せいじょ1
扉の向こうの不穏な気配に、部屋へと飛び込んだ俺は、目撃した。
お嬢の左腕、そして男の首を支点にして、男の爪先がくるりと大きな弧を描いた。
腕を振りぬくお嬢、背中から床にズダンと落ちるその男。
うっとりとした恍惚の表情で気絶した男(お嬢が言うには「どえむ」らしい)をギロリと一瞥して、お嬢は叫んだ。
「ウィィーーーーーーーーィッッ!!」
お嬢が言うには「ウィー!」は誤訳(?)らしく本当は「ユース!」が正しいらしい。
お嬢は、「私としては誤訳の方も荒々しさが伝わってきて捨てがたいのよね......でも、老害を倒すという意味ではYouth!の方が正しいのかしら?」と言っていた。
だけど俺は「お嬢の前世」では有名な「らりあっと」とか「ぷろれす」とかについて知らないから、お嬢が何を言っているのかさっぱり分からないんだ。
お嬢が俺の知らない話をするのは、うれしいけれど、少しさみしい。
それはさておき、俺の方に気がついてハッとしたお嬢が、俺にこう言った。
「違うの、ロー」
俺はまだ何も言っていない。
だけどお嬢が俺に、自分からこの状況について説明してきた。
「違うの、このエロオヤジ......ゴホン、後援会長がいきなり抱きついてきたから、うっかり、その......やっちゃっただけなの」
「いつもどおりじゃないのか?」
何も違わないと思う。
「......」
「......」
あ、いけない。俺はまた「察し」て「くうきをよむ」ことができなかったようだ。
お嬢が遠い目をしながらつぶやいた。
「...あー、うん。そーね。いつもどおりね」
...ごめん、お嬢。
そして、俺の後ろからぞろぞろ入ってきたお嬢の侍女達が男を粛々と回収していった、いつもと同じように手際よく。
このあと、奴をこの『青き鎖』の女神官達が「ブタを見るような目」でそれでも丁寧に治療して、その男が目を覚ました後に正座させて半日かけて厳重注意して、反省が足りなければ更に半日から最大で一週間まで延長して、反省するまで徹夜で説教を続けるところまでが「いつもどおり」のやりとりだ。
お嬢がため息をついた。
「もう、なんでいつもいつもこんなやり取りを......あの人も立場上、色々と鬱憤がたまっているのかもしれないんでしょうけど...ここ、うちの教団なのよ? 信じられないわ。うっかり他の人達に見つかったら、ただじゃ済まされないわよ?」
もうすでに、ただじゃ済んでいない気がする。
もちろん俺だってただじゃ済まさない。俺ならその場で、八つ裂きにする。
「まったく、なんで、どいつもこいつも、こうなのかしらね...」
「お嬢のことが好きだからじゃないのか?」
お嬢が俺に、「うそでしょう!?」とでも言いたげに目を見開いた。
「そ、それならなおさら、好きだったらなんで私に襲いかかってくるのよ!?」
「それは、お嬢の言っていた『どえむ』だからじゃないのか?」
お嬢に襲いかかって、お嬢に「返り討ちにしてもらいたい」からじゃないのか?
「......」
「......」
お嬢が俺に、「うそでしょう...」とでも言いたげに、死んだ目をした。
「...ロー、世界には知らないほうが良い真実って、あると思うの」
「そうか。色々と大変なんだな」
「そうなの、色々と大変なのよぅ...」
お嬢が頭を抱えながら、胸の空気を全部吐き出すような長ーいため息をついた――
...あの襲ってきた男は、お嬢の教団に喜捨(寄付)をする有力な商人達のうちの一人で、白き鏡との連絡役もやっているのだと、お嬢が言っていた。
この教団は大勢の「有力者達」の寄付でなりたっている。お嬢はそんな有力者達みんなの人気者だ。
そしてああやって、お嬢に襲いかかっては倒される連中もいっぱいいる。というよりも、後を絶たない、というか、「有力者達」はほぼ全員、あんな感じだ。お嬢はみんなに大人気だ。
お嬢は、教団の外では清楚で可憐で儚い聖女ということになっているらしい。お嬢が言うには「いめーじ戦略」が重要なのだそうだ。
だけど教団の「中の」みんなは、お嬢の強さを知っている。【鉄血】スキルで強いという意味ではなく、心の強さというやつだ。
――...お嬢、そんなに長いため息をつかなくても、俺はお嬢が清楚で可憐で...あと何だっけ? とにかく、そう思っているぞ?
