作戦を立て直すという流れらしい。
みんなが去った後に、ぐにゃりとテーブルに突っ伏したお嬢。
俺はお嬢の頭を撫でた。
「...がんばったな、お嬢」
「ロー。私、なんだかちょっと、引っかかるのよ......何が引っかかってるのか分からないけれど、なんとなく、何かが少し......すっごく、引っかかってる気がするのよ......」
目と口を閉じたまま、何だか分からないモヤモヤを前にお嬢は唸り声を上げた。
大丈夫だ、お嬢。
俺はお嬢が、いざという時は絶対にはずさないことを、知っている。
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「ご無沙汰しております、ロー博士」
「いや、まさかあの時の女の子が聖女様になろうとは......コホン、私のようなしがない伝承学者に何か、お力になれることがございますでしょうか、聖女様?」
このおっさんは覚えている。昔、まだ子供だったお嬢と俺に、大きな図書館でいろんな「おとぎばなし」を聞かせてくれた親切なおっさんだ。
『渡り人』であることを秘密にしていたお嬢の、子供とは思えない賢さにおっさんが驚いていたのを俺は覚えている。
「そんな、あらたまらないでくださいロー博士。 ...モタおじさま。さっそくですが、『迷宮』で魔王に遭遇したというのは本当ですか?」
「...よくご存じですね」
あの身内の会議のあと、あいつらがさっそく、「もみ消されたはずの情報」を拾ってきた。
なんでもおっさんは、迷宮での出来事を公式の報告書として『会議』へ提出したのだそうだ。あの魔王討伐隊の生還者の身元引受人となったのも実はおっさんだったらしい。
おっさんは報告書を何度も書き直させられた上に、「言うとおりに直さなかった」から結局その報告書を受け取ってはもらえなかったのだ、と笑っていた。
「ハッハッハ、私は見たままを正直に書いたのだけれどもね」
魔王は人族に害をなす悪しき存在。それを強調するように書きなおせと繰り返し言われたり脅されたりしたらしいけれど、おっさんは「そうは見えなかった」と主張して、結局そういうふうには直さなかったらしい。善悪ではなく、ただ事実を曲げて書くのはできないというのがおっさんの信条なのだそうだ。
おっさんは「くうきがよめない」大人なのかな? と思ったけれど、お嬢はその話に笑っていたからきっと、今回はそっちが正解らしい。人族の慣習は俺にはむつかしくてよく分からない。
だけど、そんな話も頭から全部吹き飛ぶような、衝撃の事実(?)をおっさんはお嬢に話した。
昔、子供のお嬢と俺が笑いながら聞いていたおとぎ話、それをもう一度、ここで聞くことになったんだ。
「...モタおじさま? それ...冗談......では、ない、ですよね?」
魔王討伐隊が『迷宮』で遭遇したのは魔王とその従者、二人だけだと俺達は聞いていたのだけれど...
神の使徒【羽ばたく悪戯】。
生きる伝説と言われている、数百年を生きる妖精の女王。
たしか昔、おっさんが俺達に「最も神に近い神の使徒」だと教えてくれたのは、そいつだったはずだ。
【酒呑姫】、【血纏姫】。
酒を、血をすすると超常の力を発揮するという鬼族の【最後の姫】。
お嬢の【鉄血】と同等あるいは対抗できるスキルだと「白き鏡」が実験しようとしていたのを、お嬢と副長が介入しそこねたという双子の小鬼だ。
『其処に在る死』。
最強の暗殺者と言われている猫族の守護者。最強だって噂以外が全て謎の戦士。
...だけど、俺がお嬢に出会うよりも前の記憶......虎族に顕現するはずだった『力』を『猫族の誰か』が受け継いだんじゃないかって噂を、聞いたことがある、ような気がする......
...お嬢がおっさんに、震える声で確認した。
「...それが、みんな、魔王の、配下...??」
戸惑うお嬢に、おっさんは笑いながら答えた。
「ふむ。配下というよりも、家族といった雰囲気だったね? とても仲が良さそうだったよ、ハハハ」
一緒に果物に乗って川を渡ったり、坂を転がったり、果物を食べたりしたそうだ。うん、おっさんが何を言っているのか俺にもさっぱり分からないぞ、お嬢。
おっさんは「とても楽しかった」と笑っていて、たしかに何だか楽しそうな話をしてくれたけれど、お嬢の耳には半分くらいしか届いてはいないようだった。
「...おとぎ話の神の使徒と、人族の天敵が、結託しちゃったわけ?
そこに最後の鬼姫達に、最強の暗殺者も取り込んだ?
...それって結構、マズくない?
戦バカと正義バカと私だけじゃ、ちょっと、抑え込めないんじゃないのかしら...?」
顔を青くして「神の使徒が二人で手を組むなんて、ちょっと反則じゃない?」とつぶやくお嬢に、おっさんが「いや、実はニアーデスも神の...」と言いかけて、口をつぐんだ。
なんだかとっても申し訳無さそうに、心配しながらお嬢を見守るおっさんは、きっとお嬢の言う「くうきのよめる大人」なんだろう。
お嬢が頭を抱えて「ぐぬー、ぐぬぬ...」と唸りだしてしまった。
お嬢のぐぬーが始まるともう、しばらくはこのままだろう。
俺はお嬢とおっさんのために、お茶とおやつを用意してもらうように侍女達にお願いした......
...だけどそれも、飛び込んできた急報ですぐに中断されたのだけど。
「【勇者】が失踪!? なんでっ!?
...ほんとっ、どうしてっ、いつもっ、どいつも、こいつもっ......きぃーーーーぃ!!」
その魂の叫びに、おっさんと侍女が目を丸くしていた。
お嬢、『いめーじ戦略』、忘れてるぞ。