...そんな「きぐろー」が絶えないお嬢に襲いかかってきた連中は、お嬢はそれを相手にするのも仕事だっていうけれど、俺はやっぱり許せない......お嬢を困らせる奴らは、いつか必ず、俺が殺る。
...お嬢に、ほっぺたをムニっとつねられた。
「ロー、そんな怖い顔しないで」
「だけど、お嬢」
「あの人のあれは性癖......不治の病みたいなものだから、仕方がないのよ。それでも彼が懲りないならば、何度でも私が、冷たい石床を舐めさせてあげるわよ」
良いのかお嬢、「いめーじ戦略」が大事じゃなかったのか? そこは治すとか更生させてあげるとか、もっと別の言い方があるんじゃなかったのか? それにむしろ、冷たい石床を舐めさせるのは逆効果だと思うぞ? さっきの男だって、「ありがとうございます」って顔で気絶していたじゃないか。
お嬢が俺の目を見て何かを「察した」のか、スイッと目を逸らした。
お嬢はとっても忙しい。
いつもいろんな会議に、打ち合わせに呼ばれて出席している。
会議に出て、にっこり微笑んで、一言も喋らないのがお嬢の仕事だ。
お嬢の代わりに教団の連中が全部喋って全部処理する。
課題を整理して優先順位をつけて一つずつ迅速に処理していく。問題点に対していくつかの解決策を提案して検討して実行して経過を確認して次の手へと、繋いでいくのだそうだ。
お嬢がにっこり微笑んでいる内に、だいたいの会議は解決する。お嬢は終始にっこりしたまま黙っている。
俺がお嬢に、「顔の筋肉は大丈夫か?」と心配したら、その笑顔のまま無言でほっぺたをムニっとつねられて、ちょっと怖かった。
廊下を歩くときも静かに、俺と二人でしずしずと歩く。護衛は俺しか付けない。
ぞろぞろと引き連れて歩くのは嫌いだと、お嬢が言っていた。
本当はぞろぞろ引き連れて歩くことが「いめーじ戦略」としても、他の連中が言う「権威の象徴」としても重要なのだと聞いた。
それでも他の連中が二人だけで歩くのを認めているのは、俺が護衛として強いのと、お嬢と俺が「びけい」だから二人だけの方が「絵になる(?)」のだそうだ。
お嬢が喜ぶのならそれでいいけれど、俺が遠目には男か女か分からないと言われるのはちょっと、複雑な気持ちだ。
だけど、人目のつかない廊下に入ると、人が増える。
お嬢の左右に、お嬢の部下? 従者? なんだかそういう奴らが現れて、無言のお嬢にそのまま何かの報告を話し始める。
話しながら、次の部屋に入る。そこにはお嬢の仲間? 腹心? そういう連中が既にいっぱい座って待っている。
そのまま今度は、「身内の会議」が始まる。
身内の会議だとお嬢もしゃべる。いつのまにかお嬢だけが喋っていることも少なくない。
いつもはみんなに感謝したりみんなを褒めたりするけれど、たまに怒ったりもする。
お嬢は気付いてないみたいだけれど、実はお嬢が怒った時の方が、男も女もうっとりとした顔の時が多かったりする......それを一度、お嬢に伝えたら「うそでしょう!?」となんとも言いづらい驚きと痛々しさが入り混じった顔で俺を見たから、それについてはもう俺も気が付かないフリをすることにしている。
いつまでたっても『白き鏡』に貸与した聖剣が返却されないという報告に対して、お嬢は「それならそれで構わない」と言って、みんなをざわつかせた。
「...聖剣って、兵器というよりは権威や象徴的な意味合いの方が強いのが実情でしょ?
あれを奪われるわけにはいかないけれど、そのまま貸与し続けて貸与料を稼いだ方が、倉庫で眠らせておくよりは正直、よほど有意義だわ」
お嬢のその言葉に目を丸くする奴、笑いをこらえる奴、半々だった。
「だってそうでしょう!? 維持費! あれを倉庫に置いておくだけで保守費やら警備費やらが毎日飛んでいっているって話じゃない!
それに、聖なる武器やら神器やらってどうも、うさん臭くて苦手だし...
...コホン。それにいま、手の空いた警備員達が自主的に救貧院や街の警らに回ってくれているって聞いたわよ......聖剣の貸与費で、彼らに何かおいしいものでも差し入れてあげて」
みんながお嬢の方をじっと見ている。温かい目だ。
「少し、これを機に予算と編成を見なおして......って、何、無言で書類を差し出して? ...もうできてるじゃない!? 早いわねっ!?」
お嬢の護衛として俺もお嬢の後ろに立っているけれど、いつも話の進むのが早すぎて、お嬢達が何を話しているのか半分くらいしか分からない。
お嬢が言うには、みんなが優秀すぎて、「たていたにみず」過ぎて、ちょっぴり怖いのだそうだ。
だけど、それでもたまに隠し事をされるのが、お嬢は少し苦手らしい。
「...これで、今日の議題は全部よね?
それじゃぁ最後に、魔王について」
そのお嬢の言葉に出席者がみんな、固まった。また、みんなが何かを内緒にしていたらしい。
「なんで聖剣の話題が出たのに、魔王の話が出てこなかったのよ。ねぇ、話してくれる?」




